第一章 外科医・三ヶ尻昭夫

 上目遣いに壁に掛けられた時計を見た。時計の針は、午後4時20分を少し回ったところだ。この分なら、時間が取れそうだ。
 「よし! 閉腹するぞ。バイクリルだ」
 「先生、1−0でいいですか?」
 「今日は連続でいこう。3−0の針付きバイクリルを出してくれ」
 「はい。山崎さん、3−0針付きバイクリルを出して」
 「この部屋にはないわ。すぐ取ってきます。ちょっと待ってください」
 外回りをしている山崎エミ子が、手術室を出ていった。時々使うんだから、この部屋にも置いておけばいいのにと思ったが、口には出さずに、黙って山崎エミ子が戻ってくるのを待った。この、ほんの短い時間が、ひどく長く感じられる。
 「連続でやるんですか?」
 向かいに立っている助手の坂田が、少し不満そうな顔でわたしを見た。
 「この方が、イレウス(腸閉塞)が少ないんじゃないかな?」
 「連続でなくても、バイクリルならイレウスは少ないと思うんですけど・・・・」
 「まあ、やらしてくれ。やってみないと分らんだろう」
 「先生が主治医ですから、構わないですけど・・・・」
 山崎エミ子が、3−0針付きバイクリルの入った袋を持って戻って来て、手術が再開された。閉腹が終わったのは、午後4時37分だった。
 「ありがとうございました」
 「お疲れさまでした」
 手術に携わった人間が、誰とはなしに挨拶をした。わたしは、手術用の手袋を脱ぎながら、山崎エミ子に尋ねた。
 「出血はいくらだった?」
 「吸引も合わせて、180です」
 山崎エミ子が、記録を見ながら、そう答えた。
 「まあまあだな」
 「三ヶ尻先生、まあまあって言うことはないでしょう? 今日は、絶好調でしたよ。手術時間も2時間55分で、3時間を切ったし」
 術衣を脱ぎながら、坂田が話しかけてきた。
 「助手が良かったからだよ」
 「また、そんなご謙遜を」
 「いや、坂田先生のお蔭ですよ」
 「三ヶ尻先生は、おだてて人を使うのが上手いなあ」
 「そんなことはないよ。これが本心だよ」
 「ほんとですか?」
 「ほんとだよ。家族説明が終わったら、一杯やろうか?」
 「いいですね。じゃあ、先に医局に行って用意しておきます」
 「ああ、頼む」
 坂田は、あたふたと着替えして手術室を出ていった。
 「坂本先生、ありがとうございました」

 わたしは、麻酔医の坂本にお礼の挨拶をして手術室を出た。それから、わたしは標本室に顔を出した。研修医の田中が、切除された胃を開いてリンパ節を掘り出していた。
 「田中先生、どうかな?」
 「ああ、三ヶ尻先生、お疲れさまです。原発巣がひどい割には、リンパ節メタ(転移)はないようです」
 「どれどれ」
 わたしは、田中が胃の周囲から掘り出したリンパ節を観察した。確かに明らかな転移はないようだ。
 「家族説明をしてこよう。胃を持っていっていいかな」
 「いいです。そっちは、もう計測は終わってますから」
 机の上に、切り開かれた胃のイラストが描かれた紙が置かれていた。その胃の中央に、大きな癌のイラストが記載されており、大きさが記されていた。田中は一年目だが、なかなか優秀だ。言われたことをきっちりこなす。
 わたしも研修医の頃は、毎日雑用ばかりさせられたが、今になってそれが大事なことだと分かる。医者の仕事、特に外科医は大工と一緒だ。先輩について、雑用を手伝いながら、先輩のすることをじっと見て覚えるしかない。

 わたしは膿盆に胃を入れて、家族説明室へと向かった。家族説明室には、看護婦に連絡を受けた家族がすでに来ていて、不安そうな面もちで椅子に座って待っていた。わたしが部屋に入ると、一斉に立ち上がって深々と礼をした。
 「先生、お疲れさまでした。随分早かったみたいですけど、どうでした?」
 「無事取れましたよ。この通りです」
 わたしは切除された胃の入った膿盆を机の上に置いた。患者の夫が、珍しげに膿盆を覗き込み、患者の姉という女性は、目を背けて、後ろへと下がった。
 「良かった」
 患者の父親が、心配そうにわたしの顔を見た。
 「良かった。で、先生、治りますか?」
 「うん、そうですね。説明しましょう。まあ、取れたものを見てください」
 わたしは膿盆の上の胃を広げて家族に見せた。かなりひどい進行癌だ。素人目に見ても、ひどいことがよく分かるだろう。
 「これが、癌ですか?」
 「そうです。誰が見ても分かるような癌は、最近は少ないんですけどね」
 「大きなものなんですね。これで、どうもないものなのでしょうか?」
 「癌は、症状がなくて進行するから怖いんです」
 「癌は、痛いんじゃないんですか?」
 「余程末期になれば別ですけどね。癌は症状が出たときには、手遅れのことが多いんですよ」
 「そうなんですか」
 部屋の中にいた皆が、初めてそんなことを聞いたというような顔をした。癌は痛い。痛くて七転八倒する。それは事実だ。しかし、そうなるのは、末期状態しかないのだ。それを、一般の人は知らない。痛くないから大丈夫。みんな、そう思っている。だから、手遅れになる人間が出てくる。
 「まあ、取れただけでも幸運でした」
 「再発するんでしょうね」
 「裏を見てください。ほら、こちら側は漿膜、つまり腹膜なんですけどね。癌は大きいですけれど、腹膜まではぎりぎりのところで出ていないと思われます。だから、お腹の中に癌がばらまかれている可能性は、まずないでしょう。リンパ節転移もないようですし」
 「リンパ腺には転移がなかったんですか?」
 「顕微鏡で見てみないと最終的には分かりませんが、今のところはリンパ節までは広がっていないと考えています」
 「良かった」
 「良かったなあ」
 夫と父親が、揃って安堵の言葉を発した。
 「リンパ節に転移がなければ、ステージ、癌の進行度を測る物差しのことですが、ステージは1のb、もしリンパ節に転移があってもせいぜい2でしょうから、悪くても5年後生きている確率は80%前後でしょう」
 「20%も再発するんでしょうか?」
 患者の姉が、後ろの方からわたしに向かって尋ねた。
 「それは考え方ですよ。80%治ると考えればいいんです。悪い方の20%に入らないように、充分治療しますからね」
 「分かりました。よろしくお願いいたします。で、先生、輸血は?」
 「出血が少なかったから、輸血はしていません」
 「良かった」
 わたしがした手術で、輸血したのはいつのことだろうか? 最近は、輸血することなど、ほとんどないと言って良い。自慢はしたくないが、腕が上がったせいだ。
 輸血など、『エホバの証人』の信者でなくても、しないに越したことはない。医者の立場からすれば、便や尿より、血液がもっとも汚い。どんな病気が潜んでいるか分からないからだ。C型肝炎がそうだった。エイズがそうだった。この先どんな新しい病気が出てくるか分からないから、どうしても必要なとき以外は、輸血はしない方がいい。そのためにも、外科医は腕を磨かなくてはならない。
 「そろそろ、目が覚めて出てくる頃でしょう。手術室の前で待っていてください」
 「ありがとうございました」
 「ありがとうございました」
 家族が、揃ってわたしに頭を下げた。わたしは胃の入った膿盆を持って標本室に戻った。田中は、すでにすべての作業を終えて、わたしを待っていた。
 「病理検査室へ持っていきます。特別注文は、ないですよね」
 「ああ、特にない。じゃあ、頼んだよ」
 田中は、わたしから膿盆を受け取ると、大きな体を揺すりながら、病理研究室へ続くドアから手術室を出ていった。

 わたしは、着替えて手術室を出た。患者も家族も、わたしが着替えている間に、病棟へ上がってしまったようだ。裏の階段を昇り、病棟へと向かった。時計は午後5時ちょうどを刺していた。かなり余裕があるな。そう思いながら病棟へ顔を出した。
 「術後指示は、確認できたかな」
 「はい」
 「何かほかに必要な指示があるか?」
 「三ヶ尻先生、発熱時の指示が抜けてます」
 「発熱時か。・・・・そうだな。8度以上出たら、ボルタレン坐薬だな。25ミリでいい」
 「はあい。分かりました。8度以上で、ボルタレン坐薬25ミリですね」
 「そうだ。6時に、付け替えするから、呼んでくれ。医局にいる」
 「6時に医局ですね」
 「ああ、そうだ」
 「分かりました」
 わたしは、患者の病室へと向かった。個室のドアを開けると、家族・親戚が所狭しと立っていた。
 「先生、お世話になりました」
 「どう? 痛んでないですか?」
 「まだ、よく眠っています」
 「そうですか。痛いときは我慢しなくていいですよ。我慢すると却って良くないですからね」
 「あんまり痛み止めをすると、傷の治りが良くないんではないですか?」
 「昔はそんなことを言ったようですね。しかし、そんなことはないですから、痛むときは看護婦に言ってください。痛み止めの指示をしてありますから」
 「分かりました」
 「いろいろ分からないことがあったら、看護婦に遠慮なく聞いてください。いいですね」
 「はい」
 「じゃあ、また後ほど来ますので」
 「先生、ほんとにありがとうございました」
 わたしは、にこりと微笑んで、病室をあとにした。今日の手術で、どうかなるってことはないだろう。患者は、リスクのない元気な48歳の主婦だ。もし、何かあるとすれば、術後出血だが、それもまずないだろう。これは6時に確認すればいい。それがオーケーならば、今夜は、ゆっくりできる。

 ナースステーションへ戻ると、小夜子の顔が見えた。小夜子は、この病棟ではもう中堅になる看護婦だ。そして、わたしの愛人でもある。二人の関係を知るものは、この病院には誰ひとりとしていない。
 小夜子は、申し送りが済んで、後片づけをしているようだ。わたしは、いつものように小夜子にサインを送った。二人だけが分かる特殊なサインだ。
 「婦長さん、わたし、明日はどの病室の係りになってますか?」
 「明日? 明日は・・・・305と306、それに個室の312だわね」
 「いやだな。312は・・・・」
 「仕方ないでしょう。順番なんだから」
 「それもそうね。誰かが犠牲にならなくちゃね」
 サインが通じたようだ。都合が悪いときには、小夜子は何も言わないで、わたしの目の前から消える。次の日の予定を婦長に尋ねるのは、オーケーのしるしだ。もっとも小夜子は、わたしの誘いを断ったことは一度もない。いや、一度だけある。小夜子の父親が、倒れたときだ。
 「じゃあ、6時に呼んでくれ」
 わたしは、もう一度そう言い残して、医局へ降りていった。

 医局では、坂田がすでにビールを美味そうに飲んでいた。机の上には、いくつかのおつまみも用意されていた。
 「お先に頂いてますよ」
 「坂田先生、今日はどうもありがとう。じゃあ、ぼくも一本頂くとしよう」
 わたしは冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、坂田と列んで飲み始めた。わたしも坂田も缶ビールの2,3本では、まったく顔に出ないから、以前は車でそのまま帰っていた。しかし、最近は取り締まりが厳しくなったし、事故でも起こすと新聞種になって、馘首になりかねない。だから、このところは少しでも飲むと、タクシーで帰ることにしている。
 ビールを飲みながら、坂田と雑談していると、田中、御手洗の二人が医局へ降りてきた。御手洗も研修医のひとりだ。
 「おう、ふたりともお疲れさん。いっぱいやるか?」
 「いえ、まだ仕事が残っていますから。それに、自分は、顔に出ますから」
 田中は、酒を飲みそうな顔をしているのだが、下戸だと聞いた。
 「御手洗先生は?」
 「ぼく、今から当直に行かなければならないんです。車ですから」
 「そうか、それは残念だな」
 わたしは常勤だから、世間で言われるほどは多くはないが、まあまあの給料を貰っている。しかし、研修医の連中は気の毒なくらい給料が安い。かくいうわたしも、昔はそうだったのだが・・・・。
 わたしが研修医だった頃は、確か一日あたり3500円くらいの日給月給で、土日は働いても給料はくれなかった。二十日分くらいしか給料をくれないし、それから税金を持っていかれるから、手取りは6万円ちょっとくらいだったと記憶にある。
 アパートの家賃と電気水道代を払うと、手元には一銭も残らなかった。従って、正規の仕事が終わると、大学から紹介された市中の病院へ当直へ行くのだ。当直なんて、誰もしたくはないのだが、しなければ食っていけないのだ。難関の医学部に入って、しかも6年も勉強してでだ。
 研修医の頃は、当直で得られた金で暮らすというわけだ。わたしは、週に2,3回、そんな当直に行っていた。大学での仕事がなければ、ほとんど毎日当直に行っていた連中もいた。贅沢したければ、数をこなせばいいのだが、そうすると、金を使う時間がないという寸法だ。どちらを取るかは、ポリシーの問題だろう。
 朝、出がけに、小学校に通う息子から、『お父さん、また来てね』と言われて、ショックを受けたと言っていた同僚がいた。それも良くある話しらしい。数人から、同じ話しを聞いたことがある。わたしには子どもがいないから、そんな経験はない。
 研修医が終わって、研究に入ると、そんな当直にもいけなくなるから、親に仕送りして貰ったこともある。開業したときに、金儲けに走る連中の気持ちも、分からないでもない。特に私大の医学部を出た連中は、かなりの金が掛かっているので、取り戻そうと躍起になるようだ。
 医者になりたては、医者と言うだけで、誰しもがほとんど日雇い労務者に近い生活を送っているのだ。あんな生活には戻りたくはないなと思う。

 御手洗は、着替えて医局をあとにした。田中は、コンピューターに向かって、何やら打ち込んでいる。
 「三ヶ尻先生、お子さんはできないんですか?」
 坂田が、話題を変えて、唐突にわたしに聞いてきた。
 「もう、できないだろう。諦めてるよ」
 わたしは、缶ビールを飲み干すと、二本目を取り出した。
 「どっちが悪いんですか?」
 「ぼくのは、ちゃんといるよ。元気良く泳いでいたよ」
 「自分のを見たんですか?」
 「ああ、卒業してすぐだよ。研究室から顕微鏡を借りて帰ってね」
 「マスかいてですか?」
 「当たり前だろう? あの頃は、女には、縁がなかったしな」
 「それもそうですね。先生は、研究一本でしたからね。じゃあ、原因は、奥さんですか?」
 「どこも悪くはないらしいんだがなあ・・・・」
 「そうですか」
 「相性が悪いんだろう」
 「そんなことはないでしょう。あんなに仲がいいのに・・・・」
 「仲がいいと、できないって言うだろう?」
 「そうですね。そうかもしれませんね」
 わたしと妻の聡子とは、仲がいいという評判になっている。実のところはそうではないのだが・・・・。

 5年前、アメリカに留学するときに、ひとりでは何かと不便だろうというわけで、教授が世話をしてくれたのが今の妻だ。同門の開業医の娘だ。開業医の娘と言えば、大抵が我が儘で、金遣いが荒いのが相場だが、わたしの妻は、開業医の娘にしては、できた女だ。余分な金は使わないし、わたしが右を向いていろと言えば、何日でも右を向いているような、そんな女だ。しかし、わたしはそんな妻が心底好きにはなれない。それが何故なのかは、自分でも分からない。好きで一緒になったわけではないから、そうなのかも知れない。もしかすると、教授に無理矢理押しつけられたという思いがあって、妻を本気で愛してやろうという気持ちが、わたしの中にないせいなのかもしれない。

 電話が鳴った。
 「三ヶ尻先生、付け替えの時間ですよって、言ってますよ」
 「ありがとう。すぐに上がると伝えてくれ」
 わたしは、2本目の缶ビールを飲み干すと、階段を昇っていった。
 病棟には、小夜子の姿はすでになかった。今頃は、マンションで食事の準備をしているだろう。
 準夜勤の看護婦と共に、付け替えをした。出血なし。患者の顔色も良く、問題はなさそうだ。
 「佐藤さん、もう大丈夫ですね。次は、ガスが出るまでが勝負です」
 「ガスはいつ出ます?」
 「今日は金曜日だから、火曜日の朝くらいでしょう」
 「そうですか。先生、遅くまでありがとうございます」
 「いや、出血がないかどうか確かめないと、帰れませんからね。じゃあ、また明日。何かあったら、ポケットベルで呼んで貰えるようになっていますから、安心していてください」
 わたしはそう言い残して、病室を出た。
 「板井さん、これから、ちょっと一杯引っかけて帰るから、何かあったら、ポケベルね。頼んだよ。うちに直接かけてもいないから」
 「分かりました」
 「うちに帰り着いたら、電話するよ」
 「はあい」
 医局に戻ると、坂田はもう帰ったらしく、誰も残っていなかった。そう言えば、田中は、わたしと坂田が話しをしている間に病棟へ上がっていって、病棟でカルテを書いていたなと思い出した。