第3章 身代わり

 月曜日、事務所に出掛けていくと、原口が困ったような顔をして、ソファーに腰掛けていた。
 「おはようございます」
 「ああ、お早う」
 「どうしたんですか? 何か困ったことでも?」
 「君には関係ない」
 原口は、にべもなくそう言って、一葉の写真をテーブルの上に放り出した。その写真は、セピア色とまではいかなかったけれど、かなり色褪せて古びたものだった。その写真には、セーラー服の少女が写っていた。女子高生らしいその少女の顔を見て、ぼくは小さな驚きの声を上げた。
 「なんだ? その写真が気になるのか?」
 ソファーに腰掛けている原口がぼくを見上げて尋ねた。
 「あ、いえ。ちょっと見てもいいですか?」
 「いいよ」
 ぼくは写真を手にとって、じっと見詰めた。
 「似てる・・・・」
 ぼくは呟きを洩らした。
 「似てるって? 誰に?」
 原口は、ちょっと興味深げにぼくを見た。
 「あ、ぼくの姉です」
 「君の姉さんに? ホントか?」
 原口は驚きの表情を見せて、ぼくの顔をのぞき込んだ。
 「はい。髪の毛をもう少し伸ばすと、そっくりです。ただ、ぼくの姉の方がちょっと顔がきつめかもしれませんけど」
 「そうか?」
 原口は、ぼくの手から写真を取り上げてじっと見た。
 「その写真の女性がどうかしたんですか?」
 「この女性じゃないんだ。この女性が産んだ娘を捜してくれと頼まれてね」
 「その女性の子供さんをですか」
 「そうだ」
 「誰にですか? 誰に探してくれって?」
 「探しているのは、わたしの古くからのの知り合いでね。20年前、この女性がある男と恋に落ちて、駆け落ちしてしまったんだ」
 「駆け落ち・・・・。と言うと、その、原口さんのお知り合いが、ふたりの結婚に反対したんですね」
 「察しがいいな。その通りなんだ。1年たって、この女性が女の子を産み落としたらしいことは分かっているんだが、行方が分からないんだ」
 原口は溜息をついた。
 「その女の子を捜してくれと?」
 「そういうことだ」
 「この女性と相手の男性の行方も分からないんですね」
 「二人とも亡くなっているんだ。父親の方は事故で、母親の方は産後すぐにね」
 「そうなんですか・・・・」
 「生まれた子どもは、孤児院に預けられたらしいんだが、その孤児院は今はもうなくなっていて、手がかりがまったくなくてね。探してくれって言われても、まるで雲を掴むような話しなんだ」
 「へええ」
 「私立探偵にも依頼して、方々探しているんだが、お手上げ状態なんだ」
 「それで困ってるんですね」
 「そう言うことなんだ」
 「ぼくには、やっぱり関係なかったみたいですね」
 「ああ」
 原口は再び溜息をついた。ぼくはソファーを離れて、隣の部屋に行って発声練習を始めた。
 「あ、あ、あ、あ。い、い、い、い。う、う、う、う。え、え、え、え。お、お、お、お。あ、え、い、お、う。う、お、い、え、あ」

 1時間ほどして、原口が部屋のドアを開けた。
 「大森君。ちょっといいかな?」
 「何でしょう?」
 「こっちへ来て、座ってくれたまえ」
 「はい」
 ぼくは事務室に入り、原口の前のソファーに腰掛けた。
 「さっき、君のお姉さんが、この写真の女性に似ていると言ってたね」
 「はあ。それが何か?」
 「探している孫娘が見つからなかったら、君のお姉さんに身代わりをして貰うわけにはいかないだろうか?」
 「ええっ!? 身代わりですか?」
 「ああ。そうだ」
 「そうまでして会わせなくてもいいんじゃないですか?」
 「それが、そうまでして会わせてやりたいんだよ」
 真剣な眼差しで、原口はぼくの方に乗り出してきた。ぼくはちょっとたじたじとなりながら尋ねた。
 「どう言うことですか?」
 「実は、そのご老体は癌でね。あと半年の命だと宣言されているんだ」
 「あと半年の命・・・・」
 「そう。だから、一刻も早く見つけだして会わせてやりたいんだが・・・・」
 「原口さんの気持ちはよく理解できますが、偽物と会わせても、その人のためにならないのでは?」
 「それは分かっている。しかし、ご老体の気持ちを考えると可哀想でね。何しろ唯一の血のつながった肉親だからね」
 「唯一の肉親。そうですか・・・・」
 唯一の肉親を捜している、余命幾ばくもない老人。映画になりそうな設定だ。ちょっとぐっと来た。
 「一ヶ月待って、もし見つからなかったら、君のお姉さんに頼んでもいいだろうか?」
 悲壮感を漂わせる原口に、ぼくは同意してしまった。
 「事情を説明すれば、イヤだとは言わないと思いますけど・・・・」
 原口の表情に安堵の色が広がってきた。
 「頼むよ。君からも口添えをしてくれ」
 「分かりました。頼んでみましょう」
 「よかった。これで、もし見つからなかった場合の手立てが見つかった」
 原口は、ホッと安堵の溜息をついた。しかし、ちょっと気になることがあって原口に尋ねてみた。
 「顔は似てますけど、姉はちょっとでかいんですけど、いいですかね?」
 「でかい? 太っているって事か?」
 「いえ、スタイルは抜群です。モデルをやりたいって言ってるくらいですから」
 「じゃあ?」
 「身長がかなりあるんです」
 「背が高いんだな。どれくらいだ?」
 「170以上です。確か、176センチだと言ってました」
 「176センチ! ・・・・じゃあ、だめだ」
 原口はがっくりと肩を落とした。
 「最近の子供は親より大きな子が多いが、この彼女は当時155センチで、相手の男も160ちょっとしかなかったんだ。170センチ以上の女の子なんて生まれるはずがない。いくら似ていても疑われてしまうよ」
 「そうですか・・・・」
 「さっきの件は忘れてくれ」
 「申し訳ないです。姉がもう少し背が低ければ、お役に立てたのに」
 「君のせいじゃない」
 原口は、ぐったりとソファーに倒れ込んだ。
 「じゃあ、ぼくは発声練習を続けます」
 「ああ」
 原口は気のない返事を戻してきた。

 1時間前は、男の声で発声練習していたのだけれど、今度は女の声で発声練習をした。
 「あ、あ、あ、あ。い、い、い、い。う、う、う、う。え、え、え、え。お、お、お、お。あ、え、い、お、う。う、お、い、え、あ」
 「あ、あ、あ、あ。い、い、い、い。う、う、う、う。え、え、え、え。お、お、お、お。あ、え、い、お、う。う、お、い、え、あ」
 しばらくして、原口が再び部屋に顔を出した。
 「ちょっといいかな?」
 「何でしょうか?」
 「今、君の声を聞いていて思いついたんだが」
 「何をですか?」
 「もう一度こっちへ来てくれないか?」
 「いいですけど。今度はいったい何の用ですか?」
 返事をしないで、原口は先ほどの写真を掲げて、ソファーに座ったぼくと見比べ始めた。原口の意図が分かって、ぼくは両手を振った。
 「と、とんでもないです。そんなことしませんよ」
 「なあ、頼むよ。君なら、立派に身代わりが出来るよ」
 「女としてはまだ背が高いですよ」
 「確か162だと言ってたよね。162なら、合格ラインだ」
 「ぼくは男ですよ」
 ぼくは再び両手を振った。
 「裸になれとは言わないよ。見かけさえ、似ていればいいんだ」
 「困りますよ」
 「舞台で女を演じると思えばいいだろう? そうだ。観客が一人の舞台だ。君は、余命幾ばくもない老人の魂を救うために、女を演じるんだ。これが出来れば、君は俳優として一気に開花できるぞ」
 「そんなあ・・・・・」
 ぼくは困惑の表情を浮かべた。
 「頼むよ。ご老体だけのためでなく、君自身のためでもあるんだから。この通りだ」
 原口は、土下座するようにしてぼくに嘆願するのだった。そこまでされれば、返事をせざるを得ない。ぼくは躊躇いがちに返事をした。
 「・・・・どうしてもと言うのなら」
 「ありがたい」
 「でも、ぼくが女装したって、この人の娘には見えないと思いますけど」
 「ちょっとやってみようじゃないか。・・・・確かセーラー服があったはずだ。ちょっと待っててくれ」
 原口は、事務室に戻って電話をし始めた。
 「声だけならともかく、ホントに女装するなんて・・・・。困ったな」
 原口の声を聞きながら、ぼくは床に座り込んだ。

 30分ほどして、大きな荷物を抱えた女性が事務所にやってきた。劇団員ではなさそうだ。
 「紹介するよ。北野小夜子さんだ。劇団の衣装や化粧などを担当して貰っているんだ」
 「北野です。よろしくね」
 北野と言うその女性はにっこりと笑顔をぼくに向けた。30半ばくらいの、結構美人だった。
 「あ、大森です」
 ぼくもぺこりと頭を下げた。
 「この写真の女性に似せられるかな?」
 原口が写真を撮りだして、北野に見せた。
 「この写真の女性にですか・・・・」
 北野はじっと写真を見た。それから、ぼくの顔を見詰めた。
 「ちょっとやってみましょう。ます軽くお化粧をしましょう。眉毛と髭の剃り跡はドーランで隠すことにして。じゃあ、そこの椅子に座って」
 「はい」
 ぼくは観念して、椅子に座った。北野は、ぼくの顔の何カ所かにドーランらしいものを塗り広げ、それから、ぺたぺたと化粧品を塗り始めた。眉毛を描き、アイシャドー、頬紅を広げ、最後に口紅を塗った。
 「さあ、ウイッグをかぶって」
 自分ですることもなく、北野がウイッグをかぶせてくれた。化粧の間つぶっていた目を開いてビックリした。
 「これがぼくですか・・・・」
 鏡には、姉さんの顔が映っていた。
 「原口さん、どうですか?」
 「こりゃ瓜二つだ」
 写真を見ながら原口が溜息混じりに言った。
 「写真の女子高生の方が、ふっくらしてませんか?」
 ぼくはそう反論した。
 「いや、そっくりだよ。ちょっとセーラー服を着て見せてくれないか?」
 「セーラー服をですか?」
 ちょっとイヤそうにしたのだが。
 「いいじゃないか。セーラー服を着て、外に出てくれって言ってるんじゃないんだから」
 「・・・・そうですね」
 仕方がないので、北野がバッグの中から取りだしたセーラー服を着た。
 「ずいぶん重いんですね」
 「ヒダが多いからね。これで普通のスカートを作ると二着分出来ますからね」
 北野が説明した。
 「へえ」
 ブラジャーとかはしていないから、胸が弛みがあって、逆にウエストはきつい。スカートの丈は膝丈なんだけど、スウスウして心許ない。スカートって言うのは、こんな感じなんだと、初めてはいたスカートにちょっと感慨を覚えていた。
 「この写真の女性みたいに、にっこり笑って見せて」
 ぼくは、にっこりと微笑んで見せた。
 「北野君。どうだ?」
 原口は、ぼくと北野の間に写真をかざした。
 「そっくりですわ」
 「どうだ? 大森君。やってくれるか?」
 「その女性が見つかったら、この話は、なしですよ」
 「当たり前だろう? 見つからなかったらの話だ」
 ぼくはハアと溜息をついた。原口が探している孫娘とやらが早く見つかることを祈るしかない。
 「見つからなかった場合を考えて、明日から女性としての仕草を特訓しよう」
 「明日からですか?」
 ぼくはちょっと驚きに目を見張った。
 「そうだよ。一ヶ月たって、はい今から女性をやってくださいって言われて、やる自信があるのなら別だが」
 そんなこと、できるはずもない。
 「・・・・そうですね」
 「女性を演じることは、将来の君の演技に幅を持たせることになるんだ。頑張って練習するんだぞ」
 「わかりました」
 何となく丸め込まれたような気がしたけれど、そう返事をした。
 「髪の毛も女の子らしくカットして貰おう。北野君。これくらいあったら、ショートカットの女の子の髪型に出来るだろう?」
 「十分ですわ」
 ウイッグを脱いだぼくの髪の毛をさわりながら北野が言った。
 「そんなことしたら、困ります。外を出歩けなくなってしまう」
 「ずっと女の子の格好をして貰うからいいさ」
 「ずっと女装してたら、家に帰れないじゃないですか」
 「そうか。それもそうか。・・・・そうだな。合宿に参加することにして貰おう」
 「合宿に?
 「ああ。こういう劇団は、結構合宿をやっているからね」
 「どれくらいの期間ですか?」
 「そうだな。ご老体が亡くなるまでと言うことになるだろうが、せいぜい3ヶ月間だろうね」
 「3ヶ月間も・・・・」
 「孫娘が見つかれば、それで終わりだ」
 「合宿には費用がいるんじゃあ?」
 「わたしが無理を頼むんだ。劇団が負担させてもらうよ」
 「・・・・それならいいです」
 「じゃあ、ご両親に合宿の説明をして、明日は、身の回りのものを持ってくるんだよ」
 「ここで特訓するんですか?」
 「まさか。軽井沢にわたしの別荘があるから、そこで特訓することにしよう。あそこなら、万が一人に見られても、君が恥ずかしい思いをすることはないだろう」
 「軽井沢・・・・。安心しました」
 「じゃあ、明日の朝9時にここで会おう」
 「わかりました」

 そう言うわけで、ぼくは原口の知り合いである老人の孫娘を演じるために特訓を受けることになった。

 「合宿? 3ヶ月間も?」
 家に戻って合宿の話しをすると、3人とも驚きの声を上げた。
 「費用は?」
 「劇団持ち」
 「へええ、ずいぶん太っ腹の劇団ね」
 姉さんが洩らす。
 「そうかなあ?」
 「普通は、合宿費なんかを取られるわよ」
 「でも、いらないって。給料もちゃんとくれるって言ってたよ」
 「お金持ちの道楽息子か何かがやってるの? その劇団」
 「そうかも」
 ぼくは肩をすくめた。ぼくもちょっと不思議な気がしていた。

 夕食がすんでから、バッグに必要なものを詰めた。
 「豊。3ヶ月でしょう? 服は2着でいいの?」
 女物の服が用意されているなんて言えなかった。
 「劇団で、トレーニングウエアを用意してくれてるんだ。ほとんどそれで過ごすから、ぜんぜん持っていかなくたってもいいくらいなんだ」
 「へえ、そうなの。でも下着もいらないの?」
 下着も女物が用意してあると原口が言っていた。
 「下着も女物を着るんですか?」
 そう抗議したけれど、原口は当然だと答えただけだった。
 「これで十分だよ。もし必要なら向こうで買うよ」
 「電話するのよ」
 「わかった」
 「病気するんじゃないわよ」
 「分かってるよ。子供じゃないんだから」
 「いつまでたっても、あなたはわたしの子供よ。母親ってものはそう言うものなの」
 「分かった。病気しないようにするよ」
 この時、ぼくは何故か母にはもう二度と会えないような気がした。その勘がホントになろうとは思ってもみなかった。