第4章 特訓

 約束通り午前9時に事務所に行くと、原口と北野が待っていた。
 「さあ、出発だ」
 原口が用意したランクルに乗って、一路軽井沢へと向かった。

 原口の別荘は、他の別荘群とはちょっと離れた場所にあった。これならぼくを見とがめる人はいないなとちょっと安心していた。
 「さあ、入って。奥の部屋が、大森君の部屋だ。自由に使ってくれ」
 部屋は6畳くらいの広さで、端にシングルのベッドが置いてあり、洋ダンスと整理ダンスがその脇に置かれていた。ドアの横を振り返ってみると、ドレッサーが置かれていた。
 「女の子用の部屋みたいだな」
 ベッドのカバーも花柄で、ぼくの考えは正しいように思われた。
 「女の子を演じる練習をするんだから、当然か・・・・」
 そう思った。

 部屋の入り口に突っ立っていると、原口と北野が大きなバッグを抱えてやってきた。
 「ほら。ぼっとしていないで、手伝って」
 「何なんですか?」
 「君の衣装だよ」
 そう言いながら、原口がベッドにバッグを置いてチャックを開いた。バッグの中には、スカートやブラウス、ワンピースが詰まっていた。
 「さあ、タンスにしまって」
 ちょっと顔を赤くしながら、女物の服をタンスにしまった。北野は、もう一つのバッグからブラジャーやパンティーを取り出して整理ダンスの中にしまっていた。
 「あれ、着るのかな?」
 原口が用意すると言っていたから、ぼくが着ることになるのは間違いなかった。

 服の整理が終わると、原口は北野とぼそぼそ話していた。
 「大森君。今日から、君は女の子として暮らして貰う。まず、髪型を女の子らしく整えて、それがすんだら、今タンスにしまった服に着替えて貰う。昨日確認したように下着も女物だ」
 「・・・・はい」
 力無く答えた。
 「女の子らしい仕草とかは、北野君が教えてくれるから、しっかり練習するんだよ」
 「わかりました」
 「わたしは、他の劇団員の指導にいくからね」
 「はい」
 「じゃあ、北野君。任せたよ」
 「はい。お任せください」
 北野が、にっこり笑って挨拶すると、原口はランクルに乗って別荘を去っていった。

 「それじゃあ、髪をカットしましょう。バスルームに行きましょうか?」
 「・・・・はい」
 ぼくは、バスルームへと向かった。北野が、丸椅子を抱えてやってきて、ぼくに座れと命じた。
 「変な髪型にしないでくださいね」
 「任せなさい」
 霧吹きで髪を濡らすと、北野は慣れた手つきでぼくの髪の毛をカットし始めた。30分もしないうちにカットが終了した。
 「髪の毛を洗い流して」
 シャワードレッサーなどと言う洒落たものはない。バスルームのシャワーを使って髪の毛を流さなければならないけれど、服を着ていたらそれが出来ない。服を脱いで裸になり頭を洗った。
 体を拭いて、バスタオルを腰に巻いて出ると、北野がチッ、チッ、チッと人差し指を横に振った。ぼくは何のことだか分からず首を傾げた。
 「女の子は、胸の上で結ぶものよ」
 「そんなこと、まだしなくてもいいんじゃあ・・・・」
 「あなたはもう女の子なのよ。言われたとおりにするのよ。それと、言葉も女言葉で。それからもうひとつ。声も女の声が出せるでしょう?」
 「・・・・わかりましたよ」
 「ほらほら、声と言葉に気を付けて」
 「はい。わかりました」
 女の声でそう答えた。
 「その調子。胸の上で、バスタオルを巻いて。さあ、ブローしてあげるわね」
 ぼくは、胸の上でバスタオルを巻き直して丸椅子の上に座り直した。北野がブラシをかけながら、ぼくの髪をブローし始めた。ぼくはその課程を茫然と見ていた。ぼくの顔がだんだん女の子らしくなっていくのだ。
 「髪型だけでこんなにも変わるんだ」
 不思議な気がした。
 「次は、化粧のやり方を教えてあげるわ。・・・・その前に、その眉毛を女の子らしくしましょうね」
 抗議しても仕方がないので、黙ってされるままにしていた。
 「さあ、これでいいわ」
 チクチクと抜かれたり、ハサミを入れられたあと、鏡を覗いてみて、ぼくはホントにビックリした。
 「化粧をしていないのに、姉さんに見える」
 ぼくはすっぴんの姉さんの顔を知っている。まさにその顔だった。
 「さあ、化粧の仕方を教えてあげるわ。19才という設定だから、薄化粧でいいわね。と言っても、化粧の基本はしっかり覚えてね」
 「はい」
 ボクは大きく肯いた。
 「じゃあ、まず、その化粧水をコットンにとって」
 「これですか?」
 ぼくは、淡い水色の液体が入った瓶を取り上げた。
 「そう、それよ。コットンに含ませて、肌をたたくようにするのよ。さあ、やってみて」
 姉さんがやっているのを見たことがある。ぼくは、化粧水をコットンに含ませて、ぺたぺたと顔をたたいた。
 「ファウンデーションを塗りましょう。薄くていいわ。そう、それくらい」
 パフを使ってファンデーションを塗り広げていった。
 「ちょっと白かったみたいね。今度はもう少し濃いものに変えてみましょう。次はパウダーを。押さえるようにしてね」
 言われるままに、パウダーを塗っていった。
 「うまいわね。お化粧、したことがあるの?」
 「とんでもないです。姉がしてるのを見たことがあるだけです」
 「才能かな? 眉は無理かな? わたしがやってあげるわ」
 鏡をじっと見ていると、北野がペンシルを使って眉を描いていた。
 「目尻の端が眉の頂点になるくらいがいいのよ。・・・・こんなものでしょう。頬紅を塗って。ほんの少しでいいわよ」
 少しのつもりでやったけど、かなり赤くなってしまった。
 「まあいいでしょう。次は薄目にするのよ。口紅を塗ってみて。そこにある細い筆で輪郭を描いてから塗ると、はみ出ないわよ」
 言われたとおりに口紅を塗った。
 「最初にしてはまあまあね」
 そう言われたけれど、鏡に映ったぼくの顔は、田舎から出てきたばかりの少女のように見えた。これなら、化粧しないですっぴんの方がずっとましだ。
 「一度顔を洗ってから、やり直しましょう」
 「はい」
 「その前に」
 「その前に?」
 ぼくは北野の方を振り向いて尋ねた。
 「その腋毛を何とかしましょうよ。あなたみたいに若い女の子がそんな腋毛をしているのには、ものすごく違和感を覚えるから」
 ぼくは右手を挙げて腋の下を見た。自分じゃそうは感じないけどなと思ったけれど、鏡の方を見て、北野の言う意味がわかった。鏡に映ったぼくは、北野が言うまでもなく、まずまずの可愛らしい女の子に見える。その女の子が、腕を上げて腋をさらしていて、そこには腋毛がもうもうと生えているのだ。
 「おかしいですね」
 「そうでしょう? 脱毛フォームがあるから、これを塗ってしばらく待って洗い流してきなさい。あ、ついでに、スネ毛も脱毛しなさいよ」
 ぼくは、下半身を見た。そんなに濃くはないけれど、長い毛がスネを覆っていた。
 「わかりました」
 腋の下とスネ、そのほかに毛が生えているところに脱毛フォームを塗って、待っている間に化粧を落とした。
 シャワーで脱毛フォームを洗い流すと、腋もスネもかなりつるつるになっていたけれど、ぽつぽつと毛根が残ってざらざらした感じがした。
 「もう一度やった方がいいみたいね」
 「はい」
 「大森さん?」
 「はい、何でしょうか?」
 「その、おへその下から伸びている陰毛もちょっと処理した方がいいわね。それじゃあ、ショーツからはみ出てしまうわ」
 「あ、はい」
 シャワーを浴びて洗い流しているとき北野が入ってきて、ぼくは慌てて股間を両手で隠したんだけど、しっかり見られていたようだ。
 「どれくらいやったらいいですか?」
 「そうね。女は男に比べて薄いからねえ。握り拳を越えないくらいの範囲だけ残せばいいんじゃないの?」
 「握り拳を越えないくらいの範囲を残すんですね。・・・・難しそうですね」
 「じゃあ、いっそのこと全部脱毛してしまったら?」
 「ええっ!? 全部ですか?」
 毛のない股間を想像して、ぼくはちょっととまどってしまった。
 「冗談よ。とにかくショーツからはみ出ないようにすればいいわ」
 ショーツからはみ出ない程度と言われてもよくわからない。脱毛クリームをもう一度腋とスネに塗ったあと、ヘソの下から股の間にかけて塗っておいた。
 シャワーで洗い流すと、腋とスネは完全につるつるになっていた。股間をのぞき込んで青くなった。ペニスの上にほんのちょっとしか陰毛が残っていないのだ。
 「すんだ?」
 北野がやってきたので、ぼくは慌てて股間を隠して背中を向けた。
 「は、はい。すみました」
 「じゃあ、体を拭いたら、下着を身につけて、服を着なさいね」
 「はい」
 北野がリビングの方に去っていくのを確かめてから、体を拭いて脱衣場へ出た。脱衣籠の中には、すでに女物の下着と服が畳まれて置かれていた。それでもぼくは北野に尋ねた。
 「あのう。すみません。これを着るんですか?」
 「そうよ」
 その一言が返ってきただけだった。ぼくは、パンティーを手に取った。真っ白なコットン製のものだ。
 「ま、いいか」
 ぼくは思いきってパンティーをはいた。はきながら、パンティーじゃなくてショーツって言ってたなと思い出していた。
 ショーツから、陰嚢やペニスがはみ出るんじゃないかと思っていたけど、意外や意外。きちんとショーツの中に収まってしまった。
 「さて次だ」
 ブラジャーに手を出そうとして、横に転がっているものに気がついた。手に取ってみると、どうやらそれは人工乳房のようだった。
 「へえ。柔らかくて、気持ちがいいや」
 そんなことを思っていると、北野が顔を出した。
 「本物みたいでしょう?」
 「あ、いえ。本物を触ったことがないですから」
 「そうなの? わたしのを触らせてあげようか?」
 北野の表情はマジで、冗談を言っているようには見えなかった。
 「い、いいです!」
 「遠慮しないでいいわよ。さあ」
 北野は胸を突き出す。
 「いいったら・・・・」
 ぼくは、逃げ腰になった。
 「ふふふ。ホントに初なのね。・・・・女言葉を忘れてるでしょう? それに音質も」
 「あっ! すみません」
 籠に入っている接着剤をそのシリコン乳房の裏に塗って、胸につけるのよ。さあ、やって」
 籠をのぞき込むと、チューブに入った接着剤が見えた。それを取り出して、人工乳房の裏側に塗り広げて胸に当てた。
 「もう少し内側に寄せて。そう、そこでいいわ。しばらく、手で押さえているのよ」
 5分ほどして、北野はブラジャーを手にとって、ストラップに手を通させて、ホックを背中で留めてくれた。
 「どう?」
 「重いんですね」
 「そう? なれればそうでもないわ」
 「ずっと、こうしてるんですか?」
 「もちろんよ。女の子は胸の取り外しなんてできないのよ」
 「わかりました」
 「服は自分で着られるわね」
 「着られると思います」
 「じゃあ、着たらお化粧の練習をするから、あなたの部屋に戻ってくるのよ」
 「はい」
 ぼくは脱衣籠の中から、わずかにブルーの色が入ったブラウスを取り上げて羽織った。
 「ボタンが付けにくいな・・・・」
 女物は男物と反対だから、し難いと言ったらなかった。
 「服ひとつ着るにしても、慣れておかなきゃ、とても身代わりはできないな」
 そう思いながらスカートを手に取った。スカートを手にして、ぼくは固まっていた。
 「すみません。北野さん」
 「どうかしたの?」
 どこからかコーヒーの香りがしていたけれど、北野が入れて飲んでいたようだ。コーヒーカップを手にして現れた。
 「これ。ちょっと短いんじゃあ」
 「それでいいのよ」
 「でも・・・・」
 「短いので慣れれば、長いのはなんてことないでしょう?」
 「それはそうですけど・・・・」
 「ともかく、わたしの言うことを聞いて、そのスカートをはくの。いいわね!」
 「・・・・わかりました」
 ぼくは、スカートのホックをはずしてファスナーをおろした。
 「ねえ、北野さん」
 「いったい、何よ? 何度も・・・・」
 ちょっと怒ったような顔をして、北野がぼくを睨んだ。
 「ぼくのウエストは73なんですよ。これは、64でしょう? とても入りませんよ」
 ぼくは、スカートの裏側に書かれていたサイズを北野に見せた。
 「まあ、いいからはいてみなさいよ」
 「絶対入りませんよ」
 そう言いながらスカートをはいてみると、ちゃんと入るのだ。しかもホックを留めてファスナーをあげても、まったく苦しくもなかった。
 「サイズが間違っているんですか?」
 「間違ってなんかいないわよ」
 平然と北野が言った。
 「じゃあ、どうして?」
 「男と女じゃ、ウエストを測る位置が違うのよ。女はウエストの一番細いところで測るけど、男は測る位置が少し下なの。だいたい10センチ違うって言われているわ。だから、男のサイズで73のあなたには、64の女のサイズがぴったりなの」
 「なるほどねえ・・・・」
 「その靴を履いてね」
 バスルームの外に、かかとの高いサンダルのようなものが置かれていた。言われたとおりにそれを履いて、北野について部屋に戻った。
 「まるで、パンティー、じゃなったショーツだけでいるみたいだ」
 屈んだらお尻が見えそうに短いスカートなのだ。長めのTシャツを着てズボンをはいていないような感じなのだ。セーラー服のスカートをはいたときより、さらに心許なかった。
 「女って、よくこんな服装で外を歩けるなあ」
 ぼくはホントに感心していた。
 「歩き方も直さなきゃならないけど、今日はとりあえず、お化粧のやり方をマスターしましょうね」
 ぼくを見ながら、北野が言った。
 「さあ、椅子に腰掛けて、お化粧をやってみて」
 ぼくは鏡に向かって化粧を始めた。やり方そのものは、ほぼ完全に覚えていた。しかし、なかなかうまくいかない。化粧しては、洗顔し、また化粧する。夕方までそんなことが続いた。
 「そんなものでいいんじゃないの?」
 まだ満足できなかったけど、北野がそう言うので、それでその日の化粧の練習は終わりになった。

 顔を洗いに行くときや戻ってきたとき、歩き方や座り方を注意された。なかなかうまくいかない。
 「女って、大変ね」
 「うまく演じられたら、あなたもいっぱしの俳優よ」
 「・・・・そうですね。ああ、痛い」
 ぼくはスネを親指でマッサージした。かかとが高い履き物をずっと履いていたから、スネが痛いのだ。
 「夕食がすんだら、少し揉んであげるわ」
 北野が夕食の準備をしながらそう言ってくれた。ホントは、夕食の準備も一緒にしなければならなかったのだけど、今日は勘弁してもらったのだ。

 「今日はシャワーを何度も浴びたから、もういいでしょう? 化粧を落として、栄養クリームでマッサージしたら、これに着替えて、ベッドに横になりなさい」
 夕食がすんで、シャワーを浴びてきた北野が真っ白なネグリジェをぼくに差し出した。
 「これ、着るんですか?」
 「あなたはしばらくの間女の子を演じるのよ。寝るときも起きてるときも」
 「わかりました」
 ぼくは、洗顔してから、着ているものを脱いでネグリジェに着替えた。
 「さあ、そこに横になって」
 ベッドの上に横たわると、北野がぼくの足をマッサージしてくれた。
 「ああ、いい。そこ、いい。気持ちいい」
 北野は、ぼくの足の痛むところがわかるかのように、指でマッサージをしてくれた。
 「ここは?」
 「そこもいいよ」
 「ほら! 女言葉よ!!」
 ぼくは肩をすくめて言い直した。
 「そこ、いいわ」
 「ここもいいでしょう?」
 「ああん。最高よ。もっとやって」
 「なんか勘違いされそうね」
 「でも気持ちいいんです」
 「そう。じゃあ、もっとやってあげるわ」
 「おねがい・・・・」
 マッサージされながら、あまりの心地よさに、昼間の疲れも高じて、ぼくは眠り込んでしまっていた。