春が過ぎ、夏が来た。養父と養母の愛情に包まれ、わたしは何不自由なく暮らしていた。あんなに愛していたはずなのに、ロバートのことも次第に脳裏から薄れつつあった。日本の父や母、圭子姉さんのこともまるで他人のことのように思われるようになってきた。二度と帰れない、たとえ帰れてもこんな姿では会えないと言う思いがわたしの望郷の念を押しつぶしていたのだ。
八月九日ドクター・ルーカスの診察を受けるためロサンゼルスにやって来た。明日十日はデヴィッドの命日だ。遠くからでも墓参りをしようと今晩は一泊するつもりだ。
ドクター・ルーカスは診察か済むと、いつもよりにこにこしていた。
「ミユキ、診察は今日で終わりだ。もう来なくていいよ」
「ほんとですか?」
「完璧だ。腟の状態もね。もう拡張もしなくてもいいが、念のため一日一回だけやっておくことを薦めるよ」
「一日一回で良いんですね」
「そうだ。もし、パートナーが出来たら、それもいらないがね」
「それは金輪際ないと思いますけど」
「もったいないね。ミユキくらいの美人だったら、言い寄る男も多いだろうに」
「それがぜんぜんないんです。あんまり付き合いがないし、養父の会社のひとたちは養父を恐れているから」
「箱入り娘なんだね」
「そうです。でもいいんです。今のままでも充分幸せですから」
「しかし、人生はどうなるか判らんからね」
「そうですね」
人生はどうなるか判らない。そう、その通りだ。この一年のわたしの人生がそれを物語っている。
ドクター・ルーカスにお礼のキスをして、病院をあとにした。振り返って、もう二度と来ることのないだろう病院をもう一度眺めたあと、今晩泊まる予定のセントラル・シティー・ホテルに向かった。
ホテルにチェックインしようとフロントの前に立った。
「お帰りなさいませ、ミセス・オオタ。伝言が届いております」
フロント係がルームキーと一通の封筒をわたしに手渡した。養父か養母からの伝言かしらと思いながら受け取ってロビーのソファーに座ると封筒の中身を読んでみた。
「ケイコ。問題は解決した。心配しなくていいから、すぐ帰ってこい。シンジ」
意味が判らなかった。フロント係が渡す相手を間違ったようだ。フロント係に返そうとして、「ミセス・オオタ」と私のことを呼んだことに思い至った。差出人の名前をもう一度見た。シンジと書いてあった。「オオタ・シンジ」と言う男が奥さんの「ケイコ」に宛てた電報だ。
オオタ・シンジ? まさか真二のことでは? そんな偶然が起こるわけがない。しかし、フロント係が「ミセス・オオタ」とわたしを間違えたところを見ると、わたしは「ミセス・オオタ」によく似ていると言うことになる。
電報の文面をもう一度見た。「ケイコ」・・・・。ケイコとは、圭子姉さんのことでは? 圭子姉さんなら、フロント係がわたしと間違えたのも無理はないだろう。わたしは圭子姉さんそっくりに整形されているのだから。
圭子姉さんが真二と結婚していて、このホテルに泊まっている。この電報はそのことを示しているのかもしれない。
わたしはそのことを確かめることにした。ルームキーの部屋番号を確認すると、フロントに戻ってルームキーだけ戻した。
「用事を思い出したから、もう一度出掛けるわ。キーをお願い」
「いってらっしゃいませ」
フロント係はまったく不審に思わなかったようだ。ルームキーを元あった棚に戻している。わたしは玄関を出ると、髪を後ろに括り直しハンドバッグからサングラスを取り出して掛けた。そうしてから、フロント係に気づかれないようにロビーに戻ると、ソファーに腰掛け雑誌を読む振りをしながら、玄関とフロントを監視した。
三十分もしたころ、わたしと同じ顔をした女性が玄関から入ってきてフロントへ向かった。一年前より髪が少し長くなっているけれど圭子姉さんだ。フロント係はルームキーを渡しながら、ちょっと首をかしげていた。三十分前と服装も違えば、髪の長さも違うのだ。日本だったら、ドッキリカメラが出てきてもおかしくないシチュエーションだ。圭子姉さんはまっすぐエレベーターに向かって歩いて行った。圭子姉さんが乗ったエレベーターの扉が閉まると、わたしは隣のエレベーターに乗って、圭子姉さんの後を追った。ルームキーには一〇八二と書いてあった。十階の八十二号室だ。十階でエレベーターを降りて標識に従って角を曲がると、圭子姉さんが鍵を開けて部屋に入るところだった。わたしは一〇八二号室の前に歩み寄ると、周りを見回して誰もいないことを確かめて、大きく息をしてドアをノックした。
「はーい、どなた?」
間違いなく圭子姉さんの声だ。わたしはできる限り声のトーンを落としてしゃべった。
「ぼくだよ、圭子姉さん。薫だよ」
「誰? 薫? 薫なの?」
ガチャガチャと鍵を外す音がしてドアが開いた。わたしの姿を見ると、驚いた顔をして二,三歩後ずさった。死んだはずの弟が訪ねてきただけでも驚きなのに、自分そっくりなのだ。驚かない方が不思議だ。わたしは部屋の中に入り後ろ手にドアを閉め、鍵を掛けた。
「ぼくだよ、圭子姉さん。判る?」
「ほんとに薫なの? あなた、死んだんじゃなかったの?」
「生きてるよ。この通り。元気さ」
「どうしたの、その格好は?」
「聞かなかったのかい、FBIに。ぼくが一年前ロサンゼルスで起こった殺人の目撃者で、麻薬組織の男たちに命を狙われているって」
「それで、女装して逃げてるの?」
「ピンポーン、半分だけね」
「ほんとに薫なのね。ほんとに死んだんじゃなかったのね。また会えてうれしいわ」
そういうと、圭子姉さんは泣きながらぼくに抱きついてきた。
「あなたの胸、本物みたい。何を入れているの?」
「シリコンだよ」
「まぶた、二重にしたのね。その方がいいわ。それにずいぶん痩せたわね。髪の毛は自分のなの?」
「そうだよ」
「でも姉弟とはいえ、ほんとにわたしそっくりね」
「姉さんの写真を見て整形したからね」
「声もわたしにそっくりだわ」
「喉仏を取って、声を高くする手術も受けたんだ」
「そう、だからそっくりなのね。今までどこでどうしていたの? 聞かせて」
圭子姉さんと一緒にベッドに腰掛けて、わたしは殺人の目撃と逃避行、その挙げ句の性転換手術、養父母との生活、ロバートとの愛と死を語った。
「性転換手術? 冗談でしょう?」
「嘘じゃないよ。ほんとだよ」
「ほんとにあなたは今は女なの? だから、さっき半分正解って言ったのね」
「そうだよ。黙っていれば、恐らく誰も気づかないよ。セックスをしてもね」
「したの?」
「・・・・まだしたことないけど」
わたしはちょっとうつむき加減になる。
「信じられないわ。顔だけじゃないのね。見せて! あなたの体を」
「恥ずかしいよ」
「女同士でしょ。恥ずかしくなんかないわよ」
「でも・・・・」
「わたしも脱ぐわ。それならいいでしょう?」
「・・・・それなら脱ぐよ」
ふたりとも着ているものを全部脱いだ。向き合ってみると、髪の長さが少し違うだけで、まるで鏡を見ているようだ。
「ほんとに女になったのね。しかもわたしそっくり。一卵性双生児でもこれほど似てないわ」
「髪を伸ばしたんだね。ぼくの髪は、写真の圭子姉さんくらいに伸びたけど」
「バストいくつ?」
「八十三だよ」
「負けた。わたし八十二なの。ウエストとヒップは?」
「ウエスト六十、ヒップ八十五だよ。かなり努力したんだ」
「勝った。ウエスト五十九だもんね。ヒップは一緒だね」
「圭子姉さんはもともと女だもの。勝って当たり前だよ」
「ねえ、あなたの胸、触ってもいい?」
「いいけど・・・・」
「胸の感じ、本物そっくりね。ほら、わたしのを触ってみて」
「ほんとだ。ぜんぜん変わらない。本物と比べたことがなかったから、ちょっと心配していたんだ。これなら自信を持って男と寝られる」
「したことあるの?」
「ないって言ったじゃないか。もう忘れたの?」
「ほんとにいい気持ち、あなたのバスト」
圭子姉さんはわたしの胸を右手で優しく愛撫し始めた。そして、わたしにキスしてきた。
「ちょっと、姉さん」
「黙って、薫。以前のようにさせて」
日本に居た時、よく圭子姉さんと女装して遊んだ。いつのころか圭子姉さんがわたしにキスをするようになっていた。はじめは驚いたが、わたしも姉さんが好きだったし、遊びと思って付き合っていた。圭子姉さんはレズなんだろうか?
わたしをベッドの上に押し倒すと、圭子姉さんの行為はエスカレートしてきた。圭子姉さんの唇が、首筋から胸へと移り、乳首をくわえると舌でコロコロと嘗め回し始めた。わたしの体にぞくぞくとした感じが沸き上がってきた。わたしは感じ始めていた。姉の舌は、胸から、ウエスト、下腹部へと次第に下って行き、ついにわたしの一番敏感なとことへ到達した。ビリっとした刺激がわたしの体を貫き、わたしはうしろへのけぞった。姉は長くゆっくりとわたしを嘗め回したあと、わたしの敏感な部分を羽で触るように柔らかく刺激しながら、わたしの中に指を入れてきた。一本、二本。腟拡張の時のシリコン棒は不快なだけで決して気持ちの良いものではないが、あれとは違う感覚がゆっくりとわたしの体を支配し、体の芯が熱くなり胸がどきどきし始めた。圭子姉さんの左手がわたしの右の乳首に触ったとたん、わたしの体はえもいわれぬ快感に包まれ一瞬意識を失った。どれくらい経っただろう、目を開けると、圭子姉さんの顔が目の前にあった。
「どうだった」
「うーん、気持ちよかった。最高だよ。ぼくが男だった時、時々マスターベーションをしたんだ。射精の瞬間も気持ち良かったけど、あの快感の数倍は気持ちが良いし、男のは一瞬だけど、ずいぶん長い間、とにかく気持ちが良かった。女は最高だね」
「男ってそんなに快感が短いの?」
「ほんの二,三分だね。男の快感は射精に瞬間に凝縮されるけど、女のは最初から最後までずっと燃える感じだよ。まだなごりが続いているよ」
「あなたが感じているのはわたしにも良く判ったわ。あなた濡れてたもの。本物の女みたいに」
「恥ずかしいな。そんなこと言われると。でもお蔭で安心したよ」
「どうして?」
「性転換して女になっても、女として感じることができるってことがわかったからね」
「良かったじゃない」
「ところで、圭子姉さんは、レズなの?」
「そうね。そうかもしれないけど、ちょっと違うような気がするわ」
「ちょっと違うって?」
「ほかの女の人とこんなことしようなんて思わないの。あなただからよ」
「ぼくだから?」
「あなた、小さい頃女の子の洋服を着てたでしょう? わたしはそんなあなたを妹のように可愛がったわ。小学校の四年生の時だったかな、あなたが男の子の服装になったのは? あの時わたしはひどくがっかりしたの。中学の時、あなたが女装しているのを見つけたときはビックリしたと言うより嬉しかったのを覚えてるわ。だからあなたの女装を手伝ったの。化粧も妹に教えるように丁寧に訓練したわ。でも、あなたがだんだん男らしくなっていくのが悲しかったわ。今日、あなたが女としてわたしの前に現れた時、嬉しくて嬉しくて堪らなかったの。そして今判ったの。わたしはあなたを愛しているんだと」
「ぼくは弟だよ。いや、妹かな?」
「肉親に対する愛情じゃないわ、これは。あなたが男であろうと、女であろうと離れたくない、わたしの傍にいつも居て欲しいと言う心よ。うまく言えないけど、判ってくれる?」
「判るような気がするよ。ぼくにもそれに近い感情があるみたいだ。いつも圭子姉さんの顔が忘れられなかったもの」
「嬉しいわ。薫、今度はわたしがあなたにしたようにわたしにもして!」
わたしはさっき自分がされた通りに圭子姉さんにお返しした。しかしその時、ぼくは気分的には男に戻っていた。自分の姿を忘れて。しかも同時に姉を犯すと言うちょっと不道徳な感情を覚えた。
「良かったわ、薫。わたしもいっちゃった」
「良かった。慣れないからぼくが感じたみたいに、してあげられないかと思った」
「相手が男のときとは違う感じ方よ」
「えっ。そう言えば、圭子姉さん、姓が大田になっていたよね。まさか真二と」
「うん。そのまさかなの」
「ええっ。どうして?」
「あなたが死んだと聞かさせて、わたし、一週間も寝込んでしまったの。真二さんは毎日見舞いに来てくれて。あなたのお葬式が終わった次の日、結ばれたの。みんなには黙っていたんだけど、妊娠しているのが判って。お父さんはカンカンだったけど、お母さんが間に入ってくれて、真二さんが卒業したら結婚するということでまとまったの。四月八日の真二さんの誕生日に入籍して、四月十八日に男の子が生まれたの」
「そうなのか。圭子姉さん、おめでとう。あの真二とねえ。あいつ、ずっと圭子姉さんのことを狙っていたものね」
「狙っていただなんて。自然な成り行きよ」
「四月に生まれたのか。会ってみたいな、圭子姉さんの子供に。何て言う名前付けたの?」
「薫よ。あなたの名前を付けたの。あなたを忘れないために」
「ありがとう。薫かあ。ぼくの無くした名前だ」
わたしの名前を付けてくれた圭子姉さんに感謝の思いが浮かんだ。
「ところで、ぼくの葬式は九月だろう? 四月生まれだとかなり早産じゃないの?」
「・・・・」
軽い気持ちで言ったのに、圭子姉さんが黙り込んでわたしは何か悪いことを言ってしまったと後悔した。
「どうかした?」
「じつは、それでちょっと揉めているの。真二さんの子じゃないって、彼の親族が騒いでいるの。だから、家出をしてアメリカまで来たの。アメリカに来たのは、もしかしてあなたが生きているんじゃないかと思ったから」
「どうして?」
「遺品の中に、あなたにあげたお守りがなかったから。絶対体から離さないと誓ったのになかったから、もしかしてと思って、探す目的もあったの」
「お守りは今でも身に付けているよ、ほら」
「あなたは約束を守るものね」
「子供の方はどうなの?」
「四月生まれなのよ。逆算したら判るわ。妊娠したのは七月の終わり。あなたが出発した前日よ」
圭子姉さんの言うことの意味はすぐにわかった。冗談だと思ったけれど、圭子姉さんの目は嘘を言ってはいなかった。わたしはかなり焦った。
「まさか、ぼくの子供だなんて言うんじゃないよね。さっき、真二と結ばれて出来たって言ったよね」
「あれは、嘘。薫の父親はあなたよ。ほかに居ないでしょう」
「ほんとにぼくの子供なの?」
「あの日、あなたにお守りを持っていった後、しばらく出来ないからと言って女装プレイをしたわね。キスしてたらあなた興奮して、わたしとセックスしたじゃないの。覚えてないの?」
「・・・・覚えているけど、そんな・・・・、あの時だけだったのに」
「あのあと生理がなかったの。わたしはそれまで遅れたことなどなかったから、妊娠は間違いないと思ったの。どうしようかと迷っているうちに、あなたが死んだと聞かされて・・・・。わたしはあなたが好きだったから絶対産もうと決心したの。そんな時に真二さんが近寄ってきたわ。というより、わたしの方から誘ったの。薫の父親になってもらおうと思ったの。あなたとの間の子供なんて言ったら、産ませてもらえないと思って」
「そうなのか。真二はもちろん知らないんだろう?」
「もちろんよ。薫が生まれた時千九百グラムしかなかったから、早産と言うことで誤魔化したの」
「真二は、早産だと言うことを信じているのかい?」
「そう、真二さんは、自分の子供だと信じているわ」
「それじゃあどうして親戚が騒ぐんだい?」
「子供の血液型よ。薫はO型なの。あなたもわたしもO型でしょう? 真二さんはAB型なの。AB型とO型の親子関係は成立しないの。それに女には判るの。おなかの子供が誰の子かと言うことが。血液型からみても薫は絶対あなたとの子供なの」
「ぼくと圭子姉さんの子供・・・・。そういえば、真二から問題は解決したって言う伝言が来ていたよ。どういう意味か判る?」
わたしはバッグから電報を取り出して圭子姉さんに見せた。圭子姉さんは文面を見ていたけれど首を傾げた。
「薫のことかしら? 判らないわ」
「そう。それじゃあ、圭子姉さん、どうするの?」
「真二さんには、ほんとのことを話そうと思うの。あなたとの子供なら許してくれると思うわ」
「そうだろうか? うん、そうだね。真二なら許してくれるよね。けど、真二はともかく、真二の親戚はどうするんだい?」
「真二さんから説得してもらうわ。それがだめなら、別れてひとりで育てるわ。そうだ、薫。わたしと一緒に日本に帰らない?」
「だめだよ。ぼくは死んだことになっているし、やつ等にぼくが生きていることを知られたら、大変なことになるしね。それに養父母になんて言えば良いんだよ。ぼくは両親が死んで天涯孤独ってことになっているんだ。しかも女で、去年の暮れには婚約までしていたんだよ。とても優しくしてくれているのに、今更こんな話は出来ないよ」
「だめかしら」
「絶対だめだよ」
「そう。それじゃあ、仕方がないわね。でもあなたが生きていてくれただけでも嬉しいわ。そうだ。文通をしましょうよ。お互いに偽名を使って。そして時々会って。ペンパルと会うと言えばいいでしょう?」
「うん。そうしよう。ぼくも父さんや母さんのことを知りたいから」
「そうそう、あなたの養父母に会えないかしら。会ってどんな人か知っておきたいわ」
「無理だよ。ぼくと圭子姉さんは双子みたいに似ているのに。それに親戚は居ないことになっているから、従姉妹と言うのもだめだし」
「わたしがあなたに化けて行くというのはどう?」
「ええっ。うまくいくかなあ」
「こんなに似ているんだもの。少しの間だけなら大丈夫よ。髪の長さをそろえて服を取り替えれば、判りっこないわ」
わたしは鏡を見た。そこにはちょっと不安げな表情を浮かべた圭子姉さんが映っていた。その圭子姉さんはわたしなのだ。自分でも区別が付かないくらいなのだ。だったら大丈夫かなと思い直した。
「そうだね。逆にぼくが圭子姉さんに化けて、日本に行く事だって出来るかもね」
「そうよ。それがいいわ。ところで、あなた。今晩はどこに泊まるの?」
「このホテルに泊まるつもりだったけど、もうこのホテルには泊まれないし、どこかほかのホテルを捜さなくちゃ」
「ベッドがセミダブルだし、いっそのこと、この部屋に泊まったらどう? 二人一緒に外に出なければ、絶対見つからないから」
「そうだね。そうしよう。今からホテルを捜すのも面倒だし」
「そうと決まれば、薫。もう一度しよう。ね、いいでしょう?」
翌朝、圭子姉さんはわたしの髪の長さに合わせて髪を切り、服を取り替え、身分証明書とパスポートを交換して出掛けた。圭子姉さんは、サンディエゴへ。わたしはデヴィッドの墓参りへ。
圭子姉さんに養父母へのお土産を忘れないように確かめて、午後八時にホテルに電話をするように約束して別れた。
タクシーに乗って、デヴィッドの墓に花束を持って出掛けた。墓にはすでに花束がいくつか供えられていた。手を合わせて、お祈りしていると後ろから声を掛けられた。びっくりして振り向くと、デヴィッドの両親、ジョンソン夫妻が立っていた。
「お参りしてくださってありがとう。どなた?」
「あの、カオルの姉のケイコです。死んだ弟に換わってお参りに来ました」
カオルだとは言えないので圭子姉さんの名前を騙った。
「カオルのお姉さん。良く似てらっしゃるわ。ほんとに遠いところをありがとう。カオルも気の毒でした。デヴィッドが悪いことに誘ったものだから・・・・」
「デヴィッドさんのせいではないですわ。二人とも運が悪かったんです」
「そう言ってくださると心が安まります。お時間ございます? よろしかったらゆっくりカオルのことを聞きたいの。それにこちらに居た時のカオルの様子もお話しておきたいから」
「喜んで伺いますわ」
懐かしいジョンソン家に着いた時、涙が零れた。ケイトに「カオルはわたしです。元気です」と何度か言おうとする衝動に駆られたが、何とか抑えた。ジョンソン家には小一時間ほど居て、お暇した。墓参りに来てホントによかったと思った。
ほかに何もすることがないし、あまりうろうろして知人に出会うとまずいので、ホテルに帰って、シャワーを浴び、その後は墓参りの帰りに買ってきた雑誌を読んだり、ぼーっとテレビを見たりして過ごした。
午後八時ぴったりに姉から電話が入った。
「いいひとたちね、薫。わたしがこのままここに居ようかな?」
「冗談だろう、圭子姉さん。いくら似てると言ったって、長く居たらばれちゃうよ。それとも記憶喪失の真似でもする?」
「それいただき。それでいこう」
「何言ってんのさ。いいかげんにしなよ。圭子姉さんには真二と薫が待ってんだろう? 忘れたの?」
「そう、そうよね。真二さんはともかく、薫はわたしには絶対必要だもんね」
「そんなの真二に悪いよ」
「そうね。日本に帰ったら、真二さんに真っ先に謝らなくちゃ。明日の朝、そっちに戻るわ。出掛けないで待ってて」
「どこへも行かないよ。じゃあ、待ってる」
翌朝遅く起きて朝食を摂ると、やることがないので、ベッドに寝転がって、テレビを昨日と同じようにボーッと見ていた。
午前十一時頃、臨時ニュースが入った。サンディエゴ発ロサンゼルス行き急行列車が、踏み切りで立ち往生していた大型トレーラーにぶつかり、大勢の死傷者が出たと言うのだ。
「サンディエゴ発ロサンゼルス行きだって!」
チャンネルを変えてCNNにしてみた。すでに現場に中継車が到着して、キャスターが喚いていた。ひどい事故で、十数人の死者と百人近い重軽傷者が出ているらしいとのことだ。圭子姉さんがこの列車に乗っていないことを祈った。死者の氏名が画面に写し出されていくのを、目を凝らしてじっと見ていた。
最後から二番目の名前を見た時、目の前が暗くなった。「ミユキ・タカハシ」わたしの名前だ。つまり圭子姉さんだ。圭子姉さんは、わたしの身分証明書を持っているのだ。呆然と画面を見ていた。いや、同姓同名の女性かもしれないと思い直したが、不安は去らなかった。すぐに現場に行こうと着替えながら迷った。死んだ女性とうり二つの女性が現場に現れてもいいのだろうか?
思いついてドクター・ルーカスに電話をした。ベイカー捜査官に連絡を取って調べてもらおうとしたのだ。ドクター・ルーカスはテレビを見ていないらしく、事故のことは知らないようだった。
「ベイカー捜査官の連絡先なら知っているが、連絡はしないように言われているんだ」
「大事な用なんです。緊急に」
「緊急にだって、どんな話だ?」
「申し訳ありませんけど、ドクターにも話せないんです」
「わたしにも話せない緊急の話か。・・・・判った。だが、直接電話しない方が良いよ。わたしからそちらへ連絡するようにしてあげよう。電話番号を教えてくれ」
「無理を言ってすみません。ご恩は一生忘れません」
「今度一晩付き合ってもらおう。はっはっは」
一時間待った。それこそ首を長くして待った。正午を十五分ほど回った頃、ベイカー捜査官から電話が入った。
「生きていたのか、ミユキ。事故で死んだと連絡が入っているぞ」
「死んだのは姉です。もし間違いでなければ。ミユキ・タカハシという同姓同名の女性でなければ」
「ここは、日本じゃないから、そうそう、同姓同名は居ないのではないかな」
その時、写真入りの画面がテレビに流れ始めた。ミユキ・タカハシの写真は間違いなくわたしのものだった。圭子姉さんの死は決定的だ。圭子姉さんが死んでしまった。どうしたらいいのか、判らなかった。
「今、テレビの画面にわたしの写真が出ています。死んだのは姉に間違いありません」
「どうしてこんなことになったんだ?」
「姉とは昨日出会って、養父母に会いたいと言うので、服と身分証明書を貸してあげたんです」
「なぜそんなことをしたんだ?」
「今のわたしと姉は双子のように似ているんです。わたしは天涯孤独ということになっているし、一緒に行くわけにはいかないでしょう?」
「そうか。そうだな」
「これからどうしたらいいんでしょうか?」
「君はまた死んだことになったわけだ。うーん」
「死んだのが姉かどうか、確かめにいってはいけないでしょう?」
「当然だ。ところでお姉さんのパスポートはどこにある?」
「ここにあります。荷物も全部」
「君とお姉さんは双子のように似ているんだな?」
「はい。鏡を見ているように似ています」
「それなら迷うことはない。君がお姉さんに成りすまして日本へ帰るんだ。そう、それがいい」
「そんな! 姉はどうなります。姉が可哀相です」
「お姉さんはタカハシ氏が丁重に葬ってくれるよ。ただしミユキとしてだがね。置き去りにするわけじゃない」
「でも・・・・」
「君が出ていってもどうなるもんじゃない。事態が混乱するだけだ。君がお姉さんに成りすまして日本に帰れば、すべてが丸く収まる。そうするんだ」
ベイカー捜査官からの電話が切れたあともどうしようか悩んだ。タカハシ夫妻の元へ行こうか? わたしが本物のミユキであることはすぐに証明できるだろう。しかし死んだのは誰だということになったとき混乱が起きる。すべてを話さなければならなくなる。そうなった時、タカハシ夫妻は、逃亡者で性転換者のわたしを愛してくれるだろうか? 自信がなかった。
タカハシ夫妻は嘆き悲しむだろうな。あんなに娘が出来たと喜んでいたのに。涙が零れた。この姿では西条薫として日本に帰るわけにもいかない。帰れない。そうなると日本の父母はわたしと圭子姉さんの二人を失うことになる。しかもわたしが生きていることが麻薬組織に知られれば、また命を狙われる可能性もある。今のわたしの容姿なら、圭子姉さんとして日本へ帰ることができる。ベイカー捜査官の選択がベターな選択だろう。わたしは意を決し、圭子姉さんのパスポートを握り締めた。家族の待つ日本へ帰ろう。大田圭子として。