毎日のように元に戻りたいと願っているけれど、わたしたちは、もう元には戻らないようだ。わたしは雅也として、雅也はわたしとして暮らしていかなければならない。
秋に結婚することが決まり、両親の許しを得て、わたしたちは一緒に住むことになった。わたし、雅也が、愛美のマンションへ引っ越した。マンションの広さは変わらない。女の愛美の持ち物が多いこともあるが、愛美のマンションのほうが、ふたりの職場に近いというのが最大の理由だ。
「愛美、式が終わるまで、きちんと避妊するのよ。式から子供が生まれるまでの月数が足りないと、みっともないからね」
そうわたしの母に言われたと、雅也が言っていた。雅也は、生理痛から逃げたいために早く妊娠したいと言っていたが、そんな風にクギを刺されて、式まで我慢するしかないと、諦め顔だ。
そう言うわけだから、一緒に住み始めて毎日のようにセックスするようになっても、避妊は完璧にしていた。わたしは、女の方がいいな、雅也は、男の方がいいなとこぼしながら。
ある日、出かける直前になって、気が付いた。
「愛美、おまえ、まだ生理にならないのか?」
この頃には、わたしは、わたしになった雅也を愛美と呼び、雅也はわたしのことを雅也と呼ぶようになっていた。言葉遣いも、それに合わせていた。それが自然だからだ。
「まだよ。ちょっと遅れてるみたい」
「遅れたことなんて、ないんだよ」
「ほんとに?」
「おかしいなあ。できたのかなあ」
「そんなはずないでしょう? ちゃんと避妊してるんだから」
「そうだよな」
ふたりで玄関を出て行きながら、はっと気づいた。
「愛美! あの時、篠田君はコンドームしてた?」
「覚えてないわ。突然、あの場面だったでしょう? 雅也は覚えてないの?」
「入れ替わる直前にはしてなかったと思うけど・・・・」
「あの日は、危ない日だったんだよね」
「そ、そうだよ。まさか、妊娠してたなんてことは・・・・」
「調べなきゃ。でも、婦人科なんて行きたくないわ
「薬局で、妊娠反応を調べるヤツを売ってるよ。すぐに買ってくる」
「頼むわ」
わたしは大急ぎで、薬局へ行き、妊娠試験薬を買ってきた。陰性だった。ところが効能書きには、妊娠6週以降でなければ、確実でないと書いてあった。まだ生理が三日遅れて居るだけだ。もう十日たたなければ、妊娠しているかどうか分からない。
遅れているだけならいいがとの願いも空しく、生理はなかなかやってこなかった。
「篠田の子供を妊娠していたら、どうしよう?」
「困ったな」
「女の子だったら、わたしに似るだろうからいいけど、男の子だったら、将来困るわね」
「そうだよな」
「あの時、篠田についていったりするから・・・・」
「もうすんだことだよ。責めるのはよしてくれ」
「責めてなんかないけど、産むのはわたしなんだからね」
「やっぱり責めてるじゃないか」
だんだん気まずくなっていくふたり。これじゃあ、一生別れないで仲良くしていくなんてできない。
マンションへ早く帰ると居心地が悪いので、本木を誘って飲んで帰ることが多くなった。毎日泥酔状態で、シャワーも浴びずにベッドの中へ入り、愛美に背中を向けて寝るのだ。
そんな状態が十日ほど続いたある朝、目覚めていつもと違う違和感を覚えた。二日酔いのせいじゃない。あれ!? なんか違うぞ。そんな感じだった。
左隣にいるはずの愛美を見た。見た方向には、愛美はいない。右隣を見た。愛美はいなかった。雅也がいた。
戻ってる! わたしは愛美に戻っていた。
「雅也! 雅也! 起きて! 早く!!」
「なによ。まだ早いでしょう? もう少し寝かせてよ」
「雅也! 雅也ったら! 元に戻ったのよ」
わたしは、雅也を揺り動かした。
「えっ!? 何だって?」
雅也は、わたしの顔を見て目を丸くした。
「ほんと、戻っちゃった。どうしたんだろう?」
「分からないけど、戻ったみたいね」
「よかった。子どもを産まないで済む」
「そうね。・・・・わたしも産まないですむわ」
「えっ? 何故だよ」
「生理が始まりそう」
「ほんと!?」
「嘘言ってもしょうがないでしょう?」
「じゃあ、遅れただけなんだ」
「そうみたいね」
「よかった。これですべて解決だね。元に戻ったし、妊娠もしてなかった」
雅也は、気楽に言ったけど、わたしとしては、わだかまりがなくなったわけじゃない。わたしは結構執念深い。しかし、忘れることにした。雅也とは一生付き合っていかなければならないのだ。細かいことを気にしていては、上手くやっていけない。
そんなわたしの思いとは関係なく、式の準備は進んでいき、11月の大安吉日わたしたちは結婚式を挙げた。
新婚旅行から帰って、結婚しても、結婚前と変わらない生活が始まった。わたしは花屋を再開し、雅也は会社へ出掛けていった。
変わったのは、夜の生活だ。結婚前は、妊娠しないかといつも気を使っていた。だから、どうも乗り切れなかった。避妊しなくていいと思うと、気楽なのだ。
結婚前にもエクスタシーは覚えていた。ただ、いつもというわけじゃなかった。それが、最近はほとんど毎日なのだ。女に生まれて良かったなと雅也の胸に抱かれながら思った。
結婚して2週間目、目が醒めるとわたしは突然雅也になった。雅也になりたいなんて、わたしはこれっぽっちも思わなかった。雅也が、わたしになりたいと思ったのに違いなかった。
「どうして? 雅也! どうしてわたしになりたいなんて思ったの?」
「ごめん。愛美があんまり気持ちよさそうだったから、どんなもんかなと思ってさあ」
「困った人ねえ。・・・・前と変わんないわよ」
「ほんとに? そんな風には見えなかったけど・・・・」
「じゃあ、今夜試させてあげるわ」
「サンキュウ」
わたしは、2ヶ月ぶりに雅也の職場へ向かい、雅也は花屋へ向かった。
「前より、ずっと良いな。ぼくさあ、このままでもいいよ」
約束通りふたりでセックスした後、雅也がそう呟いた。
「馬鹿言わないでね。愛美はわたしで、あなたは雅也なんだから」
「分かった。分かったよ。・・・・でもさあ、時々入れ替わって貰ってもいいだろう?」
「女の方がいいって言うの?」
「男だけじゃ、物足りないだろう?」
「贅沢なんだから。・・・・まあ、いいわ。たまには入れ替わってあげるわ」
「やったあ」
翌日目覚めたら、元に戻っているはずだった。ところが・・・・。
「どうしてだよ。どうして元に戻らないんだ!」
「おかしいわね」
ふたりして、ベッドの上で首を傾げた。
「もしかすると、元に戻るまでの期間が長くなったのかも」
「ええっ!?」
「この前もそうだったでしょう? 約一ヶ月間戻らなかったから、今度もそうじゃないの?」
「そうか。そうかもしれないなあ。じゃあ、一ヶ月間、ぼくは愛美って訳だ」
雅也は嬉しそうにそう言った。雅也は、やっぱり女の方がいいみたい。わたしだって、女の方がいいんだから、早く元に戻って欲しいなと心の中で思った。
「また生理が遅れているみたいだわ。でもいいっかあ。生理痛なんてイヤだから」
雅也がわたしに言うともなく呟いた。また遅れてる? イヤ、そうではない。結婚してから、避妊してないんだ。できたに決まってる。
「愛美、できたのと違うか?」
「できた? そうか、そうかもね」
雅也は呑気に返事をした。わたしには、イヤな予感がしていた。わたしは図書館へ行って婦人科の本を調べてみた。
ある本に、ごく早期の妊娠中絶(流産)は、月経の遅れとして見過ごされることがある、と書いてあった。
わたしは、生理が遅れることは、かつてなかった。生理が遅れたのは、今回を含めて2回。前回は、篠田と関係した後だった。妊娠すると元に戻らないと仮定すると、あの時も妊娠していたから元に戻らず、流産したから元に戻った可能性がある。
今回は、妊娠の可能性が高い。妊娠すると元に戻らないという仮定が正しければ、流産あるいは出産するまで元には戻らない!? 大変だ!
雅也に言うべきだろうか? いや、まだそれが確実だと分かったわけではない。もう2週間待とう。元に戻る期間が延びただけかもしれないのだ。入れ替わって一ヶ月以上たって、元に戻らなかったら、わたしの考えた仮定が正しいのに間違いない。
わたしが図書館で調べてから、1ヶ月が経過した。わたしは雅也で、雅也はわたしのままだ。
「どうして元に戻らないんだろう?」
雅也がぼやく。雅也は、愛美のままで居る方が性的に満足できるらしく、初めは喜んでいた。しかし、このところつわりが出始めて、早く元に戻らないかと言い出していたのだ。自分勝手なやつ!
「愛美、ちょっと話しがあるんだけど」
わたしは、雅也にわたしの考えを話した。
「ほんとかなあ」
「今回入れ替わって一ヶ月以上たってるんだよ。恐らく間違いないと思うけど」
「流産しなかったら、いつまで元に戻らないと思う?」
「産まれるまでじゃないかな」
「そんなあ」
「どうしようもないんだから、頑張って、元気な子どもを産んでね」
「やだ、やだ」
「あなたが、わたしになりたいなんて願うからいけないんだからね」
雅也は、項垂れて床に座っていた。
わたしの考えが間違っていなかったらしく、わたしたちは元に戻ることなく時間が過ぎていった。
わたしになった雅也は、3ヶ月あまりつわりで苦しみ、げっそりとなってしまった。妊娠5ヶ月を過ぎて、ようやくつわりが治まり、雅也は元気を取り戻した。
大きくなって行くお腹を撫でながら、嬉しそうな顔をしている雅也を見ると、それはわたしの役目だったのにと心の中で呟いた。
「動く、動くわ」
雅也が、わたしの手をお腹に当てさせた。お腹の中の子どもが蹴るのを手に感じた。
陣痛が始まって、雅也は分娩台の上にいる。なかなか産まれない。
「初産の時は時間が掛かりますから」
助産婦が、励ましとも言えない言葉を残していった。
「雅也あ、お願いだから、わたしと代わって」
「そんな無理を言うもんじゃありません」
わたしの、愛美の母が、ピシャリと言った。実は入れ替われることを知ったら、どれほど驚くかなと思った。
雅也は、分娩台の上で一夜を明かし、翌日の午後ようやく女の子を産み落とした。
「やったあ、雅也、わたし、産んだわよ」
雅也は、凄く嬉しそうだ。今度はわたしが産まなくちゃと心の中で決心した。
雅也があんなに苦労して産んでくれたのに、産まれた子どもを最初に抱く栄誉をわたしが奪ってしまった。後産が終わったとたん、わたしたちは入れ替わって元に戻ってしまったのだ。呆然としている雅也を後目に、わたしは、にこにこ顔で、沐浴から帰ってきた赤ん坊を抱きしめた。
「愛美、狡いんじゃないか?」
雅也は、口を尖らせて、わたしの耳元で囁いた。
「辛いところばかりやって貰って、ありがとう。今度は、わたしが産むからね」
「そうしてくれ。・・・・でもねえ。もう一度、ぼくが産んでやってもいいよ」
「ええっ!? どうっして?」
「子どもを産むってことは、他の何者にも換えがたいものがあるよ。ほんと」
「それなら、尚のこと、今度はわたし」
雅也が、わたしに向かって微笑む。わたしたち、一生仲良くやれそうだ。