第7章 ホストが無理なら

 真美とは出会わなかった。真美とはなにもなかった。そう思うことで諦めることにした。そうするしかないのだ。
 ホストになって、楽して儲けようと思った胸算用はむなしく消え、真美を暮らすという夢も潰えた。
 (浅草寺で願ったことは、どちらも実らなかった。神仏なんて、宛にならないものだ)
 俺は、もっと現実的に生きることにした。

 近くにあるコンビニやファミレス、ショッピングセンターなどを覗いて回り、従業員募集の張り紙を見つけるたびに雇ってくれるように頼んだ。
 「うちみたいな店で、バイトした経験は?」
 「ありますけど」
 「ほう。何ヶ月くらい?」
 「三日です」
 「三日? 三日じゃだめだな」
 確かに三日じゃ経験にならないだろうなと思った。
 「レジは打てるのか?」
 「だめです」
 それ以上聞いてくれなかった。資格も経験もないんだから、雇う方としては敬遠したのだろう。
 丸一日を費やしても仕事は見つからなかった。午後6時を回った頃、従業員募集の張り紙を見つけた。
 「いいよ」
 白髪頭の主人が気安く返事をしてくれた。
 「ホントですか?」
 「その代わり、時給、安いよ」
 「安くたってです。働かせていただければ」
 「じゃあ、明日から」
 「今から、だめですか?」
 「・・・・そうだな。今からでもいいよ。閉店まで1時間しかないけど」
 「ぜんぜん働かないよりましですから」
 「じゃあ、頼むよ」
 俺を雇ってくれたのは、小さな弁当屋だった。いわゆる全国チェーンではなく、個人でやっている小さな店だ。ホントは女の子が欲しかったらしいけど、時給が安いので、誰も応募してこなかったらしい。
 (時給550円なんて、東京とは思えないよ)
 しかし、他に仕事がない以上、それで我慢するしかなかった。その日は、給料代わりに少し豪華な弁当をもらって帰った。うまい弁当だった。繁盛して、時給が上がりそうな気がした。

 その店は、俺が住んでいるアパートから歩いて5分あまりの所にあった。つまり交通費がかからないと言うことだ。店は、午前10時に開店して、午後7時閉店。フルに働けば、8時間働けるから、一日4400円になる計算だが、忙しい時だけと言うことで、せいぜい一日4時間が俺の勤務時間だ。
 (一日2200円かぁ。ホストだったら、2万や3万は軽いだろうに・・・・)
 どうしても諦めきれなかった。しかし、俺の体格では、ホストをやるなんてことは無理なこともわかっていた。

 「毎度あり」
 水曜日の午前9時半ちょっと前、歯を磨いていると、元気な声が聞こえてきた。
 「ハート・クリーニングです。ワンピースをお届けに参りました」
 「あ、そこに置いてて」
 「800円です」
 「あ、払ってなかったんだね。800円ですね」
 「はい」
 俺は財布から、コインを取り出して渡した。
 「今日はお出しになるものはありませんか?」
 「えっと、ないよ」
 俺は考える振りをしてから、そう答えた。しかし、頭から洗濯屋に出すつもりなどなかった。そんな余裕はないからだ。
 「また、お願いいたします」
 頭を下げて、クリーニング屋は出ていった。
 (真美のワンピースか。返してやりたいけど、送る場所がわからないもんあ・・・・)
 俺は、クローゼットの中に洗濯されたワンピースをしまった。

 午後11時に弁当屋に行き、午後1時まで働いて、480円の弁当を買ってアパートに帰った。弁当を頬張りながら、ふうと溜息をついた。
 (こんな生活じゃぁ、たとえ俺が初めての男でも、真美は長崎に帰っただろうな。もっといい仕事が欲しい)
 溜息が出るばかりだった。

 その夜、テレビを見ながら眠ってしまっていた。クーラーが効き過ぎて寒くなって目が覚めた。テレビ画面には、財前直美の顔が見えた。
 (九州電話の宣伝は、こっちじゃやってないよな)
 そう思いながら、画面を見つめた。番組は、『お水の花道』と言う、ホステスを主人公とする番組だった。
 (ホステスかぁ。ホステスって、儲かるんだろうな。・・・・あれ?)
 テーブルの下に突っ込んでいた足先に何か触れた。覗き込んでみると、小さな筒が転がっている。取り上げてみると、それはルージュだった。
 (真美が落としていったんだな)
 俺はそのルージュをじっと見つめた。
 (もしかして、女装したらホステスがやれるんじゃないだろうか?)
 日曜日に、ホストになろうとホストクラブを訪れたときのことを思い出した。
 (何件目かのホストクラブで、ホストよりホステスをやったらいいんじゃなかって笑われたなあ。あの時は頭に来たけど・・・・)
 俺は、浴室に行くと鏡を見つめた。
 (俺って、女装したら結構可愛いかも)
 手にしたルージュを塗ってみた。サーモンピンクのルージュが似合っていた。さらに、櫛で髪の毛をといて前髪をおろしてみた。
 (いいかも。・・・・そうだ。真美のワンピースがあったっけ)
 俺は部屋にとって返し、クローゼットを開いて、真美のワンピースを取り出した。
 (入るかな?)
 胸に当ててみた。
 (何とか入りそうだな)
 着ていたものを脱いでトランクス一丁になり、ワンピースのファスナーを降ろして足を通した。背中のファスナーはあげにくかったけれど、何とか上まであげてもう一度鏡を覗いてみた。
 (悪くはないけど、男丸出しだな)
 そう思いながら、ふと浅草寺で見たおかまを思い出した。
 (あの美人のおかまにはかなわないけど、ブスの方よりは遙かに可愛いよな。本物の女に化けるのは無理だろうけど、きちんと化粧したら、ニューハーフならやれるかも。別におっぱいを作ったり、男のシンボルを取り除かなくても、うまく女装すれば、ニューハーフとしてホステスやれるんじゃないだろうか?)
 俺は簡単にそう結論すると、早速翌日から、新たな就職活動をすることにした。

 せっかく見つけた仕事だから、弁当屋には顔を出した。午後1時、昼食用に弁当を買ってから主人に断りを言った。
 「すみません。今日の夕方は、休みたいんですけど、いいでしょうか?」
 「あ、休むの? 困ったな。今日は忙しい日だから、いて欲しいんだけど。どうしても休まないとだめ?」
 「ちょっと急用で」
 「そうか。それなら仕方がないな」
 渋々ながら休みをくれた。俺はアパートに戻って弁当を食うと着替えをした。
 (真美の置いていったワンピースを着ていくわけにはいかないけど、せいぜい中性風の服を着なくちゃ)
 お袋が買ってくれた黄色のざっくりとしたサマーセーターに、ベージュのチノパンをはいて出かけた。
 時間が早かったので、本屋に寄って新宿の歓楽街について立ち読みをして情報を仕入れた。

 時計は午後4時を回った。いくつか宛をつけていたニューハーフクラブを回ることにした。
 一軒目は、まだドアに鍵がかかっていた。次の店の前で、その店で働いているらしい明らかにニューハーフと思われる人物に出会った。
 「すみません。このお店の方ですか?」
 「そうよ。何か用?」
 綺麗な女性の声だった。本物の女性かと思ったけれど、喉仏があったから、間違いなくニューハーフだった。
 「えっと、このお店の責任者というか、ママというか、そんなひとに会いたいんですけど・・・・」
 「会って、どうするの?」
 「このお店で雇っていただけないかなって思いまして」
 「あなたが?」
 「はい」
 ホストというのは確かに俺がするのには無理があった。しかし、今回は自信があった。
 「・・・・そうねえ。可愛い顔をしてるけど・・・・」
 「会わせていただけますか?」
 「中にお入んなさい。もう来てると思うけど」
 「ありがとうございます」
 俺は、そのニューハーフのあとについて店の中に入っていった。
 「ママ! ママ! いる?」
 「なに?」
 口調は女だったけど、太い声の返事があった。
 「この子が雇ってくれないかって」
 奥の方から、声からは想像できないような和服を着た美人が出てきた。
 「ここで働きたいって?」
 「ええ、そう言ってるわ」
 俺の方を振り返って紹介した。
 「ここがどんな店か知ってるの?」
 「はい」
 「そう。名前はなんて言うの?」
 「三原です。三原和己って言います」
 「みはらかずみ。本名なの? それとも、源氏名なの?」
 「あ、本名です」
 「ふうん。どうしてニューハーフになりたいの?」
 「あ、えっと、綺麗な服を着てみたいからです」
 こう言わないと雇ってくれそうもないと思ったのだ。
 「女装したことは?」
 「あ、ありません」
 ワンピースを着てみたことが女装になるとすれば、嘘を言ったことになるのだが。
 「男を好きになったことは?」
 「い、いえ、ありません」
 「そうでしょうね。・・・・ま、いいわ。ちょっと、奥へ来なさい」
 奥に向かって歩きながら、俺の方をちらりとちらりと見た。
 (うまく雇ってくれるかな?)
 俺は、期待をふくらませていた。
 「それ、着なさい」
 ママが俺の前にぽんと放り出したのは、ピンクと白の布でできたバレリーナが着るような服で、肩ひもはほんの申し訳程度付いているだけの細いもので、スカートの丈は、立っていてもお尻が見えそうなものだった。
 「こ、これ着るんですか?」
 「そうよ。綺麗な服を着てみたいんでしょう?」
 俺は下を向いた。
 (こんな服はとても着られそうもない)
 「さあ、早く着なさい」
 「今までスカートだってはいたことがないのに、急にこんな服は着られないです」
 「それが着られないのなら、雇ってあげられないわ」
 俺は服を持ったまま立ちつくした。
 「綺麗な服を着たいなんて嘘でしょう?」
 「そ、そんなこと、ないです」
 「嘘言ってもわかるわ。ニューハーフになりたいって言う動機は何なの?」
 俺は正直に答えた。
 「あくせく働くよりいいかなって思って」
 「あなた! ニューハーフを馬鹿にしていない!! ニューハーフになるには、それなりの覚悟がいるのよ。楽して儲けようなんて魂胆だったら、諦めた方がいいわ」
 ものすごい剣幕でにらみつけられて、俺はたじたじとなった。
 「あなたみたいな不純な動機の子は雇ってあげられないわ。帰って」
 それ以上、とりつく島もなかった。俺は、項垂れて店の外に出た。
 (もっとうまいことを言わなければ、雇ってもらえないな)
 俺は、出てきた店の中での会話を思い出して、次はこうしようああしようと算段した。

 しばらく歩いていると、もう一軒の店があった。
 (ここで決めるぞ)
 俺は、店の扉を開けた。
 「なに? 何の用かしら?」
 言葉は女の響きだが、声の主は男の格好をしていた。
 「ここはニューハーフのお店じゃあ・・・・」
 「ここはおかまの店。はっきり言うとホモが集まる店。あなた、可愛いわね。どう? わたしと寝ない?」
 「失礼しました」
 俺は、慌てて店を飛び出した。
 (ひええ、参った。カマ掘られるところだった)

 (結構多いんだな。あそこは大丈夫かな?)
 目にした店の扉を恐る恐る開いた。中には、4,5人のニューハーフとおぼしき女性たちがいた。
 「あら? 坊や。何かご用?」
 俺と目があった一番奥にいたニューハーフが俺に声をかけてきた。
 「あのう、この店に雇ってもらうわけにはいきませんか?」
 「あなたを?」
 「はい。そうです」
 「18歳未満はだめなのよ」
 「18歳以上です。もうすぐ19になります」
 「あ、そうなの。ごめんなさい。・・・・そう。もうすぐ19なの。で、ニューハーフになりたいのね」
 「は、はい」
 奥から俺のそばにやってきたニューハーフが、俺のあごに手を当てて俺の顔をじっと見た。
 「男性経験は?」
 「あ、ありません」
 「そう。処女って訳?」
 「はあ・・・・」
 そのニューハーフは、俺の肩を抱いた。
 「わたしが一から教えてあげるわ」
 (黙ってたら、カマを掘られる!)
 俺は慌てて、そのニューハーフの腕を振り払って店を飛び出た。店の中から、笑い声が聞こえてきた。
 どうもからかわれたみたいだった。しかし、もう店の中に戻る気はしなかった。

 それから数軒の店を回ったけれど、どの店からもやんわりと断られた。
 (どうしてだろう? 女装したら、絶対にいけると思うのに、なぜ雇ってくれないんだろうか? 訳がわからない・・・・。最初の店で言われたように、動機が不純なのがいけないのかも。結局俺は、ニューハーフなんてやれないんだろう。止めた。止めた。もう止めた。地道に働くのが一番だ)
 俺は、新宿駅に向かって歩き始めた。

 「ちょっと、君。ちょっと」
 ポンと肩を叩かれた。振り返ってみると、髪の長い女が俺を笑顔で見つめていた。
 「なんか用?」
 「ちょっと話しがあるんだけど、いいかな?」
 「いったい、なに?」
 妙な勧誘じゃないかと思って、俺は警戒した。
 「あなた、ニューハーフになりたいんじゃないの?」
 「え、あ・・・・」
 俺は周りを見回し、慌てて首を振った。ニューハーフになりたい男だなんて、変な目で見られると思ったのだ。
 「あら? そうなの? ずっと見てたのよ」
 「ちょっと冷やかしだよ。本気じゃないんだ。じゃあね」
 俺は、女を無視して歩き始めた。
 「わたしに任せてくれたら、いいところに就職させてあげるのに」
 そんな言葉に俺は立ち止まった。女は言葉を続けた。
 「ただし、しばらく訓練が必要だわ」
 (訓練? ははあ。そう言って、高額な訓練費用を俺から取るつもりだな)
 そんな俺の危惧を察したかのように女が言った。
 「訓練費用は一切いただかないのよ。就職する時に、就職先から斡旋料をいただくだけで、あなたはお金を出す必要はないの」
 うまい話には手を出すなと親父がいつも言っていた。絶対何かあると睨んだ俺は、手を振って断り歩き始めた。
 「もし、その気になったら電話して。待ってるわ」
 女は、俺に無理矢理名詞を手渡すと手を振って去っていった。
 (奥村企画ねえ。信用できるのかね・・・・)
 貰った名刺をポケットにねじ込んだ。