第11章 とんでもない新婚旅行に

 北村は、いろいろあるプランの中から、帰りに香港に寄るというプランを選んだ。
 「香港で買い物をして帰ろう。いいだろう?」
 久美に異存があるはずはなかった。旅行会社の係員は、何の疑いもなく久美を太田照美として受け入れてくれた。写真が似ていたせいでもあるし、新婚旅行と説明してあるので、結婚以前から持っているパスポートで申し込んでくるのが普通だから、新郎である男性と名字が違っても気にも留めなかった。
 そう言うわけで、久美と北村のカップルは、熱々ムードの新婚さんとして、機内でもいちゃいちゃしていた。。
 久美は時々嬉しそうな表情で、左手を表にしたり裏にしたりした。左手の薬指にプラチナのリングがあるからだ。リングの内側には、「Forever Love Ryousuke to Kumi」と彫られていた。勿論、名前を逆の順に彫ったリングを北村もしている。
 そのリングを買ったのは、照美のマンションを出た直後に見かけた宝石店だった。
 「ご結婚ですか? おめでとうございます」
 店員にそう言われて、久美は頬を赤らめた。一時間で仕上がるというので、近くの喫茶店で待つことにして、その間に式も挙げようと言うことで相談が決まった。
 リングを受け取ったあと立ち寄った貸し衣装屋でウエディングドレスとタキシードを借りて、翌日予約した教会でふたりだけの結婚式を挙げた。誰も呼べないから、ふたりだけだったけれど、久美はそれだけでも十分に嬉しかった。
 「ウエディングドレス姿のわたしの写真は、宝物だわ」
 リングを見つめながら、久美は写真に写った自分の姿を思い出してうっとりとする。
 「そんなに嬉しいのか?」
 女装者にとって、ウエディングドレスは憧れだ。その上、タキシードを着た新郎の男性に寄り添っているとなれば、もう最高の気分なのだ。
 「嬉しいに決まってるでしょう? 良介さんは嬉しくないの?」
 「あ、まあ。嬉しいけど・・・・」
 「あんまり嬉しくなさそうだけど」
 「そんなことはないよ。準備があわただしくて疲れているだけだよ」
 「そう? あら? もうすぐ、空港に着くわ」
 アナウンスがあったのは知っていたけれど、注意していなかったので何を言って言うのか聞き逃していた。

 タイの観光は素晴らしかった。それ以上に北村との夜は最高だった。異国と言うことで、すべての制約が取り払われたからだ。それまで一晩に一回だったけれど、ふたりは二度三度と愛し合った。

 楽しかった旅行も終わり、香港経由で日本へ帰国するだけになった。香港での買い物を楽しみにしながら添乗員に案内されて順番に税関を通る。国内旅行と違ってめんどくさいなと久美は思いながら、パスポートと荷物を係員に差し出した。
 ひとりがパスポートを開き写真を久美と見比べる。これまでと同じように、ニッコリと笑ってパスポートを戻してくれそうになったとき、荷物を調べていた係員が何かを喚き始めた。英語じゃないから久美には何を言っているのかわからなかった。パスポートを持っていた係員が、パスポートを引っ込めてしまった。受け取ろうとしていた久美の手が宙に浮いたままになる。
 どうしたんだろうと思っていると、拳銃を持った警備員が走り寄ってきて久美の腕を両側から掴んだ。
 「どうしたって言うんだ!」
 北村が男たちに詰め寄る。男たちは喚きながら、北村も拘束する。何が起こったのかわからないまま、ふたりは奥の別室へ連行された。
 「どうしたって言うの?」
 「さあ?」
 北村は首を傾げる。部屋の外から添乗員らしい男の声が聞こえてきた。早口の英語で内容はわからない。しばらくして、添乗員が部屋の中に入ってきた。
 「大変なことをしてくれましたね」
 「はあ?」
 ふたりは、顔を見合わせた。
 「どこで大麻なんて手に入れたんですか?」
 「大麻? 大麻って、どういうことですか?」
 北村が、椅子から立ち上がって添乗員に詰め寄った。
 「北村照美さんの鞄の中から、大量の大麻が発見されたと言っています」
 「嘘です。そんなものを入れた覚えはありません」
 久美が叫ぶように訴える。
 「でも、入っていたのは間違いないようですよ」
 「何かの間違いです」
 涙声の久美。
 「間違いであって欲しいですが、ともかく調査のためにあなた方ふたりは足止めされることになりました」
 「足止め・・・・。つまり日本に帰れないってことですね」
 北村が久美を慰めるように肩を抱いた。
 「そう言うことです。わたしは、他のお客さんを日本に連れて帰らなければなりませんので、ここでお別れです」
 「お別れ? じゃあ、ぼくたちはどうなるんですか?」
 「わたしの方から日本大使館に連絡を入れておきます。すぐに係りの人がやってくると思いますから、事情を詳しく話してください。いいですね」
 「あ、はい」
 添乗員が出ていき、ふたりは部屋の中に取り残された。ドアのそばにはいかつい男が拳銃に手を掛けたままじっとふたりを睨んでいた。

 大使館員が来ると言ったのになかなかやってこず、どうなるんだろうかと心配していると、警官らしい男たちが部屋に入ってきてふたりを別々の部屋に連れて行った。どうやら、口裏を合わせないように、ふたりを別々にして調書を取るようだ。
 久美の担当は女性だった。
 「この鞄はあなたのものですね」
 バッグには、北村照美のネームプレートが付いている。否定するわけにもいかず、久美は首を縦に振った。
 係官の女性は、バッグの中身を取り出す。畳まれていたワンピースやブラウス、そして汚れた洗濯物の入ったビニール袋が取り出された。久美は顔を赤くする。
 その下から、覚えのない茶色の包みが取り出された。
 「これは?」
 「さあ、知りません」
 「知りませんって言っても、あなたの鞄の中から出てきたのですよ」
 「わたしはそんなもの入れていません。誰かが入れたんだと思います」
 「誰かって?」
 「わかりません」
 「あなたの夫が入れたのでしょうか?」
 夫という響きに心の中ではちょっと嬉しくなったが、そんなことで喜んでいる場合ではない。
 「あの人がそんなことをするはずがありません」
 「じゃあ、誰が入れたのですか?」
 「知りません」
 「いくら否定しても、あなたの鞄の中からこれが出てきたことは間違いありません。あなたは何らかの処罰を受けることになるでしょう」
 「そんな・・・・。誰かが間違って、わたしのバッグの中にそれを入れたんです。そうで。きっとそうに違いありません」
 「誰が? 誰が入れたというのですか?」
 「さあ・・・・」
 「それを証明しない限り、あなたが国外に持ち出そうとしたという結論は揺らぎません。わかりましたね」
 久美にはまったく覚えがない。誰かが入れたのは間違いないようだが、それを証明する手だてはない。否定はしたけれど、まさか北村が? と言う思いが脳裏を過ぎった。しかし、久美は慌てて否定する。北村がそんなことをするはずがない。するはずがないと信じている。

 いっぽう、別の部屋に連行された北村は、別の男性係官の取り調べを受けていた。
 「君があの大麻を持ち出そうとしたんじゃないんですね」
 「当たり前です。あんなもの見たこともありません」
 「そうですか。じゃあ、あなたの奥さんの単独犯行と言うことですね」
 「ク、照美がそんなことをするわけがない」
 「彼女はあなたの新婚の妻ですから信じたいのはよくわかりますが、あなたの知らない部分がまったくないとは言い切れないでしょう?」
 北村は久美の女装趣味を思い出す。北村が、久美のつき合っているという女性を突き止めようなんて気にならなければ、わからなかったことだ。
 項垂れていると、部屋に若い男が入ってきて係官に耳打ちした。
 「奥さんが自白したそうだ。自分があの大麻を持ち出そうとしたってね」
 「う、嘘だ!」
 「事実です。彼女は、起訴されて応分の処罰を受けることになるでしょう」
 「妻に、照美に会わせてくれ」
 「だめです。あなたは直ちに国外退去に処されます」
 「国外退去?」
 「そうです。あなたが犯行に関与したという可能性があるからです。わたし自身はあなたも共犯だと思っていますが、彼女が自分ひとりでやったことで、あなたは関わっていないと証言している以上、あなたが共犯だと証明する手だてがわたしたちにはない。だから、こういう処分が下されたのです」
 「とにかく妻に会わせてくれ」
 「残念ながらそれはできません」
 そう言うと、係官はタイ語らしい言葉で後ろに立っていた警官に指示した。北村は、ふたりの屈強な警官に持ち上げられて、部屋から連れ出され、日本行きのゲートをくぐらされた。
 「今後5年間は、タイへの入国が禁止されていますので、申し添えます」
 そう言って、係官はパスポートを北村にポンと投げてよこした。
 「妻はどんな処分を?」
 「たいした罪にはならないでしょう。すぐに帰れますよ」
 何ヶ月か刑務所暮らしをしたあと、国外退去になるのかもしれないと北村は思った。航空機に乗り込みながら、北村は考える。もしかすると、北村を日本へ帰すために久美は自白したのではと。
 「日本に帰ったら、すぐに久美を助け出す算段をしよう」
 飛び立った航空機の窓から滑走路を見ながら北村は決心した。

 「嘘です!!」
 叫んで立ち上がった久美の目に涙が溢れた。
 「嘘ではありません。あなたの夫・北村良介さんが、あなたがあの大麻を持ち出そうとしたと証言したのです」
 「嘘・・・・。嘘・・・・。嘘・・・・」
 久美はテーブルの上に泣き崩れた。
 「夫に会わせてください」
 「北村さんは、すでに国外退去になりました。それを条件に証言したのです」
 久美は唖然とした。久美は考える。大麻を鞄の中に入れたのはおそらく北村だろう。その罪を免れるために、久美に濡れ衣を被せたのだと。
 「信じていたのに・・・・」
 力が抜けて、どうにでもなれという気分になっていた。久美は手錠を掛けられ、留置場へと連行されていった。