第十一章 真実は霧の中

 山岸は、ソファーに寝転がって、天井を見上げながら考えていた。この事件については、被疑者死亡で、書類を出せばいいことなのだが・・・・。
 事件は、一ヶ月前の夕刻に起こった。若葉園という老人ホームに入所中だった高橋美由紀という老女が、訪ねてきた大田真二という老人をナイフで刺し殺し、その直後同じナイフを使って自ら命を絶ったのだ。
 高橋美由紀と大田真二は、一見何も関係がなかった。しかし、殺された大田真二の鞄の中から出てきた大学ノートに書かれた小説が、二人の関係を暗示していた。実名で書かれたこの小説がフィクションではなく、真実が含まれているとすれば、高橋美由紀が大田真二を殺した動機が分かるのかもしれない。

 「山さん、頼まれていた書類が全部揃いました」
 「おう、じゃあ、そっちで検討しよう」
 二ヶ月前からコンビを組まされている清水が、書類を抱えてデカ部屋へ戻ってきた。清水は、二年の駐在勤務を終えて、この春から刑事になったばかりの新人だ。その面倒を山岸が見させられているというわけだ。真面目が取り柄だが、刑事としては向いていないなと山岸は思っている。
 「山さん、検討はいいけど。もう、昼飯時ですよ。飯食ってからにしませんか?」
 「そうだな。カレーを頼んでくれないか?」
 「また、カレーですか? カレーばかりだと、体を悪くしますよ」
 「俺はカレーが好きなんだ。いいから、カレーを頼んでくれ。・・・・そうだな、そう言うのなら、今日はカツカレーにしよう」
 「分かりました」
 清水が、近くの食堂に電話している間に、山岸は揃えられた書類に目を通した。
 「山さん、注文しておきました。二,三十分したら来るでしょう」
 「じゃあ、始めるか」
 「山さんは、一分も待てないんですね」
 「いつ何時、何が起こるかわからんからな」
 「それもそうですね」
 山岸と清水は、机を挟んで書類を見ながら検討を始めた。
 「清水、DNA鑑定の結果はどうだった?」
 「えっとですねえ。西条薫の遺骨の検査結果は、性別は女で、血液型はB型。大田圭子は、男、血液型はO型。高橋美由紀は女で、O型でした。ということは・・・・」
 「入れ替わっているんだな。はっきりしているのは、大田圭子が、実は、性転換した西条薫だと言うことだな」
 「そう言うことになりますね。だとすると、本物の大田圭子は血液型がO型ですから、今回の被疑者の高橋美由紀が本物の大田圭子で、西条薫として葬られた人物が高橋美由紀だと言うことですね」
 「それで間違いないだろう」
 「まず、手記の中に書かれているように、性転換した西条薫が、女の身分証ほしさに、高橋美由紀を殺して入れ替わったってことですね」
 「清水。西条薫が高橋美由紀を殺したというのは、ちょっと違うようだぞ」
 「えっ!? どうしてですか?」
 「このロス市警の報告書だ」
 山岸は英語で書かれた分厚い書類を取り出した。
 「この報告書に寄れば、高橋美由紀と西条薫が乗った車が事故を起こして、西条薫が死んだことになっている」
 「だから、西条薫が殺して入れ替わったんでしょう?」
 「報告書に寄れば、ひとりは車内で、性別が分からないくらい黒こげだったそうだ」
 「西条薫としては性別が分かっては困りますからね」
 「まあ、待て。最後まで良く聞け。車外に放り出されて助かった女性も二週間意識不明の重体だったと記載されている。その間に、黒こげの死体は、西条薫として、日本の慣習に従って荼毘に付されて、日本へ帰っている」
 「重体になったのは別として、西条薫の思うつぼじゃないですか」
 「いいか、清水。考えても見ろ。西条薫が性転換して女になっていたことは、ロス市警は知らないんだ。男の西条薫と女の高橋美由紀がドライブに出て事故を起こした。意識不明だが助かったのは女だ。黒こげの死体は、どちらだと考える?」
 清水は頭をひねって考え込む。
 「・・・・そうか。死んだのは当然西条薫と言うことになりますね」
 「その通りだ。意識が戻ったとき、西条薫は自分が高橋美由紀と間違われていることに気づく。そこでこう考える。間違われたままでいれば、高橋美由紀という女の身分証明書が手に入ると」
 「なるほど」
 「西条薫の犯した罪は、意識が戻ったときに、女の身分証ほしさに、自分は高橋美由紀だと名乗ったことだろう」
 「女の身分証が手に入れば、正式に大田真二と結婚できますからね」
 「そう言うことだ。しかし、すぐに帰国して大田真二に連絡すれば良かったのに、そうはしなかった。女の身分証が手に入って浮かれていたんだろうな。他に事情があるのかも知れないが、ともかくサンディエゴで、喜多川賢治に出会うことになる」
 「喜多川賢治というのは、西条薫が、高校時代から関係があった男ですね」
 「そうだ。手記の中には、サンディエゴで愛人として暮らしていたようなことが書かれていたが、記録に寄れば、西条薫は、高橋美由紀として喜多川賢治と正式に婚姻届を出している」
 「えっ! 結婚していたんですか?」
 山木にの差し出した婚姻記録のコピーを清水はまじまじと見た。
 「間違いない。西暦二千年一月一日付だ」
 「大田真二のことは忘れてですか?」
 「大田真二は西条薫のことが好きだと言うことは確かだろう。しかし、結婚まで考えていただろうかね。たとえ西条薫が女の身分証を持っていたとしても、帰国したとき真二が一緒になってくれるかどうか、はなはだ疑問だ。目の前に、自分が性転換者だと知っていて、しかも求婚してくれる男がいたなら、その男と結婚するのは決して間違った選択ではないだろう。そうは思わんか?」
 「なるほど、なるほど」
 「喜多川賢治が事故で死んで、西条薫は再び高橋美由紀に戻るわけだ」
 「西条薫がロバート・ステュワートを使って喜多川賢治を殺させたというのは?」
 「今までの推理が正しければ、それはないだろう。告白の部分では、どうも西条薫を陥れるような印象を受ける。喜多川賢治がサドで、それがイヤで殺させたとね」
 「女として認めてくれて、結婚してくれた男を殺すわけが無いというわけですね」
 「その通りだ。しかも、喜多川賢治はかなりの財産家だったと言うから、ロバート・スチュワートみたいなやくざな男のために、喜多川を殺すことはあり得ないよ」
 「この告白の部分は誰が書いたのでしょうか?」
 「大田圭子は、高橋美由紀としてアメリカの精神病院に入院していたから、書けるはずがない。大田真二には知り得なかったことが書かれてある。そうなると、西条薫自身が書いたものと言うことになる」
 「自分で自分を陥れたというのですか?」
 「わからんなあ。どうしてこんなことを書いたのだろう?」
 「やっぱり手記の内容が真実なんじゃないですか?」
 「そうかなあ」
 「高橋美由紀が黒こげになって、性転換した西条薫が生き残れば、黒こげ死体が西条薫で、生き残った方が高橋美由紀だと見なされるって言うのは間違いないですよね」
 「そうだな」
 「西条薫は、初めからそれを狙っていたんでしょう。それならば、すぐに帰国しないで、サンディエゴに行ったという理由が分かりますよ。ほとぼりを冷ます目的だったと書かれてあったでしょう?」
 「そうだな」
 「喜多川賢治の件も同様に考えると、喜多川がサドだったというのが真実で、結婚はしたものの、思いも寄らぬ仕打ちを受けて、ロバート・ステュワートに殺させたという方が合理的でしょう」
 「そうかもしれんなあ」
 山岸は考える。小説自体が、どこまで真実で、どこまで嘘なのか分からない。見方によっては、西条薫が高橋美由紀や喜多川賢治を殺したとも、殺してないとも、どちらにも考えられる。決定的な証拠はどこにもない。
 「ところで、大田真二の手記によれば、大田圭子として死んだのは、西条薫の振りをしていた大田圭子だと言うことになっていますが・・・・。実際には、西条薫だったんでしょう?」
 「DNA鑑定で大田圭子は男だと判定されたから、何処かで入れ替わっているんだろうな」
 「大田真二は、騙されていたんですね」
 「そういうことになるな」
 「じゃあ、入れ替わったのは、アメリカから帰国するときですかね?」
 「いや、それは違うだろう」
 「えっ!? どうしてですか?」
 「赤ん坊だ」
 「赤ん坊?」
 「そうだ。西条薫が性転換し、整形手術までして大田圭子とそっくりになったとしても、赤ん坊が間違えるはずがない」
 「でも、西条薫が父親なんでしょう? だから・・・・」
 「赤ん坊にとって、父親の存在はそれほど大きくはないと思うが、どうだ?」
 「・・・・そうですね」
 「それにだな。もし帰ってきたのが、西条薫なら、助かった大田圭子が黙っているはずはない。すぐに日本へ帰って来たはずだよ」
 「西条薫がベランダから落ちたのなら、助かったとしても帰国を諦めざるを得ないと言うわけですね」
 「そう言うことだ。さらに、この大学ノートの書かれた小説だが、西条薫と大田圭子がホテルで出会う場面から、筆跡が違っている」
 「あれ!! ほんとだ」
 「前半は、恐らく、西条薫が性転換したのは、自らの意志ではなく、無理矢理性転換されたのだと強調したいがために、西条薫が書いたものだろう」
 「なるほど」
 「この事件は、小説の中にも書かれているように確かに存在したが、目撃者の少年は、裁判所を出たところで銃弾に倒れている。それは、間違いのない事実だ。それを西条薫は利用したようだな」
 「そうすると、大田真二が書いているように、西条薫は、姉の大田圭子を呼び寄せて、殺して入れ替わろうとしたけれど、その時は果たせなかったというわけですね」
 「そうだ。ところで、清水。大田圭子は、帰国後、どうして性転換した西条薫を演じていたと思うか?」
 「えっ!? どうしてって、真二が書いているように、少しおかしくなっていたせいじゃあないんですか?」
 「そこが解せんのだなあ」
 「山さんはどう思っているんですか?」
 「大田圭子がアメリカに渡ったのは、西条薫を殺すつもりじゃなかったのかと思うんだ」
 「ええっ!?」
 「俺が考えるには、だ。大田真二はホモで、西条薫が好きだった。大田圭子は、大田真二が好きだったが、相手にして貰えなかった。西条薫の葬式のあと、上手いこと大田真二を誘って、妊娠して結婚することができた。ところが、死んだはずの薫から連絡がある。薫が生きていれば、真二の心が自分から離れていってしまうことは明白だ。だから、大田圭子は、あの日ロサンゼルスに西条薫を殺しに行ったのだと思う」
 「そこまでは考えませんでした」
 「互いに殺す目的で、あのホテルで落ち合ったのだが、ベランダから転落したのは、西条薫の方だ。西条薫を殺したと思いこんだ圭子は、帰国するのだが、少し作戦を立てる」
 「どういう作戦ですか?」
 「大田真二は、本来ホモだから、本物の女である圭子にはあまり興味がない。だから、性転換して女になった西条薫の振りをしていれば、愛されると思ったのだろう」
 「はい、はい、納得です。すると、大田圭子と西条薫はいつ入れ替わったんでしょう?」
 「大田夫妻は、子どもの薫を連れて、ディズニーランドに行っているな」
 「そうでしたね」
 「大田圭子は、実の子どもの薫が死んでからは、本当に少しおかしくなっていたらしい。養女の薫を、ずっと男として育てたり、真二が死んだといって、兄と結婚したつもりになるなどな」
 「圭子が、一時期おかしかったという証言は、確かにあります」
 「この資料に寄れば、大田夫妻がディズニーランドに遊びに行ったあとに、高橋美由紀が精神病院に入院している。義理の姉が入院手続きをしたそうだ。その義理の姉の名前が、ほらここに書いてある。大田圭子だ」
 「と言うことは、大田圭子を高橋美由紀として精神病院に入院させて、入れ替わったってことですか?」
 「そうだ。その時しか二人が入れ替わるチャンスはないだろう。西条薫は、一度でいいから大田真二に抱いて貰おうと大田真二のいるモーテルを訪ねた。しかし、拒否される。どうしても抱いて貰いたい西条薫は考える。姉の大田圭子と入れ替わって抱いて貰おうと。
 西条薫が性転換したとき、大田圭子そっくりに整形してもらった書いてあるが、18年も別々の環境で暮らしていれば、少しは違っているはずだ。しかしその当時のふたりも瓜二つだったと、大田真二の手記に書かれている。恐らくそのことを西条薫は大田真二から聞いたのだろう」
 「聞かなくても、モーテルに行ったとき、圭子として扱われればそのことに気づきますよね」
 「そう言うことだな。西条薫にとってさらに都合のよかったことは、大田圭子が少しおかしくなっていることだ。頭がおかしな振りをしていれば、18年間のギャップが埋められるからだ」
 「西条にとってはいいこと尽くめでしたね。しかし、精神病院に入れられて、よく大田圭子が騒がなかったですね」
 「その頃の大田圭子は、恐らく自分がどっちなのかわからなくなっていたんじゃないかな? だから、西条薫の方がわたしが大田圭子よと言えばそうなのかと納得したのだろう」
 「なるほどねえ。しかし、いくら似てるからといって、よく騙し通せたですね」
 「だから、大田圭子は少しおかしくなっていたと言っただろう? 少々おかしなことをしても、西条薫は大田圭子ではないと疑われなかったんだろう。それにな。ディズニーランドから帰国したあと、大田夫妻は、博多に転居している。つまり、転居の理由は、圭子がおかしいことを隠すためではなく、西条薫が大田圭子と入れ替わったことを隠すためだったと思うんだ」
 「大田真二は、どうしてのこのこ高橋美由紀こと大田圭子に会いに行ったんでしょうね。大田圭子は、精神病院に入れられて、怒っているでしょうに」
 「大田真二が、西条薫と大田圭子が入れ替わっているのに気づいていない証拠だよ」
 「・・・・そうか、そうですね」
 「追加された手記の最後に書かれているのは、真二の真実の言葉だろう。おそらく、西条薫は、大田真二に気づかれないように、大田圭子を精神病院に入院させて入れ替わって、真二と暮らして大田圭子として死んだ。大田真二は、入れ替わったのを知らないから、アメリカから帰ってきて老人ホームで暮らしているのが、西条薫だと思いこんで、最後の時間を過ごすために会いに行ったわけだ」
 「大田圭子は、いつの頃からか自分は西条薫ではなく大田圭子だと言うことに気づいたのですね。しかし、すでに時がたちすぎていて元には戻れないと判断した。自分を精神病院に閉じ込めたのが、西条薫と大田真二が結託してやったと思いこんでいたから、やって来た大田真二を復讐のため殺したというわけですね」
 「事件を目撃した看護婦によれば、大田圭子は大田真二を刺したあと、大声で泣きながら、同じナイフで、自分の胸を刺して、真二に覆い被さるように抱きついて死んだと言うんだ。大田圭子は、憎かったが真二を愛していたと言うことだろう」
 「なんだか、知りたくなかったですね。事件のこんな背景は・・・・」
 「そうだな。真実を知らない方がいいこともあるってことさ。清水、飯が冷えてしまうぞ。さあ、食うか?」
 「そうしましょう」
 ふたりは、話の途中で届いた出前を食べ始めた。山岸の脳裏に、今二人で話したことにどれくらいが真実なのだろうかという考えがよぎった。事実は、西条薫が性転換して、最後は大田圭子として死んだこと。大田圭子は高橋美由紀として大田真二を殺して死んだこと。高橋美由紀は、西条薫として葬られたこと。それだけだ。
 ・・・・しかし、大田真二はホントに西条薫と大田圭子が入れ替わったことに気づかなかったのだろうか? もしかして、気づいていて気づかぬふりをしていたとは考えられないか? 大田真二は本来は西条薫を愛していたのだから。
 そうなれば、大田真二が刺されたわけが一層明確になる。大田真二が高橋美由紀として暮らしている大田圭子に、おまえは西条薫ではなく大田圭子だと告白したのだ。そうとすれば、自分を取らずに弟である西条薫を取った大田真二に殺意が浮かぶはずだ。そして、刺してしまったあと、愛する男を殺したことに絶望し自殺する。
 これが真実に一番近いのかも知れないが、すべては憶測に過ぎない。真実は恐らく西条薫しか知らない。
 まあ、こんな推測を調書にしても、上司に怒られるだけだから、胸にしまっておこうと決めて、カレーを口に運んだ。


第十一章終了