第12章 ライバルと遺産相続の条件

 昼食は、ペペロンチーノにサラダ、それにミルクだった。あんまり上等な食べ物を食べたことのないぼくだったけれど、材料が厳選されているのが分かった。簡単に言えば、すごく美味しかったと言うことだ。
 昼食がすんで、30分もした頃、木村が衣装を抱えてやってきた。
 「既製品でございますけれど、とりあえずお召しになって下さいませ。サイズはこれでよろしいかと思いますが・・・・」
 木村がぼくに手渡したのは、こんなもの普段着るのと言うようなロングドレスだった。早く着替えろとうるさく言うので、やむを得ずそのドレスに着替えた。胸が少し苦しいけれど、ほぼぴったりだった。
 「よくお似合いでございます」
 木村は一歩下がってぼくの格好を確かめて言った。
 「ヘアスタイルが・・・・。お嬢様、そのままスツールに腰掛けてお待ちになっていてください」
 木村はバタバタと階段を下っていき、すぐに駆け上がってきた。手にはウイッグが握られていた。
 「前髪はお嬢様の地毛を利用いたしましょう」
 ぼくの髪の毛をブラッシングしたあと、ウイッグをかぶせて、ブラシで整えていった。仕上がると、カールされた髪が肩まで掛かる、まさにお嬢様風の髪型になっていた。
 「これでよろしいかと」
 「この家では、いつもこんな風にしていなければならないの?」
 「そんなことはありませんけれど、今晩は、旦那様がお嬢様をみなさまにご紹介なさると聞いておりますので」
 「それを聞いて安心したわ。毎日こんな格好じゃあ、疲れてしまうわ」
 「お嬢様はどんな格好がお好みでしょうか?」
 「Tシャツにジーンズ」
 「まあ、とんでもない。せめてブラウスにフレアスカートにしていただきませんと」
 「堅苦しいのね。こんな家に来なければよかったわ」
 心にもないことを、ワザと言ってみた。
 「お嬢様には、慣れていただきませんと」
 「はい、はい」
 「お嬢様。お返事は一回で。はしたのうございます」
 参った。こんな家で一生暮らしていける人間が信じられない。
 「お嬢様。お嬢様は、咲子様、光子様と違って工藤家の直系のお孫さんだと言うことをお忘れになりませんように。よろしいですね」
 「はい」
 ぼくは項垂れながら答えた。この堅苦しさは、女を演じるよりつらい。

 木村が部屋から去って15分もした頃、ドアがノックされた。
 「誰?」
 「大久保でございます」
 「どうぞ」
 「失礼いたします」
 「どうしたの? 何の用?」
 「加奈子お嬢様に、工藤家のことを知っていただくために、簡単な書類を作って参りました。お目を通して置いてください」
 そう言って、分厚い書類をぼくに差し出した。簡単な書類じゃないなと思ったけれど、ぼくはにっこり笑って受け取った。
 「ありがとう」
 「夕食は午後7時でございます。15分ほど前に、迎えに参りますので、このお部屋でお待ちください」
 「わかったわ」
 「それでは失礼いたします」
 大久保が去っていったあと、書類に目を通そうかと思ったけれど、あんまり厚いので目を通す気分にはならず、ベッドの上に仰向けに寝転がって天井を見ていた。
 「父さんや母さん、姉さんも心配しているだろうな。でも、この姿じゃ、もう二度と家には戻れないな」
 合宿と言って家を出るとき、二度と母さんの顔を見られないかもしれないと言う勘が当たってしまった。涙がこぼれた。

 いつの間にか眠っていたようで、気がつくと日が傾いていた。起きあがって鏡を見ると、涙で化粧が崩れていた。鏡に向かって化粧を直したあと、ぼくは厚い書類を手にして、目を通した。
 工藤勝正は77才。長野県の出身で、戦後のどさくさに紛れて裸一貫から今の財産を気づいたようだ。経営する会社は、貿易関係からIT関係、食品関係にまで及び、全部で11の会社を所有していた。全国に、会社名義の保養所がいくつもあり、さらに個人所有の別荘も数カ所にあった。
 それらの資産と有価証券などをあわせた工藤の財産は、100数十億円に上るらしい。
 「すごい・・・・」
 工藤勝正の妻、昌子は5年前クモ膜下出血で他界していた。昌子との間には、奈々美の他には子供はいない。
 赤坂の芸者に産ませた子供が、工藤勝一45才で工藤咲子22才の父親である。工藤勝一は、工藤勝正の経営する貿易会社の専務をしているが、親の七光りで専務の職に就いているらしく、ほとんど経営能力はないと言うことのようだ。
 2号として囲っていた三浦治子との間に生まれたのが、桐山サチ42才で、桐山光子20才の母である。桐山サチの夫、桐山洋平47才は、やはり工藤勝正の経営する食品関係の会社の総務部長をしている。この男に関しては、それ以上の情報はない。
 大久保の持ってきた書類を要約すれば、こういう事になる。

 書類を読み終えた頃、ドアがノックされた。時計を見ると午後6時45分だった。約束通り、大久保が迎えに来たのだ。
 「加奈子お嬢様、お迎えに参りました」
 「ちょっと待って、化粧を直すから」
 ぼくは、ドレッサーに向かい、乱れた髪と化粧を直した。ドアを開けると、大久保が直立不動で待っていた。
 「待たせてごめんなさい」
 「いえ、とんでもない。さあ、まいりましょうか」
 先に歩き出した大久保の後に従って階段を下り、食堂へ向かった。

 食堂もでかかった。洋ものの映画に出てくるような広い部屋で、真ん中に幅3メートル、奥行き10メートル以上はあろうかというテーブルがでんと座っていた。
 そのテーブルの一番向こう側に車椅子の工藤勝正がいて、両側に3人ずつ並んでいた。どちらが工藤勝一の家族で、どちらが桐山洋平の家族かはわからなかった。
 「こちらへ来なさい」
 工藤勝正がそう言うと、他の6人が一斉にぼくを見た。この娘はいったい誰だというような目だ。
 ぼくは、工藤勝正の左側に歩いていった。
 「紹介しよう。奈々美の子供の加奈子だ。わたしの3番目の孫だ」
 6人の目つきが一斉に変わった。獲物を捕られまいとするハイエナのような目だ。
 「加奈子です。どうぞよろしく」
 ぼくは女の子らしく、膝を曲げ、ちょっと首を傾げて挨拶した。
 「ホントに奈々美が産んだ子なの?」
 「産まれてすぐ死んだんじゃあ」
 ふたりの母親が、ほとんど同時に棘のある言葉を吐いた。
 「わたしの孫に間違いない。それはわたしが保証する」
 工藤勝正がそう言うと、女たちは黙り込んだ。
 「向かって右側が、長男の勝一とその連れ合いの民子、その娘の咲子だ。左側が、長女サチの婿になる桐山洋平、サチ、その娘の光子だ」
 ぼくはいちいち頭を下げた。
 「加奈子。そこに座りなさい。大久保! 食事を運んでくれ」
 「かしこまりました」
 大久保が食堂を出ていくと、しばらくしてエプロンをした女中らしい女性たちがワゴンを押して入ってきた。
 フルコースのフランス料理が次々と出てくる。ぼくは、そんな経験がないので、見よう見まねで料理を口に運んだ。みんな黙っていて、一言もものを言わない。ナイフやフォークをカチャカチャ言わせると、馬鹿にしたような目でにらみつけられた。美味しいはずの料理が、砂を噛むようだった。
 「こんな食事なら、部屋で一人で取った方がいいな」
 心の中でそう思っていた。

 デザートがすみコーヒーの時間になって、工藤勝正が口を開いた。
 「今日はみんなに相談がある」
 みなが一斉に工藤勝正に注目した。
 「知っての通り、わたしは体調がよろしくない」
 顔を見合わせる男女。
 「そこで、わたしの財産を譲る条件を決めておこうと思う」
 みんなが一斉に工藤を見た。
 「条件って? その加奈子も含めて、みんなに平等に分割するのでは?」
 工藤勝一が言った。その言葉には、ぼくが加わったことで相続する財産が減って口惜しいという思いがにじみ出ていた。
 「いや、そんなことをするつもりはない」
 「まさか、今までわたしたちがお父様に尽くしてきたことをお忘れになって、その加奈子に全部譲ろうなんて事は言わないでしょうね」
 桐山サチが立ち上がっていった。
 「わたしだって、おまえたちを忘れている訳じゃない」
 ホッとしたように桐山サチが座り込む。
 「しかし、わたしの財産はできるだけ分割しないで、ひとりの人間に相続して欲しいのだ」
 「ひとりというと、当然長男のわたしですね?」
 工藤勝一がにんまりと笑って言った。
 「おまえに、わたしの財産を維持管理している能力はない」
 一刀両断にされて、勝一は小さくなった。
 「じゃあ、わたくしが?」
 「いや。おまえに任せたら、財産をみんな食いつぶしてしまう」
 桐山サチも小さくなった。
 「じゃあ、3人の孫の誰かに譲ろうって言うのか?」
 勝一が言った。
 「そうだ」
 「さっき加奈子さんじゃないって言ったわね。加奈子さんじゃなかったら、わたしね。わたしが一番年上だから」
 咲子が勝ち誇ったように言った。
 「いや、違う」
 「じゃあ、わたしなのね」
 にっこり笑って光子が言う。
 「違う」
 「じゃあ、いったいどうするって言うんですか? お父様」
 「まだ決めていない。と言うより、真一君に決めてもらおうと思っているんだ」
 「あいつに?」
 工藤勝正は、この場にいない、真一という男に工藤の財産を相続させる人間を決めさせると言う。どういう男なんだろうか?
 真一? 猿渡の顔が浮かんだ。
 「真一君は、わたしが最初に会社を興したときの共同経営者の孫だ。知っての通り、真一君は、傾きかけていたわたしの会社をふたつも建て直した。できれば、真一君にわたしの会社をすべて任せようと思っているんだ。ただ、工藤家の血は絶やしたくないんだ」
 「とおっしゃると?」
 「咲子、光子、加奈子の中から真一君の嫁を選んでもらう。その上で、選ばれた孫娘に全財産を譲るつもりだ」
 「じゃあ、わたしに決まりね。真一さんとは付き合いも長いし、一番仲がいいから」
 咲子が勝ち誇ったように言った。
 「真一さんがあんたを選ぶとは決まってないわ」
 光子が、わたしの方が美人なのよと言いたげな顔をした。ぼくは、ぼくが選ばれなかったら、原口はどうするだろうかと考えていた。復讐も果たせず、財産も手に入らなかったら、やけになってぼくのあのビデオテープをまき散らしやしないかと心配していた。
 「どうした? 加奈子? そんなに悲しい顔をして。加奈子は、真一君に選ばれる自信がないのか?」
 工藤勝正にそう尋ねられて、ぼくはハッと我に返った。ぼくは女としては、かなり美人の部類に入ると思う。しかし、咲子も光子も、ぼくよりずっと美人に見える。自信なんてあるはずがない。
 「わたしは自分の結婚相手は自分で見つけます。選んで貰わなくて結構です」
 負け惜しみで、そう言ってしまった。けれど、本心は選んで貰わないと困るのだ。選ばれなかった場合、原口がどんな行動に出るかわからない。
 「加奈子さんは、脱落ね。二人で競争って言う訳ね」
 光子が言う。
 「いや、もし真一君が加奈子を選んだら、加奈子には真一君と結婚して貰う。それが工藤家の孫に生まれた運命だ」
 「イヤです! 絶対イヤです!!」
 行きがかり上、引くに引けなくなってぼくはそう叫ぶしかなかった。工藤は、ちょっと困ったようにぼくを見つめていた。

 「こんばんは。お邪魔します」
 若い男の声がして、入り口の扉が開いた。
 「あら? 真一さん。どうしてここへ?」
 咲子が、いち早く男の元に駆け寄った。当事者の一人である真一がやってきたのだ。
 「おう、よく来たな。待っていたんだ」
 その言葉からすると、工藤勝正が真一を呼び寄せたようだ。
 「いったい何のようですか?」
 そう言いながら、近づいてきた若い男は、やっぱり猿渡真一だった。ぼくに気がついて、声をかけてきた。
 「やあ、久しぶりだね」
 真一は、ぼくに向かって微笑んだ。
 「どうして加奈子さんを知ってるのよ!!」
 咲子がふくれたような顔をして聞いた。
 「先週、ちょっと世話になったんだ。ねえ?」
 「え、ええ」
 「これで、ハンデが少しなくなったわね」
 光子が、それでもわたしの勝ちよと言うような顔をして言った。真一は、訳が分からないと言うような顔をしている。
 「真一君、こっちへ来て座りなさい。大久保! コーヒーを」
 「かしこまりました」
 「で、会長? 用事というのは何でしょうか?」
 椅子に腰掛けると、真一が尋ねた。
 「用事というのはな。わたしの跡を継いで、真一君に我が工藤グループの総帥になって貰おうと思ってな」
 「ええっ!? ぼくがですか?」
 「そうだ」
 「大変光栄だと思いますが、伯父さん方がおられるのに、ぼくみたいなものが差し置いて総帥なんかには・・・・」
 「ひとつの会社だけならともかく、グループ全体となると、この二人では無理だ」
 「ぼくにそれが出来ると?」
 「そうだ。真一君には、その器量がある」
 「しかし・・・・」
 「もう決めたんだ。わたしの遺言だと思って引き受けてくれ。わたしの作り上げたく同グループを背負って立つ人間は君しかいない」
 真一は考え込んだ。考えた末に結論を出した。
 「会長がそこまで言うのなら・・・・」
 「ただし、ひとつだけ条件がある」
 「条件? 何でしょう?」
 「ここにいる、わたしの孫娘の一人と結婚して欲しいのだ」
 「ええっ!?」
 「わたしの血を工藤グループに残すためだ」
 「・・・・なるほど。ぼくの方はよろしいですが、いいのですか?」
 「わたしは、いいわよ」
 咲子が真一にしなだれかかって言った。
 「わたしも」
 光子も肯いた。
 「加奈子さんは?」
 真一が尋ねてきた。
 「加奈子もいいと言っている」
 答えに迷っている間に、工藤勝正が答えた。
 「すぐに返事をしなければなりませんか?」
 「今すぐでなくてもいい。しかし、君ももう知っているだろう。わたしの命はそう長くない。出来るだけ早く決めて欲しいのだ」
 真一は工藤勝正の『わたしの命はそう長くない』と言う言葉に、すぐに返事をするのを躊躇っているようだった。一呼吸置いてから言葉を発した。
 「わかりました。よく考えた上で、早急に御返事いたします」
 「頼んだぞ」

 こうして、ぼくたちを含めた3人の孫娘たちは、飾り窓の女よろしく、真一に選ばれるのを待つこととなった。