第14章 真那のために

 「恵子が死んでしまった・・・・」
 俺は放心状態で床の上にべったりと座り込んでいた。俺を捨てて日下に走った恵子に復讐するため、恵子から日下を奪い取って悲しませてやろうと思った。恵子の嘆き悲しむ顔を見たかった。死んだらいいとさえ思った。しかし・・・・。
 この空虚さは何なんだろう。突然どうしようもない悲しみが俺を襲ってきて、目から涙がこぼれ落ちた。
 (死ねばいいなんと思ったのは嘘だ。恵子。どうして死んだんだ?)
 俺はこの時初めて気づいた。俺はまだ恵子を愛していたと。愛していたからこそ、俺を捨てた恵子を憎んだのだ。
 「恵子、恵子、恵子・・・・」
 俺は涙が枯れるまで泣いた。

 俺は、日下の愛人としてではなく、恵子を愛した三原和己として式に参加し焼香したいと思った。男装したところで、今の俺は男には見えない。恵子の葬儀が行われる日、俺は喪服代わりの黒いワンピースを着て葬儀場へ向かった。
 受付では、記帳簿に『三原和己』と書いた。正面に飾ってあった恵子の写真を見ると涙が止めどなく流れ落ちた。
 日下は項垂れて涙をじっとこらえていた。俺の存在には気づいていないようだった。『ママ。ママ』と辺りを見回しながら母親を捜す恵子の子供の姿は、参列者の涙を誘っていた。
 読経が始まり焼香へと進んだ。俺は、参列者に紛れて、焼香台の前に立った。どうしようもなく悲しくて、涙はあとからあとから沸いてきた。参列者は、俺のことを恵子と仲のよかった友人くらいに思っていることだろう。
 親族席に向かって挨拶をしたとき、日下がギョッとした目で俺を見た。しかし、すぐに平静を取り戻して、次の参列者に頭を下げた。
 席に戻ろうとして、式場の外で恵子の子供が泣いているのに気がついた。恵子の母親があやしていた。子供は泣きやまない。
 俺は、恵子の産んだ子供を見たくて、そばに近寄っていった。
 「恵子さん、こんな可愛い子を残して行ってしまったんですね」
 俺は、恵子の母親に頭を下げた。恵子の母親とはずいぶん会っていない。最後に会ったのは、高校3年の夏休みだっただろう。時がたっているし、見かけは完全に女の姿になった俺のことを、まさか三原和己だとは思わなかったようだ。
 「どうもご丁寧に」
 深々と俺に向かって頭を下げた。
 「可愛いわね。なんて言う名前?」
 子供に近づいて、顔を覗き込むようにすると、その子は俺の顔を見て突然泣きやんだ。そして、可愛い声でこう言ったのだ。
 「ママ」
 俺はギョッとした。恵子と今の俺はまったく似てもにつかない。子供が俺のことを恵子と間違うはずがないのだ。しかし、子供は両手を俺にさしのべて抱いてくれと言う。俺は両手を伸ばして、恵子の母親から子供を受け取った。
 「どうしたんでしょう? ずっと泣きやまなかったのに・・・・」
 恵子の母親が、訝しげに呟いた。恵子の子供の顔を見ていると、俺の中である疑問が渦巻き始めた。
 「わたしが気に入ったみたいですね。お名前は?」
 「真那って言うんですよ」
 恵子の母親が答える。
 「真那ちゃん。いい名前ね。お年はいくつ?」
 「2月で2歳になったんですよ」
 「2歳ですか。お母さんが必要な年なのに・・・・」
 そう言いながら、俺は頭の中で計算していた。
 (2年前の2月生れだとすると、恵子が真那を妊娠したのは、3年前の5月、俺と恵子が別れた年だ)
 真那をよく見た。恵子によく似た子だ。しかし、日下に似たところは感じられない。俺に・・・・、俺に似たところがある。
 (・・・・真那は俺と恵子との間にできた子供の可能性がある。俺をママと呼んだのは、俺が真那の親であることを本能的に感じ取ったのだ。女の格好をしていたからママと呼んだに違いない)
 俺の顔を見てにこにこと笑う真那を見ていると、そんな考えは確信に変わっていった。
 (この子の親かもしれないと名乗り出たい。しかし、それはできない相談だ。諦めるしかない)
 少しでも長く真那を抱いていたかった。俺は、式が終わるまで、式場の後ろの席で真那を抱いていた。

 葬式が終わった。真那は俺の腕の中で眠っていた。可愛い寝顔に、このまま真那を奪って逃げたい衝動に駆られながら、俺はじっと真那の寝顔を見ていた。
 「お世話を掛けてしまって、どうも申し訳ありません」
 恵子の母親が真那を受け取りに来た。渡したくはなかったけれど、俺は黙って真那を渡した。
 日下が俺に近づいてきて、頭を下げた。
 「娘がお世話になりました」
 俺には目を合わせずにただそれだけを言って、霊柩車に乗り込んでいった。

 東京に戻っても、真那のことばかりが目に浮かんだ。
 (もう一度、この手で抱きしめてやりたい)
 しかし、それはどう考えても無理な話だった。真那の将来を考えれば、女の姿をした父親など名乗り出ることなどできるわけがなかった。それに、名乗り出たところで、何の証拠もないのだ。遺伝子鑑定? それは可能だろう。しかし、もしかすると俺の勘違いかもしれないのだ。
 確信は時に揺らいだ。しかし、いや絶対に父親は俺だと言い聞かせた。けれど、それ以上のことは何もできなかった。

 それから二ヶ月が過ぎた6月。日下が俺のアパートへやってきた。
 「恵子の葬儀に来てくれてありがとう」
 「いえ・・・・」
 日下は、俺が日下のために葬儀に出たと思っているだろう。だから、俺が恵子とつきあっていたなどと言えなかった。
 「和美がいなくなって、目を覚ました真那が泣いてね」
 「そう・・・・」
 「和美のことをママって呼んだそうだね」
 「ええ」
 「恵子の母親が、どうしてだろうって、首を傾げていたよ」
 「さあ、どうしてかしら? ちっとも似てないのに」
 「そうだよな」
 日下は俺の肩に手を回した。
 「みんながね。和美はすごい美人だし、真那がなつきそうだから、和美にお嫁に来てくれないかななんて言ってね」
 「わたしは、お嫁にはいけないわ」
 「そうなんだよ。それをみんなは知らないもんだから、あれは誰だとか言って、参列者名簿を調べたりしてたんだけど、結局わからなくてね」
 「わたし、記帳しなかったから」
 三原和己と書いたことを日下に知られたくなかった。知られたら、俺と恵子の関係を知られ、日下との関係が破綻するかもしれないと思ったのだ。
 「そうか、書かなかったのか。そうだろうな。書いてたら、これは誰の関係者だって話になって、ちょっと危うくなるところだったよ」
 「そうね」
 「・・・・なんだ。元気がないな」
 「今でもわたしを愛してくれてる?」
 「なんだ。そんなことを心配してるのか。そうじゃなかったら、ここへは来ないよ」
 「安心したわ」
 俺は日下に抱きついて唇を会わせた。そのまま、ベッドルームへ運ばれ、2ヶ月ぶりのセックスをした。
 (日下。あなたが好きよ。できれば、あなたの妻になりたい。そして、真那の母に・・・・)
 俺は、日下に抱きつきながら、セックスの最中に考えていたことを話した。
 「わたしが性転換したら、あなたの妻にしてくれる?」
 「えっ? 性転換?」
 驚いた顔をして俺を見た。
 「ええ。邪魔なものを切り取って、女になるの」
 「性転換したって、俺とは結婚できないだろう?」
 「戸籍のことね」
 「ああ」
 「それを何とかしたら、結婚してくれる?」
 「・・・・しかしなあ・・・・」
 「本物の女がいい?」
 「そう言う訳じゃないけどね」
 迷いが言葉尻に滲んでいた。それは当然だろう。男とセックスできても、男とは結婚などできるはずがない。それをうち破るために、俺は言葉を続けた。
 「純女、わたしたちは生まれた時からの女、本物の女をそう呼ぶんだけど、あなたが純女と再婚したとするでしょう?」
 「ああ」
 「真那ちゃんとうんと可愛がってくれる人だとしてもね、もし、あなたとの間に子供ができたらどうなると思う?」
 「えっ?」
 「自分の産んだ子供の方が可愛いと思うに決まっているわ。真那ちゃんは放っておかれることになるでしょうね。かといって、産むなってことは言えないでしょう? 結婚した以上は、子供を産みたいと思うのは、女の自然な気持ちでしょうから」
 「そうだな」
 日下はじっと考え込んだ。
 「その点、わたしだったら、子供を産むことは初めからないんだし、真那ちゃんはなついてくれそうだし、あなたさえよければ、すべてが丸く収まるわね」
 「なるほどねえ。しかし、女の戸籍が手に入るのか?」
 「なんとかするわ。手に入ったら、結婚してくれる?」
 「・・・・そうだな。別に異存はないけど」
 まだ迷いは消えてはいない。
 「ホントにそれでいい? あなたが後悔しないんだったら、そうするわ」
 「女の戸籍を手に入れるなんて、犯罪だろう? 何か宛があるのか?」
 「うん。おそらく、大丈夫だと思うわ。任せといて」
 「あ、ああ」
 納得はしてくれたものの、まだ迷いがあるようだ。しかし、俺は事を進めるつもりだ。日下のためではなく、真那のために。俺の子どもかどうかなどどうでもいい。俺の愛した恵子の産んだ子どもの母となるために。
 「ところで、ねえ」
 「なんだい?」
 「さっき、このことばかり考えていたから、行けなくて。もう一度、いい?」
 「行けたって、もう一度したいんだろう?」
 「馬鹿。知らない!」
 日下の言ったことが当たっていただけに、俺は顔を少し赤くした。死んだ恵子には悪いとは思ったけれど、日下が俺のものになるかもしれないと考えると堪らなく嬉しかった。
 その嬉しさが、快感を倍増させた。俺は何度も行った。

 翌朝、大分に帰る日下をアパートから送り出したあと、俺はお気に入りのワンピースを着て、目的の場所へ出かけた。

 その場所は、俺が住むアパートからそう遠くない場所にある。歩いて行くには少し遠いので、タクシ−を呼んだ。
 玄関先でタクシーを降りて、俺は呼び鈴を鳴らした。しばらくして奥から返事が帰ってきた。
 「はあい。どなた?」
 俺は、黙って中に入った。
 「あら? いらしゃい。久しぶりね」
 出てきた女性が俺に向かってニッコリと微笑んだ。
 「わたしが誰だか、わかるんですか?」
 「もちろんよ」
 俺のことがわかるってことは、やっぱり思ったとおりだ。
 「います?」
 「いるわよ。上がって」
 俺は、彼女について居間へ入った。
 「旦那様」
 「ああ」
 3年前より薄くなった頭を撫でながら、上野が振り向いた。
 「そっちに座りなさい。千代さん。お茶をお出しして」
 「かしこまりました」
 千代さんが居間を出ていくと、上野が口を開いた。
 「どうしてわかった?」
 「わたしの住んでるアパートの家具よ」
 今住んでいるアパートに始めて入った時に感じた違和感が、何故なのか気がついたのはそう時間がたたない頃だった。俺が上野を頼って上京してきた時、上野に提供された1Kのアパートと同じ家具が並んでいたのだ。
 「ああ、それは失敗だった。ちょっとケチったからな」
 「島さんが言っていた、オーナーって言うのは、上野さんなのね」
 「まあね」
 「わたしだけじゃないんでしょう?」
 「答える義務はないね」
 「それだけ聞けば十分よ。若い男をニューハーフに仕立て上げて稼ぐなんて、なんてひどい人なの?」
 「無理矢理やったのは、君だけだ。他の連中は、みんな、ニューハーフになりたくてここに来る」
 「あなたは手助けしているだけってこと?」
 「そう言うこと」
 「わたしを無理矢理ニューハーフに仕立てたのはどうして?」
 「きっと美人になると思ったから」
 「それだけ?」
 「・・・・それだけだ」
 言葉の雰囲気からすれば、ホントはそれだけではないような気がした。けれど、それ以上詮索しても白状しないと思ったから聞くのは止めた。
 「お待たせしました」
 千代さんの声に振り返ってビックリした。その姿は、先ほどの千代とはまったく異なっていた。着ていた着物をワンピースに着替え、アップにしていた髪の毛を下ろしていたのだ。そして、その姿には覚えがあった。
 「し、島さん!!」
 「島はあの時だけの名前。千代が本名ですのよ」
 「で、でも年が・・・・」
 千代は、50くらいに見えた。島はせいぜい30くらいだった。
 「女は化粧でいくつにでも化けられるものなのよ」
 そう言われてよく見ると、千代の肌には張りがあった。老け化粧をしているけれど、本当は若いようだ。すっかりだまされてしまった。
 「さあ、ミルクティーにしましたけど、よろしかったわね」
 「ええ、いただきます」
 俺は、カップを受け取ると香りを楽しんでから口にした。
 「で、今日ここに来た目的は何だ?」
 「お願いがあるんです」
 「お願い?」
 「ええ」
 「いったい何だ。その願いというのは?」
 「お願いしたいことは、ふたつあります」
 「ふたつ?」
 「ええ」
 「言ってみなさい」
 「まず第一は、性転換手術をやってくれるお医者さんを紹介してください」
 「何だって?」
 上野は驚きの目で俺を見つめた。
 「性転換手術です」
 「本気なのか?」
 「ええ」
 「手術したら、元には戻れなくなるぞ」
 「今でも、もう男には戻れないわ。わたしは女を愛せない。男にファックされるのが好き。あなたがわたしをそんな風にしたのよ」
 上野は下を向き、少し考えてから言葉を継いだ。
 「・・・・そうか。わかった。紹介してあげよう。で、二番目のお願いというのは?」
 「女の戸籍が欲しい」
 「はあ? 女の戸籍が欲しい? すると、何か? 性転換した上で、誰か男と結婚でもしようと言うのか?」
 上野はもう一度驚いた顔をして俺の顔を見つめた。
 「そうよ」
 上野は目を丸くした。
 「・・・・ほう。無理矢理ニューハーフに仕立てたにしては、行き着くところまで行ったものだ」
 「手に入れられるの?」
 「そうだな。君はわたしが手がけた最高傑作だ。最後まで面倒見よう」
 「よかった」
 「手術が100万、戸籍が500万だな」
 澄まし顔でそう言った。
 「わたしを使って、あんなに儲けていて、まだお金を取るつもりなの?」
 「本来はそうするんだが、今回だけは例外としよう。わたしが出してあげるよ」
 「出してくれなかったら、警察に言おうと思ったのに」
 「そんな気もないくせによく言うよ」
 「ばればれね」
 「手術はいつ受ける?」
 「できるだけ早いほうが」
 「じゃあ、早速手配しよう。今から電話しておく。これを持って行きなさい。戸籍は、退院するまでには届られるようにしておく。それでいいかな?」
 「願ってもありません」
 俺は、上野の名刺を受け取った。裏に、『この名刺を持っていった女が望む手術をしてくれ。費用は、わたしが負担する。上野』と書かれてあった。
 俺は、ミルクティーを飲み干すと、上野の頬にキスをした。
 「ありがとう。上野さん」
 「いいってことよ」
 俺は、千代さんにも深々と挨拶をして、上野の屋敷を出た。