第1章 オーディション

 ぼくは、オーディション会場の隣にある控え室の隅に小さくなって座っていた。部屋の中を上目遣いにそっと見回す。控え室の中には、ぼくを含めて30人あまりの二十歳前後の若い男たちがいて、奥のオーディション会場すなわち面接室から呼ばれるのを待っていた。今、12番目の男が中に入ったところだ。
 面接は、予定より20分ばかり遅れて始まった。ぼくは面接開始の30分ほど前にこの控え室にやってきたのだけれど、1時間以上前から来ていた数人が、遅れた説明がないと言って抗議していた。主催者は、抗議した連中から面接を始めた。そこでまたもめたけど、今は順調に面接が進んでいた。
 「みんな、格好いいなあ」
 ぼくは、部屋の中を見回してから下を向いて呟いた。実際、面接室の中にいる男たちは誰の目から見ても格好いい連中ばかりだった。
 「特にあの人は格好いいなあ。ぼくが主催者なら、きっとあの人を選ぶな」
 ぼくは、ぼくから見て丁度部屋の対角線の隅にいる背の高い男を見やった。ウエーブのかかったちょっと長めの髪の毛。太い眉毛。切れ長の目。高い鼻。きりりと結ばれた唇。ちょっと見た目は木村拓哉に見えるいい男だ。顔だけじゃなくて、すらりと背が高い。あの人には絶対敵わない。ぼくはふうと溜息をついた。
 それに、もうひとり格好いい男がいる。今、目の前を通り過ぎた男だ。木村拓哉似の男に負けず劣らずのいい男だ。ただ、待たされていらいらしているらしく、険しい顔になっているのが問題だ。
 でも、どうしてぼくなんかが・・・・。ぼくは、第1次選考合格の封筒をギュッと握りしめた。
 その封筒は、三日前に配達された。

 「豊ちゃん、あなたに手紙が来てるわよ」
 高校の卒業式の翌日、友人たちと遊び回って家に帰ると、母さんがぼくに一通の封書を手渡した。それが、今ぼくが握りしめている『街で見かけたいい男』オーディションの第1次選考合格の通知だった。
 「『街で見かけたいい男』オーディションだって? 豊、あんた、いつそんなものに応募したの? 図々しいわね」
 ぼくが見ていた手紙を横から取り上げて、姉さんが内容を読み始めた。
 「俺、そんなもの、応募していないよ」
 「じゃあ、誰が応募したのよ」
 「姉さんじゃないのか?」
 「まっさかあ。わたしが応募するわけがないじゃん。あんたみたいなちびが、初めから合格するはずがないもん」
 いつものように姉さんはぼくを馬鹿にしたように言った。姉さんのことは好きだけど、こんなところだけは嫌いだ。
 「ちびで悪かったなあ」
 ぼくは口を尖らせた。
 「もうこれくらい背が高かったら、応募してあげたんだけどなあ」
 姉さんは、親指と人差し指の間を10センチばかりを広げて見せた。
 「自分が背が高いからって、馬鹿にして」
 「背の高い女も結構気苦労が多いのよ」
 将来はモデルになるんだと言っている姉さんは、背が高いことを気にもしていない癖して、そう言った。
 「あなたたち、反対だったらよかったのにね」
 母さんが、紅茶の入ったカップをテーブルに置きながら呟くように言った。
 「遺伝だから仕方ないわよ」
 「そうだよね・・・・」
 ぼくは下を向いたまま、紅茶の入ったカップを手にした。母さんは、昔バレーの選手をしていて、かなり背が高い。確か172センチだったはずだ。それに比べて、父さんは、166しかない。近所の人から、蚤の夫婦だと言われている。姉さんは母さんの、ぼくは父さんの遺伝的素質を引き継いでいるのだ。
 「それにしても、いったい誰が応募したのかねえ・・・・」
 母さんは、紅茶を飲みながら封書を見つめて首を傾げる。
 「さあ。・・・・まさか、お父さん?」
 姉さんが母さんの顔を見た。
 「あの人がそんなことする訳ないでしょう?」
 母さんは姉さんに確信を込めた言葉を返した。
 「そうよねえ・・・・」
 姉さんは両手でティーカップを抱えて紅茶を啜った。

 仕事から帰ってきた父さんに聞いてみたけれど、やっぱり違った。
 「あんたの隠れファンか何かが応募したんじゃないの? 豊」
 「俺にそんなやつがいるわけがないじゃないか」
 「それもそうだね」
 謙遜して言ったのに、三人に異口同音に同意されてぼくはちょっとムッと来た。
 「で、どうするの?」
 「どうするって?」
 「そのオーディションよ」
 「行かないよ」
 「どうしてよ」
 「どうしてって、言ったって・・・・」
 「せっかく合格したんだから、勿体ないわよ。もしかすると、もしかするかも。豊、背は低いけど、結構可愛い顔してるから」
 「可愛い顔って何だよ!」
 ぼくは目を三角につり上げた。
 「何怒ってんのよ。今風の可愛い男の子だって褒めてやってるのに」
 「男らしくないって言いたいんじゃないの?」
 「そんなことない、ない。豊は可愛い」
 姉さんの目が笑っていた。
 「あ、やっぱり馬鹿にしてる!」
 「してないってばあ」
 「もういいよ」
 ぼくはふてくされた。
 「行ってみなさいよ。ほんとに、もしかするかも」
 今度は真顔で姉さんが言った。
 「恥をかくだけだよ」
 「そんなことないって。わたしが会場まで送ってあげるから。行ってみなさいよ」
 姉さんが強引に勧めるものだから、いやいやながら、会場へやってきたというわけだ。いや、嫌々ながらと言うのは当たっていないかもしれない。なにしろ『街で見かけたいい男』のオーディションなのだ。選ばれて悪い気はしない。

 しかし、オーでション会場の控え室に入って、その思いは雲散霧消した。中にいた男たちがあまりに格好良すぎたせいだ。
 「やっぱり止めときゃよかった」
 何度そう呟いたことだろうか? こっそり控え室を抜け出そうと思ったのだけど、出口の方に面接室があって、受付嬢が頑張っていた。だからこっそり抜け出せそうになかった。
 「トイレも奥にあるし・・・・」
 面接を受けるしかなかった。
 「大森豊さん。大森さん? いませんか?」
 「あ、ぼ、ぼくです」
 ぼくは慌ててソファーから立ち上がった。部屋の中の男たちがぼくを見た。ぼくを見た瞬間に、男たちに薄笑いの表情が浮かんだ。その表情は、俺の勝ちだとあからさまに表明するものだった。
 「くそ!!」
 心の中で叫び声をあげながら、ぼくは面接室のドアを開いた。
 「大森豊さんだね」
 「はい」
 「その椅子に座って」
 「はい」
 座れと言われるまで座っちゃいけないのよと姉さんに言われていたから、その言いつけを守っていた。ぼくは、椅子に腰掛けた。
 「昭和58年生まれの18才だね」
 「はい、そうです」
 「身長は?」
 「身長ですか?」
 「そうだよ。この応募用紙には、身長173センチと書いてあるんだが、そんなにあるとは思えないんだが」
 「それは違います。ぼくは162センチです」
 「162センチ? 嘘を書いちゃいけないな」
 「それはぼくが書いたんじゃないです」
 「はあ? 君が書いたんじゃないのか?」
 「はい。違います」
 「じゃあ、誰がこんな嘘を書いたんだ?」
 「知りません」
 「知らないって。じゃあ、誰がこのオーディションに応募したんだ? 推薦人は君自身になっているようだが」
 「分かりません」
 「分かりませんって・・・・」
 「佐藤さん、いいじゃありませんか。身長の件は別として、面接を続けましょう。身長以外は、このオーディションにふさわしいようですから」
 佐藤と呼ばれた真ん中の男性の右側にいた、ぼさぼさの頭をした中年の男性が言葉を挟んだ。
 「・・・・そうですね。じゃあ、好きな色は?」
 「好きな色ですか? 好きな色は、・・・・黄色です」
 特に好きな色はなかった。だから、適当に答えた。佐藤は、鉛筆で書類に書き込んでいる。
 「好きな色は黄色と。どうして黄色が好きなんだ?」
 適当に答えたから、当然のことながら理由なんて考えていなかった。
 「黄色って、幸せの色だと思うんです。だから・・・・」
 テレビの深夜劇場で、高倉健主演の『幸せの黄色いハンカチ』と言う番組をやっていた。見た訳じゃなくて、新聞のテレビ欄で見ただけだけど、黄色イコール幸せと言う発想が浮かんだのだ。
 「なるほど。好きな食べ物は?」
 「好きな食べ物は、母の作ってくれたものなら何でも」
 歯が浮くような答えだと自分でも思った。ホントのところは、好き嫌いが多くて、母さんを困らせてばかりいるのだ。
 「つまり、好き嫌いはないって事かな?」
 「あ、まあ、そういうことですね」
 「じゃあ、次は・・・・」
 他の男たちの面接は、5分ほどで終わったと思ったのだけど、ぼくの面接は20分以上続いた。
 長く質問されるって事は、脈があるんだろうか? 姉さんの、『もしかすると、もしかするかも』と言う言葉が脳裏を掠めた。
 「じゃあ、これで結構です。控え室で待っていてください」
 ぼくは、深々と頭を下げてから面接室を出た。

 ぼくの次に入った男も、5分ほどで外に出てきた。その次の男も。そうするうちに、面接時間が長かったぼくに対して、何となく敵意を抱いているような視線を感じ始めた。
 ぼくがオーディションに合格しそうだなと思っている男は、確かに面接時間が長かったのだ。
 「ホントに、もしかすると、もしかするかも・・・・」
 二次試験にも合格するかも・・・・。そう思いながら、ぼくは、期待に胸を膨らませて結果を待った。

 全員の面接が終わったのは、面接が始まってから4時間を回った頃だった。さらに30分たって、佐藤と呼ばれていた男が面接室から控え室へやってきた。
 みんな緊張した面もちで、佐藤と呼ばれた男を見守った。
 「それでは、2次合格者を発表する。北王子弘さん」
 「やった」
 ガッツポーズで木村拓哉似の男が前に歩み出た。
 「西川大地さん」
 「はい」
 「峰十朗さん」
 「はい」
 ぼくが二番目にいい男だと思った人だ。
 「市川翔さん」
 「はい」
 2次合格者は5人と言われていた。すでに4人の名前が呼ばれていた。あと一人残っている。ぼくは祈るような気持ちで名前を呼ばれるのを待った。
 「鈴木義男さん」
 「はい」
 だめだった。面接時間が長かったから期待していたのに、選に洩れてがっくり来た。初めから期待していなければ、こんなにもがっくり来なかっただろう。
 「今発表した2次合格の5人以外の人は、ご苦労様でした。交通費と食事代が出ますから、受け取って帰ってください」
 5人以外の男たちがぞろぞろと帰り始め、ぼくもそれについて控え室を出た。

 交通費と食事代の領収書にサインしていると、面接官一人であるぼさぼさ頭の男がぼくに近寄ってきた。
 「大森豊君だったね」
 「あ、はい」
 「君にちょっと用事があるんだが、時間をくれないかね」
 「何の用事なんですか?」
 「ここではちょっと・・・・。二階の喫茶店にでも行こうか」
 「は、はい」
 何かいいことがありそうだ。ぼくは、ちょっと嬉しくなって男のあとについて二階にある喫茶店へ入っていった。
 「コーヒーを。君は何にする?」
 「あ、じゃあ、ぼくもコーヒーをください」
 「コーヒーを二つ」
 「かしこまりました」
 ウエイターが去っていくと、ぼさぼさ頭の男はポケットからたばこを取り出して火をつけた。ふううと煙を吐き出してから、今度は内ポケットから名刺入れを取り出して、名刺をぼくに指し出した。その名刺には『演劇集団・風代表 原口公夫』と書かれていた。
 「『演劇集団・風』って、いったい・・・・」
 「一般の人にはあまり知られていないんだが、この世界では結構有名なんだよ」
 「そうなんですか。で、ぼくにいったい何の用ですか?」
 「ま、話しはコーヒーを飲んでからにしよう。4時間も面接していたから、ちょっと疲れているんだ」
 丁度運ばれてきたコーヒーカップを持ち上げながら、原口という男が片手を上げて、ぼくの質問を遮った。
 仕方がないので、ぼくもコーヒーを飲むことにした。原口は砂糖もミルクも入れないでコーヒーを飲んでいたけど、ぼくはミルクも砂糖もたっぷり入れてコーヒーを飲んだ。
 原口は、何も言わず、コーヒーを飲み、たばこをふかすばかりだった。ぼくはだんだんいらいらし始めていた。10分ばかりして、原口が突然口を開いた。
 「合格だ。どうだ? うちの劇団に入らないか?」
 「はあ?」
 「君の表情がいい。面接の時からそう思っていたんだが、わたしの目に狂いはなかったようだ。どうだ? 一緒に劇をやってみないか?」
 「劇って、突然そんなことを言われても。ぼくには経験もないし・・・・・」
 「誰だって初めから経験がある訳じゃない。訓練だよ。訓練すれば、誰だって、スターになれる」
 「スター・・・・」
 心地よい響きだった。しかし・・・・。あまりに話しがうますぎる。うまい話しは疑ってかかる方がいい。父さんがいつもそう言っていた。
 「演技の指導料とかが高いんでしょうね」
 そう言った明目で、高い金を取るんじゃないかと思ったのだ。
 「指導料なんていらないよ。逆に給料を上げるよ。うちの劇団員になってくれるのならね」
 と、意外な返事が戻ってきて、驚きを隠せなかった。
 「ホントですか?」
 「ああ」
 「いったい、いくらいただけるんですか?」
 「その月の稼ぎから経費と劇団に納める分を差し引いた残りを劇団員で頭割りにするんだ」
 「ベテランも新人も一緒なんですか?」
 「そう言うことになっているんだ」
 「稼ぎがなかったときは?」
 「もちろん、その月は給料なしだ。ただし、そんなことは今まで一度もない。最低でも10万はくだらないよ」
 「10万以上はいただけるんですね」
 「そう言うことだよ。いい月には、30万ほどになることも結構あるよ」
 「30万・・・・」
 「大学に行ったりはしないんだろう?」
 「あ、まあ。浪人するつもりでしたけど・・・・」
 受験した五つの大学、すべて不合格だった。決して成績が悪かった訳じゃない。ただ高望みしすぎたせいだ。
 「この世界で成功すれば、あえて大学には行かなくてもいいし、ま、行きたかったら、大学に行きながら劇団員として働いてくれればいいよ」
 「ホントですか?」
 「ああ。劇団員になってくれるね」
 「は、はい。喜んで」
 どんな劇団なのか、まったく知らないまま、ぼくは『演劇集団・風』の劇団員として契約を交わした。契約と言っても、辞めたいときにはいつでも辞められるし、罰則も何もないんだから気楽なものだった。

 「ちょっと胡散臭くない?」
 家に帰って、みんなに話すとそんな返事が戻ってきた。
 「それはそうだけど、お金がいるって訳じゃないし、逆に給料をくれるんだよ。いつ辞めてもいいって言うし、うまくいけば、スターになれるんだよ」
 「そこがおかしいのよね。あんまりうますぎる話だわ。ねえ、お父さん?」
 「そうだな」
 「何かおかしかったら、すぐに辞めるよ。いいだろう?」
 父さんも母さんも顔を見合わせながらも賛成してくれた。

 こうしてぼくは、『演劇集団・風』の一員として、活動することになった。