それから三日目の午前10時を少し回った頃、店の前にロールスロイスのリムジンが横付けされた。
「とうとう来たな」
ぼくは、そう思いながらも、知らんぷりをしてお客の相手をしていた。リムジンから降りてきたのは、蝶ネクタイをして、黒いスーツに身を包んだ、映画や小説の中で見かける執事という言い方が一番似合っているような痩せた白髪の60くらいの男だった。
直立不動のまま歩くと言うとおかしいけれど、そんな感じで男は店に入ってきた。
「ごめんなさい」
高く透き通った声が店内に響いた。
「いらっしゃいませ。あのう、どういうものをご希望でしょうか?」
北野が、男に頭を下げながら尋ねた。
「こちらに、弘田加奈子という女性はおられるか?」
「はい。おりますが・・・・」
北野は、ぼくの方を横目でちらりと見た。
「その弘田加奈子さんをちょっと呼んではもらえんかな?」
「どんなご用事で?」
「本人と話しをしたい。早く呼んでくれ」
「かしこまりました」
北野は、ぼくの方を向いて大声で呼んだ。そんなに大きな声を出さなくても、狭い店だからすぐにわかるのにと思ったけれど、北野も、男が工藤家からぼくを迎えに来たのだとわかっているものだから、少し緊張していたのだ。
「何? ママ?」
ぼくは素知らぬ顔をして、北野の呼び掛けに答えた。
「ちょっと、こっちへ来て。この方があなたに用事があるんだって」
「じゃあ、こちらのお客様の相手を代わっていただけますか?」
「すぐに行くわ」
入れ替わるとき、北野がウインクしてきた。頑張ってと言う合図だ。
「わたしは、大久保利昭というものだ。工藤家の執事をやっている。あなたが、弘田加奈子さんかね?」
「はい、そうですけど、どんなご用事でしょうか?」
ぼくはしらばっくれて尋ねた。大久保は、ぼくの顔をじっと見つめたあと、ちょっと涙目になって言い出した。
「あなたの母親の名前は、弘田奈々美ですな」
「はい、そうですけど。それが何か?」
「旧姓はご存じか?」
「旧姓って、母のですか?」
「そうです」
「工藤だったと聞いています」
大久保は、ふうと溜息を漏らした。
「わたしのご主人が、あなたに会いたがっている。一緒に来てはもらえないだろうか?」
「あなたのご主人が? わたしに何の用事があるって言うんですか?」
「わたしのご主人は、工藤勝正と言いいます。ご主人には、奈々美様というお嬢様がいらしたのですが、20年前家出をされて女のお子さんを産んだあと亡くなっております。ご主人は、孫娘に当たる、その女性を捜しておられるんです」
「その女性がわたしだと?」
「そう言うことです」
「母の名前が奈々美で、旧姓が工藤って言うだけでしょう? どうしてわたしがその女性だとわかるんです?」
「あなたは、わたしが記憶している、奈々美様にそっくりです。間違いありません。どうか、わたしと一緒に来てください」
言葉遣いが次第に丁寧になっていくのがわかった。大久保は、ぼくを弘田加奈子、工藤勝正の孫娘と認めた上で話しをしているようだ。
「でも、お店があるから・・・・」
簡単にうんと言っては、見破られるかもしれない。だから、ぼくはホイホイと話しには乗らないよう注意しながら応対していた。
「それなら、わたしの方から話をしてみましょう。もし? ちょっとよろしいかな?」 大久保は、北野に向かって手招きした。
「はい、何でしょうか?」
「この方をしばらくお借りしたいのだが、よろしいか?」
「よろしいかと言われましても、この通り、従業員がふたりしかいませんから、連れて行かれては困るのですが・・・・」
北野も渋る振りをしている。なかなかうまいものだ。
「これでお借りするというわけにはいきませんか?」
言葉が少し丁寧になって、大久保は懐から財布を取りだして、1万円札を5枚ほど北野に手渡した。
「あ、まあ、そう言うことなら、結構でございます。どうぞ、どうぞ」
愛想笑いを浮かべながら、北野は返事した。そんな金を手渡されることを想定していなかっただろうから、ホントに嬉しそうだった。
大久保がぼくのそばに戻ってきた。
「話が付きました。さあ、お嬢様、ご一緒に」
「ホントにわたしがそのお嬢様なんですか?」
ぼくはまだ抵抗する振りをした。
「ともかくご主人に会ってください。会えばはっきりすると思いますから」
「それなら・・・・。ちょっと着替えてきます。このままじゃあ・・・・」
そんな風に、女の子らしい反応を見せてみた。
「お待ちいたしております」
ぼくは階段を上り、店用の服を脱いで、清楚なワンピースに着替えた。それから、ちょっと化粧をし直して、バッグを持って階段を下りていった。
「加奈子さん、ちょっと待って」
表で待っている大久保のところに行こうとすると、北野がぼくを呼び止めた。
「これを」
「何?」
「原口から頼まれていたのよ。工藤家から迎えが来たら、これをあなたに渡すようにって」
「これを?」
手渡されたものは、大きなペンダントだった。
「これは奈々美さんの遺品なの。工藤が見れば、それがわかるわ」
ぼくは頷いて、首にかけた。
「じゃあ、くれぐれもばれないように頑張るのよ」
「はい」
ぼくは大きくひとつ深呼吸をして、店の表に出ていった。
大久保は、ぼくの姿を見ると、目を細めて嬉しそうにしていた。ぼくが着ているワンピースは、原口が選んだものだ。原口は、昔奈々美が好んできた服をよく知っていた。だから、ぼくは奈々美の生まれ変わりのように見えるはずだ。
「お待ちしておりました。どうぞ」
ドアを開いてくれたリムジンの中に、ぼくはさっと滑り込んだ。大久保は、ぼくの正面に乗り込んできて、運転士に向かって命じた。
「お屋敷に戻るんだ」
「はい」
リムジンがゆっくりと走り始めた。ぼくの顔をにこにこしながら見ている大久保に反して、ぼくの方はどきどきし始めていた。その動悸を押さえるために、ぼくは心の中で自己暗示をかけた。
『わたしは弘田加奈子。母と死に別れて、父にも捨てられた可哀想な女の子。わたしは弘田加奈子。母と死に別れて、父にも捨てられた可哀想な女の子』
ぼくは弘田加奈子を演じ切らねばならない。あのビデオがある限り・・・・。
原口が予行演習だと言った屋敷もすごかったけれど、リムジンが入っていった屋敷は、さらに大きな屋敷だった。
あの時、大きな屋敷の割に人がまったくいなかったのを不思議に思わなかったのは、ぼくが馬鹿だった証拠だ。
工藤の屋敷には、ガードマンらしい男たちが何人か立っていたし、出迎えたのは、数人の女性たちだった。
「さあ、どうぞ奥へ」
大久保に促されて、家が一軒建ちそうな吹き抜けの玄関を通りすぎて、大きなドアを通り抜けた。そこは、ちょっと成金趣味のごてごてとした調度がいっぱいの応接室だった。南側が庭に面していて、あの屋敷の倍はしそうなすごい庭が広がっていた。
「原口が、この財産を欲しがるはずだ」
そう思っていた。
「ご主人を呼んで参ります。そこのソファーに座って、お待ちください」
座ると50センチも沈みそうなソファーに座って、工藤勝正が現れるのを待った。
5分ほどして、車椅子に乗ったかなり恰幅のいい男が現れた。大久保が付き添っていた。この男が工藤勝正なのだ。工藤の血色はよく、とても癌で余命幾ばくもないとは思えなかった。
工藤は、ぼくの姿をじっと見つめたまま、何も言わない。ぼくもソファーから立ち上がって、その男を見つめ返した。
「奈々美によく似ている」
そうは言ったけれど、その目は疑っている目だった。
「名前は?」
「加奈子です」
ぼくは、感情を込めずに答えた。
「・・・・大久保。この娘が、わたしの孫だという証拠は?」
「弘田の足跡を追って辿り着いたのが、この加奈子様です。戸籍を調べてみましたところ、父は弘田三郎、母は奈々美と記されており、その奈々美を調べてみましたところ、奈々美お嬢様のものに間違いありませんでした」
「・・・・他人が、その戸籍を使っている可能性は?」
「考えられません」
「そうか・・・・。間違いないんだな」
「はい」
「加奈子。こちらへ来て、顔をよく見せてくれ」
そう言ったけれど、工藤の目の中にある疑いの光は消えてはいなかった。
「わたしがあなたの孫である証拠、証拠っていったいなんだって言うんですか! わたしを馬鹿にしないでください!! わたしの父は弘田三郎で、母は弘田奈々美です。でも、祖父の名前なんて知りません。あなたがわたしの祖父だという証拠があるんですか?」
ぼくはそう言い放った。工藤はビックリしたような顔でぼくを見た。
「それに、あなたがわたしの祖父だとしても、どうして20年も放って置いたのですか? 探そうと思えば探し出せたはずなのに」
ぼくは加奈子になりきっていた。少し涙を浮かべながら、そう言った。
「それはこの大久保のせいです。わたしが怠慢だったのです。ご主人様のせいではありません」
大久保が、ぼくと工藤の間に入った。
「おまえは黙っていろ! 気性まで奈々美にそっくりだ。わたしの孫に間違いない。加奈子、おまえが首にかけているペンダントを開いてみなさい。その中に、わたしとおまえの母親が写った写真が入っているはずだ」
ぼくはペンダントを手に取り開こうとしたけれど、開かなかった。
「鎖を通している金具を半回転させてから、ボタンを押してみなさい。そうすれば、開くはずだ」
言われたとおりにすると、ペンダントが開いた。ぼくにそっくりな奈々美を前にして、目の前にいる工藤を若くした男と、奈々美によく似た女性が写った写真が入っていた。ぼくは工藤と写真の男を見比べた。
「ホントにあなたがわたしのお祖父様なのですか?」
「そのペンダントに開け方を知っているのは、わたしと奈々美だけだ。これで信じてもらえるかな?」
「ええ」
「加奈子。よく戻ってくれたな。長い間放って置いてすまなかった」
そう言った工藤の目には、もはや疑いの光は消えていた。うまくいったとぼくは心の中で呟いていた。
お祖父様と言って工藤に抱きつけばいいのだろうか、それとも? 考えているうちに時間がたってしまった。ぼくはただ工藤のそばに歩み寄って、車椅子のそばに跪いて工藤の手を握っていた。
「ホントに、よく戻ってくれた」
工藤は、涙を浮かべて、ぼくの髪をなでた。
「お祖父様、どこか体の具合が悪いのでは?」
癌で余命が幾ばくもないと知っていながら、ぼくは知らない振りをして尋ねた。
「いや、大丈夫だ。ちょっと体調を崩しているだけだ。すぐに元気になる」
「そう? せっかく戻ってきたのだから、できるだけ長生きしてね。わたし、お母様の分まで、お祖父様に孝行しますから」
工藤は笑みを浮かべた。
「今日から、ここがおまえの家だ。必要なものは何でも買ってやる。何でも言いなさい。20年間何もしてやれなかったからな」
「何もいりません。わたし、ずっと独りぼっちでした。わたしと血の繋がったお祖父様と一緒にいられるのなら」
もし観客がいたら、拍手喝采ものだろう。
「大久保。加奈子を部屋に案内してやりなさい。わたしは、少し疲れた。部屋で休む」
「かしこまりました」
使用人らしい女性に押されて、車椅子の工藤は応接室から消えていった。
「わたし、ここに住むんですか?」
「はい、そうです、加奈子お嬢様。二階にお部屋を用意してあります。すぐに案内いたしましょう」
大久保がドアを開いて、先に応接室を出るように頭を下げた。
「お店にわたしの荷物が」
「ああ、それなら、もう取りにやらしています。お嬢様は、こちらで待っておられればよいです。さあ、行きましょう」
「そうですか。じゃあ」
ホントは、北野の店まで行きたかった。ぼくが北野の店に残してきた荷物の中に、他人に見られて悪いものは何ひとつない。だから、持ってきてもらうことには問題はないのだが、ぼくが北野の店に行きたかった理由は、うまくいっていることを原口に伝えたいがためだ。それできなくなってしまった。
だけど、すぐに考え直した。ぼくの荷物を工藤の使用人が取りにいけば、事がうまく運んでいることはわかるだろう。ぼくは、大久保のあとについて行った。
吹き抜けの玄関に戻ると、両サイドに階段があって、応接室を出た真上がテラス風になっていた。ぼくは、大久保の後を追って、玄関から向かって左側の階段を上っていった。
真ん中に廊下が走り、その左右にドアが三つずつあった。左側の部屋、つまり南に面した部屋の一番奥の部屋のドアを大久保は開いた。
「ここが加奈子お嬢様のお部屋です」
ドアの間隔から予想していたけれど、ものすごく広い部屋だった。入って左側の壁際に、豪華なクインサイズのベッドが設えられていて、その窓際に大きな机、入り口側にこれまた豪華なドレッサーが置かれていた。右側の壁は、クローゼットらしい。
「お嬢様の服を用意させていただきます。係りのものを寄こしますので、少々お待ちください」
「お店に置いてきたものでいいわ」
「いえいえ、工藤家のお孫様に相応しいものを用意させていただきますので」
「そうですか。大久保さん?」
「何でございましょう?」
「他の部屋はどうなっているの?」
「ああ、他の部屋でございますね。隣が光子様、その隣、玄関に一番近いお部屋が咲子様のお部屋です」
「光子さんと咲子さんというのは?」
「旦那様のお孫さんでございます」
「えっ!? わたしの他にも、孫がいるんですか?」
「はい。加奈子様を加えて3人でございます」
ぼく、加奈子だけだと思っていたのに、3人も孫娘がいるなんて・・・・。
「そうなんですか? 光子さんと咲子さんのお年は?」
「光子様は22才、咲子様は20才と聞いております」
「ほとんど同い年ね」
「はい。そうでございます」
「挨拶しなくてもいい?」
「夕食の時に、ご主人様から紹介があるでしょう」
「わかりました。向かいの部屋は?」
「玄関側のお部屋に、咲子様のご両親、次のお部屋に光子様のご両親が住んでおられます」
孫娘がいただけでも驚いていたのに、その両親までいるとは。・・・・両親が存在するのは当然か。
「咲子さんと光子さんのご両親というと、お祖父様の子供と言うことですか?」
「亡くなられた奥様のお子様は、奈々美様だけでしたが、咲子様のお父様と光子様のお母様が妾宅のお子さまで・・・・」
「ああ、なるほど・・・・」
工藤の財産を相続する権利があるものが、加奈子を含めて5人いることになる。これはかなりの誤算になるかもしれない。原口はこのことを知っているのだろうか? ぼくに財産を相続させて、すべてを奪うという計画は、この時点で成り立たなくなったようだが・・・・。
「それでは、ご用事のあるときは、内線の3番か7番へどうぞ。3番はわたくしが、7番は加奈子お嬢様担当の女中が出ます。それでは」
「ありがとう」
大久保は、頭を下げて出ていった。
しばらくして、女性がやってきた。
「加奈子お嬢様。わたくしどもが、お嬢様のお世話をさせていただきます。木村と佐藤でございます」
「加奈子です。よろしくね」
ぼくはにっこり微笑んで見せた。
「写真でお見かけした奈々美奥様にホントにそっくりです事」
「そう?」
「はい。奈々美奥様譲りの美人でいらっしゃいますわ」
そんなことを言われて、ぼくはちょっと嬉しくなった。女となってしまった今、美人と言われて喜ばない理由はないだろう。
「お嬢様、今晩から着ていただく服を用意させていただくために、サイズをお計りいたしますので、申し訳ございませんが、ご洋服をお脱ぎになって、下着だけになっていただけますでしょうか?」
「はい」
ブラのサイズを決めるからと言われて、結局ショーツ一枚になってサイズを測られた。性転換していなければ、ぼくが男だとばれていたところだ。無理矢理ぼくを性転換した原口の考えは正しかったと言うことだ。
「それにしても女らしくなってしまったものだ」
ぼくは、ドレッサーの鏡に映った半裸の自分を見ながら思う。無理矢理性転換されてから、ほぼ一ヶ月あまりベッドに寝かされ、栄養とともに女性ホルモンがずっと与えられていた。だから、筋肉は完全に落ちて脂肪が付いて、全体に柔らかい体つきになっていたのだ。
「午後には、用意できると思います。それまでお待ちになってください」
「わかりました。あのう・・・・」
「何でございましょう? お嬢様」
「そろそろお昼ですけど、食事は? 用意していただけるの?」
「もちろんでございます」
「食堂かどこかに行くの?」
「いえ、こちらへ持って参ります」
「みんな、一緒に食べないの? それともわたしだけ?」
「みなさま、時間がまちまちですので、朝と昼は、お部屋ですまされます。夕食だけは、食堂に集まって、みなさまご一緒に取られます」
「そうですか」
「それでは、少々お待ちください」
女たちが去っていった。
金持ちの家族が集まる夕食。一家団欒になるのだろうか? 安サラリーマンの家庭で育ったぼくには、その感覚がわからない。