第7章 開幕

 大きな門が開き、原口とぼくが乗ったクラウンが、玄関までの砂利道をゆっくりと進んでいった。ぼくは緊張のあまり、青くなっていた。
 「落ち着いて、落ち着いて」
 そう自分に言い聞かせながら、何度も何度も深呼吸した。

 車が玄関先に停まり、原口が開けてくれたドアからぼくは外へ滑り出た。足先から綺麗に出られたと思う。ぼくはもう一度深呼吸をして、髪が乱れていないか点検した。軽くウエーブのかかった内巻きのボブが揺れていた。

 軽井沢の別荘で北野に切ってもらってから伸び放題になっていた髪を、この屋敷に来る前にホテルの美容室でちょっと手入れしてもらっていた。
 「いらっしゃいませ。いかが致しましょう」
 「先月切って、そのままにしていて。ちょっとまとめていただければいいんですけど」
 「承知いたしました」
 美容師は、手慣れた手つきではさみを動かし、毛先に大きめのカールを巻いた。ちょっと触っただけだと思ったのに、仕上がってみると、見違えるように整っていた。
 「さすがはプロだわ」
 「ありがとうございます。お嬢さんがお美しいですから、やり甲斐がありましたわ」
 絶対にお世辞だと思ったけれど、お美しいと言われて悪い気はしなかった。

 「さあ、行くぞ」
 原口に促されて、ハッと正気に戻った。
 「はい」
 砂利の敷かれた道は、ハイヒールで歩くには歩きにくかった。しかし何とか玄関にたどり着いた。
 「いらっしゃいませ。原口様」
 品のいい和服の女性が、両手をついてぼくたちを出迎えた。
 「ご老体は?」
 「お部屋で待っておられます」
 「そうか。加奈子さん、行くよ」
 「はい」
 ぼくはハイヒールを脱いで、後ろ向きに玄関へ上がった。韓国では、こうやると長居したくないと言う意味を表し、訪問した家の人に失礼に当たるんだけど、日本ではこうするのが礼儀なんだよねと思っていた。
 「こちらが加奈子様ですね」
 「そうだ」
 原口が答えると、その女性は涙をいっぱいに浮かべた。
 「お嬢様にそっくりでいらっしゃいますこと・・・・」
 「絹代さんもそう思うだろう? わたしも初めて出会ったときに、もう間違いないと思ったよ」
 「そのワンピース、よくお似合いで・・・・」
 ぼくは、北野が選んだ真っ白なワンピースを着ていた。肩ひもは細く、胸を強調するようなデザインになっていて、女にしてはお尻が小さいことを隠すために、スカートの部分はふわりと広がったデザインになっていた。
 「旦那様がお喜びになりますわ」
 「じゃあ、奥へ」
 「どうぞ」
 絹代と呼ばれた女性は、どうも長くこの屋敷にいる女中のような人らしい。その女性について、廊下を歩いていった。

 池の中に、かなり値段がするだろうなと思う錦鯉が泳いでいた。築山もそれだけで家が一軒建ちそうなくらい立派だった。その池に面した南向きの部屋に導かれた。
 「旦那様、原口様がお見えです」
 「待っていたぞ」
 太いが、やや弱々しく聞こえる老人の声がした。
 「お邪魔します」
 原口が部屋の中に入った。ぼくも続いて入る。光がとぎれた陰にベッドがあるようだ。直射日光があたらないように気配りされているのだろうと思った。
 「原口、見つかったのか?」
 「はい。ここに」
 原口が、ぼくを前に出るように促した。
 「はやく、こちらへ。顔を見せてくれ」
 ぼくはゆっくりとベッドに近寄っていった。光が射していないところに入ると、ベッドの上の老人がはっきり見えた。
 老人は白髪で、伸びた髭も白かった。青白く、痩せ細っていたが、目だけは爛々としていた。
 「早く、こちらへ」
 ぼくはベッドのそばまで行った。
 「もっと近くによって、顔をはっきり見せてくれ」
 ぼくは跪いて、老人の顔のそばにぼくの顔を近づけた。
 「おうおう。奈々美が帰ってきたようだ」
 そう言いながら涙を流した。老人は、優しくぼくの頭を抱いた。
 「もう手放さんからな」
 そう言いながら、オイオイと泣き出した。こんなに喜んでくれて、女性ホルモンを打って豊胸術まで受けた甲斐があったと嬉しくなった。
 「ご老体。これが、あなたのお孫さんだという証拠です」
 原口は、ぼくが見たこともない写真を取りだして老人に見せた。その写真には、あのセーラー服を来たと同じ女性が、赤ん坊を抱いてにっこり微笑んでいる姿が映っていた。
 「この写真を?」
 「はい。この娘が持っておりました」
 「そうか。・・・・いや、こんな写真を持っていなくとも、この子が儂の孫娘だと直感でわかる。間違いない」
 偽物どころか、ぼくは男だ。直感なんて当てにならないよ。そう言ってやりたいところだが、そんなことを言うわけにはいかない。
 老人が安心したように眠り込んでしまうまで、ずっと手を握っていた。

 「うまく騙し通せたみたいだな」
 「はい」
 老人が眠ってしまってから、ぼくと原口は応接室に案内されて、絹代に入れてもらったお茶を飲んでいた。
 「ご老体の命はもう長くない。それまで、何とか騙し続けてくれ」
 「わかっています。あれほど喜んでくれるのですから、役者冥利に尽きます。きっとやり遂げて見せます」
 「頼んだぞ」
 そんな話をしてからしばらくして、絹代がやってきた。
 「加奈子様、お部屋の用意が調いました。どうぞいらしてください」
 原口が顎で促したので、絹代についていった。案内されたのは、12畳くらいの広い洋室で、大きなベッド、立派なドレッサーが置いてあり、庭に面した窓の右手に大きなクローゼットがあった。
 「すぐにお洋服を運んで参りますから」
 そう言って、絹代は部屋を出ていった。入れ替わりに原口が部屋に入ってきた。
 「いい部屋だな」
 「はい」
 「持って来た衣装だけでは、このクローゼットは埋まらんな」
 「そうですね」
 「何でも買ってくれるから、おねだりするといい」
 「そうですか。でも、女物でしょう? この劇が終わったら、もういらなくなるから、勿体ないですよ」
 「あ、そうだな」
 原口は、頭をかいて笑った。
 「じゃあ、頼んだよ。ときどき、様子を見に来るからな」
 そう言い残して、原口は去っていった。

 部屋を出て、老人の様子を窺ってみたけれど、ずっと眠っているようで、起こすといけないので、部屋に戻って持って来た衣装の整理をした。
 「1週間ならいいけど、1ヶ月もかかるんだったら、やっぱり衣装が必要だな」
 そう思っていた。

 しばらくして、部屋のドアがノックされた。
 「お嬢様?」
 「はい」
 「昼のお時間ですが、もしできるなら、お嬢様が旦那様に食べさせてはいただけませんか?」
 「ええ、喜んで」
 キッチンへ行くと、ワゴンの上に、お粥と梅干し、解した白身の魚、温泉卵が乗っていた。ぼくはワゴンを押して、老人の元に行った。
 障子を開けると、老人が目を覚ました。
 「ああ、加奈子。わたしの大事な加奈子。夢じゃなかったんだな」
 涙目でぼくを見つめた。騙しているのに悪いなと思ったけれど、気を取り直してワゴンをベッドのそばに押していった。
 「お祖父様。お昼ですよ。さあ、食べましょう」
 スプーンでお粥をすくって口まで運んでやると、嬉しそうな顔をして飲み込んだ。1時間をかけて、ゆっくりと食べさせてやった。
 「もう、いい」
 そう言ったときには、運んできた食事は、ほとんどなくなっていた。食べ終わると、老人は、再び安心したように眠り込んでしまった。
 ワゴンをキッチンへ持って帰ると、絹代が驚いたような顔をした。
 「旦那様が全部食べたのですか?」
 「そうです」
 「こんなに食べていただいたのは、2ヶ月ぶりです。さすがにお嬢様。あなたのおかげです。これで旦那様もお元気になりますわ」
 涙を流して喜ぶ絹代に、ぼくはにっこりと笑って見せた。

 食事を取らせるの小一時間かかってしまうけれど、そのほかの時間はほとんど眠っていたので、ぼくはかなり時間をもてあましていた。
 「屋敷を離れている間に、旦那様の容態が悪くなっては・・・・」
 と言われて、ぼくはずっと屋敷に籠もっていた。ただ、絹代が料理の仕方をいろいろと教えてくれた。北野は洋風の料理ばかりを押してくれたけど、絹代は和風だったから、結構楽しかった。
 さらに、編み物の仕方を教えてくれた。これは料理よりも楽しかった。編み物のいいところは、老人のそばにいられて、かつ退屈がしのげることにあった。

 屋敷に来て一週間ほどすると、老人はずいぶん元気になり、午前中は起きてぼくと話しをするようになった。ただ、ぼくの方から話すのではなく、昔の思い出話を延々と聞かされるのだ。しかし、それはそんなに不快じゃなかった。自分の知らない遠い昔の話しは、結構面白いのだ。

 そんなある日のこと、昼食がすんで午後の昼寝に入った老人の横で編み物をしていると、鞄を抱えてスーツをぱりっと来た青年がやってきた。
 「会長とお話しができますか?」
 「ちょっと今は休んでおります。・・・・あのう、どなたでしょうか?」
 「総務をやっております、土田と言います」
 「土田さん・・・・。どのようなご用事で?」
 そう答えると、土田という青年は、ちょっと首を傾げた。
 「あのう、もしかして、会長が捜されていた会長のお孫さんですか?」
 「あ、はい」
 そばに老人が寝ていて、もしかすると聞かれるかもしれないから、ぼくは老人の孫娘と言うことで通すことにした。
 「そうですか。お母様の写真を時々拝見させていただいていましたが、お母様にそっくりですね」
 「そうでしょうか?」
 「いやあ、ホントに美人です」
 そんなことを言われて恥ずかしくなった。ぼくが男だと知ったら、どんな顔をするだろうかと内心おかしかった。
 「何だ、土田? どうした?」
 老人が目を覚ました。
 「会長。お休みのところ申し訳ありません。是非会長の決裁をいただきたいと思いまして、参上しました」
 「見せてみなさい」
 土田が老人に書類を手渡した。ぼくは部屋を出て、キッチンへ行き、お茶を入れると、盆に載せて部屋まで運んでいった。
 「粗茶ですが」
 「あ、ありがとうございます。会長のお孫さんにお茶を入れていただけるなんて、光栄です」
 ほとんど直角に腰を曲げて礼を言う土田に、ぼくはちょっと笑いを覚えた。
 「これでいいだろう。あとは君の考えでやってみたまえ」
 「かしこまりました」
 書類を老人から受け取ると、土田はお茶をぐっと飲み干して、失礼しましたと言い残して部屋を出ていった。

 盆を下げて部屋に戻ると、老人が手招きした。
 「つかぬ事を聞くが、・・・・加奈子には恋人は、いるのか?」
 「恋人ですか? そんな人、いないけど。それがどうかしたの?」
 「加奈子。今の青年をどう思う?」
 「今のって、土田さんのことですか?」
 「ああ、そうだ」
 「好青年だと思いますけど」
 「そうか。あの青年は、儂が会社を興したときの共同経営者の孫でな。ゆくゆくは、会社を譲ろうと思っているんだ」
 「そうなんですか」
 「そこでだな。加奈子に相談があるんだが・・・・」
 「いったい何? 相談って?」
 「あの、土田と結婚してはくれまいか?」
 「ええっ!!」
 「だめか?」
 「そんなこと、急に言われたって・・・・」
 ゆっくり言われたって困るのだ。
 「儂の命はもう長くない」
 「そんなことないです」
 「嘘を言ってもわかるんだ。だから、死ぬ前におまえの花嫁姿を見たい。年寄りの最後の願いだ。どうか聞き入れてくれ」
 そんなこと、聞き入れられるわけがないのだが、ここはともかく逃げておくことにした。
 「お祖父様。わたしの一生がかかった問題だから、一晩考えさせて」
 「わかった。しかし、いい返事を待っているよ。土田は優秀な青年だ。あれと結婚すれば、きっと幸せになれる」
 「よく考えます」
 そう言い残して、逃げるように自分の部屋に戻った。

 部屋の戻ると、ぼくは原口に電話した。
 「もしもし、わたしです。加奈子です」
 『なんだ? どうした? そんなに慌てて』
 「実は、さっき、お祖父様から会社の土田という人と結婚しないかと言われたんです」
 『土田? ああ、総務にいる、会長の昔の共同経営者の孫だな』
 「そうなんです。その土田さんです」
 『会長のお気に入りだからな』
 「どうしたら?」
 『結婚したらどうだ?』
 「冗談、言わないでください。わたしが土田さんと結婚できるわけがないじゃないですか」
 『はは。・・・・しかし、願いは叶えてやらんと』
 「だから、それはできないと・・・・」
 『真似事だったらできるんじゃないか?』
 「真似事ですか? つまり、偽装結婚式をしようって言うわけですか」
 『ああ、そうだ。ご老体は動けないから、結婚式そのものには出席できないだろう。だから、ご老体の部屋で、結婚式を挙げることにするんだ』
 「それはいいけど、土田さんにはなんと?」
 『わたしの方から話してみよう』
 「わたしが男だってことは?」
 『それは言わなくてもいいんじゃないか? どうせ、ホントに結婚する訳じゃないんだから』
 「でも、土田さんは本気にするかも」
 『・・・・そうだな。ご老体の孫娘とだからな。仕方がないな。土田君には、今回の件について、きちんと話しておこう。その上で、偽装結婚式に協力してもらおう』
 「そうしてください。じゃあ、わたしは、お祖父様に、土田さんと結婚してもいいって返事をしておきます」
 『わかった。こちらも早急に話しを付けておく』
 「じゃあ、お願いします」

 翌朝、ぼくは老人の部屋を訪れて、結婚の意志を伝えた。
 「そうか。土田と結婚してくれるか」
 「はい。あの方、いい人みたいだったし、お祖父様が勧めてくれるのなら、間違いがないと思って」
 「そうか、そうか」
 老人は、涙を流して喜んだ。偽の孫娘が偽の結婚式をすることには、後ろめたさがあった。だけど、余命幾ばくもない老人の願いを叶えるためだからと、自分を納得させた。