第10章 姉への告白

 姉・照美に子供が生まれた。可愛い女の子だった。その子を抱きながら、久美はどうして女に生まれてこなかったのか、神様を恨んだ。
 (こんなこと、1年前まで思ったことがなかった。どうして、こうなってしまったのかしら?)
 自分でも不思議でならなかった。
 (北村の子供を産みたい)
 そんな叶わぬことまで思った。
 (男に生まれたんだから仕方ないわね。夫婦のように、一緒に暮らしてくれるだけでも有り難いと思わなければ)

 久美が北村の会社に就職してすぐに始まったSF映画の撮影が終了し、次の仕事まで何日か休暇を取っていいことになった。
 「クミ、新婚旅行に行こうか?」
 「新婚旅行?」
 「結婚式は挙げられないけど、新婚旅行と銘打って、ふたりで旅行するんだ」
 「嬉しいわ」
 久美は北村の首にぶら下がって喜ぶ。
 「じゃあ、決まりだな」
 「どこに行く?」
 「パンフレット、集めてきた」
 北村は旅行会社のパンフレットをどさりと久美の目の前に置いた。ハワイ、グアム、オーストラリア、香港、シンガポール、タイ、インド等々。
 「うちの会社は、撮影が一段落すると、いつも一週間休暇をもらえるからね。すぐに予約を入れよう」
 「どこに行く?」
 「そうだな。新婚旅行っていうのなら、ハワイが定番だけどな」
 「ハワイかあ・・・・」
 「ハワイじゃ不満か?」
 「誰も行かないところがいいな」
 「そうだな。タイにするか?」
 「タイ? どうしてそんなところに?」
 「結構神秘的だし。・・・・性転換手術のメッカだろう?」
 「わたしに性転換手術を受けさせるつもり?」
 「まさか。そのままでも充分だよ。で、さあ。そのままでも向こうで通用するかどうかを確かめるって言うのはどうかなって思ってさあ」
 「大丈夫かなあ。自信ないなあ」
 「それを確かめるんだよ。向こうで女と認められれば、自信がつくだろう?」
 「・・・・そうね。そうしましょうか。もしばれても向こうだったら、旅の恥はかきすてですむから」
 「よし。決まりだ」
 「嬉しいな。いつから行けるの?」
 北村は、パンフレットの中からタイのものを選び出して目を通す。
 「早ければ、来週の水曜日の出発だな」
 「急いで準備しなくちゃ」
 「あ、そうか。女は準備が大変だったんだっけ」
 「そうよ。それならそうで、早くから言ってくれればいいのに」
 ぶつぶつ言いながらも早速嬉しそうに久美は出かける準備を始めた。
 「良介さん?」
 「なんだ?」
 「パスポートはどうなってるの?」
 「パスポート?」
 「そうよ。国内旅行じゃないからパスポートが必要なのよ」
 「持ってるだろう?」
 「持ってるだろうって、持ってるけど、パスポートには性別が入ってるんだよ」
 「あ、そうか。・・・・じゃあ、男の姿で行ってさあ、向こうで女装するって言うのは、どう?」
 「団体なんでしょう? 一緒に行く人たちがビックリするわ」
 「そうか。それもそうだなあ」
 北村は腕組みをする。
 「仕方ない。国内旅行にするか」
 「・・・・あああ、せっかく国外に行けると思ったのになあ。ぬか喜びだわ」
 あまりにガッカリしている久美を見て、北村が言う。
 「偽造パスポートなんて手に入らないだろうね」
 「そんなルートを知ってるの?」
 「知らない」
 「じゃあ、却下。やっぱり国内にしようか」
 「そうだな」
 そう言いながらも、久美は諦めきれない様子で、パンフレットを何度も見る。
 「クミ?」
 「なに?」
 「おまえの姉さん、パスポート、持ってなかったか?」
 「新婚旅行がハワイだったから、持ってると思うわ」
 「それ、借りてこいよ。そっくりとは行かないまでも、よく似ているから、使えるんじゃないか?」
 「使えるかもしれないけど・・・・」
 「じゃあ、借りてこいよ」
 「貸してくれって言ったら貸してくれるだろうけど、なんて言うの? 女装して姉さんに化けて旅行に行きたいからパスポートを貸してくれって言うの?」
 「・・・・そうだなあ。告白するか、黙って借りてくるか、それとも諦めて国内旅行。どうする?」
 黙って借りても、入出国の際にスタンプが押されるから、戻ってきたとき結局はばれてしまう。このアイデアもダメだと言うことで、国内旅行を検討し始めたふたりだったが、久美はどうしても諦めきれない。
 「わたし、姉さんに告白するわ。告白して、パスポートを借りてくる」
 「いいのか?」
 「うん」
 別に海外旅行にこだわる必要はなかった。しかし、いずれは告白することになることはわかっていた。だから、これを機会に告白することにしたのだった。女装していること、そしてその女装が趣味の領域を越えて、愛する男のためにしていることを。

 腰の部分で切り替えて裾が襞スカートになっているワンピースの上に丈の短い上着と言うピンク色のアンサンブルを着て鏡に映してみた。
 ウン似合ってると久美は頷く。昨日近くの美容院に行ってカットアンドブローしてもらって、完全に女の子の髪型にしてもらっていた。耳朶には可愛いひな菊のピアスが付いている。これも美容院で開けてもらったものだ。北村が買ってくれたシルバーのネックレスもした。化粧は、派手にならないように気を付けながらも入念に施した。
 もう一度、久美は鏡の前で体を何度か振ってみて服装を点検した。
 「一段と可愛いよ」
 横で見ていた北村が絶賛する。
 「さあ、行きましょう」
 「行きましょうって、俺も行くのか?」
 「すべてを正直に話すの。あなたという相手がいることも」
 「そこまでしなくても」
 「どうせしなければならないんだから、先延ばしにしないで一緒にやってしまいましょうよ」
 「でもさあ・・・・」
 及び腰になって北村が言う。
 「行きたくないのなら、行かなくてもいいわよ」
 ちょっと怒ったような顔になって久美が言う。
 「わかった。わかった。一緒に行くよ」
 仕方ないなと言うような顔をして北村はジャケットを手に取った。

 何度引き返そうかと思ったかもしれない。しかし、久美は勇気を振り絞って姉のマンションのチャイムを押した。なかなか出てこない。赤ん坊の泣き声がするから中にいるはずだがと思ってもう一度チャイムを鳴らそうとしたとき扉が開いた。
 「どなた?」
 産後でまだ少し腫れた顔をした照美が顔を出して久美を見た。
 「あのう・・・・」
 言葉がなかなか出てこない。
 「どんなご用時ですか?」
 照美は女装した久美が自分の弟とは気付かないようだ。
 「・・・・わからない?」
 そう言われて、照美は久美の顔をじっと見つめる。
 「あなた、まさか」
 気付いたようで、照美は目を見開く。
 「中に入れてくれる?」
 丁度その時、隣の部屋の住人が通りかかって、こんにちはと声をかけてきた。
 「あ、こんにちは」
 やり過ごすと、照美は辺りをきょろきょろと見回して久美の手を引いた。
 「早く入んなさいよ。近所の人たちに気付かれたらどうするの?」
 「うん」
 久美は後ろを振り返り、少し離れたところに立っていた北村に向かって手招きした。
 「早く一緒に入って」
 北村は久美に続いて玄関で靴を脱ぐ。
 「誰?」
 照美が首を傾げて久美にこっそり聞いた。
 「わたしの彼」
 「彼!」
 女装した久美、一緒に入ってきた「彼」、すべてを悟ったらしく、照美は呆然と赤ん坊のそばに座り込んだ。
 「どうしてこんなことに・・・・」
 「ごめん。苦労して大学まで出してもらって、こんなことになるなんて、言い訳のしようもないんだけど・・・・」
 「その言い訳ってやつを聞かせてよ!」
 驚きと戸惑いが怒りに変わって、照美は久美を睨み付け、さらにその怒りが北村へ向けられた。
 弟自らがそんな風になるとは信じられない照美は、そばにいる男がホモの道に引き込んだのだと邪推したのだ。
 「良介さんのせいじゃないの。わたしが悪いんだから」
 「良介さんておっしゃるの? ホントなの?」
 「いえ、俺の、イヤ、ぼくのせいです。見ているだけにすればよかったのに、ついクミの魅力に負けちゃって・・・・」
 「わたしのせいだってば」
 「いや、ぼくのせいだよ」
 ふたりは互いに自分のせいだと言い張った。
 「わかった。わかった。わかったから、どういう経緯なのか、順を追って話してみて」
 互いに思いやっていると感じた照美は、少し怒りを抑えて尋ねた。
 「実は・・・・」
 クミがぽつりぽつりと話し始めた。姉とは言え、マスターベーションと言う自分の恥部を話すのは恥ずかしかった。しかし、話さざるを得ないのだ。
 「以前付き合っていた彼女に振られてから、女と付き合う気がしなくて、インターネットでエッチ画像を見ては・・・・」
 そこで久美はやはり言いよどむ。照美は、マス掻いていたのねと言いにくいことを口にした。照美は、久美が中学の頃にマスターベーションを覚えてこっそりやっていたのを知っていたのだ。可愛い弟がそんなことをするなんて許せなかったけれど、正常な男の子はみんなそうだと聞かされて、イヤだと思いながらも性的にきちんと成長していることを知って安心した覚えがあった。
 「AV女優の穿いたショーツが当たるって言うインターネットの懸賞があって、応募したら当たったの。最初のうちは、それを見ながらマス掻いていたんだけど・・・・」
 臭いを嗅ぎながらと言うのは、ちょっと言えなくて隠した。
 「そのうちにショーツを穿いてマスを掻き始めたの」
 照美は黙って聞いていた。実は、昔照美のショーツがいつの間にか水洗いされて洗濯機に放り込まれていたことがあったのだ。
 「最初は女の子を喜ばしているつもりだったんだけど、だんだん自分が喜ばされている気持ちになっちゃって。つまり女の子になったつもりでマスを掻いたの」
 「変なの」
 「自分でもそう思うけど、それが偽りのない事実なの。そのうち、ショーツだけじゃ飽き足らなくて、ブラを買ったり、スリップやパンストも買ったの。去年くらいからだったかな? 女物の服も買うようになったのは」
 「ずいぶんお金を使ったんでしょうね」
 「ええ」
 「わたしのお古だったらあげたのに」
 照美は心にもないことを言った。もし久美が女装しているなんてことを知っていたら、直ちに止めさせていただろう。
 「半年ちょっと前、姉さんの妊娠がわかった頃だったかな? 良介さんにばれちゃって。ねえ、そうだったわね」
 下を向いて久美の話を聞いていた北村は、突然話を振られて慌てて答えた。
 「ああ、確かお祝いで酒を飲み過ぎたって言ってた直後だったと思うよ」
 「それで?」
 「恥ずかしくて止めようと思ったんだけど、良介さんが写真を撮ってやろうかって言うの」
 「あんまり可愛かったから、勿体ないと思って・・・・」
 「勿体ないねえ」
 照美は溜息をつく。
 「とっても綺麗に撮ってくれたわ。でもね、そのうち不満が出てきたのよ」
 「なによ?」
 「胸がないでしょう? いつも胸の部分を隠すような服しか着られなかったのよ」
 「そりゃそうでしょうよ」
 「で、良介さん、映画会社に勤めていて、特殊メークの部門に出入りができるわけ」
 「それで?」
 「付けてるってわからない人工乳房を作ってきてくれたの」
 「えっ? まさか今も付けてるの? パッドか何かを入れてるんじゃないの?」
 照美は久美の胸元を見つめた。
 「よくできてるのよ」
 「見せて、見せて」
 久美は、上着を脱いで、胸元を開いて照美に覗かせた。
 「うそ・・・・。本物みたい・・・・」
 「そうでしょう?」
 自慢げに久美は胸を張った。
 「いえ、嘘だわ。これは本物だわ。あなた、豊胸術を受けてるんでしょう? それを隠すためにそんな嘘を言って」
 「嘘じゃないわよ。何なら、あとで取り外してみせるから」
 「ホントに?」
 「ホントよ」
 「信じられない。こんなに自然で本物らしい偽物を作れるのね」
 「技術が進んでるんです」
 北村が横から口を挟んだ。
 「わかったわ。それから?」
 久美は、下半身パーツのことを話そうかと思ったけれど、そこまで言わなくてもいいだろうと思って省略することにした。
 「本物みたいな胸ができたら、ホントに女になったような気分になって、良介さんを誘ってしまったの」
 「まあ・・・・。でも、いくら女装して可愛くなったからと言って、良介さん、男を抱けるものなの?」
 下半身パーツの件を故意にうち明けなかったことを察して、北村はちょっと困ってしまう。しかし、何とか繕わなければならないと言葉を選びながら話す。
 「初めてクミさんに出会ったときから彼女のことが好きで、イエ、男が好きだって言う意味じゃなくって、なんと説明していいのかわかりませんが、助けてやりたいって言う、ま、変な意味はなくって、つまり・・・・」
 「何となくわかります」
 「わかってもらえます? よかった。それで、何かというといろいろと世話を焼いていたんです。女装したクミさんを見て、一目惚れって言うか、こんな女性がいたら手に入れたいって思ったんです」
 「ふん、ふん」
 「で、鬼怒川温泉にふたりで撮影をかねて旅行に行ったときに、宿帳に夫婦だって書いたものですから、あ、いえ、クミさん女装してましたから、違う名前を書く方がちょっとまずいかなって思って。ぜんぜん似てないから兄妹なんてかけないから、そう書いたんです。で、ひとつの部屋に寝ることになってですね。夜になって、布団が並べられていたんですけど、ひとりで寝ると寒くって。一緒に寝たら寒くないかなってことになって、ひとつ布団で寝たんです。で、ですね、・・・・こんなに可愛いでしょう? 男だってわかっていたんですけど、まるで女にしか見えないわけですよ。つい、むらむらとなってしまって・・・・」
 「で、それだけでは終わらなかったという訳ね」
 「はい」
 とふたりが口をそろえて返事をした。
 「どうするつもりなの?」
 「どうするって?」
 「この先、一生一緒に暮らそうって言うの?」
 「そのつもりですけど」
 北村が即答する。
 「そう。でも、今はよくても、年を取れば、女装なんてできなくなるわよ」
 「そこはまだ考えてないの。ともかく今は一緒にいたいと思ってるんです。ねえ、良介さん?」
 「は、はい」
 「困った人たちね」
 話を聞いて怒りはかなり収まって、溜息混じりに呟くように言った。
 「許してくれるのね」
 「仕方がないでしょう? 今からと言うのなら止めようがあるけど、現在進行中なんだから」
 「ありがとう。姉さんなら、きっとそう言ってくれると思ってた」
 「まさか、ホルモンを使ったりはしないでしょうね」
 「あ、それはないです。そんなことまでさせたくありませんから」
 「そう。それならよかったわ」
 照美は、ふたりの話から、ふたりの関係はそれほど長くは続かないだろうと心の中で結論を出していた。麻疹みたいなものだから、そのうち、あんな馬鹿なことをしていたんだと後悔混じりに振り返る日が来るわと思いながらふたりの顔を見ていた。
 「ところで姉さん?」
 「なに?」
 「ひとつお願いがあるですけど」
 「うち明け話だけじゃないなと思ってたけど、何のお願いがあるの?」
 「さすがに姉さん、勘がいいわ」
 「おだてたってダメよ。いったい何?」
 「姉さん、パスポート、持ってるよね」
 「持ってるけど」
 「わたしに貸してくれない?」
 「ええっ? あなたに貸すの?」
 「そう。女装したわたしって、姉さんに似てるでしょう? 使えるんじゃないかって思って」
 「わたしに化けて海外旅行にでも行くの?」
 「ええ。新婚旅行に」
 「新婚旅行ねえ・・・・」
 照美は呆れ顔になった。
 「ねえ、お願い。貸して」
 久美は両手を合わせて頭を下げる。
 「・・・・そうねえ。貸してあげてもいいけど」
 「迷惑はかけないから」
 「わかったわ。貸してあげる。ちょっと待ちなさい」
 照美は立ち上がって寝室へと姿を消した。久美と北村は、うまくいきそうだと顔を見合わせる。
 「はい。これよ」
 受け取ったパスポートを久美は開いてみた。
 「これなら、絶対大丈夫ね」
 写真を見せながら、久美が北村に訊く。
 「うん。大丈夫そうだ。さすがに姉弟だ」
 実際に、パスポートの照美の写真は、久美によく似ていた。
 「じゃあ、借りるわね」
 「どこに行くの?」
 「東南アジア」
 「いいなあ。わたしも行きたいな」
 「元気になったら、お義兄さんに連れて行ってもらいなさいよ」
 「そうしたいけど、貧乏暇なしで」
 「嘘ばっかり。稼いでるくせに」
 「・・・・人並み以上は稼いでくれるけど、時間がなくって」
 「たまには休暇をもらわないと、過労死するわよ」
 「そうね。今度そう言ってみるわ」
 「あ、そうだ」
 北村が、持っていたつつみを差し出す。
 「これ、つまらないものですけど、出産祝いです」
 「まあ、そんなことしなくていいのに」
 「いえ。親戚になったみたいなものですから」
 「それもそうね。じゃあ、ありがたく頂くわ」

 それからしばらく雑談して、久美と北村は照美のマンションを出た。
 「よかった、うち明けて」
 「いい、お姉さんだね」
 「そうでしょう?」
 「お姉さんに早く出会っていたら、絶対結婚を申し込んでいたな」
 「なによ。それ」
 「あ、ごめん、ごめん。今はクミ一筋」
 「さあ、帰って旅行の準備をしなくっちゃ」
 「俺は、旅行会社に申し込みをしてくるよ」
 ふたりは嬉しそうに手をつないで車に乗り込んだ。