白衣を脱いで着替え、病院の玄関からタクシーに乗り込んだ。繁華街にある料亭の名前を告げて、わたしは寝た振りをした。タクシーの運転手と話すのは、どうも苦手だ。わたしはタクシーに乗ると、いつも寝た振りをすることにしている。
20分ほどして、指定した料亭の前に、タクシーが横付けされた。わたしは、代金を支払うとその料亭には入らず、ぶらぶらと繁華街の外れへと向かった。顔見知りがいないことを確かめて、別のタクシーを止めた。駅前にある人通りの少ないビルの前でタクシーを降り、駅裏まで歩いて行ってから、さらに別のタクシーに乗って、ようやくわたしは小夜子のマンション近くの住所を告げた。
わたしが小夜子のマンションへ向かう経路は、いつも違う。タクシーも、違う会社のものを乗り継ぐ。それほどわたしは用心している。誰も気付いていないはずだ。
タクシーを降りてから、しばらく歩いて、誰にも見とがめられないことを確かめてから、マンションのエレベーターに乗った。
ドアをノックすると、小夜子が笑顔で出迎えてくれた。病院では、わたしには絶対に見せない笑顔だ。
「早かったのね」
「すべて順調だったからな」
靴を脱いで部屋に上がると、小夜子がスーツの上着を脱がしてくれる。わたしは、ネクタイを緩めて、ソファーに座った。
「うまくいったんでしょう?」
「勿論さ。ぼくの腕がいいのは分かっているだろう」
「病院では、そんなこと言わないのにね」
「大っぴらにそんなこと言うやつに、腕のいいやつはいないよ」
「それもそうね。どうする? こんなに早いと思わなかったから、食事は、まだできていないわ。お風呂、溜めてるけど・・・・」
「そうだな。ひと風呂、浴びてくるか」
わたしは、立ち上がって浴室へと向かった。
昔、それもかなり昔は、手術が済むと、みんな風呂に入って手術の疲れを癒し、ビールを飲んだものらしい。今では、そんなことをしていたら顰蹙ものだ。すべての術後処置を済ませてから、家に帰って風呂に入るのが、今のスタイルだ。術後経過が思わしくなければ、風呂に入ることはおろか、眠れないことも、ままある。今日は心おきなく、ゆっくり風呂に浸かれそうだ。わたしは30分以上浴室にいた。
「もうすぐ、できるから、ビール飲んでいて」
小夜子は、つまみの入った小鉢をわたしの前に置くと、ビールを注いで台所へ戻った。まるで長年一緒に暮らしている夫婦みたいだなと思う。小夜子と夫婦だったら良かったかなと空想する。
しかし、毎日顔をつきあわせていれば、だんだんイヤになるのだろうなと、その空想をうち消す。たまにこうやって会うから、新鮮味があっていいのだ。
新鮮味? その新鮮味も、もう色褪せようとしている。小夜子とこんな関係になってもう2年になる。何をすれば、小夜子が喜ぶかわたしには手に取るように分かる。小夜子の性感帯のすべてをわたしは知っている。
そろそろ潮時かも知れない。嫌気が差す前に別れた方が、お互いのためだろうなと勝手なことを思いながら、わたしはコップのビールを飲み干した。
そうか、もう2年にもなるのか・・・・。
小夜子が外科病棟に配属されたのは、わたしとこんな関係になる半年前だった。内科系の病棟から移動してきたというのに、すぐに外科の業務に慣れて、何年も前から外科にいるような仕事振りだった。なかなか優秀な看護婦だなと思っていた。
小夜子は、当時27歳。独身だったが、当然男がいるものと思っていた。
わたしに特別な感情があるような態度は、まったくなかったと言っていい。わたし自身も周囲の誰もが気付いていなかった。それは、こんな関係になってしまった今でも同じだ。
あれは2年前の忘年会だった。わたしはその数日前から風邪気味で体調が悪かったが、医長だと言うことで、出席せざるを得なかった。
1次会の万歳が終わって、いつもなら2次会、3次会と、遅くまで飲み明かすのだが、その日は断りを入れて帰宅することにした。
タクシー乗り場へ向かってふらふらと歩いていると、小夜子がやって来て、わたしの腕を支えてくれた。
「三ヶ尻先生、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ」
「帰る方向が同じだから、ご一緒しますわ」
「すまんね」
わたしは、小夜子がどこに住んでるのか知らなかった。ただ、飲み会のたびに看護婦を自宅まで送り届けることは良くあることだから、わたしは別に気にもしなかった。
ふたりでタクシーに乗り込んだまでは覚えているのだが、アルコールと風邪薬のせいで、わたしはすぐに眠り込んでしまった。
どれくらい経っただろう? ふと目を覚ますと、ソファーの上に寝ていた。自宅に帰り着いたのかなと思ったが、見回すとまったく知らない部屋だった。驚いて、酔いも吹っ飛んでしまった。
「先生、お目覚めになりました?」
女の声がした。
「ここは?」
「わたしのマンションよ」
振り向くと、入浴してきたのか、小夜子がバスタオルで髪の毛を拭きながら立っていた。ネグリジェを着ていたが、それは透明ではないかと思うくらい薄く、まるでパンティー一枚でわたしの前に立っているようなものだった。体格の割に大きな胸が、わたしの目に飛び込んできた。わたしは思わず、目を伏せた。
「すまん。途中で眠ってしまったようだ。迷惑かけてしまったな。タクシーを呼んでくれないか?」
「三ヶ尻先生。わたしのこと、嫌い?」
「えっ!?」
わたしは、小夜子のその言葉にどう答えていいのか分からず、ポカンとしていたに違いない。小夜子が、もう一度、躊躇いがちに呟いた。
「わたしのこと、嫌いですか?」
「い、いや。そんなことはないが・・・・」
小夜子は髪を拭いていたバスタオルを床に放り投げると、わたしに唇を合わせてきた。
「先生! 大好きです」
わたしは、小夜子の思いがけない言葉に動揺した。酔った挙げ句にそんなことを言っているのではない。小夜子は、素面だ。日頃の小夜子のわたしに対する態度から考えれば、信じられることではなかった。
「た、高山君」
「お願い」
小夜子はわたしにキスしながら、股間に手を伸ばしてきた。わたしの持ち物はすでに痛いほどにいきり立っていた。裸同然の女が目の前にいるのだ。そうならない男は、どこにもいないだろう。
小夜子は、そのままわたしのズボンのチャックを降ろすと、わたしの持ち物を引っぱり出して、顔を埋めた。わたしは、このままでいいのかと思いながらも、小夜子の舌技に酔った。
聡子のそれは、義務的というか、わたしがやれと言うからやっているという感じなのだが、小夜子のそれは、すばらしいのひと言に尽きる。実際それは、今までに経験したことのないものだった。
このまま小夜子の口の中に放出してもいいのかなと考えていると、小夜子がわたしから離れ、パンティーを脱いで、ソファーの上のわたしに跨ってきた。そうしてから、自らわたしのものを自分の中に導いて、わたしの首に両手を廻すと、再び唇を合わせながら、腰を動かし始めた。
「先生、いい、いいわ」
「このまま、いいのか?」
「今日は、大丈夫。心配しないでいいわ。先生の迷惑になるようなことはしないわ」
小夜子は、なおも腰を動かし続けた。わたしは小夜子の腰を抱いて、小夜子の動きに合わせた。小夜子の豊満な乳房が目の前で揺れる。冷たくなった髪の毛が、わたしの顔に掛かった。
本当に大丈夫なんだろうなと言う一抹の不安を感じながら、わたしは小夜子の中に放出した。喜びの声を上げて仰け反った小夜子がぴくぴくと痙攀するのを感じた。小夜子はわたしの胸の中に倒れ込んだまま、しばらく動かなかった。わたしはソファーに凭れたまま小夜子を抱いていた。
「先生、好きよ」
小夜子が、顔を上げてわたしの顔を見ながら、もう一度そう言った。
「君がぼくのことを好きだなんて、思ってもみなかったよ」
「去年の春、先生が病院に赴任してきたときから、ずっと好きだったの」
「えっ!?」
「職員の前で赴任の挨拶をされたでしょう? あの時からずっと」
「話しもしたことがなかったのに?」
「先生は、わたしの理想のタイプ。何もかもが」
「女性にそんなこと言われたのは初めてだな」
「遠くからずっと先生のことを思っていました。今年の春、外科病棟に配置換えになって、嬉しくて嬉しくて。先生に認めて貰おうと、一生懸命頑張ったんです」
「そうなのか」
「わたし、頑張ったでしょう?」
「ああ、君は優秀だよ」
「嬉しい! 先生にそう言って貰えることがどんなに嬉しいか、先生には理解できないでしょうね」
「分かるような気もするが・・・・」
「先生、ごめんなさいね。無理矢理わたしを抱かせたりして」
「いやだったら、逃げ出しているよ」
「ほんとに?」
「ほんとさ」
そんな話しをしてはいたが、わたしはまだ小夜子の中にいた。話しをしながら小夜子の顔を見ていると萎えていたものが復活してきた。
「証拠を見せてあげるよ」
わたしは、小夜子をソファーに寝かせ、第2ラウンドを始めた。続けて2回できるなんて、自分でもビックリするくらいだ。聡子とは、そんなことは一度もない。聡子の方が小夜子に比べて美人だし、スタイルもいい。それなのに・・・・。不倫していると言うことが、わたしを興奮させるのだろうか?
午後11時過ぎ、わたしは小夜子に車で自宅近くまで送ってもらって帰った。勿論、小夜子のマンションを出るときに、ビールを一本開けて、酔った振りをして帰った。聡子は何も気付かなかったようだ。
それからひと月に2,3度、わたしは小夜子のもとを訪れるようになった。小夜子には何故か心惹かれるのだ。
それに、小夜子の手料理は、わたしの口にあっている。聡子の作る料理は、材料もいいし、見かけもいいのだが、しっくりと行かない。子どもができないことと言い、私たちはほんとに相性が悪いようだ。
今晩の料理も美味かった。食事が済んで、片づけを始めた小夜子を、後ろから抱きしめながら、首筋にキスをする。
「先生、ちょっと待ってよ」
「片づけはあとだ」
「もう、ちっとも待てないんだから」
そう言いながら、小夜子はわたしの方を向いて唇を合わせた。わたしはそのまま小夜子を抱いてベッドルームへと向かった。
いつもとは少しパターンを変えて小夜子を愛撫してみた。うふふと含み笑いをしながら、小夜子はわたしに応える。小夜子は、大袈裟なくらいよがる。わたしにはそれが堪らない。自分の行為で女が反応することは、男にとっては、それだけで快感だ。
そうか。わたしが聡子としていて不満に感じるのは、そこだ。聡子は、わたしが何をしてもじっとベッドに横たわっているだけだ。声を出すことが、まるで罪悪だと思っているかのようだ。
わたしが達したのと同時に、小夜子も達したようだ。小夜子がぴくぴくと痙攀するのが分かる。こんなにセックスの相性のいい女は、そういるものじゃあない。新鮮味はなくなったが、小夜子とは、もうしばらくやっていけそうだ。
腕時計を見ると、午後9時を回っていた。そろそろ帰るか。
「帰るぞ」
「もう?」
「これ以上遅くなると怪しまれる。来週の金曜日は、研究会があるから、それにかこつけてここに来よう。今日よりは、ゆっくりできるだろう」
「わたしも金曜日は休みだわ」
「じゃあ、楽しみにしていてくれ」
「送るわ」
小夜子が、わたしを駅裏まで送ってくれた。人気のないところを探して、こっそりと車を降りる。手は振らない。手を振っているところを誰に見られるか分からないからだ。
駅前でタクシーを拾って、自宅の住所を告げた。運転手が、最近お客が少なくてとぼやき始めるが、わたしは例によって狸寝入りをした。
わたしの自宅は、かなりでかい方だろう。公立病院の外科医長と言っても、そんなに良い給料を貰っているわけではない。わたしの給料だけでは、こんな家は建てられない。この家は、聡子の父親がくれたものだ。土地も含めると1億以上はするだろうとは思うが、聡子の父親は、まるで子供におもちゃを買ってやるように、この家を娘婿のわたしに買い与えてくれた。
わたしは養子ではないが、聡子の実家の病院を継ぐことになるだろう。聡子の父親は初めからそのつもりだし、わたしも拒むつもりはない。
「今帰ったぞ」
「お帰りなさい。お疲れになったでしょう?」
「ああ」
「お風呂沸いてますけど、それともお食事になさいます?」
「シャワーは浴びたんだが、もう一度入ろう」
小夜子のマンションで風呂に入ることを隠すために、わたしは手術日には、必ずシャワーを浴びて帰るようにしている。だから、わたしの髪が濡れていることを、聡子は決して疑ったりはしない。今日は、小夜子を抱いて、そのまま帰ってきた。小夜子の臭いを消して置かねばならない。
小夜子の手料理を腹一杯食べたはずなのに、風呂から上がると急に空腹を覚えた。
「何かあるか?」
「お肉を焼きますわ。ちょっとお待ちになって」
「肉はいい。他には?」
「シチューと野菜サラダですけど・・・・」
「それでいい。手術が済んで、少し飲みながら抓んだものだから、それほど腹が減っているわけじゃないんだ」
「じゃあ、すぐにお出しします。ビールは?」
「一杯だけ貰おう」
聡子は、シチューと野菜サラダをテーブルに並べると、わたしが食べるのをじっと見ている。
「ビール飲むか?」
「後片づけがあるから・・・・」
「一杯くらい良いだろう?」
「・・・・じゃあ、一杯だけ」
聡子は、酒はかなり強い。聡子の実家で、父親と一緒に飲むときには、ビックリするくらいに飲む。しかし、この家では、ほとんど飲んだことがない。わたしは、一緒に飲んで欲しいと思うのだが、どうもそれが言えない。互いに遠慮しているのだろうか?
夫婦だというのに、わたしたちは、どうも他人行儀だ。
食事が済んで、わたしは病棟に電話した。
「三ヶ尻だ。どうだ? 佐藤さんの具合は?」
「バイタルには、問題ありません。疼痛もなく、良く休んでいます」
「その後、付け替えはしたか?」
「田中先生に、先ほどしていただきました。ドレーンからの滲出液は淡血性で、特に問題はないとおっしゃってました」
「そうか。ありがとう。何かあったら、自宅にいるから、電話してくれ。頼んだよ」
「分かりました。お疲れさまでした」
電話を切って、リビングのソファーにどっかと腰掛けて、テレビのスイッチを入れた。年末の切り替え時か、大した番組はやっていない。
わたしはカミューを取り出して、グラスに注いでちびりちびりとやり始めた。
「お風呂、頂いてきます」
聡子がそう言ってバスルームへ通じるドアの向こうに消えていった。わたしはカミューを嘗めるように飲みながら、テレビを見るとはなしに見ていた。
手術の疲れとアルコールのせいでうとうととしていたら、聡子がバスルームから戻ってきた。今日は、いつになく艶めかしく感じる。小夜子を抱いた日は、聡子を抱く気になったことなどなかったが、今日は聡子を抱いてみたくなった。
「もう寝るか?」
「はい」
今日、小夜子にしたのとまったく同じパターンで聡子を攻めてみた。聡子は、やはり声ひとつ出さない。これだけやっても、その部分は、まるで砂漠のように乾いていた。
途中でわたしは白けてしまった。インサートしないまま、わたしは聡子の体を離れた。聡子は、恐らく不満に感じているはずなのに何も言わなかった。濡れないおまえが悪いんだぞと心の中で思いながら、眠りに落ちた。