杉田正美は、ベンチに腰掛けてソフトクリームを嘗めていた。ソフトクリームなど大嫌いで、男の食べ物じゃないと思っている。しかもこの寒い季節にコートの襟を立てて食べるなんて。しかし、今はその大嫌いなソフトクリームを嘗めざるを得ない状況にある。
「美味しいわね」
ベンチの隣に座っている川本和泉が杉田に尋ねる。
「ああ」
そう答えながら、杉田は前方の立木のそばに佇んでいる、白いベレー帽をかぶった男を上目遣いに見つめる。その男は、煙草を口にくわえ、人待ち顔に辺りをキョロキョロと見回していた。
公園の中には、若いふたり連れや、ジョギングを楽しむ中年の男女が行き来するが、この場所にじっと留まっているのは、杉田たちふたりと、杉田が見張っている男。そして、杉田の左前方のベンチの上にいる浮浪者だ。
この浮浪者は、杉田がいつもペアを組んでいる佐野豊だ。佐野は、立ち上がると1メートル90を越す大男だから、その巨体を知られないようにベンチの上に寝そべっている。佐野の近くに、木田も隠れているはずだ。
佐野は、どこで借りてきたのかは知らないが、ひどい格好をしている。薄汚れたセーターに穴だらけのジーンズ。ぼろぼろの合皮製のジャンパー。
ひどい格好と言えば、杉田もそうだ。セミロングのウイッグを被り、ピンクのセーターに焦げ茶色のミニスカート、その上にベージュ色のロングコートを着ている。勿論、パンストも穿いている。つまり女装して張り込んでいるのだ。
今朝、匿名の電話で、たれ込みがあった。この公園で覚醒剤の取引があるというのだ。ガセネタかも知れないが、一応張ることになった。
捜査会議の席上、小沢課長から指示が飛んだ。
「杉田! 佐野と一緒にいると目立つから、おまえは川本巡査とペアを組んでベンチにでも座って公園の中を見張ってるんだ」
「川本君とですか。それは光栄です」
杉田は嬉しそうな声を上げた。ペアを組めと言われた川本和泉は、先々月配属された女性刑事で、どうして刑事などやってるんだというような可愛い子だった。年齢は、確か24だと言っていた。
「佐野は、立ってると目立つから、浮浪者の格好でもしてベンチに横になってろ」
「浮浪者の格好ですか?」
佐野はあからさまに嫌な顔をした。
「格好はどうでもいいんだ。寝そべってればいい」
「了解しました」
「木田は、佐野とペアを組め」
「はい」
「4人以外は、通常業務だ。じゃあ、解散」
杉田らを除く、6人の特別取り締まり捜査班の刑事たちは、部屋からぞろぞろと出て行った。
「杉田さん、よろしくお願いします」
川本巡査が、杉田に近寄ってきてぺこりと頭を下げて挨拶した。
「ああ、よろしく。じゃあ、出掛けようか」
ドアへ向かって歩いて行こうとする杉田を川本が制した。
「着替えていきましょう。こんな格好じゃあ、ばればれだわ」
「うーん。そうだな」
「杉田! おれたちは先に行ってるからな」
佐野がそう言って、頭をぶつけないように屈みながら部屋を出ていった。
「俺は、着替えるものを持ってないがなあ。川本の制服はともかく、俺はこれでいいんじゃないか?」
「だめだめ。その格好って、いかにもデカって格好よ」
「そうかなあ」
よれよれの紺のスーツにベージュのブルゾン姿。杉田はそうかもしれないと思った。
「変装用の服を、わたしが用意してあるわ」
「何をだよ」
「いいから、いいから、わたしについてきて」
川本巡査について行き、女子更衣室の前で待った。通りすがりの女性職員に、女子更衣室の前で何をしてるんだろうと言うような顔で見られた。
ややあって、川本巡査が出てきた。川本巡査は、ピンで留めていた髪を下ろし、ピンクのワンピースに黒のレザーコートに着替えていた。手には、ピンク色のセーターと焦げ茶色のスカート、ベージュのコートを持っていた。杉田は首を傾げて聞いた。
「そんなもの、どうするんだ?」
「どうするんだって、杉田さんの分よ」
「ええっ!?」
杉田は目を丸くした。
「そんな格好じゃあ、絶対刑事だってばれちゃうわ。他に着替えがないんでしょう? 張り込みの時間まで、あと1時間よ。これを着るしかないわね」
「俺に女装しろって言うのか?」
「似合うと思うけどな」
川本はちょっと意地悪そうな目で杉田を見た。
「な、何言ってんだよ。こんなもの着られるかよ! このままで行く」
杉田は出口へ向かって歩き始めた。ハイヒールをカツカツと響かせて、杉田の前にまわり込み、川本が言う。
「杉田さんのせいで、気付かれたらどうするの?」
「ガセに決まってる」
「そうじゃなかったら?」
「・・・・」
ガセでないという保証はない。もしガセでなくて、杉田のせいで、密売人を押さえられなかったら・・・・。
「男女のペアよりも、女ふたりの方が、見張ってるって思われないんじゃないの?」
言われるとおりだとは思ったが、立ち止まって杉田は川本に尋ねる。
「そんな服、俺に入るのか?」
「杉田さん、細いから大丈夫だと思うわ。背もわたしより低いし」
その意見に、杉田はちょっとむっときた。
「川本が育ちすぎてるんだ」
杉田は、この年齢に似合わず、168センチしかない。川本巡査は、169センチだと言っているが、実は172センチあるらしい。さらにハイヒールを履いているから、杉田は少し上を向いて話していた。
「着るの? 着ないの?」
有無を言わせず迫ってくる川本に、杉田は観念したように答えた。
「分かったよ」
「パンスト、破らないように穿いてね」
「・・・・ああ」
杉田は、会議室を閉め切って服を着替えた。着替えがすんだ頃、川本巡査が、ウイッグを持って部屋に入ってきた。
「ぴったりみたいね」
まさに誂えたようにぴったりだった。こんなにぴったりのはずがない。杉田は川本を睨み付けながら聞いた。
「初めからこんな格好をさせるつもりで、この服を用意していたんじゃないのか?」
川本巡査は、ぺろりと舌を出した。
「こんなこともあるかと思ってね。杉田さん、結構似合いそうだったんだもの」
「参ったなあ」
「少し化粧した方がいいわね。椅子に座って」
杉田は顔にファウンデーションを塗られ、頬紅、口紅を施された。
「さあ、ウイッグをしたら出来上がりよ」
セミロングのウイッグをして、川本巡査に差し出された鏡を見ると、結構いい女に仕上がっていた。
「ほう」
「ばっちりね。杉田さん、見とれてないで、出掛けましょう。・・・・正美ちゃん! ほら、内股で歩いて」
「正美ちゃんなんて呼ぶなよ」
子供の頃、正美という名前は女の名前だと言ってよく苛められた。名前を変えたいと杉田はいつも思っている。
「今の格好だったら、その方がいいんじゃないの?」
こう言う女性にいくら反論しても、言い負かされるだけだ。杉田はもうそれ以上何も言わないで、他の署員に見られないように、川本巡査と裏口から署を出た。
そう言うわけで、杉田は川本巡査と共に、覚醒剤の取引が行われるとたれ込みのあった公園へやって来て、ふたりでソフトクリームを嘗めながら、それらしい男を見張っているという訳なのだ。
「来たぞ」
「あの男ね」
杉田たちから向かって右手の入り口から、茶色のジャンパー姿を着た猫背の男が辺りを見回しながら入ってきた。杉田の勘に間違いがなければ、あの男が売人だ。向かいに寝そべっていた佐野も、ベンチに座り直している。佐野も目標をあの男に定めたようだ。
ジャンバー男は、立木のそばにいる男の方へ近づいていく。立木の男は、白のベレー帽を被っている。あれが目印かも知れないなと杉田は思った。
男たちは二言三言話しをし、互いの手に持った袋を交換した。その時、佐野が立ち上がって脱兎のごとく男たちに駆け寄っていった。佐野は、体はでかいが動きは俊敏だ。
「サツだ。逃げろ」
ジャンパー男は杉田たちの方へ、ベレー帽男は右の出口へ向かって逃げ出した。杉田たちは、ジャンパー男の前に立ち塞がる。
「警察よ。大人しくしなさい」
川本巡査が、警察手帳を差し出してジャンパー男を留めようとした。しかし、男は怯まない。
「退け! 邪魔するな」
川本巡査は、ジャンパー男に突き飛ばされ、道にばたりと倒れた。
「おっ! 苺の柄のパンティーか。子供みたいだな」
横目でちらりと見て、心の中で杉田はそう思った。ジャンパー男は、さらに杉田に襲いかかる。
「邪魔だ。退け!」
そう言い終わらないうちに、ジャンパー男の体が宙に舞った。
「覚醒剤取締法違反並びに公務執行妨害で逮捕する」
「な、なんだよ。オカマかよ?」
ジャンパー男は杉田を見つめて、目を白黒させている。
「なんだと! この野郎!!」
杉田のパンチがジャンパー男の顔面に飛んだ。ジャンパー男の鼻が砕け、鼻血が飛び散った。
「杉田さん。やり過ぎよ」
立ち上がって服の泥を払いながら、川本が杉田を止めた。
「はは、やり杉田。なんちゃって」
「さぶうう。親父ギャグうう」」
そう言いながら、川本巡査はジャンパー男に手錠をした。ベレー帽男は、佐野と木田に確保されたようだ。
「へえ、杉田さんだったんですか。川本君、どこの婦警を連れてきたのかと思ってましたよ」
木田がニヤニヤしながら近寄ってきて、杉田の格好を上から下までじろじろと見て言った。
「誰にも言うなよ」
下を向いたまま、杉田は恥ずかしそうに木田に頼む。
「言いませんよ」
佐野は口が堅い。しかし、木田はあてにならない。明日から頭が痛いと、杉田は手柄を立てたのに浮かない顔をしていた。