第6章 さらに女らしく

 「そんなことがあったのか」
 ちょっと笑ったあと、原口は深刻そうな顔になった。
 「どうしたんですか?」
 「まだ身代わりが見つからないから、大森君の出動を願わなければならないようなんだが・・・・」
 「それはもう覚悟しています。わたし、身代わりをやれる自信があります」
 「うん。まあ、大丈夫とは思うが・・・・」
 「何が問題なんですか?」
 「今話しただろう? ブラジャーの中に入れたシリコンの人工乳房が、ずれたり落ちたりしたらどうしようかなと思ってな」
 「あ、そうですね」
 演劇の途中なら、笑って誤魔化すことも出来るけれど、癌で死にそうな老人を、ある意味で騙すのだ。ばれてしまっては、どうしようもないのだ。失望させて、かえって悪い結果になってしまう。
 「しばらく接着剤を使いましょうか?」
 「アレルギーが出るんだろう? 2ヶ月も我慢できるのか?」
 そう言われてはたと困った。あの痒みを考えると、とても2ヶ月は我慢できそうもなかった。
 「・・・・2、3日ならともかく、2ヶ月は・・・・」
 「そうだろう? 困ったな」
 せっかくここまで来たのに、最後になって挫折してしまった。ま、ぼくとしては、女の子を演じるという演技をある程度極めたことで満足していた。
 「いっそのこと、中に入れてしまいます?」
 北野が言い出した。
 「中に入れるというと?」
 「いわゆる豊胸術ですよ」
 簡単そうに北野が言った。
 「ほ、豊胸術!?」
 ぼくは驚きに目を見張った。
 「女性ホルモンのせいで、女みたいになっているのに、この上豊胸術なんてやったら、ほんとにオカマですよ」
 ぼくは両手をあげて、原口と北野に拒否のポーズをした。
 「豊胸術ねえ」
 原口は真剣に考え始めた。
 「中に入れてしまえば、ずれたり落ちたりする心配はないか・・・・」
 「そうですよ」
 北野が同意する。
 「とんでもないです」
 ぼくは、両手を振って反論する。
 「あら? お仕事が終わったら、取り除けばいいのよ」
 北野がいつものように簡単に言った。
 「はあ?」
 「わたしのお友達に、豊胸術を受けた人がいるのよ。最初は、Dカップになったって喜んでいたけど、彼氏が嫌ってね。人工的な乳房よりない方がましだって言われて、結局取り除いたんだけど、まったく元通りになっていたわ。だから、そんなに大上段に構えなくてもいいわよ」
 「うん。そうだな。今回の身代わりの役目がすんだら、シリコンを取り出して、女性ホルモンを止めれば、元の大森君に戻れる。そうしてくれ」
 二人から真剣に見つめられて、うんと返事をせざるを得なかった。
 「・・・・ここまできたら、やります」
 しかし、実のところ、原口の知り合いの老人が探しているという女の子を演じてみたかったのだ。ぼくの演技力がどれほどか、試すいいチャンスだからだ。
 「そう言うのなら、早速今晩にでもやって貰おう」
 「こ、今晩ですか?」
 「ああ。善は急げと言うだろう?」
 言うが早いか、原口は電話をかけ始めた。
 「今すぐというわけには。だめですか。お願いしますよ。先生とわたしの仲でしょう? えっ! 午後9時からならいい? 恩に着ますよ、先生。じゃあ、午後8時までにそちらへ。わかりました。夕食は食べさせないようにするんですね。はい。じゃあ、午後8時に」
 電話を置くと、原口はにこにこ顔でぼくに言った。
 「わたしの中学時代の先輩でね。美容形成が専門なんだ。最後の手術がすんだら、やってくれると言ってるんだ。すぐに出掛けよう」
 肯かざるを得なかった。

 新宿にある、大きな病院だった。裏口からこそこそと入って診察室に入った。
 「ほう、君か。可愛いのに、胸が小さくて悩んでいるんだってね」
 「はい」
 原口と口裏を合わせていた。原口は、医者にはぼくが男だとは話していない。ばれたらばれたときだと言うことで、小さな胸に心悩ませている女の子を演じることにしたのだ。
 ぼくの胸は以前のようにフラットではない。女性ホルモンのせいで、ふんわりと膨らんでいた。小さな胸の女の子を演じるために、シリコンの人工乳房は入れずに、シリコンでカップに厚みを持たせてAカップになるというAAAサイズのブラをしてきていた。
 「どれくらいの大きさにしたい?」
 「どれくらいと言われてもイメージがわかなくて・・・・」
 「そうか。それなら、このコンピューターの画面で、シミュレーションしてみよう。胸の写真を撮るから、下着を取って胸をはだけて」
 「はい」
 ぼくは、ちょっと恥ずかしそうなポーズを取りながらブラジャーをはずして、ブラウスの前をはだけて、医者の前に座った。医者は、デジタルカメラを取り出して、ぼくのちょっと膨らんだ胸を写し、カメラの中から、カードらしいものを取り出して、コンピューターの中に入れた。すぐにぼくの胸の写真がモニター上に現れた。
 「これでAカップ。これでBカップ。これがC。これでD。これで・・・・」
 胸の位置にマウスを持っていってクリックすると、乳房が段階的に表示された。すごいソフトだなと感心した。
 「Cカップくらいでいいと思いますけど」
 「Cね。これだな」
 モニターの画面が戻され、ぼくの胸が形よく膨らんだところで止まった。
 「これでいいね」
 「はい」
 「Cカップを希望する子が多いんだよね。それより小さいと、手術の意味がないし、あんまり大きいと、手術したのがばれるじゃないかと考えるんだろうね」
 ぼくは納得した。
 「どこを切るんですか?」
 「ああ、腋の下の皺に沿って切るんだ。3、4センチかな? 埋没縫合というのをするから、傷はまったく目立たないから心配しないでいいよ」
 「すぐにしていただけると?」
 「ああ。すぐに取りかかろう。他でもない原口さんの娘だからね」
 そう。ぼくは原口の娘と言うことになっていた。
 「お願いいたします。時間はどれくらいかかるんですか?」
 「片方30分。両方で、1時間だ」
 「そんなに早く?」
 「この道のプロだからね」
 「それなら安心です」

 左腕に点滴され、手術台にキリストのように貼り付けにされた。
 「局所麻酔だけど、ちょっとの間、眠ってもらうからね」
 「はい」
 右の腋の下にチクチクと針を刺す痛みを感じたけれど、すぐに眠気が差してきた。
 「あああ・・・・」
 大きなあくびをしたかと思ったら、いつの間にか眠り込んでいた。

 「原口さん、原口さん?」
 頬をぺちゃぺちゃと叩かれ、揺り起こされた。目を開けると、医者の顔が目の前にあった。
 「気がついたかな? 終わったよ」
 「もう?」
 「ああ、無事終了だ」
 終わったと言われたけれど、まったく実感がなかった。胸が少し圧迫されているような感じはあるのだけど、痛みはまったくないのだ。しかし、包帯の下の胸が膨らんでいるのを見て、手術がすんだことを納得させられた。腋の下には、小さな絆創膏が貼られていた。
 壁にかけられている時計を見ると、午後10時過ぎだった。ちょうど1時間かかったことになる。
 「ありがとうございました」
 「明日の朝まで、入院してもらって、朝、傷の状態を見て退院と言うことにしよう。いいね?」
 「は、はい」
 医者にそう言われれば、そうせざるを得ない。ぼくは、用意されていた個室にそのまま入院した。

 翌朝、早くから医者が病室へやってきて、ぼくの胸に巻かれた包帯を取り除いた。
 「我ながらいいできだ。どう?」
 膨らんだ胸に違和感を覚えながらも、大きくなって感激したというような演技をして見せた。
 「嬉しいです」
 「そうか。よかったね。これで、あなたの生き方も変わるでしょう」
 「はい。自信を持って生きていけます」
 「ここで手術する人はみんなそうだよ。さてと、今日退院してもいいんだが、してもらいたいことがあるんだ」
 「何をですか?」
 「シリコンの人工乳房のまわりに肉が取り囲んでくるんだが、そのままにしていると、拘縮と言って堅くなってしまうんだ」
 「へえ・・・・」
 「だから、しばらくの間、毎日マッサージしてもらわなければならない」
 「マッサージですね。どうすれば?」
 「あとで看護婦が教えてくれるよ。教えてもらったら退院していいよ」
 「わかりました」
 「来週の木曜に診察に来てくれ。じゃあね」
 「ありがとうございました」
 すぐにやってきた看護婦に、乳房のマッサージの仕方を教えてもらって退院した。

 別荘に帰ると、すぐにマッサージをした。それから、いつもの日常生活が始まった。女としても身のこなしは完全に身に付いたと自信を持って言える。
 「さあ、いつでも来い!」
 そんな気分だった。こんなに頑張ってきたのに、探している娘が見つかったなどと伝えられるのがむしろ怖かった。

 脇の下の傷は特殊なテープが貼られていて、ごしごし擦らなければ濡らしてもいいと言われていたから、夕食がすんで入浴した。
 膨らんだ胸を石鹸で洗うときには、不思議な感覚を覚え、ふふと思わず笑みが零れた。石鹸を洗い流してバスタブに入って、お湯の中に浮かぶ乳房を見ると、生まれたときからずっとあるような錯覚を覚えていた。
 バスルームから出て、体を拭きながら、鏡を覗いてみた。中学生の頃、姉さんの裸を盗み見たときの場景が脳裏に思い出された。
 「姉さんのおっぱいより大きいな」
 ぼくは両手で膨らんだ胸を抱えるように抱いて、鏡に向かってにっこりとほほえんだ。姉さんがぼくに向かってほほえんでいるように見えて、ちょっとどっきり。ペニスが頭を持ち上げかかったけれど、すぐに萎えてしまった。
 「最近、朝立ちしなくなったけど、女性ホルモンのせいだろうな。止めたら元のように元気になるよな」
 そう思いながら、だらりと下がったペニスを見つめた。

 ショーツをはくのにも慣れてしまったけれど、ブラを付けようとして、籠の中を探している自分に気がついて笑ってしまった。
 「もうシリコンの乳房はブラの中に入れなくてもいいんだよね」
 ストラップに腕を通し、ブラのカップを胸に当てて、後ろ手にホックを留めた。初めの頃はこんな風に後ろ手には留められなかったけれど、女性ホルモンを使っているせいか、簡単に手が後ろに回るようになっていた。
 「先に寝ますから」
 「どうぞ。わたしもお風呂に入るわ」
 北野は、バスルームへと向かっていった。ぼくは、部屋に入ると、バスルームから水音がし始めたのを確かめてから、着ているものを脱いで全裸になった。脱衣場にある鏡は小さくて、上半身しか見えなかったから、部屋のドレッサーで全身を見てみたかったのだ。
 少し離れて、全身をドレッサーの鏡に写してみた。
 「へえ、ホントに女みたいだ」
 ぼくは自分の姿に感動すら覚えていた。
 「ペニスが邪魔だな」
 股の後ろにペニスを回して挟み込んで、もう一度鏡を見た。
 「ペニスを取ってしまうわけにはいかないけれど、これなら絶対男だと見破られないよね」
 ぼくは鏡に向かってにっこりと笑った。

 毎日マッサージを続けていると、人工乳房はますます落ち着いてきたように思えた。
 「うん。わたしのと変わらないわよ」
 ぼくの乳房を手のひらで触ってみて、北野が感心したように言った。
 「ほんとに?」
 「ええ。わたしのと比べてみる?」
 「ええ、触らせて」
 シリコンの人工乳房を胸に貼り付けたときには、恥ずかしくて北野の胸を触ることができなかったけど、今日は何の躊躇いもなく北野の胸を触った。ぼくは、北野を同性のように思いだしているのかもしれない。
 「ほんと、変わらないわ」
 「そうでしょう?」
 北野も、異性に触られているという感覚はないようだった。

 指定された木曜日、ぼくは原口とともに、形成外科を再診した。もちろん、日が暮れて人気が少なくなってからだ。
 「非常にいい状態だ」
 ぼくの胸を診察して、医者が自慢げに言った。
 「ありがとうございました。これで女として堂々とすることができます。夏には、ビキニで泳ぐこともできます」
 ペニスがあるから、ビキニは着られないけれど、医者への感謝の気持ちを表すためにそう言った。
 「よかったね。もしどうかあったら、すぐに来てください。3年間は、無料で保証するからね」
 「わかりました」
 原口と一緒に頭を下げて、病院をあとにした。
 「腋の下の傷はどうだ?」
 車の中で原口が尋ねた。
 「綺麗よ。ほら見て」
 ぼくは、腕を上げて腋の下を見せた。
 「ほう。いったいどこを切ったんだ?」
 「ここよ。この皺のところ」
 「へえ。まったくわからないよ。大したもんだ」
 感心しながら、原口は車を走らせた。

 車は、別荘へ向かっていない。ぼくは不思議に思って尋ねた。
 「あれ? どこに行くんですか?」
 「新宿ハイアットホテル」
 「どうして?」
 「例の娘だが、八方手を尽くして探したんだが、どうしても見つからないんだ」
 「と言うと、わたしの出番なんですね」
 「ああ。君なら、身代わりをきっとやり遂げてくれると思う」
 「はい。頑張ります。ハイアットに泊まるってことは、明日が決行日なんですね?」
 「そうだ。明日だ」
 明日と言われて、胸がどきどきし始めた。

 原口とは別々にチェックインした。部屋で待っていると、北野と原口がやってきた。
 「準備はいいか?」
 「はい。一応」
 「一応じゃ、困るんだ。完璧にやってもらわないと。失望の中でご老体を死なせるわけにはいかないんだ」
 「わかっています」
 「じゃあ、復習をしておこう。名前は?」
 豊胸術を受けた後、いつでも身代わりができるように個人情報を記憶させられていた。
 「弘田加奈子です」
 「生年月日は?」
 「昭和58年7月16日です」
 覚えていることがすらすらと口から出た。
 「干支は?」
 「イノシシです」
 これはぼくも同じだから間違えない。
 「お母さんの名前は?」
 「母の名前は、弘田奈々美です」
 「お母さんの旧姓は?」
 「工藤です」
 「お母さんはどこにいる?」
 「亡くなりました。わたしを産んですぐに」
 「お父さんの名前は?」
 「弘田三郎です」
 「お父さんはどこに?」
 「父もわたしが幼い頃に事故でなくなりました」
 「お母さんやお父さんの顔を覚えているか?」
 「ぜんぜん・・・・」
 思わず涙がこぼれた。ぼくは、弘田加奈子になりきっていた。
 「誰に育てられた?」
 「施設で育ちました」
 「何という施設だ?」
 「曙園と言う孤児院です」
 「どこにある?」
 「大田区にありましたけど、園長先生が亡くなって、今はもうありません」
 「学歴は?」
 「高卒です」
 「高校は?」
 「都立A高校です」
 「今はどこに住んでいる?」
 「目黒にある、ブティック・Kに住み込みで働いています」
 ブティック・Kというのは、北野が経営している小さな店だ。
 「よしよし、これならいいだろう。じゃあ、明日は頑張るんだぞ。午前9時に迎えにくるから、用意をして待っていてくれ」
 「はい」

 いよいよ、観客が一人の舞台の幕が上がることになった。