第3章 ばれた秘密

 「あら? ちょっと痩せたんじゃない?」
 久美が姉・照美のマンションに顔を出すと、ちょっと心配そうな表情を浮かべて照美が言った。
 「そうかな?」
 そう答えたけれど痩せたのは確かだ。病気でも何でもない。女物の服を着るためにダイエットしていたからだ。
 「痩せたわよ。ねえ、修ちゃん?」
 例によって、照美は秀一に甘えるように寄りかかった。
 「そうだなあ。頬がこけたように見えるけど・・・・」
 義兄の修一が心配そうな表情を浮かべた。
 「大丈夫。贅肉が取れただけだから」
 「贅肉がねえ・・・・」
 不審そうな表情を浮かべながらも、何とか言い訳を信じたようだった。
 「泊まっていくだろう?」
 「いいよ。新婚さんの邪魔をしたくないから」
 と言うよりも、見せつけられるのがイヤだっただけだ。
 「邪魔になんかならないわよ」
 「だってさあ・・・・」
 「あなたがいたって頑張るときは頑張るし」
 そんな言葉に久美はギョッとして照美を見つめ、秀一は唖然としている。
 「けどね。今は大事なときだから、刺激は禁物なのよ」
 「あっ? それって、できたってこと?」
 照美がニッコリと微笑む。秀一は、ビックリしたような顔をした。
 「聞いてないぞ」
 「今、言った」
 「いつわかったんだ?」
 「今日よ」
 「そうか。できたのか」
 久美の目の前だというのに、秀一は嬉しそうな顔をして照美にブチュブチュとキスをした。
 「おめでとう、姉さん」
 「ありがとう」
 「じゃあ、祝杯を挙げよう」
 その夜は、太田家の酒がなくなるまで久美と秀一は飲み続け、久美はそのまま泊まることになった。

 翌日、久美がアパートに帰ったのは、正午を回ってからだった。日曜日は女装と決めていたが、二日酔いでとてもその気にはならなかった。
 ベッドの中で寝ていると、ドアがどんどんと叩かれた。時計は午後4時過ぎを指していた。
 「前島! いるか?」
 北村の声だった。北村の声は大きい。そばで話されると、頭が痛くなると思って居留守を決め込んだ。
 「ヒサヨシ! 中にいるのはわかってるんだ。開けろよ」
 電気を使うものにはスイッチを入れていなかった。だから、電力計は回っていないはずで、久美が部屋の中にいることはわからないはずなのだが、北村は諦めない。
 いつまでもヒサヨシ、ヒサヨシと叫ぶので、久美はとうとう根負けしてドアを開いた。
 「なんだ、寝てたのか?」
 「二日酔いです」
 「それは悪かったな」
 「何の用ですか?」
 「ちょっと近くに来たから寄ってみた。ほれ。アップルパイ持ってきたぞ」
 目の前にいつもの箱を差し出した。
 「今日はそんな気分じゃないです」
 「そうか。ともかく入れてくれ。俺がアップルティーを入れてやる」
 返事も聞かずに北村はズカズカと久美の部屋に上がり込んでキッチンでお湯を沸かし始めた。ハアと溜息をつきながら、久美はベッドの中に戻った。
 「できたぞ」
 北村は、アップルティーの入ったカップをふたつ持ってきてテーブルの上に置き、うまそうに飲み始めた。
 「やっぱ、おまえが入れてくれた方がうまいな」
 そう言いながら、アップルパイを頬張る。久美は、頭痛を堪えながら目を閉じてじっとしていた。しばらくして、北村があまりに静かなので、気になって北村を見た。北村は、じっと天井の方を見つめていた。その視線の先には・・・・。
 しまったと思ったときには遅かった。姉のマンションに行く前に洗濯したものを部屋の中に干していたのだ。洗濯物の中にあるイエローのブラとショーツを北村が見つめていた。
 「ただのセックスフレンドじゃないんだな」
 純子にしても洋子にしても、下着を久美の部屋の中に干しておくなんてことはなかった。だから、そんな言葉が北村の口から出たのだ。
 「あ、まあ・・・・」
 「ほう。そうか、そうか」
 新しい相手ができてよかったなと言う意味で発したと思う言葉なのだが、北村の表情がおかしかった。言葉と表情が合わないような気がするのだ。北村は何故か不愉快そうにしていた。
 「顔色悪いな。大丈夫か?」
 吐き気と頭痛で久美はぐったりとして答えなかった。
 「そうか。ちょっと待ってろ」
 そう言い残すと、北村は部屋を出ていった。鍵を締めようかと思ったけれど、その元気はなく、待ってろと言うことは戻って来るという意味だろうと思って、そのままベッドの中に潜り込んだ。

 ウトウトとしていたようだ。目を覚ますとキッチンで何やら音がする。目を凝らしてみると、北村がエプロンを掛けて包丁を動かしていた。
 「おう、目が覚めたか? すぐにできるからな」
 北村は何やら料理を作っているようだ。まな板の上のものを土鍋の中に放り込むと、久美のそばにやってきて腰を下ろした。
 「まずは、これ飲め」
 北村が久美に手渡したものは、「液キャベ」だった。
 「二日酔いの時はこれが一番だ。さあ、飲め」
 久美は進められるまま液キャベを飲んだ。胃のあたりがキュッと痛んだ。口の中が粘りつく。
 「北村さん。申し訳ないんですけど、コップに水をくんできてくれませんか?」
 「喉が渇いたのか?」
 「はい」
 「水よりこっちの方がいいだろう」
 北村が冷蔵庫から取り出してきたのは、ペットボトル入りの「ダカラ」だった。久美が「ダカラ」を好きなのを北村は知っているのだ。久美は、口の中をすすぐようにしながら「ダカラ」をグビグビと飲んだ。飲んでも飲んでも渇きは癒されない。一本飲み干すと腹がパンパンになった。久美は、北村にペットボトルを戻すとふうと溜息をついてベッドの上に倒れ込んだ。
 「いったい、どれくらい飲んだんだ?」
 「覚えていない」
 「強いおまえがこうなるんだから、かなり飲んだんだな。どうしてまた? 彼女に振られてやけ酒か?」
 「違いますよ。姉が妊娠したんで、そのお祝いに義理の兄と」
 「姉さんに子供ができたのか。そうか。それはおめでとう。それなら仕方がないな。しかし、飲み過ぎだぞ」
 「言われなくてもわかってますよ」
 「おっ! できたみたいだな」
 北村は立ち上がりキッチンへ向かった。
 「うまくできたようだ」
 そう言いながら、土鍋をテーブルの上まで運んでくると、茶碗に中身を移す。ふんわりといい匂いがした。
 「さあ、食え。元気になるぞ」
 差し出されて茶碗の中には、短冊に切られた大根と刻まれたダイコン葉がたくさん入った雑炊が入っていた。久美は、スプーンで一口口に入れた。
 「あつっ!」
 「熱いのがいいんだよ」
 久美は、フウフウと雑炊を吹きながら食べる。
 「どうだ?」
 「美味しいです」
 実際美味しかった。北村に料理らしいことができるなんて思っていなかったから、久美はちょっと意外だった。
 「もう一杯どうだ?」
 「あ、もういいです」
 「腹が減ったら、温め直して食えよ。それから、液キャベがもう一本冷蔵庫に入っているから、明日の朝、飲め。いいな」
 「すみません。何から何まで」
 「いいってことさ。俺とおまえの仲だ。じゃあ、俺は帰る」
 部屋から出ていく北村を見送りながら、久美と北村はどんな関係だろうなと思った。

 久美と北村が出会ったのは、5年半ほど前のことだ。久美が大学へ進学し、自動車部に入ったとき、北村がその部長をしていた。北村は何故か久美のことが気に入ったらしく、特に両親を失い、姉の力で大学に進んだという話を聞いてからは、何かと久美の世話を焼いた。
 「小さい頃、弟を事故でなくしてな。その弟によく似てるんだ。おまえは」
 2年ほど前だったから、酔ったときに北村がそう言っていた。赤の他人なのに、本当の弟のように世話を焼いてくれる北村に、何のお返しもできないのにと久美は思う。

 翌朝も気分はすぐれなかったが、北村の残してくれた液キャベを飲み、ダカラで水分を補給して何とか会社に出かけていった。昼はうどんを食べ、夕方は近くのファミレスで雑炊を食べた。その翌日も気分はすぐれなかったが、食事はふつうに食べられた。体調が完全に戻ったのは、水曜日になってからだ。
 しかしながら、女装したりディルドーを使ってマスターベーションするような気分にはならなかった。

 金曜日の仕事を終え、ファミレスで食事を済ませてアパートに帰ると、むらむらと欲望が沸いてきた。
 「一週間ぶりだな」
 そう呟きながら、いつものようにカーテンを閉め玄関の鍵を締めてから準備に取り掛かった。
 少し熱めのシャワーを浴び、むだ毛を処理する。脇毛もすね毛も永久脱毛したいところだが、そんなことをすると先々困るだろうと思って面倒ながらカミソリで剃っている。カミソリ負けしないようにクリームをたっぷり塗り込むことも忘れない。
 体を拭いて、女の子のように胸の高さでバスタオルを巻き、鏡の前に座り髪の毛を乾かす。
 「これ以上伸びると、会社でなんか言われそうだな」
 もっと伸ばしたいけれど、会社勤めのつらさ。仕方がないと諦める。
 「さてと・・・・」
 髪の毛を真ん中で分け、ムースでヘヤスタイルを整えてから、久美はクローゼットを開いた。いくつかあるものの中から、白のブラとショーツを取り出す。
 「今晩は白の気分だもんね」
 ショーツを穿き、ブラをいつものように手慣れた手つきで付け終わったとたん電話が鳴った。久美は、ビックリして電話機を見つめ、ハッと気づいたように受話器を取った。
 「もしもし。前嶋です」
 「あ、俺。北村。どうだ? 体調の方は?」
 「おかげで快調です」
 そう答えながら、今からアパートの来ると言ったらイヤだなと思っていた。
 「そうか。それはよかった。このところちょっと忙しくてな。あれから様子を見に行けなくてすまん」
 「とんでもないです。気にしていただけるだけでも嬉しいです」
 「そうか。なんか持っていってやりたいが、今週は忙しいんだ。今やってる仕事、これがおもしろいんだ。来週行ったとき、話してやるな」
 「はい。楽しみにしてます」
 「じゃあな」
 今週は来ないと思うと嬉しくなった。日曜日の夜まで女装が楽しめると。

 黒の7分丈のスパッツを穿き、お尻が隠れるくらいの丈の真っ白なセーターを着た。それだけで女の子らしくなるなと、久美は鏡の中の自分の姿を見ながら思った。
 「今晩は念入りに」
 鏡に向かって化粧する。いつもより、アイラインを濃いめに、アイシャドーも少し強めに、そしてルージュも真っ赤なものにした。
 「ちょっと力入れすぎたかな?」
 そう呟きながらも、久美は満足げに鏡の前から立ち上がった。それから、テレビの前に置いてあった茶色の袋を抱えてテーブルの前に座る。袋の中から一冊の本を取りだして広げ、毛糸の固まりと編み棒を取り出した。
 「女の子だから、編み物くらいできないとね」
 久美は参考書を見ながら編み物を始めた。姉が産んだ子供に使って貰おうと「おくるみ」と呼ばれるものを編もうとしているのだ。
 午前0時を回っても、3分の1もできなかった。編み物初心者が、いくら簡単とは言え、すぐに編めるわけがなかった。
 「明日にしよう」
 久美は、テーブルの上に編かけのものを放り出しトイレに立った。スパッツを穿いていても、女の子しているときには、便座に座って小便する。トイレから出ると、セーターとスパッツを脱いでパジャマに着替えた。当然女物だ。
 化粧を落としてベッドの中に入り、左手で人工乳房を揉みながら右手を股間に伸ばした。久しぶりのマスターベーションをしようと思っていた久美だったが、編み物で疲れていたためか、そのまま眠り込んでしまっていた。

 目が覚めたのは午前6時半。マスターベーションしなかったのをちょっと残念に思いながらベッドから抜け出た。
 パジャマを脱いで、5分丈のTシャツを着て定番の白のミニタイトスカートを穿いた。
 「普段着はこれが一番に合うような気がする」
 ささっと薄化粧を施すと、玄関脇に置いてあるゴミ袋を抱えて玄関を出た。廊下をそれとなく窺う。誰もいないことを確認して、階段を下りていった。ゴミ収集所にゴミ袋を置くとアパートへ戻る。戻り掛けて、奥のOLが階段を下りてくるのに気がつき、久美のアパートの住人ではないような振りをしてやり過ごした。
 「階段で出会わなくてよかった。でも、この前うしろから声を掛けられたから、もしかするとまた来てるなんて思われているかも」
 久美はフッとほくそ笑んで、女の後ろ姿を見送った。

 トーストと紅茶の朝食を取り、編み物を再開した。昼食を挟んで、編み物に集中し夕方には何とか形になった。
 「できた」
 最初の作品としてはうまくできたと自画自賛しながら夕食の準備にかかった。途中で、醤油が切れていることに気がついて、近くのコンビニまで買いに行った。勿論女装したままで。
 黙って醤油の瓶を差し出し、言われた金額を支払って帰った。店員の態度が変わらなかったから、気がつかなかったようだと安心した。
 夕食を食べ終わり、片づけを済ませてテレビを見ているとチャイムが鳴った。久美はどきりとする。
 部屋の明かりはついている。テレビの音も漏れているだろう。チャイムを鳴らした人物は、部屋の中に人がいることはわかっているはずだ。その証拠にチャイムが何度も鳴らされる。そして・・・・。
 「ヒサヨシ! いないのか? おおい。ヒサヨシ!」
 北村の声だ。忙しいから来ないと言ったのにと久美は慌てて立ち上がる。
 「着替えなきゃ」
 久美は、大急ぎで服を脱ぎ始めた。
 「ヒサヨシ! 開けろよ!!」
 「ちょ、ちょっと待って。シャワーを浴びようと思って裸なんです」
 「そりゃすまんな。待ってるよ」
 着ていたものを全部脱いで裸になり、クローゼットの衣装入れの中に放り込んでトランクスを穿く。化粧を落として鏡を覗く。
 「残ってないな」
 もう一度確認する。髪の毛を73に分け直して頷く。
 「大丈夫」
 Tシャツにジーンズを着て、久美は玄関のドアを開いた。
 「お待たせしました」
 「すまん、すまん」
 そう言いながら、北村はキョロキョロと部屋の中を見回す。そうしてから首を傾げた。
 「トイレ借りていいか?」
 「ど、どうぞ」
 北村はトイレに入ったが、ドアを開けたまま、上半身だけ久美の方に向けて部屋の中をじっと見ている。久美は、そんな北村を無視して紅茶を入れ始めた。
 部屋の中に戻ってきた北村は不思議そうな顔をして、もう一度部屋の中を見回す。つと立ち上がって、カーテンを開けてベランダを覗き、それからクローゼットを開いた。
 「いったい、どうしたんですか?」
 女装用の服を隠している衣装ケースを開けられないかと戦々恐々としながら、久美は尋ねた。
 北村は答えず、クローゼットを締めて、久美の横に座って紅茶をぐびりと一口飲んだ。
 「忙しいって言ってたのに、時間が取れたんですね」
 愛想笑いを浮かべながら久美は尋ねた。北村は久美の顔をじろりと見る。そうしてから、顔を久美に近づけてきて、クンクンと匂った。
 「な、何するんですか?」
 「そうか。そう言うことだったのか」
 「な、何がですか?」
 北村は、持ってきた鞄を開き、中からカメラを取りだした。北村の行動が理解できない久美は、話を逸らそうとした。
 「いいカメラですね。デジカメでしょう? どうしたんですか?」
 「仕事用を借りてきた」
 「借りてきた? 何のために?」
 「おまえの彼女をカメラに収めるためだ」
 「ぼくの彼女を?」
 イヤな予感がした。
 「そう。おまえがぞっこんになる女の顔を知りたくてな。今朝と夕方、この部屋から出てきたところを撮った」
 久美は息をのんだ。北村は続ける。
 「忙しいなんて言うのは嘘。俺が来ないとわかったら、彼女を呼び寄せるだろうって思って、向かいの空き地に車を停めて、ずっと見張ってたんだ」
 久美の心臓が高鳴り始めた。顔が火照る。
 「ほら、この通り、うまく撮れてる」
 デジカメの液晶画面に女装した久美の姿が映っていた。
 「さっき買い物に出かけて帰ってきたんで、ベッドの中に入らないうちに顔を直接拝ませて貰おうと思って来たんだが・・・・。いるはずの女性が部屋の中にいない。煙のように消えてしまった。ヒサヨシ、どうなってるんだろうな?」
 北村がにやりと笑って、青くなっている久美の顔を覗き込んだ。