第4章 家出少女

 ドスンと言うショックで目が覚めた。ハッとして目を覚ますと、グオッと言う爆音が機内に響き渡った。飛行機が逆噴射をしているのだ。俺は、ホッと胸をなで下ろした。
 (墜落しなかったよ。よかった)
 初めての飛行機。頭でわかっているつもりでも、こんな鉄のかたまりが空を飛ぶなんて信じられなかった。怖くてたまらなかったから、離陸する前から寝ていたのだ。
 「皆様、当機はただいま羽田東京国際空港に着陸いたしました。飛行機が完全に停止しますまで、シートベルトはそのままお絞めおきください」
 俺は一度大きなあくびをして、足元に置かれている荷物を見つめた。
 (荷物が増えちまった)
 お袋も何のかんのと言いながら、ひとり息子が可愛いのだ。飛行機に乗り込む前に、新しい服を何着かと、上野さんへのお土産にと菓子折を持たせてくれた。だから、袋がひとつ増えていた。
 (金は大丈夫だな)
 俺は、ポケットに入れていた6万円を確かめた。交通費込みだと言うことだったけど、結局お袋が航空券の代金も出してくれて、早めの昼食もおごってくれたのだった。
 (親って言うのは有り難いよな。しかし、いつまでも甘えているわけにはいかない。なんとしても、ひとりでやっていかなければ)

 東京に来るのは初めてだ。右も左もわからない。どっちへ行ったらいいのかわからないから、ともかく人が歩いていく方へ一緒に歩いていった。
 手荷物を受け取る必要がないから、そのまま大きなガラスの自動扉の外に出た。ここで、人の波は左右に分かれた。多い方の波と一緒に歩いていくとモノレールの文字が見えた。
 (この方向でいいんだ)
 乗ったことがない長いエスカレーターを下ってモノレールの表示を追いかけた。
 (ヒョウッ! モノレールだよ)
 お上りさんだと気づかれないように、俺は切符を買ってモノレールに乗り込んだ。

 モノレールを降りてからも、人の波に従って歩いていった。改札を抜けると、山手線が正面に見える。頭を動かさずに視線だけを動かして、東京方面と書かれた乗り場へ階段を下りていった。
 昼間だというのに、かなりの混みようだ。ラッシュ時にはどうなるのだろうかと思うとゾッとした。

 俺は、片手にバッグ、片手に大きな紙袋を抱えて東京駅に降り立った。
 (中央線で新宿まで行って乗り換えた方が早いって書いてあったけど、あのまま山手線で行けばよかった。この荷物を持って乗り換えるのが大変だぞ)
 そう思いながら、ブラブラと歩いていると、中央線のプラットホームへの登り口付近におかしなふたり組と項垂れている少女の姿を見つけた。
 おかしなふたり組の一人は警察官のような濃紺の制服姿。もう一人は、この暑いのにやっぱり紺のスーツを着ていた。少女の方は、大人びたワンピース姿だけど、どう見ても高校生くらい。もしかすると中学生かも。
 (まだ夏休みに入っていないよな。家出かな? それで補導されそうになっているんだな)
 無視して通り過ぎようとしたのに、心とは裏腹に俺はその三人に近寄っていった。大人ふたりに虐められているようで、可哀相に思ったからだ。
 「なんだ。陽子、こんなところにいたのか。さあ、行くぞ」
 俺は、ふたりの男を無視して少女に話しかけた。少女はちょっと驚いた顔で俺を見つめた。
 「何やってんだよ。おじさんが待ってるんだから、急げよ」
 少女は、俺が助け船を出しているのに気がついたように俺に駆け寄ってきた。
 「ちょっと、君。君はいったいなんだ?」
 俺と少女に対峙する形で男たちが睨み付けてきた。
 「なんだって、あなた達こそいったい何なんですか?」
 「わたしたちは、補導をやってるものだよ」
 「補導? あ、そうですか。それは失礼しました。で、妹に何のようですか?」
 妹という言葉に、男たちの態度が少し和らいだ。
 「妹? 君の妹さんかね?」
 「はい、そうですけど」
 「妹さんにしては似てないな」
 警察官らしい男が、不審気に見比べた。
 「いつもそう言われるんです」
 「君の名前は?」
 「三原です。三原和己って言います」
 「三原君だね。君も学校が休みなのかね?」
 童顔の俺は、いつもそう言われる。だからちょっとムッとした顔をして答えた。
 「ぼくは、社会人です」
 「社会人? そうは見えないが」
 「嘘だと思うんだったら、これを見ればいいでしょう?」
 俺は、免許証を取り出して、男たちに見せた。
 「えっと、18歳か。すると、この春、高校を卒業したんだな」
 「はい」
 「で、陽子さんって言ったかな。君の方は学生さんだよね」
 スーツ姿の男が少女に向かって尋ねた。
 「は、はい。高校2年です」
 「君は休みじゃないんだろう?」
 答えに窮するのはわかっていた。だから俺がすぐさま割って入った。
 「先月両親が事故でなくなりまして、49日がすんだものですからこれからおじさんのうちに行くところなんです」
 「ご両親が、事故で・・・・」
 「はい」
 「それは気の毒に」
 「こちらに来るのは、夏休みに入ってからにしようと思ったんですけど、期末考査が終わったものですから、向こうにいても仕方がないってことになってですね」
 「なるほど。わかった。気をつけていくんだよ」
 「はい。ありがとうございます。陽子。行くぞ」
 少女は、ふたりの男にぺこりと頭を下げて、俺についてきた。

 男たちの姿が見えなくなると、少女が近寄ってきて小さな声で言った。
 「ありがとう」
 結構可愛くて、声もきれいだ。俺は少なからずドキッとした。
 「いいさ。困ってるものを見逃せなかっただけさ」
 それ以上関わるつもりはなかったので、俺は中央線の登りエレベーターに乗った。

 「いつまでついてくるんだ?」
 ホームで電車の到着を待っていると、少女は俺のそばに並んで立っていた。
 「あのう。中央線に乗るんですか?」
 「そうだけど」
 「どこまで?」
 「新宿まで」
 「新宿までなんですか・・・・」
 ちょっとがっかりした表情を浮かべた。
 「それがどうかしたのか?」
 「あのう・・・・。わたしと一緒に吉祥寺まで行ってくれないですか?」
 「吉祥寺まで?」
 吉祥寺なんて言われても、どこなのかさっぱりわからない。
 「どうしてだ?」
 「実は・・・・」
 電車が着くまでの間、少女が家出同然に東京に出てきた話しを始めた。

 少女の名前は、細川真美。長崎にある県立高校の2年生だという。10年ほど前、両親が離婚し、真美は母親に引き取られた。昨年までは、ごく普通の母子家庭だったそうだが、変化が訪れたのは、去年の秋のことだった。母親に愛人ができたのだ。
 「最初は、外で会っていただけだったんだけど、そのうちわたしたちの家にくるようになって、春からは同居し始めたの。その男と」
 「ふん、それで?」
 「わたしのことが邪魔になったみたいで、何かというと暴力をふるうの」
 「お袋さんが?」
 「お母さんはそんなことはしないわ」
 「ま、そうだな」
 「でも、わたしがぶたれているのを見ても、何にも言わないから、結局一緒になって暴力をふるっているのと同じなのよ」
 「・・・・そう言うことになるのかな?」
 「少しくらいぶたれたって我慢すればいいことなんだけど、先週の土曜日、お母さんがいないときに、あいつがわたしに手を出したのよ」
 「手を出したって? あのう、つまり」
 「そうよ。タマタマを蹴飛ばしてその場は逃れたけど、その後もお母さんの目を盗んで、わたしに手を出そうとするの」
 「お袋さんに言ったのか?」
 「言ってないわ。言ったって、信じないでしょうから」
 「そうか」
 「だから逃げ出してきたの」
 「逃げ出して・・・・、そうか、吉祥寺に親父さんがいるんだな」
 「うん」
 「行くって連絡してるのか?」
 真美は頭を振った。
 「親父さん、独身なのか?」
 真美はもう一度頭を振った。
 「そりゃ、ちょっと厳しいだろうな」
 真美は項垂れたまま立ちつくしていた。
 「ま、一応行ってみるしかないだろうな。俺もついていってやるよ」
 「ほんと?」
 「ああ、乗りかかった船だ。うまくいくといいけどな」
 真美は嬉しそうな表情を見せた。

 新宿駅のコインロッカーに荷物を預け、再び中央線の電車に乗った。吉祥寺の駅で電車を降りると、俺は駅員を捕まえて交番の位置を尋ねた。
 「あそこを左に曲がってすぐだよ」
 言われたとおりに歩いていくと、交番があった。そこで、真美が持っていた住所を見せて、道順を教えてもらった。
 「2キロくらいって言ってたけど、どうする?」
 「お金があんまりないから歩いていくわ」
 女の前でかっこいいとこを見せたかったけど、俺にしても無駄に使う金などない。
 「そうするか」
 同意して地図を頼りに歩き始めた。
 「三原さんは、どうして東京に出てきたの?」
 「俺か? 俺はこっちで働くためだよ」
 「・・・・大学には行かないの?」
 そんなことを聞くのは悪いというような表情で尋ねてきた。
 「行ってもすることがない。ちゅうか、やりたいことがないんだよな」
 「だから働くの?」
 「遊んでいて食っていけるほど裕福じゃないからな」
 「そう・・・・」
 30分ばかり歩いたところで、通りの向こうに茶色のマンションが見えてきた。
 「あれだな」
 真美が大きく頷いた。緊張しているのか、真見の顔色は青白く見えた。丁度その時、小さな子どもを連れた男女がそのマンションから出てきた。子どもは小学校の低学年くらい。女性は大きなお腹を抱えていた。妊娠しているようだ。仲のよい夫婦が、子どもを連れて外出するところのようだ。
 「あっ!」
 真美が小さな声を上げて俺の後ろに隠れた。真美は、三人が通り過ぎていくのをじっと見つめていた。
 「あれがおまえの親父さんか?」
 返事はなかったけれど、そうであることは明白だった。
 「どうするんだ?」
 「・・・・帰る」
 そう言うと、俺の腕を引っ張って駅の方向へと引き返し始めた。しかたなく、俺も真美の後を追って歩き始めた。
 振り返ってみると、真美の父親が俺たちの方をじっと見つめていた。それからすぐに、新たな相手である妊娠した女性に促されて角を曲がっていった。父親も、真美が近くに来たことを知ったようだった。しかし、声をかけてこなかったところを見ると、真美の存在が今の生活を壊すと感じたのだろう。
 真美は突然しゃくり上げて泣き出した。ここにも真美の居場所はなかった。可愛そうな真美。俺は、精一杯の優しさを込めて真美の肩を抱いた。

 東京行きの上り電車に乗ってからも、真美は涙を流し続けた。
 「おい。もういい加減にしろよ。俺が泣かしたみたいじゃないか」
 「でも・・・・」
 泣きやめと言うのが無理な話だった。涙が枯れるまで泣かしてやるしかないと思った。

 電車が新宿へ近づいてきた。
 「おい。どうするんだ? 俺はここで降りるぞ」
 俺が座席から立ち上がると、真美も何も言わずに立ち上がった。
 「どうするんだよ?」
 「一緒に行く」
 「一緒に行くって・・・・」
 回りの乗客が俺たちを見ていた。俺もかなり若く見えるから、高校生同士のカップルと思われているに違いない。
 「新宿。新宿。まもなく新宿。お降りの方は、お忘れ物のないようにお降りください。まもなく新宿へ到着です」
 アナウンスが流れ、乗客の一部が出口へ移動し始めた。真美も俺に従って、出口へと向かった。
 「他に行くところはないのか?」
 「ないわ」
 懇願するような目で真美が俺を見つめた。
 (そんな目をされると弱いんだよな)
 「そっか」
 俺は考える。
 (女子高生を同じ部屋に引っ張り込んでもいいものだろうか? 俺はともかく、真美は絶対に変なふうに言われるに決まっている。・・・・他人じゃなければいいか。兄妹ってことにしておけば・・・・。これもよくある話だが、他人と言うよりはましだな)
 「ねえ、お願いよ。部屋の隅っこでもいいから」
 「そう言うのなら、行き場所が決まるまで、俺んちに来てもいいぞ」
 「わあ、よかった」
 「ただし、俺とは兄と妹ってことにしておくからな」
 「うん」
 簡単に返事をしたところを見ると、若い娘が若い男とひとつ屋根の下にいることがどんなに危険かと言うことをわかっていないようだ。
 (いや、わかっているはずだよな。現に継父にそう言う目に遭わされているんだから)
 扉が開き、乗客たちが降り始めた。俺と真美も押されるようにして電車を降りた。階段を下りながら真美の耳元で囁いた。
 「オオカミに変身するかもしれないぞ」
 「あなたは、そんなことしないもん」
 涙を浮かべたまま、にこりと笑ってそう言った。
 (信用されたというか、見くびられたというか・・・・。真見は俺のことを童貞とでも思っているのだろうか?)
 俺は小さなため息をつきながら、荷物を預けたコインロッカーへ向かった。
 「わたし、持ってあげる」
 「いいよ」
 「わたし、これだけだから」
 真美は肩からかけたバッグを俺の目の前に差し出した。
 (こんな小さなバッグだけでよく東京へ出てきたもんだよ)
 「そっちの紙袋を持つわ」
 「こっちの方が重いんだぞ」
 「じゃあ、そっちのバッグを」
 真美は俺の手から服の入ったバッグを取り上げて膝の前にぶら下げた。
 「何が入ってるの? ずいぶん軽いけど」
 「着替えだよ」
 「着替え? そうか、着替えかぁ・・・・」
 (真美は着の身着のままのようだ。早速着るものに困るんじゃないかな?)
 そんな風に思っていたら、真美は早速行動を起こした。
 「ちょっとつきあって」
 「どこ行くんだよ」
 「着替えを買うの」
 「着替えを?」
 「そう。とりあえず、下着と普段着を」
 真美はエスカレーターをどんどん昇っていき、下着売り場へと入っていった。俺は、入り口付近に立って、窓の外を眺めていた。
 「買ったよ」
 真美が戻ってきたのは、それから15分もしない頃だった。
 「もう買ったのか?」
 「うん。あんまり待たせちゃいけないと思って」
 「そっか。お金は持ってたのか?」
 「あんまりないけど、少しは」
 「少しってどれくらいだ?」
 「15万」
 「15万! そんな金、どうしたんだ?」
 「あいつの財布から盗んできたんだ」
 「あいつって、お袋さんの相手のことか?」
 「そうよ。わたしを手込めにしようとしたバツよ」
 (手込めねえ・・・・。しかし、やらないで、15万はちょっと高いな)
 「さあ、行きましょう?」
 「ああ」
 俺は、ファックスで送られてきた地図に目を落とした。