別荘生活二日目の朝が来た。目が覚めて、妙な違和感に捕らわれた。ハッとして股間を見ると、朝立ちしたペニスが、女物の小さな下着に押さえつけられて喘いでいたのだ。ショーツのウエストを持ち上げると、にょきにょきと、ペニスがショーツの外に顔を出した。
「トイレに行かなきゃ」
ぼくはベッドから起きあがった。そのとき、足元にごろりと何かが転がった。何だろうと思って手に取ってみると、それは胸に貼り付けていたはずの人工乳房だった。
「寝相が悪いからなあ」
ぼくの寝相は極端に悪い。朝起きてみたら、頭と足が反対方向になっていたなんてことはざらだ。だから、夜の間に胸に貼り付けていたシリコン乳房がはずれて、足元に落ちてきたというわけだ。
「小便に行きたいけど・・・・」
北野から人工乳房をずっと付けているように言われていたことを思い出して、もう一度接着剤を塗って胸にくっつけるとトイレに向かった。
「おはよう」
先に起きていた北野が、歯を磨きながら挨拶をしてきた。ぼくも挨拶を交わして、そそくさとトイレに入った。
「大森さん?」
ネグリジェの裾を持ち上げて、ショーツを少しおろして小便しようとしたときに、声をかけられ、ぼくはあたふたとした。
「な、何でしょう?」
「おしっこする時も座ってするのよ」
立ち小便しようとしているぼくを見られたのではないかと思って、どぎまぎした。
「どうしてですか? 誰も見てないからいいでしょう?」
「今はいいけどね。あなた、金田一少年の事件簿って言うアニメを見たことある?」
「もちろんありますよ。大好きです」
「じゃあ、美少女に化けて殺人を冒す少年が、立ち小便をしたばっかりに、金田一少年に男だと見破られるって言うのも見たわよね」
「あ、はあ・・・・」
「どこで誰が見ているかもしれないのよ。だから、座っておしっこをする癖を付けていた方がいいわよ」
「・・・・わかりました」
「座ってすることをそんなに苦にしなくてもいいわよ。最近の男性の中には、座ってする人が増えているって言うから」
「そうなんですか?」
「立ち小便すると、かなり飛沫が飛び散るらしくてね。トイレが汚れるからと言う理由が多いみたいだけど」
「へええ」
感心しながら、ぼくは腰掛け便器に座った。朝立ちして勃起したままでは小便がしにくい。座ってすると、ペニスの先をちょっと押さえるだけで、うまく小便ができた。
「座ってするのも悪くない」
そんな感想を抱いた。
トイレから出て歯を磨いて顔を洗うと、北野が出した服を着た。パンストをはいて、胸に大きなロゴの入ったTシャツを着て、今日もやっぱり超ミニのスカートをはいた。
「さあ、今日は一緒に食事の準備をしましょう」
そう言うわけで、みそ汁を作り、卵焼きを焼いた。
「こんなの簡単、簡単」
できあがった朝食を食べながら、そう言うと、
「朝はそうかもしれないけど、夕食はそうはいかないわよ」
と、反撃を受け、ぼくは肩をすくめた。
「さあ、お化粧をして。それがすんだら、今日は女の仕草の練習よ」
ハイヒールを履いて、歩いたり座ったり。
「だめだめ。ぜんぜんなってない」
北野が、険しい顔で言い放った。
「はあ・・・・」
ぼくは椅子に座り込んで、溜息をついた。
「やっぱり無理だわ」
「まだ二日目でしょう? 諦めるのはまだ早いわ。そうね。自己暗示をかけてみましょうよ」
「自己暗示?」
「ええ。わたしは女って、自分に言い聞かせるのよ」
「そんなので、うまくいくんですか?」
ぼくは口をとがらせた。
「俳優は、その役になりきるために、結構自己暗示をかけるのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。王女様役は王女に、娼婦役は娼婦になりきって舞台をやるのよね」
「へええ。うまくいきますか?」
「やってみましょう。さ、鏡に向かって、わたしは女。わたしは女って、声を出して言ってみなさい」
「わかりました」
ぼくは、鏡に向かって、大きな声を出した。
「わたしは女。わたしは女。わたしは女よ。わたしは生まれたときから女。生まれたときからずっと女よ」
「綺麗な女になりたいって言ってみて」
北野が横からアドバイスする。
「わたし、綺麗な女になりたい」
「そうそう」
「わたし、綺麗な女になりたい。わたし、綺麗な女になりたい。わたし、綺麗な女になりたい」
何度もそう言っていると、ホントに女になったような気分になった。
「ねえ、わたし、綺麗? 綺麗よね。わたしとっても綺麗よね」
鏡の中の自分に問いかけているうちに、ぼくは睡蓮になったナルシスになっていた。立ち上がって、鏡の前で女らしい仕草をしてみると、自己暗示をかける前より、ずいぶん女として振る舞えるようになっていた。
「いい調子よ。その調子で頑張って」
「はい」
この自己暗示法で、すべてがうまく運び始めた。
別荘生活四日目の夕方、原口がやってきた。ぼくを見ると、唖然とした表情を見せた。
「おう、見違えたぞ。本物の女かと思った」
「ありがとうございます」
ぼくは小首を傾げて、にっこりと微笑んで見せた。
「凄い上達ぶりでしょう」
北野がにこにこしながら、原口にコーヒーの入ったカップを手渡した。
「大森君は、素質があるようだな」
素質という言葉にちょっと引っかかりを感じた。
「それって、どういう意味ですか? ニューハーフになる素質って言う意味? それとも・・・・」
「俳優としての素質があるという意味に決まってるだろう?」
原口は当然という顔をした。
「それを聞いて安心しました」
ぼくはちょっと安心した。原口は、嬉しそうな顔をしてコーヒーをすすった。
その日は原口も夕食をともにした。もちろん、その夕食はぼくが作ったものだ。
「料理もうまいな。これなら、今でも身代わりが出来るだろうが・・・・」
その原口の言葉に、少し妙なニュアンスを感じた。
「何か問題があるんですか?」
ぼくは尋ねた。
「うん。何と言ったらいいかな? 女に見えるんだが、何か引っかかるんだな」
「どこでしょう?」
「北野君。君は感じないか?」
そんな原口の言葉に、北野がぼくの方を見た。
「そうねえ。そう言われれば、何となく男っぽさが見え隠れしているかなあ」
「そう。そうだよ。何となく不自然な感じがするんだよ」
原口が大きく肯く。
「そうですか?」
ぼくは、自分の姿を眺め回した。
「可愛い女の子をやれてると思うんですけど・・・・」
「腕とか足の筋肉かしら?」
北野が言った。
「そうか。そうだよ。女の子にしては、筋肉が多いんだよ」
ぼくはそんなに筋肉質ではない。しかし、そう言われて鏡を覗いてみると、女の子にしては、筋肉が多いと言わざるを得ない。
「これはどうしようもないです」
ぼくは手を広げて肩をすくめた。
「何とかならないかな? せっかくここまでやったのに、これじゃあ、見破られそうだな」
「そうですねえ・・・・」
原口と北野は考え込む。
「探している女の子が見つかれば問題ないでしょう?」
「ま、そう言うことだが、まだ見つかっていないんだ。見つからなかったことを考えると、大森君に何とかして貰わないといけないんだが・・・・」
「・・・・そうですね」
「女性ホルモンを使ったらどうかしら? 筋肉が落ちて、脂肪が付くから、女らしくなると思うけど」
北野が言い出した。
「女性ホルモンねえ」
原口が、なるほどと言うような顔をしてぼくを見た。
「と、とんでもないです。女性ホルモンなんて」
「イヤ、これは良いアイデアかもしれないぞ。演技を極めるのなら、ひとつの選択子だろう」
「演技を極めるって言っても・・・・」
「有名な俳優は、演技のためなら、どんな困難にも挑戦するんだ。エイリアンのシガニー・ウイーバーは、スキンヘッドになったし、G・I・ジェーンを演じたデミ・ムーアは、スキンヘッドの上に、ジムに通って、片手で腕立て伏せが出来るまでに鍛え上げたんだ。女性がだぞ。日本の女優だって、銀座のホステスを演じるために、実際にホステスを経験したりしているんだ」
「原口さんの言わんとするところは分かりますけど、それとこれとは違いますよ。女性ホルモンなんか使ったら、ぼくはホントに女みたいになってしまう」
「ぼくじゃないでしょう? ぼくじゃ」
「そんなこと言ってる場合じゃないですから」
ぼくは口をとがらせた。
「まあまあ。大森君は、女性ホルモンをちょっと使っただけで、女みたいになってしまうと思っているのか?」
「はあ? 違うんですか?」
「さっき北野君が言ったように、筋肉が落ちて、脂肪が付いて、体が少し丸くはなるだろうが、6ヶ月以上使わなければ、止めれば元に戻るんだよ」
「ホントですか?」
「ホントだとも。その手の本で見たことがある」
「そんな本があるのなら、見せてください」
「止めれば元に戻る範囲なら、女性ホルモンを使ってもいいという返事だと思ってもいいんだね」
「え、ええ」
何か罠にはまったような気がしていたけれど、そう答えざるを得なかった。まあ、考えても見れば、止めて元に戻るのなら、女の子を演じるという演技を極めることを優先するために、女性ホルモンを使ってみてもいいかもしれない。
「明日にでも資料を持ってこよう」
「わたしが納得できなかったら、止めですよ」
「わかった。必ず見つけてくる」
その日は、別荘に泊まっていく予定だったのに、原口は資料を探しに行くと言って、午後9時頃別荘を離れていった。
翌日の昼近くになって、原口が別荘へ戻ってきた。
「あったぞ。これだ」
原口は、インターネットの画面をコピーしたものらしい書類をテーブルの上にぽんと投げ出した。日本語や英語のものが混じっていた。中を読んでみると、確かに6ヶ月以内なら大丈夫と書いてあった。
「きちんとした本じゃないと信用できないです」
ぼくは書類を投げ返した。
「これではどうだ?」
原口は、薬品要覧という分厚い本を鞄から取りだした。その中の女性ホルモンの項を開いて、ぼくに見せた。
「勃起障害。男性不妊になるって書いてありますよ」
ぼくは勝ち誇ったように言った。
「ここをちゃんと見なさい」
原口が指し示したところに『6ヶ月以内ならば、可逆的』と記載されてあった。
「可逆的と言うことは、元に戻るという意味じゃないかな? 大森君」
「ハア、そう言うことですね」
「医者向けの本にこう書いてあるんだ。その書類と合わせても、6ヶ月以内なら元に戻ると言うことになるだろう?」
「・・・・そうですね」
「ましてや、君の場合。せいぜい3ヶ月だ。もしかすると、1ヶ月も使わないですむかもしれない。だから、絶対に大丈夫だ」
「わたしだけ特に副作用が出るなんて事はないでしょうか?」
「大丈夫だよ。医学書が大丈夫だと言ってるんだから」
その一言で押し切られてしまった。
「じゃあ、今日から毎日これを飲むんだ」
「えっ!? もう用意してきたんですか?」
「ああ。この資料を見つけてすぐに、知り合いの医者に頼んで処方して貰ったんだ」
「はあ・・・・」
ぼくは溜息をついた。
「演技を極めるためだ。頑張ってくれ」
「仕方ないです」
「注射も毎週1回うつんだぞ」
「注射もですか?」
「効果がすぐに出るからな」
「注射すると、元に戻らないんじゃあ・・・・」
「まだそんなことを言ってるのか? 大丈夫だって。貰った医者にも聞いてみたんだから」
「そうですか。じゃあ、うってください」
ぼくは左腕を差し出した。
「モチベーションを高めるためには、自分でうった方がいいんじゃないでしょうか?」
北野が言った。
「そうだな。確かに北野君の言うとおりだ。大森君。自分で肩に注射してくれ」
「はあい」
「これが消毒用アルコールだ。肩を拭って、これを注射するんだ」
「大森君。自己暗示法を忘れずにね」
「はい。女らしくなるために女性ホルモンを注射します」
鏡に向かってそう言いながら、アルコールの付いた綿で肩を拭いてから、鏡を見ながらその場所に注射した。痛かった。腕が千切れそうだった。
「これで君は、演技を極められる」
そんな原口の言葉に、ぼくは鏡の中のぼくににっこりと笑って見せた。
女性ホルモンの錠剤を一回2錠ずつ、一日4回飲んで、週に1回注射をした。2週間もすると、ぼくの体の筋肉は落ちて脂肪が付き、全体に丸みを帯びて、ホントに女らしい体つきになった。
バスルームの鏡に映してみると、股間を隠せば、ホントに女に見えた。嬉しいような悲しいような妙な気分だった。
「大森さん、久しぶりに外出してみようか?」
いつものようにワンピースを着て、化粧を終えたとき、北野が言った。
「ええっ!? このままですか?」
「ええ、そうよ。今のあなたなら、誰も男だなんて気がつかないでしょう? 予行演習だと思って、買い物にでも行ってみましょうよ」
「怖いな」
「自己暗示。自己暗示。わたしは女だと言い聞かせていれば、絶対に気がつかないわ」
「そうね。大丈夫よね。じゃあ、行ってみる」
車は原口が乗って帰っていたので、タクシーを呼んで町中まで出掛けた。
タクシーの運転手も、ぼくが男だとは気がつかなかった。街の男たちも。勘のいい女たちも誰一人として、気がついた様子はない。ぼくは、久しぶりの外出を楽しんだ。
昼食も、洒落たレストランで摂った。女の子らしく上品にパスタを食べ、食べ終わったあとは、コンパクトを取り出して、口紅を確かめた。
少し離れた席にいた大学生らしい男たちが、ぼくに向かって、ちょっとイヤらしい目を向けてきた。女として認知されていると思うと、不快な視線も快感だった。
ただ問題だったのは、アクセサリーを見ているときに、ちょっと屈んだ拍子にブラの中の人工乳房がずれそうになって、慌てて元に戻したことだ。
この人工乳房。最初の頃は、接着剤で、胸に貼り付けていたんだけど、接着剤を付けていたところが真っ赤になって痒くなり、最近はずっとブラの中に入れただけだったのだ。
「ブラから落ちなくてよかった」
帰りのタクシーの中で、ぼくはホッと胸をなで下ろした。