31

 先行していたマスタングがやられ、路上で炎上している。榊はいらいらしながら、運転手に怒鳴った。
 「横が開いてるだろう! 早く抜けろ!」
 「危ないっすよ」
 「抜けられなかったら、殺す」
 運転手はぎくりと怯えた表情になって、ハンドルを握り直した。ベンツのあとを、クラウン、デリカがついてくる。
 「道が分かれていますよ。どうします? 二手に分かれますか?」
 榊は地図に目を落として考える。
 「いや、これ以上の戦力ダウンはできない。左折だ。左折しろ」
 「こっちにいなかったらどうします?」
 「俺の勘を信じろ」
 絶対野麦峠へ向かったと、榊は確信していた。奴らは東名に向かっている。諏訪方向には向かわない。人間というものは、一度方向を決めると、とくに、追いかけられているという状況下では、途中で変更するのは困難だ。
 銃撃に備えてクラウンを先行させ、自分の乗ったベンツを最後部へ移動させた。

 野麦峠に先頭のクラウンが到着したとたん、銃を発射し始めた。榊は心の中でほくそ笑んだ。やっぱりこっちだったか。
 「榊さん。勘が当たりましたね」
 「当然だ」
 峠の頂上へ着くと、パジェロが猛スピードで下っていくのが見えた。
 「今度こそやるぞ」
 ベンツも坂を下り始める。ヘアピンカーブを抜けたところで、クラウンがやられた。雅代が銃を撃つのが見えた。
 「信じられん。あの銃の腕前は、やっぱり雅代は替え玉だ」
 そう心の中で呟く。しかし、逃げられては、橋爪に申し開きができない。殺るしかない。
 パジェロが大きく傾いた。タイヤをパンクさせたようだ。
 「よし、いいぞ。これで、奴らも最後だ」
 パジェロが停まり、雅代と大男が車外へ飛び出し、大男が発砲してきた。デリカのエンジンルームが火を噴くのが見えた。
 「榊さん、あいつはほんとに警察官ですか? あの銃は、どう見ても官給品じゃありませんよ」
 「マグナム44のようだな。しかし、相手はひとりだ。すぐに決着が付く」
 クラウンがやられたとき、雅代が銃を落とすのが見えた。その後、雅代が銃撃してこないところを見ると、銃はあの大男が持っているものだけだ。
 大男が、坂道を下って逃げ始めた。雅代の姿がない。どこだ? そう思いながら、榊は車を発進させた。
 「銃を貸せ。俺が仕留める」
 榊は、走るベンツの中から大男に狙いを定めた。引き金を引くと大男の体が揺れ、ガードレールの向こうへ消えていった。手応えが今一歩だったが・・・・。
 車を停め、ガードレールの向こうを覗き込む。
 「榊さん。これじゃあ、助かりませんよ」
 ガードレールの向こうは深い谷だった。
 「そうだな」
 死んだのが確かめられないのは残念だが、この高さから落ちたのでは、生きているはずはない。
 「ジャイアン。死んじゃいや!!」
 雅代の声が上の方から聞こえてきた。何処かに隠れているようだ。
 「おい。女は上に隠れているぞ。探してこい。・・・・殺すんじゃないぞ」
 「武器を持っているかも」
 「いや、それなら、撃ってきたはずだ。早くしろ!」

 雅代はすぐに見つかった。藪の中で泣き喚いていた。榊の子分に引き立てられて、榊のそばにやってきた。
 よく似た偽物だと思ったのに、どう見ても雅代だった。榊は、雅代の前髪をあげてみた。そこには、榊が打ち抜いた時にできた傷があった。
 「信じられない。この女は、間違いなく雅代だ」
 榊は声に出さず、茫然とその傷を見ていた。
 この女は、雅代だ。しかし、子分が報告してきた、空手の達人のような身のこなし。銃の腕。それに佐野という大男とは、会ってまだ数時間しか経っていないのに、まるで長年付き合っていたかのような様子で泣き喚く雅代。まるで別人だ。いったい、雅代に何が起こったんだ!?
 この場で殺そうと思っていたが気が変わった。
 「乗鞍の別荘へ行くぞ」
 「大阪じゃないんですか?」
 「ボスがそっちで待ってろと言ってるんだ」
 「そうですか」
 そう答えたが、榊は橋爪を別荘へ呼び寄せるつもりだった。このままここで殺しては、橋爪との間に深い溝ができてしまう。雅代の心はもう橋爪にない。それを思い知らせて、橋爪自身に雅代を殺させるのだ。それが、榊が橋爪を完全に手中に収める最良の手だ。そう確信していた。