第15章 発覚

 光子は、顔から上半身を中心にひどい熱傷を負っていた。工藤が金に糸目を付けずに呼び寄せた医者たちの努力によって、命は何とか取り留めたものの、顔にはひどい傷が残りそうだと言うことだった。
 真一がぼくを選ぶことは分かっていたものの、光子がそんなことになって、ぼくは気分が優れなかった。
 『自業自得さ。あんまり欲張るからさ』
 ぼくの電話に、原口はそう答えたけれど、原口だって、工藤の財産欲しさにぼくをこんな目に遭わせているんだ。原口にもきっと天罰が下る。そう思っていた。

 「咲子さんが亡くならず、光子さんがあんな事にならなくても、ぼくは加奈子さんを選んだでしょう。会長、加奈子さんと結婚させてください」
 約束の月曜日、真一は、工藤勝正とぼくに向かってそう宣言した。
 「加奈子。おまえはいいのか?」
 結婚相手は自分で選ぶと宣言していたこともあって、工藤勝正は心配になったようだ。
 「はい。わたし、真一さんに付いていきます。真一さんとなら、うまくやっていけそうですから」
 そう言うと、工藤勝正はホッとしたような表情を見せた。がしかし、その表情には何故か戸惑いのようなものが見えた。それがなんなのかぼくにはわからなかった。
 「それでは、真一君と加奈子の婚約をここに宣言する。式は、1ヶ月後でいいな。真一君?」
 「はい。ぼくの方は異存はありません」
 「加奈子の方は?」
 「わたしも」
 「大久保。早速式の準備に取りかかりなさい」
 「かしこまりました」
 式が終わるまでは、まだ安心できないけれど、原口が望んだとおりになりそうだ。原口は、いつ、どう言う理由を付けて、ぼくたちの前に姿を現すのだろうか?
 それにしてもちょっと気がかりなのは、工藤の態度だ。孫娘の結婚が決まったというのに、浮かない顔をしていた。咲子が死んで、光子まであんな事になってしまったせいだとは思うのだけれど。どうも腑に落ちない・・・・。

 部屋に戻ると、佐藤が忙しそうな振りをしてやってきた。
 「さあ、加奈子お嬢様。今日から大忙しですよ」
 「いったい何が忙しいの?」
 「あら? ご結婚の準備ですよ」
 「準備って、まだ一ヶ月も先の話よ。それに、準備は大久保が全部やってくれるんでしょう?」
 「式そのものの準備は大久保様がいたしますが、加奈子お嬢様は、加奈子お嬢様で、準備が必要なのです」
 きっぱりと言った。何が必要なのかぼくにはさっぱり理解できなかった。
 「いったい何の準備をするの?」
 「まず、ウエディングドレスです」
 「ウエディングドレスを選ぶのに、そんなに時間はかからないでしょう?」
 「選ぶって、加奈子お嬢様、まさか既製品をお考えではないでしょうね」
 ものすごくいけないことを言ってしまったかのように、佐藤は目を丸くした。
 「あら? いけないの?」
 「いけません! いけません! とんでもないことです。加奈子お嬢様の結婚式に使うウエディングですよ。一生に一度のことなのですよ。ちゃんとしたデザイナーに頼んで日本にひとつしかないものを作っていただかないと」
 「そんな見栄を張らなくても」
 「とんでもございません! 工藤家のお嬢様の結婚式に、既製品のウエディングなんて言ったら、皆様に笑われてしまいます」
 佐藤は目をつり上げて頬を膨らませた。
 「仕方ないわね。いつになるの?」
 「これからデザイナーの先生に連絡して、いくつかデザインをしてもらいますから、来週あたりには」
 「それじゃあ、まだ一週間は余裕があるじゃないの?」
 「その間にエステに通っていただきます」
 「エステ?」
 「そうでございます。加奈子お嬢様を最高の状態にして、猿渡様に気に入ってもらえるようにいたしませんと」
 「真一さん、このままのわたしがいいって言ってたわよ」
 「磨きをかければ、もっと気に入っていただけます」
 どのように抵抗しても、逃げようがないようだ。仕方なくぼくは首を縦に振った。それにしても・・・・。
 最高の状態にして気に入ってもらえるように? 女を馬鹿にしていないか? ぼくはちょっと腹が立った。だけど黙っていた。

 その日の午後から、早速エステ通いが始まった。ぼくは女としては腰はちょっと小さいけれど、ウエストは結構締まっているし、胸の形もいい。何もすることはないと思っていたのだけれど、肌の艶をよくするだの、張りをよくするだの言われて、全身に得体の知れないものを塗りつけられてマッサージされた。
 くすぐったいけれど、これは気持ちがよかった。マッサージされながら眠り込んでしまうくらいだった。

 その日の夜、入浴をすませてベッドに入ろうとしていると、部屋の電話が鳴った。
 「もしもし」
 『加奈子か? ぼくだ』
 その声に初めは原口だと思った。しかし、原口は自分のことを『わたし』と言う。電話の主は『ぼく』と言った。声は原口に似ている。と言うことは・・・・。
 「土田さん?」
 『そうだ。元気にしてるか?』
 「は、はい」
 『猿渡真一と婚約したんだってな』
 「え、ええ」
 『親父の作戦はうまく運んでいるって言うわけだ』
 「まあ、そうですね」
 いったい何の用事だろうとぼくは訝っていた。
 『明日、おまえに会いたい。屋敷を抜け出してきてくれ』
 その言葉にぼくは危険なものを感じ取っていた。止めた方がいいぞと言う天の声がした。何とかしようとぼくは断る口実を探した。
 「会いたいって、原口さんは知ってるの?」
 『親父? 親父は知らないさ』
 「今、そんなことをしてたら、まずいんじゃないの?」
 『まずくてもいいんだ。とにかく、ぼくはおまえに会いたいんだ』
 「でも・・・・。計画がおじゃんになってしまうかも知れないわよ」
 『いいから、出てくるんだ。出てこないと、あのビデオを屋敷に送り届けるぞ』
 あのビデオをこの屋敷に送り届ければ、原口の目論見は完全に壊れてしまう。そんなことをするはずはないとは思ったけれど、ぼくを脅すには十分だった。考えるまでもなかった。土田の言うことを聞かなければならない。
 「あなたに会いに行きます。どこへ行ったら?」
 『青山のエステに通っているな』
 「え、ええ」
 ぼくの行動は原口たちに見張られているようだ。
 『あのエステから、西に歩いて5分ほどの場所に、ブロッサムという喫茶店がある。そこで午後2時に待っている』
 「午後2時、ブロッサムという喫茶店ね。わかったわ」
 『可愛い下着を付けて来いよ』
 電話が切れた。可愛い下着を付けて来いってことは、ぼくを抱くつもりなんだろうか? この作戦が始まるとき、土田はぼくに対して未練がましくしていた。真一と婚約したことを知って、嫉妬のような気持ちが沸いて、ぼくを呼びだしてきたのかもしれない。
 行きたくはないけれど、あのビデオがある以上、ぼくは彼らの操り人形になるしかないのだ。

 翌日、ぼくは小さな花柄の入った可愛らしいお揃いのブラとショーツを身につけて、エステサロンに行くと称して屋敷を出た。もちろん佐藤が同行してきた。
 エステサロンに入ると、佐藤の目を盗んですぐに土田が指定した喫茶店へ向かった。喫茶店はすぐに見つかった。
 店の一番奥に土田が座ってコーヒーをちびりちびりと飲んでいた。
 「よく来たな」
 ぼくの姿を認めると、土田は片手をあげて合図してきた。ぼくは、唇をかみしめる。
 「まあ、そんな顔をするなよ。時間はどれくらいある?」
 「・・・・1時間くらい」
 「それだけあれば十分だ。すぐに行こう」
 土田は立ち上がって財布を取り出し、会計へと向かって歩き始めた。
 「すぐに行こうって?」
 土田の意図はわかっていた。しかし、ぼくはとぼけてみせる。
 「ホテルに決まってるだろう?」
 ぼくの耳元で、喫茶店の従業員に聞こえないようにそう呟いた。ぼくは、体を固くした。
 「やっぱり・・・・」
 わかっていたこととは言え、身震いがした。
 「他におまえを誘い出す理由があるか? さあ、行くぞ」
 ぼくが黙ったままじっと立っていると、土田はニヤリと笑って鞄をちょっと開いて見せた。そこには、あのビデオテープとおぼしきものが入っていた。
 「さあ」
 促されて、ぼくはやむなく土田に従って店を出た。
 「な、何をするんだ!」
 そんな土田の絶叫に、項垂れて歩いていたぼくは顔を上げた。そこには、大久保と井上がいて、井上が土田の腕をねじり上げていた。
 「おまえは誰だ。加奈子お嬢様に何の用だ?」
 大久保が何時にないドスの利いた声で聞いた。
 「うるさい! おまえに関係ない」
 「正直に言わないと腕をへし折るぞ」
 井上が、これまたドスの利いた声で言った。
 「わかった。言うよ。言うから、手を離してくれ」
 井上がねじり上げていた土田の腕を放し、大久保の前に付きだした。土田に妙なことを言われたら困るのにとぼくは戦慄していた。
 「さあ、言うんだ。おまえと加奈子お嬢様の関係を」
 「知ったことか!」
 土田は、大久保の向こう臑を蹴飛ばすと、怯んだ隙に逃げ出した。走って逃げる土田を井上が追いかけていく。ぼくは捕まるなよと心の中で祈っていた。もし土田が捕まらなければ、土田との関係を糺されたとしても、何とか誤魔化せるからだ。なんと言って誤魔化そうかとぼくは考えを巡らせ始めた。
 「キキキキキーッ」
 あたりにブレーキの音が響き渡り、土田の体が通りの横から出てきた車のボンネットに跳ね上がった。通りを横切って逃げようとした土田が、走ってきた車に跳ねられたのだ。
 「加奈子お嬢様は、先に屋敷にお帰りください」
 ぼくは、いつの間にか近くに停まっていた工藤家の車に無理矢理押し込められてしまった。

 部屋に戻って、ぼくは戦々恐々としていた。あのビデオテープに気づかなければいいけど。それだけが心配だった。
 部屋のドアがノックされたのは、午後3時半を少し回った頃だった。
 「加奈子お嬢様、大久保でございます」
 「はい。どうぞ」
 大久保はいつものように直立不動で、ドアのそばに立った。
 「何の用?」
 「加奈子お嬢様にちょっとお話が。椅子に座らせていただいてよろしいでしょうか?」
 「いいわ」
 大久保は、部屋の中に入ってぼくの前に座ると、ぼくをちょっと上目遣いに見たあと、後ろ手に隠していたビデオテープをぼくの目の前に置いた。
 「話と言いますのは、このビデオテープの件でございます」
 ぼくはビデオテープをじっと見つめた。
 「そ、そのテープがどうかしたの?」
 「このビデオテープは、先ほど加奈子お嬢様が喫茶店でお会いになっていた土田という男が隠し持っていたものです。加奈子お嬢様にお聞きいたします。このビデオテープの内容は真実でしょうか?」
 ビデオテープには、タイトルも何も書かれていなかった。あのビデオかどうかわからない。
 「いったい、何が映っているって言うの?」
 「中身を確かめたいとおっしゃるのですね。それでは、ちょっとデッキをお借りしますよ」
 大久保はビデオテープをデッキの中に挿入して再生ボタンを押した。すぐに駅から降りたぼくの、男だったぼくの姿がテレビの画面に映し出された。あのビデオに間違いなかった。大久保は早送りのボタンを押し、しばらく流したあと、再生ボタンを押した。
 『わたしは女。わたしは女。わたしは女よ。わたしは生まれたときから女。生まれたときからずっと女よ』
 『わたし、綺麗な女になりたい。わたし、綺麗な女になりたい。わたし、綺麗な女になりたい』
 『ねえ、わたし、綺麗? 綺麗よね。わたしとっても綺麗よね』
 ぼくは耳を塞いだ。
 「もう止めて!」
 大久保は停止ボタンを押した。ばれてしまった。ばれてしまった以上仕方がない。しかし、このビデオテープに記録された映像は、真実が曲げられている。
 「そのテープに映っているのは、わたしです。それは否定しません」
 大久保が肩をがっくり落とすのが見て取れた。
 「でも、真実のすべてが記録されているわけではありません」
 「そのすべてと言うのを聞こうじゃないか」
 大久保の口調が変わった。ぼくは、工藤の孫娘・加奈子から、女になりたかった男に格下げされたのだ。だから、それも仕方のないことだ。
 「本当は、こういう事なのです」
 ぼくは、オーディションに出かけたときからの話を大久保に延々と聞かせた。

 「君の話を総合すると、癌で死にそうな老人が探している孫娘を演じることを頼まれて、役作りのために女性ホルモンを使い、豊胸術まで受けたと言うんだな」
 「・・・・はい」
 ぼくは消え入りそうな声で答えた。
 「奈々美お嬢様の夫である原口こと弘田三郎が、君が奈々美お嬢様の若い頃にそっくりなのに目を付けて、性転換までして加奈子様に仕立て上げて、この屋敷に送り込んだと言うんだな」
 「その通りです」
 「なるほど。・・・・このビデオテープを見ると、君は女になりたかったとしか思えんが・・・・」
 「とんでもないです。このビデオテープを見た人にそう思わせるように編集してあるんです。わたしは、原口に騙されたんです。騙されてこんな風に・・・・」
 涙が溢れて流れ出た。
 「君自身は、旦那様を騙すつもりはなかったのだね?」
 「このビデオテープがなかったら、この屋敷に来ることはなかったでしょう。わたしは、脅されていたんです。言うことを聞かなければ、このテープを親戚や友人に送りつけると・・・・」
 「そうか。わかった」
 「どうすれば・・・・」
 「ともかく、君が加奈子お嬢様でないことがわかった以上、この屋敷から出ていってもらうしかない」
 「そうですよね。・・・・そのテープはわたしにいただけるんでしょう?」
 「いや、だめだ」
 その返事にぼくは茫然となった。
 「どうして?」
 「君が、今後工藤家に関わりを持たないようにする保険のようなものだ。もし、君が、工藤家に近寄ってきたら、このテープを遠慮なく公表させてもらう」
 「絶対に他の人には見せないでくださいね」
 「君が、二度と工藤家の敷居をまたがないと約束すればな」
 「約束します」
 「じゃあ、早急にこの屋敷を出ていってくれたまえ」
 「・・・・はい」
 「君が加奈子お嬢様でなくて、ホントに残念だ。いや、ホントに」
 大久保は失意を隠そうともせずにドアを開けた。