大石雅代が隠れているホテルの向かいから銃撃してきたのは、榊に違いないと思っていた。しかし、下からではその榊を撃つことはできない。佐野は、雅代と護衛の警察官たちが逃げ出せるように援護射撃をした。
榊は、佐野のいるところから見えないところへ移動し、さらに銃撃を加えた。護衛が二人やられたようだが、雅代を乗せたクラウンは無事走り出した。
佐野は、榊の動向を窺った。雅代を乗せた車が走り去ってからしばらく待ったが、動きはない。佐野から見えない方向から逃げたようだ。舌打ちしながら、佐野は車を停めてあった場所へ急いだ。
パニック状態の護衛は、最短距離を逃走するだろう。恐らく国道20号を岡谷インターへ向かっているはずだ。佐野は、車を発進させた。
国道20号へ出てしばらく走ると、トラックにぶつかって停まったクラウンが前方に見えてきた。ラジエーターが破れたらしく、エンジンルームから白い蒸気をあげていた。
トラックからひとり、通りの影からふたりの男たちがクラウンに近づいていった。榊の姿はない。雅代を殺す様子が見えれば、すぐに助けてやるつもりで銃を構えていた。しかし、雅代を殺すつもりはないようだ。男たちは雅代を車から外へ出した。佐野は、様子を窺うことにした。
3人のひとりが携帯で電話しているのが目に入った。どうやら、榊の所へ連れていくようだ。後をつければ、榊の所へ案内してくれるだろう。佐野は、車の中でじっと4人を見ていた。
男たちに囲まれて、雅代が歩いて行く。その時佐野は、驚くべきものを目にした。雅代が、目にも止まらぬ早業で後ろを歩いていた男を回し蹴りで倒し、さらに前の男を蹴り倒した。あっと言う間の出来事だった。昔、杉田が同じ様な技を見せたことがあった。華奢な雅代が、そんなことができるなんて信じられなかった。
そこまでは良かったが、もうひとりのリーダー格と思われる男の銃を狙った蹴りが外れ、男が雅代に銃を向けた。佐野は、車を急発進させた。ここで雅代に死んでもらっては、榊を殺れなくなる。
クラクションを鳴らしながら、佐野は車を突進させた。男が佐野の方を振り向いた。そして、恐怖に歪んだ男の顔がフロントガラスから、車の後ろへと消えていった。
「早く乗れ!」
そう叫ぶと、雅代が助手席に乗り込んできた。写真で見た雅代は、かなりの美人だなと思っていたが、こうして間近で見ると、まるでこの世のものとは思えないほどだった。
佐野は、生まれて初めて女に欲情した。今だかつて、どんな美人にもそんな感情を覚えたことはなかったのに・・・・。
「助けてくれてありがとうございます」
可愛らしい声で、彼女がそう言った。
「別に、助けたくって助けた訳じゃない。あそこで死なれちゃ困るからだ」
「えっ!? どう言うことですか?」
「・・・・説明する義務はない。シートベルトをしろ」
雅代は、榊をおびき出す餌だ。だからそう答えた。しかし、殺させるわけには行かない。そんな思いが湧いてきた。佐野は、自分の中に生まれた感情を押し殺して、前を見たまま運転を続けた。
岡谷インターが見えてきた。入り口に、通り過ぎる車を一台一台見ている男たちがいた。レッドイーグルのメンバーに違いない。佐野は、岡谷インターには入らず、そのまま20号線を塩尻へ向かった。
「どこ行くの? インターには入らないの?」
「高速へ入ったら逃げ道がなくなる。一般道の方が安全だ。追っ手を分散できるしな」
「そうね。でも、東京は反対方向よ」
「君のような美人と一緒だから、少しドライブを楽しもうと思ってね」
雅代がくすりと笑った。自分でもこんな時にこんな冗談が言えるのかと、佐野は自分で自分にびっくりしていた。
「追っ手がなかったら、楽しいドライブでしょうね」
「そうだな。・・・・そうもいかないようだ」
バックミラーに、追っ手らしい車の姿が迫ってきていた。
「マスタングだ。すぐに追いつかれる」
「追っ手に間違いないわね」
「持ってる拳銃がおもちゃじゃなかったらな」
ヒューンと弾が掠める音がした。
「間違いないみたいね。佐野さん、銃は持ってるんでしょう? 貸してくださる?」
「銃なんて撃てるのか?」
「まあね」
雅代は佐野に向かってウインクした。
「そうだな。これなら撃てるかな?」
佐野は、腰に差していたベレッタを取り出して雅代に手渡した。手渡しながら、雅代に佐野と名乗ったかなと首を傾げた。
雅代は、手慣れた手つきで安全装置を外すと、助手席のウインドウをおろして両手で拳銃を握り、片目を瞑って狙いを定めた。パンとベレッタから銃弾が発射された。バックミラーの中のマスタングが、タイヤを撃ち抜かれてバランスを失い、電柱に激突するのが見えた。
「ほう、大した腕だ」
「まぐれ、まぐれ」
雅代はにっこり笑ってウインドウを閉めた。
「地図持ってる?」
「後ろの座席だ」
地図を取り出すと、雅代はじっと見つめ始めた。
ヘヤピンカーブを曲がると、塩尻カントリークラブの看板が目に入った。
「ここ、曲がりましょう。153号へ抜けられるわ」
「よし分かった」
佐野はハンドルを左へ切った。道は悪くないがカーブが続く。パジェロはタイヤを軋ませながら坂を上っていく。前方にベンツが一台走っていた。男が4人乗って、何やら話している。カーブが多いので、簡単に追い抜けない。
「ゴルフにでも行くんだろうな。暢気なこった。ええい。のろのろ走るな!」
佐野は、クラクションを鳴らしながらベンツを無理矢理追い越した。
1キロほど走った頃、後ろから猛スピードで追いついてくる車が見えた。さっき追い越したベンツじゃない。
「新手が現れたぞ」
「そのようね。みんなお金持ちね。左ハンドルのBMWよ」
「次のカーブ。左に曲がったらすぐに停まる。しっかり掴まってろ」
「いいわよ」
佐野の言葉を聞くと、雅代はウインドウをおろし始めた。自分のしようとしていることを雅代がやろうとしているのか? まさかと思いながら、佐野は、左カーブを抜けると急ブレーキを踏んでパジェロを止めた。雅代は、ウインドウから体を乗り出してベレッタを構えた。
ブルーのBMWが姿を現したその瞬間、雅代がベレッタの引き金を引いた。パンパンパン。BMWのフロントグラスが砕け、そのままガードレールを突き破って道路の外へ飛び出していった。
「はい。一丁上がり」
雅代はベレッタの銃口をふっと吹くと、得意げに笑顔を佐野に向けた。
「銃の扱いは、橋爪に習ったのか?」
「えっ!? いえ、遊園地の射撃場で」
そんな馬鹿なと思いながら、佐野は雅代の答えに思わず笑った。
「ベッドの中のキティーちゃんは、みんなそこで取ったのよ。みんな置いてきちゃったけどね」
「その腕なら、すぐにベッド一杯に取れる」
そう言いながら、杉田が佐野のベッドの中にキティーちゃんの縫いぐるみを持ってきていたのを思い出した。
佐野は雅代の顔を見た。にこりと笑う雅代の顔がそこにあった。不思議な何かを佐野は感じた。しかし、それが何なのか分からなかった。
ゴルフ場を抜け、しばらく道なりに走るとT字路に出た。道は左の方が広い。佐野はハンドルを左へ切った。
「いくつか分かれ道があるけど、広い道を行った方がいいわね」
「そうだな」
すぐに153号へ出た。右折して北上するか、左折して南下するか? 佐野はすでに決めていた。
「次、左ね」
佐野の考えていた方向を指示したので、佐野は雅代の顔を見た。
「意見が合うな」
「そうね。今日、初めて出会ったのに」
にっこり笑って雅代が答える。
「相性がいいのかな?」
「それって、口説き文句?」
何と答えていいのか分からなかった。佐野は肩をすくめた。妙な気分だ。まるで雅代とずっと長い間コンビを組んでいるように感じる。
榊はどの範囲に手を回しているだろうか? 完全に逃げ切ってはいけないし、かと言って、あまり相手が多いと、こちらがやられてしまう。榊自身が追ってくるといいのだが・・・・。