第10章 開演前

 「加奈子。我々に協力する証として、裕一郎と寝て貰うぞ」
 原口がぼくに向かってそう言うと、土田がぼくに近寄ってきた。
 「いやだ! そんなことするもんか!」
 「ビデオをばらまかれてもいいんだな」
 原口がぼくに脅しをかける。
 「・・・・ぼくは男だぞ! よくそんな気になるな」
 土田に向かって、そう言うのが精一杯だった。
 「加奈子はどこから見ても女だ。どこが男だと言うんだ?」
 そう言われて、いまはもう反論ができなかった。
 「さあ、おいで」
 「いやだ!」
 「我が儘を言うなよ。もう処女じゃないんだから。ぼくとは、あのビデオの時だけじゃなく、何回もやっているんだからね」
 その言葉にボクは茫然となった。あの時だけだと思っていたのに・・・・。涙がまた出た。
 「父さんの機嫌が悪くならないうちに、相手をしてくれ」
 拒否しようがなかった。あのテープがある限り、ぼくは地獄に継がれた囚人なのだ。

 キスされた。舌を入れられた。噛み切ってやろうかと思ったけれど、そんなことをすれば、どんな報復が待っているかもしれない。だから、そうできなかった。
 「もっと気分を出せよ」
 やむなく舌を吸ってやった。ネグリジェを脱がされ、ブラもショーツも脱がされた。土田がぼくの胸を揉みながら、体中に舌を這わせた。
 原口がビデオを構えて、そんなぼくたちの様子を写していた。さらなる脅迫の材料を与えているのに、ぼくにはどうしようもなかった。
 土田は、ぼくの股間の新たな器官をなめ回した。それも簡単ではなく、いつまでも気が遠くなるくらいに。
 そんなことをされて、感じちゃいけないと思っているのに、ぼくは感じ始めていた。
 「加奈子。濡れてる。濡れてるよ」
 土田にそう言われて、よけいに感じ始めていた。
 「さあ、お返しにぼくのをなめてくれ」
 差し出されたペニスを銜えて、涙を流しながら嘗めた。
 「ああ、いい気持ちだ。加奈子はフェラチオがうまい」
 土田は、ペニスから舌を離すことをなかなか許してくれなかった。ペニスの先から、しょっぱいものが出て来始めた頃、土田ははい上がってきて、ぼくの顔を見ながら、腰を沈めてきた。ぼくは、土田から顔を逸らして見ないようにした。
 異物感はあったけど痛みはなかった。土田が、眠っているぼくと何度もセックスしたと言っていた。ぼくの人造腟は、男を受け入れるのになれてしまっているのに違いなかった。
 土田がゆっくり、あるいは激しく、腰を動かす。正常位から、後背位へ、それから上体を起こされて騎上位へ、そして正常位に戻ってから、土田はようやくぼくの中で果てた。
 土田が果てたとたん、そんなはずはなかったのに、ぼくも行ってしまった。土田がぼくに言ったように、ぼくは処女じゃなく、すでに女として感じ、行くことができるようになっていたのだ。
 「加奈子。よかったよ」
 そんな土田の言葉を耳元で聞きながら、ぼくは涙を流しながら浅い眠りについた。

 目覚めると、原口が今撮ったばかりのテープを編集していた。今度は、土田の顔が画面に出ないように配慮されていた。ぼくが目覚めたことを知ると、原口が言った。
 「君にひとつだけいいことを聞かせたあげよう」
 ぼくは憮然としてベッドの上に寝ていた。
 「加奈子はホントは死んでいるが、まだ生きていることになっていると言ったね」
 ぼくは沈黙を守っていた。
 「戸籍がまだ消えていないと言うことを言いたいんだ。わかるかね? つまり、君は加奈子の戸籍を使ってもいいんだ。君は女として、弘田加奈子として生きていけると言うことだ。もしこの作戦がうまくいかなくても、君に加奈子の戸籍を進呈しよう。それが、君に無断で性転換手術を施した罪に対する、わたしからのせめてもの詫びの印だ」
 勝手なことを言って、ホントの女になれる訳じゃないのにと思った。
 「いつまで黙りを決め込むつもりだ? 聞き分けがないと、どうなるかわかっているだろう?」
 「わかったよ」
 「言葉は女言葉だ。声も姿も女なのに、そんな言葉じゃおかしい」
 そう言われてハッとした。ペニスがなくなったことばかりに気を取られていて、声が高くなっていることに気づかなかったのだ。喉に手をやってみると、喉仏も消えていた。顎も、腋もスネもつるつるだった。全身の脱毛処理もされていたのだ。
 「返事は?」
 「・・・・わかりました」
 「それでは、日本に帰ったら、作戦続行だ。加奈子は、小夜子の店で働いていてもらう。工藤の雇った私立探偵が、加奈子を見つけだすように餌をばらまいて、向こうの方から接近させるようにするんだ。加奈子。工藤からの接触があったら、わたしに連絡するんだ。いいな、忘れるなよ。このテープがわたしの手元にある限り、おまえはわたしの言うことをきちんと守るしかないんだ。わかったな」
 「・・・・はい」
 「日本に帰っても、加奈子と寝てもいいんだろう?」
 土田が聞いた。
 「だめだ。作戦が終了したら、そのときは考える」
 「・・・・つまらないな」
 土田はガッカリしたが、ぼくはホッとしていた。どうせ抱かれるのなら、ぼく自身が好きになった相手がいい。そう思っていた。

 日本に帰るとき、持っていたパスポートを見た。弘田加奈子・女性になっている。原口は弘田加奈子の戸籍を使っていいと言った。今のこの姿を見れば、ぼくは弘田加奈子として暮らしていく方がふさわしいだろう。女性として生きていけると思うと、ちょっとだけ嬉しくなった。

 成田空港で、原口、土田の二人と別れて、地図を頼りに北野の店へ行った。ふたりと別れたのは、ぼくと原口たちが一緒にいるところをできるだけ他人に見られないためだ。
 「あら、いらっしゃい。待ってたわ」
 ブティック・Kに到着すると、北野が笑顔で出迎えてくれた。ぼくは疑うような顔で見た。
 「ずいぶん女らしくなったわね。さあ、二階へ上がって」
 お客がいるのに、女らしくなっただなんてと思っていると、そのことがわかったのか、北野は階段を上りながら、いいわけをした。
 「少女から大人の女になったわねって言う意味よ」
 なんと答えていいのかわからなかった。女としては処女じゃないから、大人の女かもしれないなと思った。
 「さあ、この部屋を使って」
 案内された部屋は、4畳半くらいの部屋で、窓際にベッドが置かれていて、その横に小さな整理ダンスがあった。
 「狭いけど、そんなに長くここにいることにはならないと思うから我慢してね。お化粧道具は、持ってる?」
 「少しは・・・・」
 ぼくはバッグを持ち上げて北野に示した。
 「そう。トイレは向かいのあのドアね。ユニットバスになっているから、シャワーもできるわ。お風呂は遠慮してね。水道代が馬鹿にならないから」
 北野はずいぶん細かいなと思った。
 「わたしは、あの部屋にいるからね。食事は、ここでは作れないから、裏の定食屋さんに行くのよ。もちろん、一緒に行ってあげるからね」
 どうやら北野は、ぼくの監視役でもあるようだ。

 朝目覚めて、ユニットバスで歯を磨いて顔を洗い、部屋に戻って化粧をする。それから、北野と一緒に裏の定食屋でご飯にみそ汁、焼き魚に生卵という朝食を取る。
 店の準備をして、午前9時開店。若者向きじゃなくて、中年以降の女性向けの小さなブティックだけど、結構お客が多い。
 「今日から働いている加奈子です」
 そう挨拶しながら、お客の相手をして、昼は交代でパンを囓るか弁当を食べる。午前午後とも、ずっと立っているから、かなり疲れる。
 午後7時閉店。それから、夕食を食べに行き、シャワーを浴びて寝る。テレビも見なければ、外出することもない。
 そんな単調な生活が続いた。

 そんな生活が10日ほど続いたある日、店には似つかわしくない紺のスーツを着た若い男がふらりと現れた。
 「50くらいの女性にプレゼントしたいんだけど、いいものを選んでくれないか?」
 「50くらいの方ですね。お母様か何かでしょうか?」
 「あ、まあ、そうだ」
 おかしな雰囲気だなと思った。もしかすると、原口が撒いたという餌にかかって、ぼくの、弘田加奈子の様子を窺いに来たのではと思った。
 「背丈はどれくらいでしょう?」
 「君ほどはないな」
 「体重とかは?」
 「そうだな。かなり太っている」
 「ご本人がいらっしゃらないと、なかなか難しいんですけど・・・・。あの向こうにいる女の人と比べてどうですか?」
 ぼくはちょうど通りを通りかかった小太りの女性を指さして尋ねた。
 「あの人より、ちょっと太ったくらいかな?」
 「わかりました。えっと、色の好みとかは?」
 「いつも黄色ばかり着ているな」
 「黄色、黄色と。これなんかいかがでしょうか?」
 ぼくは、カーキ色のワンピースを取りだして男に渡した。
 「もし気に入らなかったら、交換してもらえるかな?」
 「もちろんよろしいですよ。ただし、汚さないでくだされば」
 「じゃあ、これを」
 包みに入れて手渡すと、男は代金を払って出ていった。
 「違ったみたいだな」
 こんな単調な生活を続けるのにはもう厭ていたから、工藤の雇った私立探偵に早く見つけて欲しいと願う反面、見つかったら見つかったで、ばれないように演技できるだろうかと心配だった。

 その翌日、あの若い男が再び店に姿を現した。今度は、ポロシャツに、ラフなパンツという出で立ちだった。
 「やあ、昨日はありがとう。おかげでお袋が喜んでくれてねえ」
 「それはよかったですね」
 ぼくは頭を下げた。
 「君は趣味がいいよ」
 「ありがとうございます」
 「時々、この店の前を通るんだけど、君を見かけたのは、昨日が初めてだったんだ。最近だよね。ここで働き始めたのは?」
 「はい、10日ほど前からです」
 「10日前からか・・・・。実は、昨日この店に寄ったのは、君がある人によく似ていたからなんだ」
 「ある人って?」
 「20年ほど前、ぼくがまだ小学生の低学年だった頃、アパートの隣の部屋に住んでいた、凄く綺麗な人がいてね。幼いながらも、ぼくはその女性をお嫁さんにしようと思っていたんだ」
 男は思い出すように言った。
 「ふふ。おませさんだったのね」
 「そうだね」
 「凄く美人の女性に似ているって言われて光栄だわ」
 「イヤ、ホントにそっくりなんだ。だから、昨日帰ってお袋に、その人の名前を聞いたんだ」
 「何という名前だったの?」
 「弘田っていうんだ。君と同じだろう?」
 男は、ぼくの付けているネームプレートを指さした。
 「え、ええ。その女性の名前は何と?」
 「えっとねえ・・・・、奈々子だったかな?」
 「奈々子? わたしの母の名前は弘田奈々美っていうんですけど」
 「弘田奈々美? そう弘田奈々美だった。そうだよ。じゃあ、君があのときの弘田奈々美さんの娘さんの、・・・・加奈子さん?」
 「そうよ。わたし、弘田加奈子です」
 「お父さんの名前は、弘田三郎」
 「間違いないわ」
 「やあ、やっぱりそうだったんだ。いやあ、ホントに嬉しい」
 「わたしも父や母を知ってる人に会えて嬉しいわ」
 そんなことは夢にも思っていないけれど、話しの都合上、そう言わざるを得ない。
 「あ、君のお母さんは、君を産んだあと亡くなったんだったよね」
 「・・・・ええ」
 ぼくはちょっと悲しそうな表情を見せる。ぼくの演技は大したものだと思う。
 「お父さんは? 君と一緒に突然消えてしまったってお袋がいってたけど・・・・」
 「父は、わたしが麻疹をこじらせて肺炎で入院しているときにどこかへ行って、いなくなってしまったの。だから、ずっと会ってないわ」
 「そうか、君はひとりぼっちなんだね」
 「ええ・・・・」
 「今日はこれからちょっと用事があるんだ。よかったら、今度暇なときに、ぼくとデートしてくれないか?」
 「デート? ・・・・そうね。いいわ」
 「約束だよ」
 「ええ」
 「あ、待ち合わせに遅れてしまう。じゃあ、今日のところは失礼するよ」
 「あのう、あなたの名前は?」
 「あっ! うっかりしてた。ぼくの名前は、猿渡真一って言うんだ」
 「猿渡真一さんね」
 「そうだよ。しっかり覚えていてくれよ」
 「わかったわ。じゃあ、さよなら」
 「さよなら」
 立ち去っていう男の後ろ姿を見ながら、いい人みたいだなと思った。だけど、今のぼくは、男と楽しくデートしている場合じゃないと思い返した。

 夕食をすませたあと、ぼくは原口に電話した。猿渡の話しがあんまり出来すぎていると思ったからだ。
 「もしもし、加奈子です」
 「どうした? 工藤から接触があったのか?」
 「違うと思うんですけど、20年前、加奈子さんが生まれたときに住んでいたアパートに、猿渡って言う姓の人が住んでいたかしら?」
 「猿渡? しらんなあ」
 「隣の部屋に住んでいたって言ってたわ」
 「そんなやつはいなかった。そいつがどうかしたのか?」
 「当時、そのアパートに住んでいたって言って、わたしに近づいてきたの」
 「それは怪しいな。父親とか母親の名前を確かめたんじゃないのか?」
 「ええ。でも私立探偵には見えなかったけど」
 「私立探偵でございますなんて格好をしていたら、商売あがったりだろう?」
 「そうですね」
 感じのいい男だと思っていたのに、猿渡がどうやら私立探偵らしいとわかって、ガッカリした。
 「となると、近いうちに工藤の方から接触があるかもしれない。心しておけよ」
 「はい。準備は出来ています」
 このころには、ぼくは自分が生まれたときから女で、しかも弘田加奈子であると言い聞かせていた。軽井沢の別荘で、女を演じようとして、鏡に向かって『わたしは女』と呪文を唱えたように、今は、鏡に向かって、『わたしは弘田加奈子。母と死に別れて、父にも捨てられた可哀想な女の子』と何度も何度も繰り返していた。