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 左の大腿部に弾が当たった。坂道を駆け下っていた勢いで、ガードレールを飛び越えて、そのまま真っ逆様に落ちた。
 これは死んだな。そう思った。しかし、幸運の女神は佐野を見放してはいなかった。崖の途中に、小さな木が生えていた。藁をも掴む、まさにその木がそうだった。左手でその木を掴むと、佐野の大きな体がグンと停まった。手のひらに激痛が走り、手が放れそうになるのを堪えた。
 銃を脇腹へ差し込み、両手で木を掴んだ。体は宙に浮いたままだ。足がかりを探すが何もない。上へ上がろうにも逆バンクになっていて、どうしようもなかった。このまま力つきて結局崖の下へ落ちて死ぬかもしれないなと思った。

 崖の上から、男たちの声がしてきた。
 「榊さん。これじゃあ、助かりませんよ」
 「そうだな」
 榊が上にいる。しかし、どうしようもない。くそ! 佐野は悔しさで一杯だ。
 その時、遠くで雅代の声がした。
 「ジャイアン。死んじゃいや!!」
 その声に力が奮い立った。死ぬわけにはいかない。絶対死なないと彼女に約束したではないか!
 「おい。女は上に隠れているぞ。探してこい。・・・・殺すんじゃないぞ」
 「武器を持っているかも」
 「いや、それなら、撃ってきたはずだ。早くしろ!」
 雅代が見つかってしまった。しかし、榊は殺すなと言った。佐野はほっとした。まだ助け出して、榊を殺すチャンスがある。
 「乗鞍の別荘へ行くぞ」
 「大阪じゃないんですか?」
 「ボスがそっちで待ってろと言ってるんだ」
 「そうですか」
 乗鞍の別荘? 橋爪もそこに来る。よし。この危機を脱して、奴らを血祭りに上げてやる。
 佐野は、ゆっくりと下を見回した。右の下に岩場があった。体を振って、あそこに降りることができれば、何とかなるかもしれない。
 ゆっくり体を振って、勢いを付けて、佐野は飛んだ。ざざざざざーっ。岩場の上に乗ったと思った。しかし、足が滑ってそのままずり落ちた。佐野は必死で岩を掴んだ。
 幸運の女神は、俺が、橋爪と榊を殺ることを期待している。佐野はそう確信した。足がかりを見つけて岩場に上がった。その岩場から、崖に生えた木を伝わっていったん下まで降りた。
 崖の下から上を仰いでみた。あのまま落ちていたら助からなかったな。今更ながらそう思った。

 崖下には僅かなせせらぎがあった。100メートルほど下ったところに道へ上れる場所を見つけた。佐野は、やっとの事でそこから路上へ出た。
 大腿部の傷は致命傷ではないが、少し安心したとたん痛み始めた。ビッコを引きながら、パジェロまで戻った。こんなこともあろうかと救急箱を用意していた。ズボンを破って消毒し、包帯を巻いて置いた。鉛玉を取り出すのは、すべてを終えてからだ。
 パンクしたタイヤを取り替え、榊たちの後を追うことにした。乗鞍の別荘と言っても簡単には見つからないかもしれない。しかし、すぐに見つかるような気がした。

 地図を広げて、乗鞍高原の位置を確認する。来た道を戻って、野麦峠を通り過ぎてから左に曲がる。その後、上高地乗鞍林道を行けばいいようだ。
 車を発進させると、しばらくしてパトカーと擦れ違った。野麦峠の店のものが連絡したのかもしれないが、何とのんびりしたご出勤だ。佐野は苦笑いする。
 いつもは、逆の立場だ。できる限り急いで現場へ走っているつもりだ。しかし、当事者からすれば、警察は何をしているんだと思うことも多いのだろうと考える。
 パジェロを走らせながら、ふと雅代のことを思った。『ジャイアン。死んじゃいや!!』だって!? ジャイアンと言うのは、杉田が高校時代、佐野に付けた渾名だ。同級生ならともかく、警察官になってからは、佐野のことをそう呼ぶのは杉田しかいない。何故彼女がその渾名を知っていて、あの時そう叫んだのだ!?
 あの身のこなし、銃の腕。佐野がチーズは苦手なのを知っていた。彼女は杉田? そんな馬鹿な。背の高さは同じくらいだが、いくら整形したって、男が女になれるわけがない。何かの間違いだ。しかし・・・・。
 佐野は、雅代の中に杉田を見ていた。