第12章 解放されて

 その後、俺の親父が俺の部屋を訪れることはなかった。
 (そう言えば、お袋はどうしているのだろう?)
 気にしてもどうすることもできない。ただ、お袋は、いつもここが悪いあそこが悪いと言いながら、病院通いするほどではなかったから、元気にしているだろうと思う。

 それから一年の月日が過ぎ去った。俺は21になった。相変わらず、男の相手をする毎日だ。
 最近は、女性ホルモンの注射はせずに、2種類の内服薬に切り替えている。注射を止めたのは、睾丸は完全にその機能を失っていて男性ホルモンの分泌がまったくなくなってしまっていて内服で充分だからだと言うことらしい。
 確かに睾丸は萎縮していて、リュープリンを始める前の半分くらいになっている。ペニスもそうだ。並の大きさはあったのだけど、なかなか勃起しない俺のペニスを勃起させても10センチに満たなくなってしまった。ちょっと悲しい気がしたけれど、隠すのにはちょうどいいと思い直している。
 ま、俺がニューハーフだとわかっていてみんなやってくるのだから、隠す必要のないのだが。

 そんなある朝、ソファーに座って島に差し入れて貰った推理小説を読んでいると、ドアがノックされた。
 (今日は予約はなかったはずだけど・・・・)
 訝りながらドアを開いた。ドアの向こうには、お客ではなく島が立っていた。
 「あら? 島さん。どうしたの? 改まった顔をして」
 「中に入っていいかしら?」
 「あ、どうぞ」
 俺は島をソファーへ案内した。
 「紅茶でも入れましょうか?」
 「あなた。ホントに女らしくなったわね」
 「島さんのおかげです」
 「罠にかけて、こんなところに閉じこめてこんなことをさせているのに、あなた、わたしにお礼を言うの?」
 「いい部屋に住んで、美味しいものを食べさせて貰って、いい思いをさせて貰ってるんだから、文句の言いようがないわ」
 「あなた。楽観的なのね?」
 島は呆れたような顔をした。
 「楽観的? そうかな? あんまり思慮がないってことだと思うわ」
 「そう?」
 「ところで、何か話でも?」
 「ええ、あなたに話があって来たのよ」
 島はちょっと真顔になった。
 「実は、あなたをこの部屋から解放してあげようと思ってるの」
 「えっ? ここから?」
 「そう。あなたに投資した分はとっくの昔に回収できたし、ずいぶん稼がせて貰ったから、そろそろね」
 「まだまだ、稼げるのに?」
 ちょっと不思議な気がした。
 「あなた、まだここにいたいの? こんな生活を続けたいの?」
 「そう言う訳じゃないけど・・・・」
 俺はいわば籠の中の鳥だ。閉じこめられ、餌を与えられ、歌を歌えと強制されている。それが突然、籠の扉を開けられた。どこへ行くのも自由だが、これから住む場所や生活費はどうすればいいのだろうか? 籠の中の鳥は、籠の外では生きてはいけない。
 「無理に出て行かなくてもいいんでしょう?」
 「困った娘ね。でも、そんな娘にしてしまったのは、わたしか・・・・。本当はそうしたい所なんだけど、実を言うと、そろそろここを閉鎖しなければならないの」
 「閉鎖って、やめちゃうってこと?」
 「そう。あなたがあんまり有名になり過ぎちゃって、お上が動き始めたのよ。ここに来るお客さんは、結構名士が多いでしょう? 何とか押さえて貰ってたんだけど、もうどうしようもなくなちゃってね」
 「そうなんですか・・・・」
 「住むところは何とか世話するわ」
 「でも、遊んで暮らすわけにはいかないから」
 「当座の生活資金なら、ここに用意してあるわ」
 島が、銀行の預金通帳と印鑑を俺に手渡した。通帳の名義は三原和美。印鑑は、三原になっていた。『かずみ』の『み』の字が違うけれど、今の俺だったら、出し入れは自由だろう。
 俺は、通帳を開いて残高を確認した。
 「100万も」
 「ちゃんと0を数えなさいよ」
 俺は首を傾げて数え直した。
 「一、十、百万、千、万、十万、百万、一千万!!」
 「そうよ」
 「ど、どうしてこんなに?」
 「それでも少ないくらいよ」
 「ええっ?」
 「あなた。二年ちょっとの間、この部屋で一日も休まずに男に奉仕したのよ。必要経費をさっ引いても、それじゃあ、少ないわよ」
 俺が相手をした男の数は、延べにすると約2000人。ここは、高級ニューハーフマントルと呼ばれる場所だ。俺を相手のプレー料は、2万や3万では効かないはずだ。必要経費をかなり高く見積もっても、確かに1000万では少ないことになる。しかし、俺にとっては、1000万は大金だ。
 「もう少し出せって、あの人に言ったんだけど、あの人、ケチだからね。それ以上は出せないって」
 「あの人って?」
 「この部屋のオーナーというか、こう言う仕事をしている社長みたいな人よ」
 「奥村企画というのは関係ないの?」
 「わたしはそこに在籍はしているけど、この仕事はアルバイトみたいなものなの」
 「そうですか」
 「今日から予約を取っていないから、いつでも自由にここを出ていっていいわ。アパートの住所と地図はこの紙に書いてあるわ。下着類とか、必要な服は全部持っていっていいからね」
 「全部持っていっていいんですね」
 「ええ。じゃあ、もう会えないかもしれないわね。さよなら」
 「・・・・なんか、別れるのがつらいです」
 「馬鹿ね。地獄の獄卒に別れを惜しむなんて」
 島も少し涙目を見せて、部屋を出ていった。

 島が用意してくれたスーツケースに服や化粧品などを詰め込んで、タクシーを呼んでトランクに乗せて貰って、島が用意したアパートへと向かった。
 そのアパートは、アパートと言うには豪華だし、マンションと言うにはしょぼくれていた。
 部屋の広さは、6畳と4畳半の部屋と3畳程度の広さのダイニングキッチンで構成された2DK。
 (狭いなあ)
 それが第一印象だったけれど、東京のど真ん中で、女一人が暮らすのには贅沢すぎるくらいの広さだ。それに、部屋には備え付けの家具があった。その上、家賃が5万というのだから、これはただみたいなものだ。
 トランクから衣類や化粧品を取り出して並べながら、妙な違和感を覚えた。しかし、それが何から来るものかはわからなかった。

 その日は、引っ越し疲れで夕食を作る気にもならず、近くのファミレスですませた。訪れてくれる人のいない一人暮らし。寂しさを覚えた。このところ、毎日のように泊まりの男がいて、その腕に抱かれて眠っていたから、独り寝は一層寂しかった。
 (だれか、俺を抱いてくれる男はいないかな?)
 そうは思ったけれど、すぐには見つかりそうもない。独り寝が当分の間続きそうだ。

 退屈な毎日が始まった。家に帰りたいけれど、見かけはまったく別人になってしまった今となっては、帰るに帰れなかった。
 (なんか、仕事をしようかな?)
 堅気の仕事は? 向いてないような気がする。それに履歴書が入るだろう。三原和己という名前は、男でも女でも通ると思うけれど、性別を偽らなければならない。
 (ニューハーフヘルスなんて言うところもあるけど・・・・)
 あの部屋に来るお客は、身元がはっきりしていて、病気の心配やストーカー行為をする人間はいなかった。しかし、どんな階層の人間が来るのかわからない場所であんなことをするのは躊躇われた。
 (ニューハーフクラブみたいな、ホステス業だったら?)
 俺は最初に訪ねたニューハーフクラブを思い出した。
 (あそこだったら、いいかも)
 俺は、もう一度あの店を訪ねてみることにした。

 あの日と同じ、ざっくりとした黄色のサマーセーターとベージュのチノパンを買い込んで身につけた。髪の毛はひとつにまとめてヘアバンドで括り、すっぴんに近い薄化粧で出かけていった。そんな格好をしているのに、ショーウインドーに映った俺の姿は、どこからどう見ても女に見えた。
 「ごめんください」
 ドアを開けて奥に向かって叫ぶと、奥から男が女装しただけというような出で立ちのニューハーフが出てきた。
 「なんか、用?」
 「あのう、ママに会いたいんですけど」
 「ママに? ママに何の用?」
 「ここで雇っていただきたくて」
 「はあ? ここは女は雇わないわよ」
 「それはわかっていますけど」
 俺は、右の人差し指で喉仏をすっと撫でて見せた。
 「えっ? あなた、男なの?」
 「はあ、一応」
 「へえ。そうなの。ちょっと待って」
 そのニューハーフは、バタバタと奥へ引っ込んだ。しばらくして、見覚えのある和服姿のママが出てきた。
 「ここで働きたいって言う娘はあなた?」
 「はい」
 ママは、俺の顔を見てちょっと小首を傾げた。
 「あなた。以前にも、ここに来たことがあるわね」
 「はい。よく覚えてられますね」
 「そのサマーセーターとチノパン。よく覚えているわ。でも、変わったわね。その格好じゃなかったら、わからなかったわ」
 「はい。これなら雇っていただけますか?」
 「そうね・・・・」
 ママは、俺の顔をじっと見た。俺の目を通して、心の中を覗かれている。そんな気がした。
 ママの目が探るような目から、優しい目に変わった。
 「いいわ。今日からでも働けるかしら?」
 「ええ。喜んで」
 「衣装は自前よ」
 「ここに」
 俺は、バッグをあげて見せた。この店のニューハーフは、ごくふつうの女性の服を着ている。だから、用意してきたものでいいはずだ。
 「結構。裏で着替えてきなさい」
 「はい」
 俺は、店の裏手にある化粧室兼ロッカールームで黒のキャミソールドレスに着替え、化粧を施して髪の毛を梳いた。
 ストゥールに座って待っていると、ニューハーフ達が出勤してきた。俺の顔を見て一同に驚きの表情を見せた。ママも俺の化粧した顔を改めて見直して唖然としていた。
 「今日からこの店で働いて貰うことになった・・・・」
 紹介しかけて言いよどんだ。
 「和美です」
 俺は頭をぺこりと下げた。
 「仲間由紀恵がお店に来たのかと思ったわ」
 「ホントに・・・・」
 「お店のしきたりなどまったく知りませんから、いろいろ教えてください。お願いします」
 俺はもう一度頭を下げた。

 店は午後7時開店だが、お客が入り始めたのは午後8時を回った頃だった。俺は新人らしく、しゃしゃり出ないようにして大人しくしていた。
 「おっ! 新人さんか? すっげえ、可愛いじゃん。こっち来いよ」
 指名があれば行かなければならない。俺はお邪魔しますと挨拶をして男たちの間に入った。
 「和美ちゃんて言うのか。きみ、ほら、あの女優、コーヒーのコマーシャルに出ている、なんて言ったかなあ・・・・」
 俺を呼んだ男が天井を向いて考える。
 「仲間由紀恵」
 相棒らしい男が俺にひとさし指を向けながら言った。
 「そう。仲間由紀恵にそっくりだよ」
 「テレビに出る時はその名前を使ってるのよ」
 俺は平然として答えた。男たちは、その答えを本気にしそうな顔をした。
 「冗談に決まってるでしょう?」
 ママが言う。
 「そうだろうな」
 そう言いながら、男たちは俺の顔をのぞき込んだ。
 「ホントによく似てるよ」
 「わたしが彼女に似てるんじゃなくて、彼女がわたしに似てるんです」
 俺はすまして答える。
 「いやあ、嬉しいなあ。こんな美人がいるのなら、毎日でもここへ来よう」
 「あら? 今までは何だったの?」
 ママが怒ったような顔を見せた。これは当然のことながら営業用の表情だ。
 「あ、ママも美人だよ。かなり薹(とう)が立ってるけど」
 「ミルクちゃん! 木村さんのお勘定を倍に」
 「あ、それはないだろう? それは・・・・。なあ、和美ちゃん、何とかしてよ」
 「わたし、新人で、何の力もないんです。ごめんなさい。でも、ママにお願いしてあげるわ。ママ、お勘定を通常料金に戻してあげて。水割りを倍に薄めますから」
 「それなら許しましょう」
 「そりゃないぜ」
 そんな具合で、俺は店にとけ込んで働き始めた。

 その店は、期待はさせてもセックスを売り物にする店ではなく、ニューハーフとの会話を楽しむ店だった。下ネタが多くなるのは仕方がないとしても、話は面白い。俺がおもしろがっていては商売にならないのだが。
 俺の場合、すましていて、ちょっと言う一言が受けるので、そのスタンスで行くことにした。

 働き始めて二週間ほどたった頃、団体の予約が入った。10人くらいの医者のグループで、会合の後で行われた会食がすんで、二次会に来ると言うことだった。
 5人ずつのふたテーブルに分かれて相手をした。俺のテーブルにいる5人は、もう一方の5人に比べて少し年が行っているようで、俺たちの話は半分で、研究の話に熱中していた。
 隣の5人は、会話が弾んでいた。俺はそれとなく耳を傾けた。
 「いやあ、ホントにあれが付いてるなんて思えないなあ。特に君は」
 指さされたニューハーフは、例の男がただ女装しただけと言った感じのニューハーフ・泉だった。
 「あらあ。やっぱりそう思う? いつもそう言われるのよ」
 体をくねらせて、片手をそのドクターの方に艶っぽく振って見せた。
 「でも、わたし、恐らく先生より、ずっと大きなものが付いてるのよ」
 「ええっ? 信じられないなあ」
 「見せてあげるわ」
 泉は、スカートをあげて、ショーツの前を見せた。確かにでかいと思われるものが透けて見えていた。
 男たちはぎょっとした顔をしている。
 「どうして? 勿体ない」
 「女のわたしには無用の長物だわ」
 「そうか。そういうもんかね」
 「うんと稼いで、早くちょん切りたいわ。ちょん切る時、先生、お願いしていいかしら?」
 「ぼくたちは内科だから」
 「あら? 内科の先生だったの? それは残念だわ。そちらのお若い先生も?」
 隅の方で、話だけを聞いている若いドクターに矛先が向けられた。
 「彼は今は院で遺伝子の研究をやってるんだ」
 「院? 院って?」
 「大学院」
 「わおう。大学院! すごいんだわ。ちょっとこっちに来てよ。あらあ、いい男。わたしのチチを揉ましてあげるわ」
 「け、結構です」
 若いドクターは慌てて手を振った。
 「日下は、面食いだからな」
 「面食いだったら、わたしがぴったりでしょう?」
 頭をぶるぶると振って、水割りを口に運んでいた。
 「日下。無理矢理連れてきたけど、面白いだろう? 大分にはこんな店はないだろう?」
 「ない、ない。ちゅうか、行ったことがない」
 「ニューハーフクラブなんかに通ってたら、恵子さんに怒られるだろうな」
 「もちろんだよ」
 「そうだろうな」
 「恵子さんて、誰? 彼女?」
 「こいつの奥さん。すげえ可愛いんだぞ」
 「うらやまし」
 「可愛くないって」
 「謙遜するな」
 会話は続いていた。俺は、会話の断片がひとつになっていった。
 (大分。日下。恵子・・・・。大分から来た医者である日下。その妻の名前は恵子。年齢は、25,6に見えた。間違いない。俺から恵子を奪った男だ)
 俺は振り向いて、日下という医者をほとんど睨み付けるようにして見た。ちょうどその時、日下が俺の方に目を向け、目と目があった。俺は慌てて視線を逸らした。
 「おっ! 日下は隣の美女が気になるそうだ」
 日下は首を振った。
 「大竹先生。そっちの彼女、こっちに貰ってもいいですか?」
 「勝手にしろ」
 年輩のドクターがしっしと手を振ると、日下の同僚あるいは先輩のドクターが俺に手招きをした。
 「ねえ、彼女。日下がお呼びだよ。こっちへ来てよ」
 ママを見ると、行きなさいと目配せしてきた。行きたくはなかったけれど、俺は仕方なく日下のいるテーブルへ移動した。
 「和美です。よろしくお願いします」
 「おおっ! 日下が気に入るはずだ。こりゃあ、美人だ」
 「テレビに出る時は、仲間由紀恵と名乗っております」
 泉がちゃかすように言った。
 「仲間由紀恵? ほう。ホントに、仲間由紀恵だよ。うん。和美なんて名前は止めて、今日から由紀恵にしよう。それがいいぞ」
 俺はチラリと日下を見た。日下も俺を見ていた。日下は俺に興味を示したようだ。俺の脳裏に良からぬ考えが浮かんだ。
 俺から恵子を奪った日下への復讐ではない。俺を捨てて日下に走った恵子への復讐だ。日下を落としてみせる。俺の虜にしてみせる。恵子から日下を奪ってやる。
 俺には自信があった。俺の魅力に勝てる男は、そうはいない。