第8章 ニューハーフ養成所

 弁当屋の仕事は退屈だ。来る日も来る日も同じことの繰り返し。
 「あああ、もっといい仕事がないかなあ」
 もちろん、仕事の合間に別の仕事を探してみたけれど、なかなかいい仕事は見つからなかった。
 『訓練費用は一切いただかないのよ。就職する時に、就職先から斡旋料をいただくだけで、あなたはお金を出す必要はないの』
 あの女の言葉が蘇ってきた。
 (ちょっと電話してみようか。聞くだけなら絶対ただだもんな)
 俺は、あの時貰った名刺をテレビの上から手に取った。あの名刺はずっと捨てずに置いておいたのだ。
 名刺を見ながら、奥村企画に電話した。
 「もしもし、奥村企画さんですか?」
 《はい、そうです。ご用件は?》
 「えっと、島さん、島かおるさんはいらっしゃいますか?」
 《島はただいま出かけておりますが》
 「そうですか・・・・」
 《どちら様でしょうか? 帰りましたら、お電話差し上げますが》
 「あ、いえ、いいです。またかけます」
 電話を切った。結局、俺には縁がないと言うことだろう。床の上にばったりと倒れて天井を見上げた。
 (家に帰ろうかな)
 電話のベルがが突然鳴り響き、俺はビックリして飛び起きた。
 「誰だ?」
 電話を取ると、女の声が聞こえてきた。
 《もしもし、島ですけど、お電話いただいたそうで》
 奥村企画の島かおるからだった。
 「どうして電話番号が?」
 《ナンバーディスプレーって知らないの?》
 「あ、ナンバーディスプレーですか」
 《そうよ。ところで、あなた、どなた?》
 「あ、ああ。お忘れかもしれませんけど、先週、新宿でニューハーフの訓練を受けないかって誘われたものですけど」
 《ああ、あの時の。で、決心したの?》
 「いえ。ちょっとご意見を伺おうかと思って」
 《どんな?》
 「どうして、雇ってくれなかったのかなって思って。俺って、女装すると可愛いと思うんだけど」
 《・・・・そうね。ニューハーフになろうって男の人には、匂いがあるのよ》
 「匂い・・・・ですか?」
 《そう。なんて言うのかなあ。その筋の人が見たら、すぐにわかるのよね》
 「へええ」
 《あなたには、その匂いがないのよ。だから、断られたんだと思うわ》
 「そう言うことですか。・・・・訓練したら、雇ってもらえるでしょうか?」
 《そりゃそうよ。そう言うふうに訓練するんだから》
 「・・・・なるほどね」
 《どう? やってみる?》
 俺は考えた。訓練費用はただだって言うし、やってみてものにならなければ止めればいいさと軽く考えた。
 「訓練って、どうするんですか?」
 《やるのね?》
 「あ、まあ。やってみても損はないでしょうから」
 《あなたに損はかけないわ。今から西口に来られる?》
 「西口って、新宿のですか?」
 《そうよ》
 「えっと、着替えていきますから、30分もあればいけると思います」
 《じゃあ、30分後に新宿西口で》

 着替えると言ったものの、何を着ていけばいいのかわからなかった。しかし、何を着ていっても同じだと気づいて、Tシャツにジーンズ姿で行くことにした。
 新宿西口に着いたのは、約束より5分早い時間だった。
 「こんにちは」
 あの時の女性、島かおるがにっこり笑って俺の肩を同じように叩いた。
 「さあ、行きましょう」
 「どこへ?」
 「訓練場へよ」
 「今から? もう?」
 「善は急げよ。何か問題があるの?」
 「いえ、何も」
 「じゃあ、行きましょう。さあ、乗って」
 目の前に停まっていたタクシーに押し込まれた。
 「場所はどこ?」
 「行けばわかるわ」
 行けばわかるといわれても、俺は東京の地理には疎い。どこをどう走ったのかわからないうちに、タクシーはとあるマンションの前に横付けされた。
 「ここよ。さあ、上がって」
 エレベーターに乗って、7階に上がった。712号室の前につくと、島は鍵を取り出してドアを開いた。フワッといい香りがした。女の部屋の匂いだ。
 「そこに座って」
 促されるままに、俺はソファーに座った。
 (かなり立派なマンションだなあ)
 俺は感心して部屋の中を見回した。
 「はい。コーヒー」
 島が俺にコーヒーカップを手渡し、自分もカップに口を付けた。カップから、いい香りがした。インスタントじゃなさそうだ。
 「訓練がすむまで、ここで生活するのよ」
 「えっ? 通っちゃいけないの?」
 「毎日、一日中女として暮らした方が早く身に付くのよ」
 「あ、なるほど。どれくらいの間?」
 「あなたがニューハーフとして自立できるまで」
 「具体的にはどれくらい?」
 「さあ、あなたの努力にも依るけど、一ヶ月か二ヶ月か? もっとかかるかも」
 「そんなにですか?」
 「一朝一夕にはニューハーフにはなれないわよ」
 「・・・・そうですね。その間の生活費は・・・・」
 「もちろん、わたしの方で負担するわ。あ、ご心配なく。就職口斡旋の時、相手方からいただくことになってるから、あなたは心配しなくていいから」
 「それなら安心です」
 「これにサインして」
 「何ですか?」
 「契約書」
 「契約書?」
 (やっぱり高額な契約料を取るのか?)
 俺はじっとその契約書を見た。
 訓練内容を遵守すること。訓練費用は無料。ただし、途中で訓練を放棄した場合は、相当額を支払うこと。
 それだけだった。
 (途中で放棄したら、お金がいるってことだな。つまり違約金って言うわけだ。もしかして、厳しい訓練で、止めざるをえないようにしてお金を取るのでは・・・・。疑問が次から次へと沸いてきた)
 「するの? しないの?」
 島が俺の顔を覗き込んできた。
 「訓練って、厳しいの?」
 「ははあ。逃げ出したら、お金を払わないといけないのが心配なのね」
 「は、はい」
 「大丈夫よ。今まで途中で止めた人はいないから」
 島の笑顔に嘘はないと思った。俺は契約書にサインした。
 「さあ、それでは早速訓練を開始しましょう」
 「ホントに今から?」
 「今からよ」
 島は、俺の目を見据えて言った。
 (ホントにいいのかなあ・・・・)
 そう思いながらもわくわくしている自分がいた。アパートの鏡に映ったワンピース姿の自分の姿を思い出していた。もっと綺麗になった自分を見てみたかった。こんな感情は自分でも絶対おかしいと思っている。だけど、あの日生まれたそんな思いがどうしてもぬぐいきれないのだ。

 「まずはバスルームに行って、むだ毛を処理してきて」
 「むだ毛・・・・」
 「そう。わき毛、すね毛、それから陰毛ね」
 島が、陰毛と言うとき、にやりと笑った。
 「ワキとスネはわかりますけど、陰毛はどこまで?」
 「適当にやりなさい。あとで点検してあげるから」
 「は、はい」
 「剃り終わったら、髪の毛も洗って、綺麗に流してくるのよ」
 「はい」
 俺は、カミソリを受け取ってバスルームへ入った。

 ボディーソープを体中に塗りたくって、まずはスネから剃り始めた。何の抵抗もなくスネ毛が剃り落とされていった。
 (適当にって言ったけど、困ったな・・・・)
 じっと見つめた後、思い切って陰毛を剃り始めた。
 (恵子の陰毛はこれくらいだったかな)
 ペニスの上だけの残った陰毛を見ながらそう思った。それから、わき毛を剃った。他の場所と違ってワキはへこんでいるから剃りにくかった。
 シャワーを浴びて、泡とともに体に付いた毛を洗い流すと、自分のものとは思えない下半身がそこにあった。毛のないワキも妙な違和感を覚えた。
 「終わった?」
 島がガチャリとドアを開けて入ってきたので、俺は慌てて背中を向けた。
 「剃り残しがあるなあ」
 「そうですか?」
 「後側は見えないからね。じっとしてなさい。わたしが剃ってあげるから」
 島は、俺の尻から足にかけてボディーシャンプーを塗り直して何回かカミソリを動かした。
 「これでよしと。こっち、向いて」
 俺は股間を両手で押さえて島の方を向いた。
 「手を離さないと見えないでしょう?」
 セックスする時は女に見られたって恥ずかしくはない。だけど、こう言う風に見られたら恥ずかしい。恥ずかしいと思う一方、女に見られていると思うと、股間が固くなってくるのを感じた。
 「あら、あら、あなた。ニューハーフになろうって言うのに、女に見られて勃起するの?」
 「あ、いえ・・・・」
 「仕事先によっては、女の子もお客になるのよ。女に反応してテントを張るニューハーフなんておかしいわよ」
 「俺、まだ男ですから」
 「そこを何とかしないといけないわね。・・・・陰毛はそれくらいでいいけど、ちょっと長いわね。短くするからじっとしていて」
 島は残った陰毛をはさみで短く切りそろえた。
 (全部剃ったみたいだよ)
 俺は情けなくなった股間をじっと見つめていた。
 「さあ、体をもう一度洗って。体を拭いたら、こっちに来なさい」
 そんな声に我に返り、シャワーをもう一度浴びてから、バスタオルで体を拭いて外に出た。
 「あのう、服は?」
 俺の脱ぎ捨てた服がなかった。代わりに着る服も用意されていなかった。
 「まだすることがあるから、後よ。ここに座りなさい」
 ドレッサーの前の椅子に座らされた。
 「髪の毛を女の子らしくカットするからね」
 バスタオルで拭いただけのまだ濡れている髪の毛を真ん中から分けると、大きな髪バサミでいくつかの髪の毛の束を作ってから、手際よくカットし始めた。
 (まるで美容師さんだよ)
 俺は、島のハサミさばきに感心していた。女の子らしいショートカットに仕上がっていった。
 「これでよしと。次は、眉毛ね。目を瞑って」
 言われたように目を瞑ると、島はカミソリで眉毛を剃り始めた。それから、ハサミらしいパチパチという音がした。
 「さあ、これでいいわ。もう一度、髪の毛をシャンプーしてきなさい」
 目を開けてビックリした。眉毛が細い山形に変わっただけなのに、俺は若い女の子に見えた。
 「さあ、早く」
 唖然とする俺を島はせき立てた。俺は、もう一度バスルームへ行き、シャンプーし直した。
 バスタオルで髪の毛と体を拭いて出ると、今度は脱衣籠に服が置かれていた。俺はゴクリとつばを飲んだ。
 「これ、着るんですか?」
 「そうよ」
 最初に訪れたニューハーフクラブで、短いドレスを着せられそうになった時くらい、俺はじっと固まっていた。
 「風邪引くわよ。早く着なさい」
 俺は、脱衣籠に置かれたものを手に取った。
 (ホントにこれをはくの?)
 ワインレッドのパンティーを目の前に掲げた。俺は、決心してそれをはいた。それから、同じワインレッドのブラジャーを手に取った。小さなパンティーの中で、ペニスが大きくなってくるのを感じた。ブラジャーは重かった。カップの中に人工乳房らしいものが入っていた。俺は、カップを胸に当てて、ストラップを肩に通し、後ろ手にホックを留めた。胸の圧迫感が何とも言えなかった。
 それから、ベージュ色のワンピースに足を通した。このワンピースは何というものかわからない。ノースリーブで、背中も肌が露出するデザインのものだ。首の後ろで結んだひもが解けたら、前がはだけてしまうデザインになっていた。こんなワンピースは、ノーブラ着るものだろうけれど、俺はシリコンの人工乳房入りのブラジャーをしているから、背中にブラジャーが覗いていた。
 スカートの部分は、腰で切り替えてあって、太股の中程までの長さのフレアになっていた。
 (こんな格好の女の子を見るのは好きだけど、自分で着ることになろうとは・・・・)
 俺は恥ずかしさで顔を真っ赤にして下を向いていた。
 「さあ、もう一度ここへ座って」
 促されて、椅子の上に腰掛けた。島が俺の髪の毛をブローし始めた。ブローすると、ホントに女の子らしい髪型になっていた。
 「お化粧してあげるからね」
 島が、俺の顔にべたべたを何やら塗り広げ、ぱたぱたと何やらを叩きつけ、眉毛あたりをなぞったり、頬をブラシでこすったりして、最後に口紅を塗った。
 すべての手順が終わった時、俺はホントにポカンと口を開けていた。
 (あの、浅草寺で見かけた美人のニューハーフよりも綺麗だ)
 「どう? 完全女装した感想は?」
 「信じられません。俺がこんなに綺麗になるんなんて」
 「ふふ。黙っていれば、可愛い女の子なのに、しゃべるとだめね。ま、いいわ。それも明日から特訓するからね」
 「はい」
 ニューハーフをやろうと思ったことは正解だったと思った。
 (これなら、楽して儲けることができる)

 「あら、あら。自分で自分に欲情してるの?」
 島が俺の股間をポンと叩いた。俺はちょっと口を尖らせたけど、島が言ったことは事実だった。俺は、女装した自分を見て、本気でこんな女がいたらいいな、こんな女とやってみたいと思っていたのだ。
 「発情した雄じゃないのよ。簡単に勃起しないようにしないとね」
 「そんなことは無理です。体が勝手に反応するんですから」
 「体が勝手に反応ね。じゃあ、反応しないようにしましょう」
 「えっ!? ど、どうするんですか?」
 「切り取っちゃいましょう」
 平然として島が言った。
 「じょ、冗談でしょう?」
 俺は青くなった。本気のように思えたからだ。いや、本気だと思った。
 「冗談よ」
 俺を見てにやりと笑った。
 「ああ、驚いた。じゃあ、どうするんですか?」
 「一時的に男性ホルモンの分泌を止めるのよ。そうすれば、勃たなくなるわ」
 「男性ホルモンの分泌を止める? そんなことできるんですか?」
 「できるのよ」
 「いったいどうするんですか?」
 「ちょっとした薬を使うのよ。これよ」
 島は冷蔵庫の中から注射器を取り出した。
 「それって、まさか、女性ホルモンじゃあ」
 「違うわよ。これは正真正銘男性ホルモンの分泌を止めるお薬。リュープリンって言うの」
 「リュープリン?」
 「そう。本来は、前立腺癌や乳癌の治療に使う薬で、説明してもわからないと思うけど、とにかく睾丸からの男性ホルモンや、卵巣からの女性ホルモンの分泌を抑制する薬なの」
 ニューハーフが女性ホルモンを注射したり、飲んだりすると言う話は知っていたけれど、そんな薬の話は聞いたことがなかった。
 「一時的にって言ったけど、一回打つと、どれくらい効くんですか?」
 「一ヶ月は効くって言うことになっているわ」
 「一ヶ月も・・・・。じゃあ、一ヶ月に一回注射すればいいってことですね」
 「そう。そうすれば、その間は、男性ホルモンが出なくなって、発情したり、勃起することもなくなるって言うことなの」
 「一時的って言うことは、元に戻るってことですよね」
 「ええ。薬の効果が切れれば、完全に元に戻るわ」
 「それなら、安心です」
 「あら? ずっとニューハーフするんじゃないの?」
 「あ、ええ。まあ」
 「さあ、腕を出して。注射するわよ」
 俺は右腕を出して肩に注射して貰った。ニューハーフになるために、女性ホルモンを使ったりしたら、先々困ると思ったけれど、男性ホルモンの分泌を押さえるだけなら、それも一時的なら別に問題はないと思った。
 「ところで髭の方はどうするんですか? 毎日綺麗に剃ればいいんですか?」
 「レーザー脱毛してあげるわ。明日からは、二、三日剃らないでいてくれる?」
 「あ、はい」

 俺が暮らすことになった部屋は16畳くらいあった。今まで暮らしていたアパートの3倍の広さがある。
 一番奥にダブルベッドが置いてあり、部屋の真ん中に応接セット、左の壁際にドレッサー、その横にビデオ付きのテレビ、その横に大きな鏡があった。ドレッサーの反対側のベッドよりにバストイレがあって、少し窓際に隣の部屋へ続くドアがあった。
 島が部屋を出ていった後、そのドアを開けようとしたけれど、鍵がかかっているようでノブはくるくると空回りするばかりだった。
 (訓練が終わるまで、逃げ出せないようになっているんだ。・・・・閉じこめられちゃったぞ)
 妙な気がしたが、ただで訓練を受けさせているんだから、最後にかかった費用を回収するまでは逃げられては困るのだろうと解釈した。
 さて、食事の方は、その隣に続くドアの横に小さな棚があって、時間が来るとそこに届られるようになっていた。冷たいものは冷たいように、暖かいものは暖かいまま食べられるように配慮されていた。
 「うまい」
 バイトだけで生活していた俺は、東京に出てきてから、弁当とインスタントラーメン、吉牛しか食べたことがなかった。手の入った豪華な料理に、舌鼓を打った。