「佳奈、いつまで寝てるんだ。腹が減った。飯を作ってくれ」
そんな声に目を覚ますと、布団の傍らに清が座って、煙草を吸っていた。
わたしの手首には傷はなかった。血も流れていない。また元に戻ってしまった。自殺すらもできないと言うのか。どうすればいいんだ!!!
「何してんだよ。早く作ってくれよ。腹減ってたまらんよ」
わたしの気も知らないで、清は勝手なことを言う。わたしは清をじっと見ていた。
「どうかしたのか? 佳奈。具合でも悪いのか?」
清が立ち上がって、わたしの傍らに座り、わたしの額に手を当てた。
「熱なんてないじゃないか。さあ、早く起きて飯作れよ」
どうするかな? 素直に作るというか、それともイヤだというか? いずれにしろ、わたしは清と寝なければならない。暴力を振るわれるのは、もうイヤだから、機嫌良く作ると言ってやることにする。
「清、ちょっと待って。すぐに食事を作るから」
「食事はいいよ。一発やろう」
「ちょっと待ってよ。時間はたっぷりあるでしょう? 今日は休みなんだから」
「待てない」
「もう、我が儘なんだから・・・・。でも、少しだけ待って。今日お店を休むって店長に言うのを忘れてたの。康子に電話するから・・・・。それくらいは待って」
「分かったよ」
わたしは康子に電話した。このあたりは、二度目と同じパターンだなと思う。
「康子、わたし。今日、ちょっと急用ができて、休まなければならなくなったの。店長に休むって、連絡してくれないかしら?」
「いいわよ。明日は出て来るんでしょうね。明日から売り出しだからね。来てくれないと困っちゃうからね」
「分かってる、分かってる。じゃあ、頼んだわよ」
「ところで、佳奈。急用って、何なの?」
早く電話を切ればよかった。やっぱり聞かれてしまった。
「な、何でもないわよ。ただの急用よ」
「急用ねえ。・・・・せいぜい頑張りなさい」
「頑張るって?」
「とぼけても分かるわ。清さん、今日が今年最後の休みなんでしょう。うんとサービスしてあげるのよ」
「ば、馬鹿ね」
「店長には上手くいっとくわ。じゃあね、佳奈」
10年前の会話だから、良く覚えていないけれど、同じ様な会話をした覚えがある。
「佳奈! 早く来いよ」
さて、あの時わたしはピルを飲んだ。この忌まわしいループからいつ抜け出せるか分からない。自分の手で産んだ子どもを二度と失いたくはない。二度と子どもは産まないぞ。そう心に決めた。
「薬飲んでおくから、待って」
わたしは引き出しの薬箱から、ピルを取り出して飲んだ。
清がわたしの中で果てたあと、わたしは天井を見上げながら、ぼんやりと考えた。何をしても、このループから抜け出せないかもしれない。しかし、抜け出せると信じて生きよう。そのためになすべきことは・・・・。
過去と同じことをしていたら、抜け出せないだろう。抜け出せるまで、少しずつ生き方を変えてみる。それしかないだろう。
子どもは産まないと決めたが、これはどうだろう? 初めて佳奈に出会ったときの様子を思い出す。ほとんど裸になった佳奈には、子どもを産んだ形跡はなかったと思う。・・・・もう一度良く思い出す。茂みが見えそうになるまで降ろしたパンティー。その時見えた下腹部に妊娠線はなかった。乳首も小さくピンク色だった。佳奈は、子供を産んでいない。子供を産まないと決めた選択は、おそらく間違っていないだろう。
次は・・・・。清とどうするか? このまま暮らすか? それとも別れるか? あの時の様子からすれば、男がいるようには思えなかった・・・・。男がいたら、あの時わたしに声をかけたりはしなかっただろう。
このまま暮らしていれば、結婚、妊娠という道を歩んでしまいそうだ。今回は、何処かで別れてしまう道を選ぶことにしよう。そのためには、あまりべたべたしないことだな。取り敢えず、今回はそうすることにする。
そんなことを考えながら、ふとこの女、佳奈のことを考えた。もし、わたしが元に戻ったら、佳奈はどうなるのだろう。1994年12月16日から、1999年12月16日まで、わたしが佳奈の体を占領している。元に戻ったとき、佳奈にはこの間の記憶はないに違いない。5年間も記憶がなかったら、誰でもおかしくなってしまうだろう。そうなると、何らかの手段を用いて、この5年間の記録を残しておかねばならない。佳奈がのちに見ても不審に思わない程度の記録を。
日記だ。日記を書いておこう。それに加えて、佳奈が不幸にならないようにしてやろう。初めての時のような娼婦では可哀想だ。娼婦でなければ、あの時、男に引き留められることもないのだから。
昼近くになって、清が起き出した。ふたりで昼食をファミレスで摂り、清が佳奈の働くスーパーで食糧を買い込んできた。そのまま、アパートに帰って、セックス三昧の一日。変化を求めようとするが、そう簡単には変わらない。
翌日、清は午前5時にはアパートを出た。わたしは、スーパーへと向かった。レジの仕事も、もはや胃癌や大腸癌の手術よりうまくできる。
午後8時、シカゴに電話した。過去に起こったことはやっておかねばならない。10数回目に聡子が出た。
「もしもし」
「もしもし、三ヶ尻でございます」
眠そうな聡子の声だ。わたしは急いで電話を切る。これでよし。次は2時間後に電話するのだ。
午後10時。もう一度、ダイヤルする。今度はすぐに出た。予定通りだ。
「もしもし、三ヶ尻さん?」
「はいそうですけれど、あなた、どなた?」
「ご主人をお願いします」
「あなた、誰ですか? 主人に何の用ですか?」
「とにかくご主人をお願いします。怪しいものではありません」
「お名前が言えないのなら切ります」
「名前は・・・・」
そこまで言って、わたしは電話を切った。これで聡子は、変な電話があったけどとわたしを責めるはずだ。
何度か経験したものと変わりのない生活が始まった。変わりはないが、わたしは清の方が出て行くように仕向けている。わたしの方から別れてと言っても、イエスというわけがないことは分かっているからだ。
以前は、夜遅くなって帰ってくる清を待っていた。しかし、わたしは疲れたからと言って、時々先に寝てしまう。それも、『清、ごめんね。今日はとっても疲れているの。先に寝るわ。明日はうんとサービスするからね』などと、置き手紙をして寝床に入る。清が帰ってきたとき、眠っていなくても、寝た振りをして絶対に起きない。
日曜日の夕方からのセックスデーも、3,4回に一回は体調が悪いと言って、断ることにした。断っても、無理やりやられることは分かっているが、できるだけ嫌がる振りをして、セックスの回数を減らしている。
時には、映画などに誘って、まったくセックスさせないのだ。勿論日曜日に仕事を休んで、清とデートするなんてことはまったくしなかった
清は次第にいらいらし始めた。イライラが募って、わたしにちょっとしたことで暴力を振るう回数が増えてきた。わたしはその度にアパートを逃げ出して、康子の世話になった。
数日すると、清は必ずわたしを連れ戻しに来た。このままいなくならないかなと思うのだが、そんなことは、ぜったいになかった。清は佳奈にぞっこんなのだ。それなら暴力を振るわなければいいのにと思うのだが、一向に改まらなかった。
こんなことで、本当に清のほうから別れるといってくれるのだろうか? 少し疑問になったが、わたしはこれまで通りの作戦を続けていた。
そうするうちに、わたしの清に対する態度が少し冷たいから、何かあるのではないかと気になったらしく、清はわたしのことを康子に相談し始めた。
わたしは、暴力さえ振るわなかったらいい人なんだけどなあと、康子には、清と別れたいなんてことは口には出していない。康子からは何の情報も得られないはずだ。
ところが、清は康子と何度か会ううちに、懇ろになってしまったようだ。康子は、佳奈とはタイプが違うが、結構美人なのだ。
1996年の冬、清の方から別れ話を持ち出してきた。
「佳奈、俺たちもう別れよう」
「えっ!? どうして?」
わたしは、とぼけてみせた。
「おれたち、このまま一緒にいても、うまくいかないと思うんだ。だから・・・・」
「誰か他にいい人ができたのね」
それが康子だと言うことは、わたしには分かっていた。
「そう言う訳じゃないんだが・・・・」
「康子でしょう?」
「あ、いや」
「相手が康子なら、許してあげるわ。ふたりとも幸せになって欲しいから、わたしが身を引くわ」
「すまないな」
清は、それ以上何も言わないで、アパートを出ていった。うまくいった。うまくいったが、悲しかった。二度目のループの時、あれほど好きだと思い、清の子どもまで産んだのだ。元に戻るためとはいえ、別れるのは辛かった。セックスするときだけ優しい、ろくでもない男なのに・・・・。
清が出て行って、さっそく生活が苦しくなった。佳奈が清と同棲していた理由のひとつには、スーパーから貰う給料では、楽な生活が出来ないと言うことがあった。食べて行くだけで精一杯なのだ。
若い女だから、同じ服ばかりも着て入られないし、たまには美味しいものを食べたり、旅行にも行ってみたい。けれど、とてもそれができる状態ではなかった。
生活のために、お金のために、男と暮らす。特定の男だけを対象とした売春と変わりがないような気がする。通常の売春に比べて、一回の単価がずいぶん安いような気がするのだが、世の中の女のどれくらいが、同じ事をしているだろうか?
売春? 売春は確かにお金になる。お金になるし、快感も得られる。それは経験済みだ。しかし、今回はそれだけはしないと心に決めていた。ただ、スナック勤めくらいはしてもいいだろう。それ以上のことをしなければ・・・・。
わたしは、スーパーが終わったあと、午後7時から午前0時まで、スナックで働き始めた。スナックの従業員としての仕事は初めてじゃないから、すぐに慣れた。
佳奈は、結構美人で、しかも男好きのする顔立ちをしている。だから良くもてて、わたしを目当てにスナックに来るお客が多い。わたしが帰る時間になると、送りオオカミになることが見え見えの男たちが、わたしに声をかけてきた。わたしの決心は変わらない。絶対に男たちの誘いに乗ることはなかった。
それでもいつかはと言う男たちが来てくれるから店は繁盛し、わたしはかなり良い給料を貰っていた。しかし、今回はスーパーは辞めなかった。辞めると、ずるずると夜の道へ入り込んでしまいそうな気がしたからだ。
1999年が明けてすぐのある日、わたしはいつものようにスナックで働いていた。
午後8時頃店の玄関が開いて、ふたりのお客が入ってきた。ひとりは馴染みの客だった。もうひとりの客は、何と坂田だった。坂田は、馴染みの客の主治医をしているとのことで、手術のお礼にと食事をしたあと、このスナックに連れて来られたとのことだった。
坂田に会うのは何年ぶりだろう。懐かしくて堪らなかった。しかも、話しを聞いていると、三ヶ尻昭夫を褒めちぎるのだ。わたしは嬉しくて嬉しくて、坂田に誘われたら、そのままどこへでも付いていきそうな気分だった。勿論誘われはしなかったけれど・・・・。
2週間ほどして、坂田がひとりでやって来た。わたしが目当てでないのは一目瞭然だったから、適当に相手をしてやっていた。
30分ほどして、店に入ってきたお客を見て、わたしはビックリした。その客は、・・・・聡子だった。しかも、聡子は、坂田に声をかけたのだ。
「待ちました?」
「30分ほどね」
「すみません。わたしにも水割りをください」
聡子は結構飲めるが、実家以外で飲んだのは見たことがなかった。ふたりはどういう関係なのだ? わたしはそんな思いを押しつぶして、ふたりの相手をした。わたしが訝しげな顔をしているのに気付いた坂田が自分から言い出した。
「佳奈ちゃん、ぼくたちの関係を知りたいって顔をしているな」
「わたしの名前を良く覚えていますね。一度しか来たことないのに」
「ぼくの得意技でね。名前を一度聞いたら、絶対忘れないんだ。特に女性の名前はね」
「ふうん。じゃあ、改めてお聞きします。おふたりは、どういうご関係なんですか?」
「妻だよ。ぼくの愛妻」
そんな言葉を聞いても、聡子は何の反応も示さない。黙って水割りを口にしている。坂田が自分のことを妻だと紹介しているのに、黙っていると言うことは・・・・。
「凄く美人なんですね」
「佳奈ちゃんの次くらいにね」
「そんなことないです。美人の奥さんでいいですね」
「そう。妻は美人に限るよ。ただね。いつも浮気しないかと心配してるよ」
聡子が、坂田の腕をぎゅっと抓った。
「痛たた。冗談だよ、冗談」
「冗談が過ぎます」
聡子が、坂田を睨み付けている。
「佳奈ちゃん、お勘定して。ふたりで行くところがあるんだ」
「そうですか。ありがとうございました。また、いらしてください」
ふたりが腕を組んで出ていった後、わたしは呆然としていた。聡子は坂田の浮気という言葉に過剰な反応を示した。聡子は、坂田と浮気している。間違いない。
そう思いながらも、この妙なループの中だ。もしかしたら、三ヶ尻昭夫と聡子が離婚して、坂田が聡子と結婚しているなんてことがあるのかもしれないと、わたしは、昼間に三ヶ尻の自宅をそれとなく調べてみた。
聡子は、やはり、三ヶ尻昭夫の妻だった。聡子が、坂田と浮気している事実は動かしようがなかった。
その後、2,3週間に1度、坂田と聡子が店に顔を出すようになった。どうやら、わたしの勤める店を待ち合わせ場所にしているようだ。調べてみると、ふたりがやってくる日は、研究会などが行われている日で、わたし、三ヶ尻昭夫が研究会に出席すると言って、小夜子のマンションへ行っていた日だった。
何て事だ。少しも気付かなかった。この事実をわたしに気付かせるために、わたしは佳奈になったのだろうか?
あの聡子が浮気をするなんて信じられなかった。きっかけは何だろうか? 聡子が浮気を始めた動機を知りたいと思った。それには、坂田に近づくことだ。
わたしは、坂田に近づくチャンスを待った。
そのチャンスはすぐに訪れた。4月の外科学会が行われた日だった。三ヶ尻昭夫は、外科学会のため出張していた。聡子との逢瀬を楽しむこれほどのチャンスはないはずだ。
坂田が、午後8時頃、スナックへ現れた。聡子が、来るはずだ。ところが、聡子はなかなかやってこなかった。午後8時半を少し回った頃、電話が入った。
「すみません、坂田と申しますけれど、主人がそこに行っているはずですけれど、お願いいたします」
主人という言葉に、わたしはちょっとむっときたが、そんな感情を押し殺して、坂田に電話を手渡した。
「坂田さん、愛する奥様からですよ」
「ああ、すまない」
坂田は、電話を受け取ると、小声で話し始めた。
「なに? 来られない? そうか、お父さんが来たのか。仕方ないな。じゃあ、次の機会に」
坂田は、残念そうな顔をして、わたしに電話を戻した。
「奥様、来られないんですか?」
「友達が急に遊びに来たらしんだ」
坂田は、義父が来たと言っていたのを、わたしに聞かれたとは思っていないようだ。わたしは、知らん顔をして話しを合わせた。
「そうなんですか。それは残念ですね」
「仕方ない。ひとりで飲むか」
「お相手しますわ」
「佳奈ちゃん、飲めるの?」
「少しなら」
「じゃあ、今晩は、とことんつき合ってくれ」
「つき合いますけど、おうちに帰らなくてもいいんですか?」
「あの人が来たら、聡子はぼくを放り放しだから、いいんだ」
「そうなんですか。じゃあ、いただきます」
坂田は、聡子をまるで自分の妻のような振りをする。ばれているとも知らずに、いい気なものだ。
わたしは、坂田の自尊心をくすぐるような会話を続け、看板まで店に居座らせた。それから、一緒に店を出た。わたしは、うまくいけば坂田と寝るつもりだ。そして、聡子とどうして浮気するようになったのか聞き出す心づもりをしている。
わたしは、坂田をホテルに引っ張っていった。坂田もそのつもりだったのだろう。黙ってついてきた。
坂田は、手術もうまかったが、女を喜ばせるテクニックもすごい。わたしは、久しぶりに女を満喫した。
「奥様に悪いことしちゃったな」
わたしは、会話の糸口を掴むためにそう言った。
「久代は、もう寝ているだろう」
「あれ!? 坂田さんの奥さんは、聡子さんて名前じゃなかったの?」
坂田は、しくじったなという顔をしている。少し考えたあと切り出した。
「いつも、佳奈ちゃんのスナックで会っている女は、ほんとはぼくの妻じゃないんだ」
「ええっ!!」
わたしは、びっくりした表情を見せた。
「あの女は、ぼくの同僚の三ヶ尻って言う男の妻なんだ」
「じゃあ、不倫しているって言うわけ?」
「まあ、そうだな」
「どうして、また」
「三ヶ尻が浮気しているらしいって相談を受けてね。会っているうちに、関係を持ってしまったんだ」
「へえ、そうなんですか。結構、世間で聞くわね。そんな話し」
「まあ、三ヶ尻のテクニックが未熟なせいもあるけどね」
わたしは、ちょっとむっとくるが、そんなことは顔に出さないで話を続けた。
「坂田さんは、うまいから・・・・。わたし、すっごく感じちゃったわ」
それは、本音だ。
「テクニックだけじゃないんだ」
「えっ!? どういうことなの?」
「聡子は、少しマゾっ気があってね。苛めてやらないと感じないんだ」
わたしは、坂田の言葉に唖然とした。マゾっ気? 苛めてやらないと感じない!? 知らなかった。そう言えば、聡子がその気になるときは、わたしの機嫌が悪い日だったなと思い出す。そうか、そうだったのか。
「佳奈ちゃんは、どうだ? 苛められるのは、好きか?」
「とんでもないわ。わたしは、苛めるのも、苛められるのも嫌い。ノーマルよ」
「それは残念だな。佳奈ちゃんの苦痛に歪む顔を見たいと思ったんだが・・・・」
「坂田さんはサドなの?」
「そうかもしれないね。久代より、聡子の方が、ぼくに合っているような気がするね」
聡子を奪われてなるものか! わたしは、何とか坂田から聡子を取り戻そうと決心した。
どうするか? 三ヶ尻昭夫に、聡子がマゾっ気があることを伝えて、テクニックを磨かせ、聡子が、坂田に傾かないようにするのが一番だろう。しかし、元に戻ってからでは手遅れだ。それに、今更教えてやって、よりを戻したとしても、聡子が浮気をしていたという事実は翻せない。わたしには、そんなことを許せるはずがない。自分は、小夜子と浮気しているというのに、人間とは勝手なものだ。
とすれば、もう一度5年前に戻って、坂田と聡子が懇ろになる前に、それを教えてやる必要がある。聡子とうまくいけば、わたしは浮気しないですむはずだ。そうすれば、聡子が坂田に相談することもない。
我ながらいいアイデアだと思ったのに、肝心なことを忘れていたのに気付いた。どうやって教えようか? 教えるのは、わたし、大友佳奈しかいないわけだが・・・・。大友佳奈になったわたしが、三ヶ尻昭夫の元を訪れて、そのことを話す? 赤の他人の佳奈がそんなことを話せるはずがない。困ったな。
じゃあ、別の手は? 三ヶ尻昭夫と小夜子が、不倫関係にならないようにすればいい。そうすれば、聡子が坂田に、三ヶ尻昭夫の不倫問題で相談することもない。
そのためには、あの忘年会の日、小夜子が三ヶ尻昭夫をマンションへ連れていかないようにすればいいのだ。
よし、作戦は決まった。あとは実行あるのみだ。
12月16日が近づいてきたとき、わたしはもうひとつ問題があることに気付いた。三ヶ尻昭夫と小夜子が不倫関係にならないようにするのはいいが、わたしも元に戻らなければならない。一生懸命やって、挙句に5年遡ってしまえば、元も子もないのだ。
大友佳奈としての生き方が間違っていれば、恐らくわたしは元に戻れないだろう。さあ、どうする。
以前も考えたことだが、大友佳奈には子どもを産んだ形跡はなかったと思う。水沼清と別れるのは正解だろう。その後が問題だ。生活のため、スナック勤めをするのはいいとして、品行方正な生活をするのか、それとも娼婦のような真似をするのか?
あの時の佳奈の格好を考えれば、娼婦をしていると考えてもおかしくはないのだが、娼婦だと、あの男に呼び止められて、三ヶ尻昭夫に声をかけるのを邪魔される可能性が大だ。それに、自分がやることだから、それは後回しにするして、まずは品行方正な佳奈を演じることにする。それで元に戻らなければ、次は娼婦だ。娼婦をしても、男に呼び止められないようにすればいいだろう。
12月16日、わたしは、スナックにいた。わたしが三ヶ尻昭夫に出会わなければ、5年前に遡るはずだ。仕事が済んで、アパートへ帰り、ベッドに潜り込んだ。このまま、1999年12月17日になってしまうのではないかとの一抹の不安を感じながら、わたしは眠りについた。