成田空港はわたしが去年出発した時と同じように混雑していた。税関を抜け、荷物を抱えて、到着ロビーを出ると、懐かしい顔が待っていた。真二だ。一年ぶりに見る真二の顔は随分大人びていた。
「圭子、お帰り。待ってたよ」
「真二さん、心配かけてごめんなさい。どうして帰ってくる便が判ったの?」
「参ったよ。おまえが今日帰るとだけ知らせてくるもんだから。おじさんの友達が旅行会社に勤めていたのを思い出して、日本行きの飛行機の乗客名簿を調べて貰ったんだ。もし判らなかったら、ずっと朝から待ってるつもりだった」
なんて真二は優しいんだろう。圭子姉さんはぼくの子供を真二に押し付けようとしたのに。薫が自分の子供でないことを知っているはずなのに。涙が溢れた。
「話があるの」
「涙ふきなよ。周りの人が変に思うよ」
「ごめんね」
「車の中で話そう」
「名古屋から車で来たの?」
「荷物があるだろうと思って。お土産はないのかい?」
「全然ないわ。わたしの体だけ」
「充分だな。それだけで」
アメリカへ出発した時の真二との会話を思い出した。あの時、お土産話をたくさん持って帰ると約束した。話そうと思えばたくさん話はあるが、真二に話すわけには行かない。
駐車場で真二がドアを開いた車は、スズキのワゴンRだ。しかもノンターボでグレードの低いものだ。こんな軽でよくもまあ名古屋から成田まで来たものだ。
荷物を後部座席に放り込み、運転する真二の顔をじっと見てみたが、真二はわたしと圭子姉さんが入れ替わったことに気づかない様子だ。いつぼろが出るのか知れないが、ともかく第一関門突破だ。
「電報は受け取ってくれた?」
「あ、受け取ったわ。解決したって、どういうこと?」
「AB型とO型の親子関係が成立しないと言うやつだよ」
「・・・・」
薫が真二の子供でないことを話さなければならない。どう話そうかとわたしは考えていた。
「以前法医学関係の本を読んだ時、AB型とO型の親子関係が成立する場合があるという事例があったんだ。それで、もしやと思ってぼくの血液型を詳しく調べてもらったんだ」
「どういうこと?」
「ヒトの遺伝子は、対になった遺伝子が二十三組あって、さらに性染色体が男ならXY、女ならXXの合計四十八個あるんだ。知ってるだろう」
「むかし、生物の授業で習ったわね。でも、よく覚えてないわ」
「血液型を決める遺伝子は、どこかの対になった遺伝子の上に別々にあって、その組み合わせで血液型か決まるんだよ。たとえばAとAならA型、AとOならやっぱりA型、この場合のOはAでもBでもない場合を表わすんだ。だから、AかBの方が優先されるんだ。AB型の場合、普通AとBが別々の遺伝子にあるんだ。図に書くと良く分かるんだけどな。AB型の人の子供は、AかBのどちらかを親から受け取るから、O型はありえないんだ」
「だから、薫はあなたの子供ではありえないんでしょう?」
「ところがあるんだ」
「えっ」
「極めて珍しいらしいんだけど、AとBが同じ遺伝子に乗ってしまうケースがあるらしいんだ」
「するとどうなるの」
「もう一方の遺伝子にはAもBもないから、O型の相手との間ではO型の子供が産まれることがあるんだ。ぼくはその特殊なAB型だったんだ。君はO型だから、薫がO型でもおかしくないんだ。ぼくの親戚には、もう話したよ。なかなか理解してくれなくてね。だけど、もう大丈夫さ。誰にも文句は言わせないよ」
「ほんとなの」
「嘘なんか言ってもしょうがないじゃないか。ところで話って何?」
真二の話しは本当だろうか? 本当だとすれば、薫はわたしの子供ではないかもしれない。だけど、圭子姉さんは自信を持って薫はわたしとの子供だと言いきった。女には判ると。どちらが真実かは判らないけれど、真二が薫のことを自分の子供だと信じ、親戚も説得できるというのなら、敢えて話す必要はない。とりあえず第二関門突破だ。
「・・・・もういいわ。大したことじゃないから」
薫はどこにいるのと聞こうとして、思い留まった。迂闊なことは言えない。圭子姉さんが当然知っていることを聞いたら不審がられるだろうから。
小牧インターで高速を降りた。もう一時間くらいで家に着く。家に近づくに連れ、期待と不安が込み上げてきた。父さん、母さんに早く会いたい。しかし見破られるかもしれない。圭子姉さんの仕草、言葉づかい、覚えているはずだが・・・・。それよりも問題は薫だ。子供は母親を間違えることはないと言うが・・・・。
家がもうすぐだ。通い慣れた通学路、近くのコンビニ、見慣れた風景が目の前を流れるように過ぎて行く。あの角を曲がると我が家だ。白い二階建てのツーバイフォー。父が借金して建てた家だ。
玄関が見えてきた。涙が溢れて前が見えない。真二はバックで車を車庫に入れると、わたしのスーツケースを持って、わたしの手を引いてくれた。
「ただいま、お義父さん、お義母さん。圭子が帰ったよ」
母がどたばたと音を立てて、玄関に出てきた。母は相変わらず、若くて奇麗だ。ちょっとやつれた感じだけど・・・・。
「まあ、圭子。心配したのよ。真二さんに謝ったの?」
「お母さん、心配かけてごめんなさい。」
「お義母さん、ちゃんと謝ってもらったから、圭子を怒らないで。薫はどこ?」
「薫なら、居間に寝かせてあるわ。今眠っているから。ほら、圭子。お父さんにも謝っていらっしゃい。お父さんは何にも言わないけれど、あなたのことをすごく心配していたんだから」
「お父さんは仕事じゃないの?」
「馬鹿ねえ、時差ぼけなの。今日は日曜日だしお盆休みよ。書斎にいると思うけど・・・・。圭子が帰ってきたのは聞こえたはずだけどね」
わたしは書斎の前に行くと、躊躇いがちにドアをノックした。
「お父さん、圭子よ。帰ってきたわ。入ってもいい?」
「ああ、圭子。よく帰ったな。うん、薫には会ったか?」
「まだよ。お父さん、心配かけてごめんなさいね」
「あ、うん。早く、薫のところに行ってやりなさい」
「はい。じゃあ、またあとで」
父は、窓の方を向いたまま何か本を読んでいた。圭子姉さんと話す時はいつもそうだった。男親は自分の娘と面と向かって話すのはそんなに恥ずかしいのだろうか? 母も父もこの分なら大丈夫だ。次は最大の難関の薫だ。
薫は居間ですやすや眠っていた。圭子姉さんそっくりだ。じっと顔を見つめた。この子はわたしを圭子だと思ってくれるだろうか? 不安が急速に膨らんできた。このまま逃げ出したい気分だ。
「圭子、薫が眠っているうちに荷物を置いて、着替えてらっしゃい」
「はい、そうするわ」
「荷物はぼくが持つよ」
「いいわよ」
「疲れてるんだろう。それに他人行儀なこというなよ」
「じゃあ、頼んだわ」
真二のあとについて階段を上った。圭子姉さんの使っていた部屋へと向かう。部屋には洋箪笥、和箪笥、整理箪笥が並べられていた。いわゆる新婚セットだ。真二はどうやら「ますおさん」をしているようだ。真二には真一と言う三つ年上の兄が居るし、どこに勤めているのか知らないが、高卒でそう給料も高くないだろうから、うちに同居しているのだろう。そのうち理由を確かめて置かないといけない。ただ、わたしからは聞くわけにはいかない。
それはさて置き、さて困った。以前の圭子姉さんの部屋とは、配置がまったく違う。どこに何があるのかさっぱり判らない。何ヶ月か住んでいるはずの部屋で探し物をしたら疑われそうだ。それにここにはベッドらしいものがない。この部屋は押し入れもないし。ドレッサーもない。
「化粧品とかは、どうするんだ?」
「ドレッサーの上に置いといて」
「持っていこう。ほかに寝室に持っていくものはないか?」
「とりあえず、ないわね」
真二が部屋を出て、隣の部屋に入っていくのが聞こえた。隣は両親の部屋だったはずだが、今はふたりの寝室になっているようだ。
「下で待ってるから」
そういうと真二は階下へ降りて行った。わたしは早速、部屋の中をざっと調べて何がどこにあるかおよその位置を確認した。スーツケースの中味をそれに従って戻し、Tシャツとジャンパースカートに着替えた。わたしが、性転換の手術の後、最初に買ったのもこのTシャツにジャンパースカートの組み合わせだった。圭子姉さんが好んで着ていたから、そうしたのだ。
部屋を出て、寝室のドアを開けた。ダブルベッドの傍にベビーベッドが据えてある。反対側にドレッサー。ドレッサーの真ん中にさっき真二に頼んだ化粧ケースが無造作に置かれていた。ここもあとで良く調べておこう。
向かいのわたしが使っていた部屋を開けてみた。中の様子は一年前わたしが出掛けた時のままであった。ちょっとかび臭い匂いがした。机の上には、お守りの中にあったものと同じ写真が飾られていた。死んでしまった息子の部屋をそのまま残しておくなんて。ふいに涙が零れ落ちた。父さん、母さん、ごめんなさい。わたしがあの時わがままを言わなければ、悲しい思いをさせないで済んだのに。これからは圭子として精一杯親孝行しますと心に誓った。
階下から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。薫が起きたのだ。さあ、最後の関門だ。
「圭子、早く来て! わたしじゃ、手に負えないよ」
「はーい、すぐ行くわ」
涙を拭いて、急いで簡単に化粧を直すと深呼吸をしてから階段を降りた。胸がどきどきする。はち切れそうだ。
薫は母の腕に抱かれて泣いていた。
「さあ、薫ちゃん、お母さんよ。待ってたのよね」
そういうと母は、わたしに薫を抱かせた。わたしの不安をよそに、薫はあっけないほど簡単に泣き止み、わたしの顔を見てにこにこと笑った。「よかった」と安堵しながら、この時わたしは、薫はわたしと圭子姉さんの子供に間違いないと確信した。近親相姦で生まれた子供、両親にも真二にも隠し通さねばならない。秘密が多すぎるが、これがわたしの運命かもしれない。
「やっぱり、母親ね。おばあちゃんがいくら可愛がっても敵わないわ」
「そうよ。わたしの子よ」
一生守ってあげるわ。わたしの可愛い子。薫の頭を撫でながら強く抱きしめた。
居間から庭を見ると、去年はなかった平屋の建物が建てられていた。どうやら両親の部屋らしい。二階の部屋を新婚のふたりに明け渡して、庭に自分たちの部屋を増築したのだろう。ほかには変わった所はないようだ。
台所に母と並んで夕飯の支度をした。以前は包丁など持ったことはなかったけど、タカハシ家で料理の手伝いをよくしたので、何とか手伝えた。母は、わたしのことをまったく疑うそぶりがない。ただ、母と圭子姉さんはまるで姉妹のように仲が良くていつもおしゃべりしていた。だから母との会話は気を遣う。判らないことを聞かれた時は、だんまりを決め込むか、話を逸らすか、忘れちゃったで誤魔化した。そのうちきちんと話ができるようになるだろう。
父は、問題ない。帰って来た時の書斎での会話がすべてを物語っている。父は、圭子姉さんとは、そんなに話もしないし、話をしても、いつも「うん」とか「ああ」ばかりだったから。
真二は? この一年の間、何があったかわたしにはまったく判らない。ロサンゼルスで圭子姉さんから聞いたことがすべてだ。いまのところうまく行っているようだが・・・・。
しかし考えてみれば、圭子姉さんとわたしはたとえ一緒に居ても区別は付かないほど似ていたのだ。わたしは死んだことになっているし、まさか、わたしが性転換して圭子姉さんに成り代わって戻って来たなどと誰が疑うだろうか? その考えに思い至った時、気が楽になった。大丈夫、前向きに考えましょうと。
さっきまで機嫌良く手足をばたばたさせていた薫が泣き始めた。抱いてあやしてみたが、一向に泣き止まない。おろおろしていると母が部屋から出て来た。
「あら、お腹空いたんじゃないの? ミルクはやったの?」
「まだよ。最後にやったのはいつ?」
「ええっと、確か2時ごろだったから、もうお腹が空くころよ。抱いててあげるから、ミルク、作りなさい」
ミルクなんか作ったことがない。それにどこにミルクを置いてあるのかも知らない。ここは母に作らせるしかない。
「ごめん、お母さん。作ってくれない? 薫を抱いていたいから」
「しょうがないわね。はいはい、薫ちゃん、おばあちゃんがミルクを作ってあげるからね。ちょっと待っててね」
薫をあやしながら、母がミルクを作る手順をじっとみて覚えた。もう大丈夫だ。ミルクを飲ませると機嫌が良くなったと思うや、ぶりぶりと大きな音を出して、うんちをした。今度も母に押し付けて、おむつの替え方を覚え込んだ。俄か母親は大変だ。薫はお腹も良くなって、出すだけ出して、気持ち良くなったのか、すやすやと眠ってしまった。
食事が済んで、アメリカの話をしたあとテレビを少し見て、二階に上がった。荷物の整理をするためと称して、部屋の中をもう少し良く調べるためだ。本棚に見慣れない本がある。電気工学、電子工学などなど。真二の本らしいが、高校の教科書らしくない。わたしと違って、そんなに勉強家ではなかったはずだが・・・・。
入浴の順番が来た。二階に上がって、寝間着を捜したが、パジャマがない。ネグリジェばかりだ。圭子姉さんは、以前はパジャマばかりだったのに、結婚してから宗旨替えしたのだろうか。それとも真二の趣味だろうか? 仕方がない。出来るだけ大人しいネグリジェを持って降りて入浴した。入浴が済んで母から薫を受け取ると、二階に上がってミルクをやってベビーベッドに寝かしつけた。薫が眠ってしまうと疲れがどっと出て、ベッドの上でそのまま眠ってしまった。
どれくらい経っただろうか、ひとの気配がしてふと目を覚ますと、真二が後ろからわたしの腰に手を回し、首筋にキスをしてきた。まだ関門があった。真二とは夫婦なのだ。当然と言えば、当然のことだが、夜は妻として夫に対応しなければならない。つまりセックスだ。今それが起ころうとしている。わたしは今は女で、セックスは可能だ。可能なはずだ。だけど、まだ、バージンなのだ。それに真二とは小学校四年生からの親友だ。女として抱かれることには抵抗がある。まだ、心の準備が出来ていない。
「真二さん、ごめんなさい。疲れているの。明日にして」
「そうだね。判った」
真二は本当に優しい。わたしの唇に軽くキスをすると、わたしの腰を抱いたまま眠ってしまった。ほっと胸を撫で下ろした。一日何とか延ばしたが、いつまでも延ばせない。心の準備をしておかなくては。
夜中の二時ごろ、薫が泣いて起こされた。お腹が空いたようだ。真二を起こそうと思ったが、成田から家までずっと運転してきてくれたのだ。疲れているだろうと思って起こさず、ひとりでミルクを作って飲ませた。母乳だったら、ずいぶん楽だろうになあ。
しばらくうとうとしたら、また起こされた。今度はおむつが濡れていた。こんなに薫が泣いているのに、真二は高鼾で眠っている。男はいいなと思う反面、母もこうしてわたしを育ててくれたんだなあとちょっと感傷にふけった。経験しなければ親の恩もわからない。
女は朝から忙しい。真二を起こさないようにそっと起きると、洗面をして顔の手入れをしたあと、髪をとかしてヘヤバンドをしてから、母と一緒に朝食の準備をした。途中、薫が目を覚まして泣き出した。慌てて二階に上がりミルクをやって寝かしつけた。
父も真二もなかなか起きてこない。盆休みだからゆっくり寝かせましょうよと母がいうので、母と二人で先に朝食を済ませた。後片付けをして、洗濯をして裏庭に干し、部屋に掃除機を掛けた。
また、薫が泣いた。おむつが濡れていた。取り替えて、またミルクをやって寝かしつけた。そうこうしているうちに、男どもがやっと起きてきて、新聞を読んだり、テレビを見たりしてのんびりしている。この時ばかりは男の方が楽だなと思ってしまった。
気がつくともう午前十時半だ。薫を乳母車に乗せて、母と一緒に買い物に出た。近くのスーパーまで行ったが、盆休みで開いてなかった。開いていた近くのコンビニによって食パンなどを買ってうちに戻ることにした。
自宅近くに来て見知らぬ人に声を掛けられた。
「こんにちは、西条さん。圭子さんもお元気そうね。薫ちゃん大きくなった?」
「この前はありがとうございました。おすそ分けをいただいちゃって。山本さんは九州のご出身なんですの」
「大分なんですよ。温泉で有名な別府のある」
「ああ、あそこね。今は由布院の方が有名でしょう?」
「そうなんですよ。ところでどうでした、かぼすのお味は?」
「とってもおいしかったですよ。圭子、ほら、ご挨拶しないかい」
「いつもお世話になっています。かぼす、とってもおいしかったです」
わたしは、当たり障りのない返事をしておいた。ふたりの話しから、山本さんはどうやら春に近くに越してきた人らしい。わたしを、圭子姉さんを知っているようだ。わたしの方はぜんぜん知らない顔だ。母と一緒で良かった。しばらくは外に出る時は母と一緒の方がいいだろう。二十分ほど母の立ち話に付き合って、うちに帰った。女は、よくこんなに話すことがあるなと半ば呆れてしまった。
昼食にトーストとサラダを作って食べさせて、後片付けをしていると、真二がやってきて、同窓会があるからと言って出掛けていった。丁度いい。薫が眠っている間、わたしは二階に上がって、アルバム、手紙などを引っ張り出し、ここ一年の圭子姉さんの情報を仕入れた。新しい友人はいないようだ。わたしの知らない友人がいたら、話の合わせようがないから、ほっとした。
夕方には帰ってくると言って出掛けたのに、真二は午後六時になっても帰ってこない。午後七時過ぎになって同窓会で会った友達と飲みに出掛けるから、夕食は要らないと電話してきた。
「もっと早く電話してくれれば、夕食が無駄にならないのにね」
母とわたしは、お互いに頷きあった。真二に食べさせようと一所懸命作ったのに・・・・。待てども待てども真二は帰ってこなかった。午前0時を過ぎて、ベッドの上でうつらうつらしていたら、表にタクシーの停まる音がして真二がやっと帰ってきた。べろんべろんに酔っていて歩くのがやっとだ。服を脱がせてベッドに休ませると、鼾をかいて眠ってしまった。ほんとに男ったら。でも良かった。今日も一日凌げた。
朝食を作っていると真二が眠そうにあくびをしながら降りてきた。
「ずいぶん遅かったのね。どこで飲んでたの?」
「高校の時の親友と会ってね。やつは今東京なんだ。久しぶりだったんで話し込んでいて遅くなってしまった。ごめん」
親友はわたしじゃなかったのと、ちょっとむっとした。そんなわたしの態度を知ってか知らずか、ぜんぜん気にする様子もなく真二は話を続けた。
「それで、二日続きで悪いんだが、昨日同窓会に来られなかった連中と連絡しあってね。今日何人かで会う約束をしたんだ。朝飯食ったらすぐ出掛けるから。今日は早く帰るよ。絶対に」
そういうと、わたしの返事を待たずに、真二は朝食もそこそこに済ませて、着替えて出掛けていってしまった。父を見ていたから良く判るが、早く帰ると言って早く帰ってきた試しはない。とくに友達と飲む時は。あんまり期待しないことにした。
今日も昨日と同じで、片づけすると、掃除、洗濯、買い物だ。それに薫の世話。主婦の一日は忙しいけど、単調だ。母が居なかったら、気が狂いそうだ。主婦になってまだ二日目なのにため息が出た。夕食はいつ帰ってきてもいいように、ビーフシチューにした。もし残ったら冷凍しておけばいい。
案の定午後十時近くになってようやく真二が帰ってきた。酒の匂いをぷんぷんさせていた。聞きもしないのに自分からべらべらしゃべる。
「ごめん、ごめん。遅くなっちゃった。これでも抜けるのに苦労したんだぜ。新婚だから、早く帰るんだろうなんて言われてさあ」
「昨日よりはずいぶん早いわ。おなか空いてない? 何か食べる?」
「いや、いいよ。お冷やちょうだい」
お冷やを飲むと、疲れたからもう寝ると言って、二階に上がってしまった。本当に友達と飲んでいたのだろうか? 急に疑惑が湧いてきた。朝から出掛けて、今ごろ帰ってきた。聞きもしないのにべらべらと言い訳がましいことをしゃべってさっさと寝てしまう。わたしが一昨日セックスを拒否したから浮気でもしてるんだろうか? いや、その前一週間もわたし、圭子は不在だったんだ。
脱ぎ捨てられたジャケットとシャツを手にとって、口紅は付いてないか? 香水の匂いはしないか? と調べてみた。何もなかった。ほっとした。そのとき、わたしは居もしない女に嫉妬している自分に気づいて愕然とした。わたしは真二が好きなんだろうか? 真二は体格も良くて、ちびのわたしをいつも守ってくれた。わたしが苛められていると、飛んできて相手を立ち上がれないほど、殴り付けたのも一度や二度ではない。そんな真二を頼りにはしていたし、いいやつではあったが、好きとか嫌いとかいう感情はなかったはずだったが・・・・。けれど女になった今、真二をほかの女に取られたくないと言う感情がわたしに中に芽生えてきたのは確かなようだ。
盆休みも明け、今日から父も真二も仕事に出掛けていった。今日も単調で、忙しい主婦の一日が始まった。いつも買い物をするスーパーが開くと言うので、母と一緒に買い物に出掛け、ふたりとも両手いっぱい買い込んで帰った。昼食が済み、息抜きにデパートでも行こうかとしたら、母が付いてくるという。わたしがまた家出をしないか監視しているみたいだ。仕方がないので、薫を乳母車に乗せて三人でデパートに出掛けた。結局買ったものは、薫のベビー用品だけで、自分のものは何ひとつ買わなかった。
父も真二も示し合わせたように、午後六時には帰宅した。交代で入浴すると、テレビで野球の試合を見ながら、ふたりでビールを飲み始めた。真二はビールを半分も飲まないうちに真っ赤になってしまう。弱いのなら飲まなければいいのに、風呂上がりの一杯が美味しいのだそうだ。わたしはアルコールをほとんど飲まないので、気持ちがまったく判らない。
午後十時、真二は先に寝ると言って二階に上がった。薫をベビーベッドに連れて行くと、真二は眠っていなくて、雑誌を読んでいた。わたしを待っているようだ。
「お風呂入って来るから」
そう言って下に降りたが、まだ、決心が付かない。そのうち眠ってしまわないかしらと期待しながら、ゆっくりとお湯に浸かった。母におやすみを言って、二階に上がりかけた時、ふと思いついて寝室の隣の部屋に入って探し物をした。あった。生理用品と専用のショーツ。生理用品を当て、急いでショーツを穿き替えると、寝室に入った。真二はわたしが入っていくと目を覚まし、わたしの手をひいて、キスしてきた。
「今夜はもういいだろう?」
「ごめん。生理になっちゃった。もう少し我慢して」
「えっ、生理? うーん。しょうがないなあ。期待してたのに」
「終わったら、うんとサービスするから。ごめんね」
「仕方ないさ。待ってて損した。早く寝れば良かった」
真二はもう一度わたしに軽くキスすると、横になって眠ってしまった。これで一週間は大丈夫だなとほっと胸を撫で下ろした。一週間後のことは考えないことにした。
一週間たった。まだ決心が付かない。夜のことを考えると頭が痛い。母は相変わらず、わたしにぴたりとくっついていて片時も離れようとしない。買い物に出たついでに毛糸も買って、セーターを編み始めた。
「圭子、おまえ、編み物できたのかい」
そういえば、圭子姉さんが編み物しているのを見たことがない。しまったと思ったが、後の祭りだ。誤魔化すことにした。
「短大に行ってる時、休み時間に習ったのよ。内緒にしてたの。びっくりさせようと思って。真二さんには内緒よ。手作りセーターで喜ばしてあげるんだから」
「そう、うまくできるの?」
「任せなさーい」
母は信じたようだった。まさかアメリカで習ったとはいえない。編み物を二時間ほどした後、母がちょっと出掛けると言うので、そのすきに薫の使っていた部屋に行って、自分のアルバムを開いてみた。小学校三年までは、女の子の格好をして、写真だけ見ると自分のものでないようにみえる。小学校四年以降になると男の子の格好をしている。よく見ると、ほとんどの写真で真二が隣に写っている。真二は子供の頃から男のわたし特別な感情があったのだろうか? 変な考えが浮かんできた。
「まさかね」
薫が泣き出した。赤ん坊はいい。何もしないで、泣いていればいいのだから・・・・。おむつを替えて、ミルクをやったのに泣き止んでくれない。何が気に食わないのだろう。どうしても泣き止まないので途方に暮れていた。薫の手がわたしの乳房をまさぐっているように感じたので、「おっぱいでないのよ」と言いつつ、乳首を含ませてみた。薫は紅葉のような手でわたしの乳房を抱えると、出もしない乳首を吸った。何ともいえない感覚。これでおっぱいが出たらどんなにいいだろうと考えていると、薫は眠ってしまった。赤ん坊には乳房が必要なのだ。また吸わしてあげよう。
夕食を作って待っていると、いつものように午後六時、父が帰ってきた。真二はまだ帰らない。
「真二さん、遅いわね」
「圭子、時差ぼけがまだ直ってないの? 真二さんは今日から学校でしょう? どうするの? 先に食べるの?」
学校? 何のこと? どこか学校に行っていて帰りが遅いのだろうか? そうだとすれば圭子姉さんは帰ってくるのを待っていたのだろうか? 自分の知らないことに行き当たって戸惑った。しかし、考えても始まらない。何とか取り繕わねばならない。
「ああ、そうだったわね。すっかり忘れてた。何時に帰ってくるんだったかなあ」
「予定表があるでしょう。二階に」
「ちょっと見てくる」
そう言えば、部屋の壁に予定表らしきものが貼ってあったっけ。何だろうとは思ったけど、よく見なかった。二階に上がって壁に張ってある予定表を見てみると、今晩の予定は午後六時から百分の授業だった。八月いっぱいは百分だけで、九月からは午後九時五十分まで授業がある。夜間大学だ。真二は大学に通っているんだ。この予定表からすると今晩は、八時過ぎに帰ってくることになる。
「今日は一時限だけだから、帰るのは八時過ぎかな。食べないで待ってるわ」
「そう。それじゃあ、お父さん、わたしたちは先にいただきましょう」
八時を十分ほど回った時、玄関が開く音がした。真二が額に汗を浮かべながら帰ってきた。
「お帰り、早かったね」
「久しぶりの講義で疲れたよ。昼間もめちゃ忙しかったし。薫は起きてる?」
「今はもう寝ているわ」
「ちょっと見てくる」
「起こしちゃだめよ。夕飯すぐ食べられるから、顔を見たら降りてきてね」
「判った」
ご飯をよそって待ったが、なかなか降りてこない。寝室に上がってみると、真二は、薫のベッドの傍に跪いて、じっと薫の顔を見つめている。
「どうしたの?」
「ああ、圭子。いや、可愛くてね。こいつの顔を見ていたら疲れも取れるよ。一生懸命仕事して、勉強して頑張ろうと言う気になるんだ」
胸がじんと来た。そうなのだ。こんな優しい真二がわたしは好きだったのだ。真二はわたしを圭子として愛してくれるだろう。わたしも真二を愛することにしよう。今のわたしにはそれができる。決心が出来た。わたしは真二に抱きついてキスをした。
「どうしたんだ、今日は。圭子らしくないぞ。腹減ったな。下へ降りよう」
「うん。今日は、トンカツだよ。お父さん、珍しくおいしい、おいしいって、食べてくれたのよ。今揚げたばっかりだから、きっとおいしいと思うよ」
「へえ、お父さんがねえ。いつもおいしいのか、まずいのか、ぜんぜん何も言わないけどね」
「そうなのよ。まずかったら、食べないって言うのよ。ほんとに作りがいがないんだから」
「ははは。あんまり、美味しい、美味しいなんて言うのが面映いんだよ」
「そうかしら? ビール飲む?」
「いや、今日は止めとく。疲れているから飲んだら倒れてしまいそうだ」
両親は自室に戻ってテレビでも見ているようだ。食事が済むと、ひと休みしてから、わたしが後片付けをしている間に真二はお風呂に入った。真二と入れ替わりにわたしもお風呂に入り、入念に体を洗うと、新しいパンティーを出して穿き、ネグリジェも少し透けた大胆なものにした。鏡に映すと胸がちょっと透けて見える。リビングに行くと、真二は缶ビールを片手にテレビを見ていた。
「あら、今日は飲まないって言ってたのに・・・・。ちょっと頂戴」
缶ビールを真二の手から有無を言わさず取り上げると、一口飲んだ。胃にギュンと染みた。真二はちょっとビックリしたような顔をしてわたしを見ていた。
「珍しいな。いつもぜんぜん飲まないのに」
「どこが美味しいのかな。ビールなんか。苦いばっかりで」
「そこがいいのさ。特に風呂上がりはね。ところで今日はすごく刺激的だね」
「二階へ行こう」
真二は、残りのビールをぐっと飲みほすと、嬉しそうな顔をしてわたしに付いてきた。圭子姉さんと真二とのセックスはどんなんだったんだろう。圭子姉さんは、箱入り娘だから真二の為すがままだったんだろうか? それともあのロサンゼルスの夜のように大胆だったんだろうか? わたしは少々大胆に振る舞うことにし、真二の反応を窺った。薫はベビーベッドですやすや眠っている。わたしは真二の首に手を回すと、真二にキスをして舌を入れた。
「今日は、すごく積極的だな」
「黙って! その気がなくなってもいいの?」
今度は真二が舌を入れてきた。わたしの下腹部に真二の硬くなったものが触れた。何気ない振りをして、真二の硬くなったものを触ってみた。以前のわたしのものよりひと周りほど大きい。拡張用のシリコン棒よりもちょっと太く感じる。わたしの中に入るかしら。ちょっと心配になった。真二はわたしをベッドに運ぶとキスしたまま、ネグリジェの裾から手を入れて乳房を愛撫し始めた。大きな手で、ゆっくりとわたしの左の胸を揉む。唇が首筋に降りて行ったところで、手が止まった。わたしのネグリジェを脱がすと、右手でわたしの左の胸を揉みながら、右の乳首を嘗め回し始めた。真二の右手が胸から離れ、腰から、ピップをゆっくりと撫でまわす。その手が下腹部に来た時、わたしの全身にぞくっとした感じが走り、股間が濡れてきたのを感じた。
「良かった出来そう」
それから真二はわたしをうつ伏せにすると、うなじから背中、ヒップへ向かって舌をはわせた。ふたたびわたしを仰向けにするとパンティーの上から敏感なところを触ってきた。わたしは真二の頭を両手で抱え、足を少し開いた。真二の右手がパンティーの中へと入ってきて、敏感な部分を直接触り、さらにわたしの中に指を入れてきた。少しずつわたしは感じつつあった。真二はわたしのパンティーを脱がせると、わたしの敏感な部分を舐め始めた。圭子姉さんの時よりちょっと痛い。でも感じる。わたしは思わず呻き声を上げた。全身に熱いものが込み上げてきて、胸が高鳴った。真二はパジャマと下着を脱ぐと、わたしに覆い被さってきた。そしてついに、ついに真二の硬くなったペニスがわたしの中に入ってきた。ちょっと痛いけど、大丈夫、入りそうだ。真二のペニスがわたしの中にある、そう考えただけでわたしは興奮した。目を開けると真二がじっとわたしを見つめていた。わたしは真二の背中に手を回し抱きしめた。
いま判った。わたしは真二が前から好きだったことが。こうなることを望んでいたのだ。わたしは真二を愛している。男だった時、それは出来なかった。しかし今は出来る。ゆっくりとしたピストン運動がしだいに激しくなり、わたしの体は熱く燃え上がるようだった。快感の嵐がわたしの体を襲ってきた。わたしの呻き声は悲鳴に似た声に変わった。抑えようにも抑えられなかった。真二が「うっ」と声を上げると、わたしの骨盤の中に爆発したような刺激が走り、わたしは痙攀した感じで意識が遠のいた。真二がわたしの肩を抱いて、わたしの唇にキスをし、「ふう」とため息を吐くのをぼうっとして感じていた。圭子姉さんとした時も感じたが今日はもっと感じた。体の中の熱はまだ去らない。真二はまだわたしの中にいる。なんて気持ちいいんだ。女になって良かった。心の底からそう思った。
「もう一度いいかい」
「うん。二回でも三回でも」
翌日、朝からわたしはうきうきしていた。世の中が薔薇色だった。優しい夫と可愛い子供。こんなに幸せな女(?)はいないと感じていた。ちっとも楽しくないと思っていた家事が、楽しくて楽しくて堪らなくなった。圭子姉さんの代わりとしてでなく、自ら進んで、掃除、洗濯、買い物に精を出した。昨夜の、女としての最初の夜はすばらしかった。昼間どんなにきつくても、夜のことを思うと、家事なんかぜんぜんつらくなかった。自然に鼻歌が口を衝いて出てきた。母までそんなわたしの様子を察して、機嫌が良い。
「圭子、真二さんとすっかり仲直りしたみたいね。昨日まで、二人とも余所よそしかったから、心配してたのよ。でも、もう大丈夫ね」
「あら、何のこと、お母さん。わたしと真二さんは、ずっと仲がいいわよ」
「隠さなくてもいいわよ。あんまり大きな声を上げると下まで聞こえるのよ」
「やな、お母さん!」
わたしは、顔を真っ赤にして洗濯物をひたすら畳んだ。畳みながら、昨夜のことを思い出し、体が火照った。母はともかく、父には聞かせたくない。声を出すなと言うのは無理だけど、聞こえないようにしなくちゃ。
真二は、余程のことがない限り、どんなに疲れていても、毎日わたしを愛してくれた。わたしもそれに応えた。わたしは満足していたが、父母は二人目の孫を期待していた。とくに、母は。わたしにはそれが出来ないのが、ただひとつの悩みだった。
薫は、あの日以来、わたしの乳首をふくまないと眠らなくなってしまった。わたしもそれが嬉しくて堪らなかった。一週間もしたころ、何だか乳房が大きくなって、張った感じがし始めた。飲み続けているホルモン剤のせいかなと思っていた。ある日、薫に乳首をふくませていたら、乳房がきゅっと絞られた感じがして、薫がちゅうちゅう吸っていた。おっぱいが出ていた。おばあちゃんでも、乳首を吸わせていたら、おっぱいが出たという話しを聞いたことはあったが、まさか自分の乳房からおっぱいが出るとは思ってもみなかった。嬉しさのあまり、薫を抱きしめたら、薫はおっぱいにむせて泣き出してしまった。
「あら、圭子! おっぱいが出るようになったのね。今ごろになって! 不思議だわね」
「うん、良かった。ミルクだと愛情が足りないような気がしていたから。嬉しいわ」
「それに、夜中にミルク作る手間もないし、第一ただだから経済的よ」
「一石三鳥ね」
薫が飲むだけ飲んでも、ぼたぼたと溢れるように出てくる。本当の母親に一歩近づいたような気がした。真二はおっぱいが出た話をすると本当にびっくりしていた。
わたしの、いや西条薫の一周忌がやってきた。自分の法事が行われるのを見ているというのは、変な気分だ。わたしがアメリカに旅立つ直前に撮った写真が中央に飾られていた。親戚やわりと仲の良かった友人たちがやって来て、わたしの写真を見ながら、涙を流すのだ。葬式の時はどうだったんだろうかなんて妙な想像をした。今日来ていないあいつは来てくれたのだろうか? ちょっと気になっていたあの女の子は来てくれたのだろうか? と。わたしは今は圭子なんだから関係ないと思いつつ、どうも気になった。
気になるといえば、真二はわたしの親友だったはずなのに、悲しそうな顔のひとつも見せない。何故だろう。やっぱり、真二がうちに来ていたのは、圭子姉さんが目的だったのかと。ちょっと悲しくなった。まあ、いい。今は、わたしを愛してくれているのは間違いないのだから。
真二は、昼は仕事、夜は勉学の生活をやり遂げ、大学を卒業した。ほんとに大したやつだ。いや、大したひとだ。さすがわたしの愛した人だ。名古屋では中堅のK電工に再就職することが出来て、給料もぐんと上がった。
薫もすくすく育ち、もう五歳になった。去年から保育園に通っているので、ずいぶん自由な時間が出来る。ちょっと太り気味になったので、フィットネスクラブに通い始めた。あの時のようなレオタードや水着はとても着られない。まるでスクール水着のような地味な水着を着ている。エアロビクスの時も、Tシャツにスパッツと言ういでたちだ。まだ二十五と若いのに、ほんとは二十三だけど、誰も声を掛けてくれない。子持ちだとは言ってないし、自分で言うのもおかしいが、こんなに美人なのに。ちらちらとわたしの方を見ては、トレーニングに力を入れるというのは同じだが、日本の男は、向こうの男と違って、こういう所は消極的だ。誘われたら、困るくせに誰か誘ってくれないかな、なんて期待している自分が可笑しい。
真二は、わたしをそれこそ毎日愛してくれた。去年入院するまでは・・・・。
去年の三月体調が悪いと言って病院に出掛けてそのまま入院した。精密検査の結果、肝臓に転移があって手のつけられない胃癌と診断された。まだ三十六歳だったのに・・・・。
お医者様から、もって六ヶ月。せいぜい三ヶ月の命と聞かされて、わたしは一晩中泣いた。泣いて泣いて泣き明かした。わたしは真二を本当に愛していたから。圭子姉さんの代わりでなくて、わたしとして。陰では泣いていたけれど、真二の前では絶対に涙を見せなかった。
真二と一秒でも長く一緒にいようと、毎日真二のベッドの傍で寝泊まりした。亡くなるまでの二ヶ月間ずっと真二と一緒にいた。。
真二が亡くなる三日前、父も母も薫も帰って、真二とわたしだけになった時、真二が突然話しかけてきた。
「薫、どうもありがとう。ぼくは幸せだ」
わたしのことを薫と呼ばれ、わたしは驚きに目を見張った。
「薫って、あなた」
「判っていたよ。おまえが薫だってことは」
「いつから判っていたの?」
「あの日、成田に帰ってきたおまえの姿を見た時からだよ」
「あの時から?」
「そうだ」
「どうしてわかったの? わたしは死んだことになっていたでしょう? 遺骨も届いていたはずだし」
「直感だよ。おまえに会った瞬間、これは圭子じゃない。圭子に化けた薫だと思ったんだ」
「信じられないわ。圭子姉さんとわたしは瓜二つなのに」
「でもそれが真実だ。おまえと車に向かって歩きながら考えたよ。どうして圭子に化けているのだろうかってね」
「どう考えたの?」
「おまえは死んだことになっていたけど、ギャングに命を狙われていると聞いていたから、死んだことにして隠れていたんだろうと思ったんだ」
「それは当たっているわ」
「アメリカに渡った圭子が偶然おまえと出会って、おまえが両親に会いたいと言うので女装させて帰国させたのだと思った」
ただ女装させただけじゃ、これほど似ていないのではないかと反論しようと思ったが、わたしは黙って真二の話を聞いていた。
「うちに着いた時、中の様子が判らないようだったから、ぼくの方から少し助け船を出してあげたが、気がついていたかい」
「いいえ、ぜんぜん」
「ぼくらの部屋がどこにあるのか判らないだろうと思って、スーツケースを持って先に二階に上がってやっただろう。それから二階に上がった時、寝室がどこにあるか判らなかったはずだ。あの時、化粧ケースを取り上げて寝室に持っていってやったじゃないか」
「そうだったわね。あんまり気の付く人じゃないのにおかしいとは思ったけど」
「帰って来た日の夜、男のおまえに迫ったら白状するだろうと思って、腰に手を回して首筋にキスをしたんだが、うまくかわされてしまった。両親に会うためとは言え、女装しているのが恥ずかしいのだろうと思って、お前自身が言い出すまで待つことにしたんだ。ぼくの方もおまえがどんな風に振る舞うか面白くて、黙って様子を見ていたよ」
「ひどい人ね」
「まあ、そう言うなよ。もうすんだことだ」
「それから?」
「両親にも会ったことだし、どこかで圭子と入れ替わるはずだと思って、出掛ける振りをして見張っていたんだが、入れ替わる様子がない。もしかしたら、知らないうちに入れ替わっているのかと思って飲んで酔った振りして確かめようとしたが、アルコールに弱いものだから、確かめる前にこちらが眠ってしまった。しかし、素振りからすればまだ入れ替わっていないのは確かだった。
無理矢理セックスに及べば白状すると思って迫ったら、生理だといって誤魔化されて確かめられなかった。
なかなか入れ替らないから、圭子の帰国が遅れているんだろうと思っていた。仕事に出るようになってからは、お義母さんに、いつまた家出するか判らないからといっておまえを見張らせておいたんだ」
「それは、気づいていたわ。お母さんの様子がおかしかったもの」
「忘れもしない夏休みが明けて初めて大学の講義があった日、おまえが胸の透けて見えるネグリジェでぼくの前に現れた時は、正直言ってびっくりした。その朝までとは雰囲気がまったく違っていたし、圭子だと思った。もちろん、おまえには胸がないと思っていたからね。いつの間に入れ替わったのかと首を傾げたよ。お義母さんがあの日の午後、二時間ばかり家を空けたと言っていたから、なるほどその間に入れ替わったかと思った。
ところが以前の圭子となんだか感じが違う。見た目は圭子だし、胸の触り具合も変わりないのだが、何か違和感を覚えた。女装するために薫が豊胸術まで受けるわけはないと思いつつ、もしやと考えながらネグリジェを脱がせ、愛撫する振りをして体中を調べた。
小さなパンティーだから、隠せるはずはないとは思いつつパンティーの上から触ってみた。やはりペニスも睾丸もない。パンティーを脱がしてよく見たが、まったく女の体だ。どうみてもこれは圭子で、やはり昼間入れ替わったのだろうと思った。
しかし、おまえを愛撫しているとき、性転換と言う言葉が脳裏に浮かんだ。おまえが帰る2、3日前、テレビでニューハーフが出てくる番組を見ていたのだ。
まさかと思ったが、おまえと一体となり、おまえの目を見た時、ぼくはおまえが薫に間違いないと思った。自分の直感と、帰国してからのおまえの様子などを考え合わせて、おまえが性転換した薫だと結論したのだ。その時、どうしてそうなったか聞けば良かったんだが、ぼくは興奮していて聞きそびれてしまった。ぼくの大好きな薫が、ぼくを受け入れているのに途中で止められなかったんだ」
「わたしが大好きって」
「ぼくは、子供の頃から、おまえが大好きだった。・・・・男なのに好きだったんだ。おまえが女だったらどんなに良かったことかと思い悩んだ。高校に入った時、違う高校だったので、会わないように忘れようとした。だが、どうしても忘れられず、またおまえの家を訪ねるようになった。圭子に気がある振りをして、実はおまえの傍に居たかったんだ。だから、あの日おまえが圭子ではなく、薫だと確信した時、ぼくは嬉しくて、嬉しくて堪らなかったんだ。本当の圭子がどうなったか、知りたくなかった。それを聞けば、あまえがぼくの元から居なくなってしまうと思ったんだ」
「・・・・圭子姉さんは死んだわ」
「死んだ? 何故?」
「わたし、麻薬組織から逃れるため性転換をして、高橋という日系人夫妻の養女となってサンディエゴの町で暮らしていたの。たまたま、ロサンゼルスで圭子姉さんと出会って、圭子姉さんがわたしに化けて養父母に会いに行ったの。どんな人たちか見ておきたいと言って。その帰りに事故に遭って死んでしまったの。わたしの身分証明書を持って。圭子姉さんはわたしとして死に、わたしの手元には圭子姉さんのパスポートが残ったの。だから、わたしは大田圭子として日本に帰って来たの」
「そうだったのか。今日までおまえが薫だと信じてはいたが、百パーセントの確信はなかった。おまえの口からそれが聞けて嬉しいよ。圭子には、気の毒だったが、ぼくは満足している。本当に愛している薫と一緒に暮らせたんだから」
「わたしはあなたを愛しているわ。あの晩わたしもあなたを愛していたことに気づいたの。いままで、それは半分は圭子姉さんの身代わりとしての気持ちがあったわ。だけど今は違う。あなたが、薫としてわたしを愛してくれていたことが判ってとてもうれしいわ。だから元気になって。もう、これ以上愛する人がいなくなるなんていやよ。お願い」
「いや、ぼくはもうだめかもしれない。男のおまえを愛した天罰かもしれん。薫を頼む」
「薫は実は・・・・・・」
わたしは言い淀んだ。
「薫は実は・・・・・・」
「おまえと圭子の子だろう。判っていたよ」
さらりとそう言われて、わたしはビックリしてしまった。
「でも、あの時、成田からの帰りの車の中であなた・・・・」
「血液型の話は嘘だ。親戚どもを説得するための作り話だ。薫の血液型がO型だと判った時、薫の父親はおまえだと直感した。圭子は小さい頃から女ばかりの学校に通っていたせいで、男を極端に恐れていたからね。ぼくとだって、おまえの葬式の後までは距離を置いていたんだ。だから男で圭子に近寄れたのはおまえしか居ないし、血液型も一致する」
「・・・・その通りよ。薫は圭子姉さんとわたしの子供。姉弟の間に出来た子供なの」
「圭子、いや薫、心配するな。おまえと圭子は本当の姉弟ではないんだよ。お義父さんもお義母さんも二重眼瞼なのに、おまえだけが一重眼瞼だったのを不思議に思って調べたのさ。おまえはお義父さんの弟の子供だ」
「ほんとなの」
「ほんとさ。おまえが生まれて八ヶ月くらいの時、おまえを預けて出掛けた時に事故で両親とも亡くなったんだ。それで、お義父さんとお義母さんが引き取って本当の子供のように育てたんだ。おまえと圭子は従姉弟なんだ。だから、薫は近親相姦の子でも何でもないから安心してくれ。いままで黙ってて悪かった。もっと早く話しておくべきだった」
「圭子姉さんは、その話を知ってたのかしら?」
「圭子は、三歳近かったから、判っていたに違いない。そうでなければ、いくらおまえが好きだといっても、おまえとセックスしたり、おまえの子供を産んだりしようなんて思わなかったはずだ」
「そうね。きっとそうね。圭子姉さん、判っていたんだわ。わたし達が本当の姉弟でないことを」
「お義父さんもお義母さんも薫がおまえと圭子の子供だなんて気づいてないから、おまえには、元のおまえが養子であることは絶対言わないだろう。おまえも知らない振りをしておくんだ。いいな」
「ええ。判ったわ。出来るものなら、あなたの子供を産みたかったわ」
「おまえが居てくれただけで、充分だったよ」
「愛しているわ、あなた」
「ぼくもだ」
その夜遅くに真二は昏睡状態になり、二日後に亡くなった。わたしがどんなに悲しんだか、言葉に言い尽くせない。真二の後を追って死のうと思ったが、薫が居るから耐えた。