第9章 発覚したけれど

 それから一週間目の、仕事が休みの日。わたしは8時過ぎまでベッドの中にいました。それからやおら起きだして、コーヒーにトーストの朝食を済ませたあと、下着などの洗濯をしていました。
 いつものように、洗濯屋が仕上がった洗濯物を持ってきて、出ていったのと入れ替わりに、思ってもみなかった来客が姿を現しました。
 諸岡瞳の母親がアパートにやってきたのでした。
 「お、お母さん」
 「突然やってきて、ごめんなさい。入るわよ」
 「ちょっと散らかってるけど」
 「ほんと。あなたらしくないわね」
 その通りでした。諸岡瞳はものすごく几帳面で、部屋の中を散らかすなどと言うことはなかったのでした。
 「すぐに片づけるから、待ってて」
 わたしは、慌てて散らかっていた部屋の中を片づけました。
 「お茶、入れるわね」
 「ええ」
 お茶を入れて、母親の前に差し出しました。母親は、一週間前別れたときとはうって変わって険しい顔をしていました。
 「どうかしたの?」
 わたしは、それには気付かない振りをしてそう尋ねました。母親は、わたしを見据えて言いました。
 「瞳はどこ?」
 その言葉に驚きを隠せませんでしたが、そんな驚きを表には出さずに答えました。
 「何馬鹿言ってるのよ。瞳はお母さんの目の前にいるでしょう?」
 「他の人たちは騙せても、わたしの目は誤魔化せませんよ。さあ、瞳はどこなの?」
 「冗談はよしてよ」
 「冗談? 冗談でこんなことが言えますか。あなたは瞳じゃない。それはあなたが一番わかっていることでしょう?」
 「どうしてそんなこと言うの?」
 「一週間前、あなたが家に戻って来たとき、何だかおかしいと思っていたの。何かが違うってね」
 さすがに母親、会っただけでわたしがホントの娘でないことを感じていたのでした。
 「お父さんが、お酒を勧めたときも、おかしいと思ったわ。普段の瞳なら、どんなに体調が悪くても、お父さんの差し出したお酒は断らないもの」
 わたしはお酒が飲めないんだから仕方がなかった。
 「それに味噌汁を作るときの味噌の入れ方。瞳は味噌こしなんか使ったことがなかった。それに決定的なのは、正月に一度見せた見合い写真を初めて見る様子だったこと。お風呂であなたの裸を見て、瞳じゃないと確信したわ」
 「どうして?」
 「体の線が違うのよ。特にお尻の格好ね。あなたの方がお尻が上がっているわ。瞳はお尻が下がっているのをいつも気にしていたのよ」
 やっぱり騙せなかった。わたしは両手を床の上につきました。
 「すみませんでした」
 「瞳はどこに行ったの? あなたに身代わりを頼んで」
 「瞳さんは・・・・」
 わたしの知らないところへ行っていますと言うべきだろうか? けれど、そんな嘘はすぐにわかってしまいます。真実を伝えるしかありません。わたしは、諸岡瞳の残した手紙を母親に見せることにしました。
 「これを見てください。瞳さんがわたしに書き残したものです」
 母親は、奪い取るように手紙をわたしの手から取ると食い入るように読み始めました。
 「瞳・・・・。何故わたしに相談してくれなかったの・・・・」
 涙がぽろぽろと落ちていました。
 「瞳はいったいどこへ・・・・」
 「見当も付きません」
 恐らく富士山の樹海の中でしょうけれど、それは言いませんでした。
 「瞳・・・・」
 慰めようもありませんでした。わたしがここに来なかったらと言いかけて止めました。そんなことを言ったとしてもなんの慰めにもならないからです。
 「あなたは誰なの?」
 わたしは自分が男だと知られたくはありませんでした。だから、ここで嘘を付きました。
 「わたし、大林礼子と言います。瞳さんが働いていたホテルで偶然出会って、あんまり似ているから仲良くなったんです」
 「そう・・・・」
 「このアパートに遊びに来たとき、瞳さんの振りをして働いてみないって言われて、悪戯で一週間ほど入れ替わってみたんです。誰も入れ替わったことに気付かないんです。一週間たったら、止めるつもりだったのに、その日になって瞳さんが、この手紙を置いて失踪してしまったのです」
 「あなたが瞳をどうかしたんじゃないのね?」
 「そんなことはしていません。もししていたら、お母さんたちに瞳さんの振りをして会いに行ったりはしません」
 「そう。そうよね。瞳に頼まれたから、わたしたちのところへ来たのね」
 「はい。瞳さんが、両親を頼むって何度も書いてあったから、瞳さんの振りをして、お母さんたちを安心させようと・・・・」
 「あなたって、優しい人ね」
 そんなことを言われる権利はわたしにはありません。諸岡瞳を殺そうとしたのですから・・・・。
 「事情はわかったわ。帰ります。・・・・この手紙、頂いてもいいわね」
 「はい、もちろんです」
 「じゃあ、失礼します」
 頭を深々と下げて、母親はアパートを出ていきました。わたしが、諸岡瞳でないことがばれてしまった以上、諸岡瞳を名乗ることはできませんし、このアパートにもおられません。わたしは片づけを始めました。
 「これから、どうしよう。男であることを明かして、新宿ででも働こうか? 女装した男を雇ってくれるところはないかしら? ああ、戸籍を簡単に女に変えられたら、こんなに苦労はしないのに」
 そんなことを考えていました。

 諸岡瞳の母親がアパートを出て行ってから、10分ほどたったでしょうか? ドアがノックされました。
 「また戻ってきました」
 顔を現したのは、諸岡瞳の母親でした。
 「考えたんですけど・・・・」
 母親は、諸岡瞳の残した手紙を握りしめていました。
 「礼子さんておっしゃったわね」
 「は、はい」
 「いつまで、瞳の振りをすることができます?」
 「え? どういう意味でしょうか?」
 「瞳が自殺してしまったなんて言ったら、あの人がどんなに嘆くか・・・・」
 あの人とは、諸岡瞳の父親のことです。
 「もし、差し支えがなかったら、この先、瞳として暮らしていただけませんか?」
 「瞳さんとして?」
 「そうです。でも、あなたにはあなたの都合があるでしょうから・・・・」
 「それなら、かまいません。実はわたし・・・・」
 実はわたしは男で、瞳さんの女の戸籍が欲しい。そう言いかけて止めました。そんなことを言ったら、母親は諦めるでしょう。そうなったら、わたしが諸岡瞳になりすますチャンスは永遠になくなってしまうからです。
 「実はわたし、両親も姉妹も死んでしまって、帰る家がなくて独りぼっちなのです。もし家族として受け入れていただけるのなら、ずっと瞳さんの振りをします」
 「ほんとに? ホントに瞳でいてくれるの?」
 「はい。それが瞳さんの願いですから」
 「じゃあ、わたしがアシストしますから、あの人をホントの父親だと思って、大切にしてあげてくださいね」
 「わかりました」
 騙すのはいけないとはわかっていました。だけど、女として家族に囲まれて暮らしたかったのです。男だとばれる日までは。

 それまでの諸岡瞳と同じように、月に一度実家へ行くことにしました。母親の協力が得られたので、少し肩の力が抜けました。だけど、入浴の時だけは気を遣います。男であることがばれてはいけないからです。ただ、母親が一緒に入浴しようと言わなくなったので、少し安心していました。
 半年が過ぎても、わたしは諸岡家の娘として、一流ホテルにあるレストランのウエイトレスとして生きていました。

 そんなある日、諸岡瞳の母親から電話が入りました。
 「瞳。来月の第3土曜日は休みを取れる?」
 「遅出の最終日ね。ちょっと待って。仏滅だし、結婚式はないと思うから、大丈夫だと思うわ」
 「そう。よかった。じゃあ、休みを取って戻ってきてくれる?」
 「いいけど、何の用? まさか、お見合いというわけじゃあ」
 「そうじゃないの。初美の三回忌なのよ」
 そう言われて思い出しました。瞳の姉が亡くなったのは、その2年前の翌月のことでした。
 「妹のあなたがいないとおかしいでしょう?」
 「わかったわ。そう言うことなら、休みを取って帰ります」
 「親戚が何人か来ると思うけど、大丈夫?」
 「瞳さんの書いた大学ノート、あれがあるから大丈夫だと思うわ」
 「ああ、あれね。あれがあればいいわね。それじゃあ、法要は午前11時からだから、遅れないようにお願いするわ」
 「朝一番で戻ります」

 諸岡瞳の姉、初美の三回忌の日、諸岡瞳の実家に着いたのは、午前10時少し前でした。
 「ただいま」
 「お帰り。早く着替えて」
 わたしは二階の部屋に行って、喪服代わりの黒いワンピースと黒のパンストに着替えました。下へ降りると、居間の方から騒がしい声が聞こえてきました。甲高い叫び声からすると子供のようです。
 応接室兼仏間に顔を出すと、諸岡瞳の父親と、伯父夫婦、伯母夫婦、そして叔母夫婦がお茶を飲みながら歓談していました。
 「おう、瞳ちゃん、帰ったか」
 諸岡瞳の伯父がわたしに声をかけてきました。
 「昨日は遅出だったから帰れなくて、今朝一番で戻ってきました」
 「そうか。いくつになった?」
 「若い女に年を聞くもんじゃないです!」
 わたしはプウと膨れてみます。
 「はは、相変わらずだな。嫁のもらい手がないはずだ」
 「瞳ちゃん、お相手はいないの?」
 叔母が聞きます。
 「いい人なんて、そうそういませんから」
 「贅沢言ってないで、適当なところで手を打たないと行き遅れるわよ」
 「適当に選ぶくらいなら、結婚しない方がましです」
 「それもそうだ」
 伯母の連れ合いが頷きました。その時、どやどやと応接間に子供たちが入ってきました。
 「お母さん!」
 そんな声が聞こえました。誰のことだろうと思っていると、小さな子供がわたしに抱きついてくるのです。顔を見ると5歳になる初美の娘・香奈でした。
 「あらあら、お母さんと間違えたのね。瞳さん、ごめんなさいね」
 香奈に付いてきたのは、諸岡瞳の大学ノートには載っていない女性でした。
 「違うよ、おばあちゃん。お母さんだよ」
 諸岡瞳の姪になる香奈がおばあちゃんと呼ぶところを見ると、この女性は初美の夫の母親のようです。
 「香奈ちゃん、今日は瞳お姉ちゃんがお母さんになってあげるわ」
 そう言って香奈を抱き上げると、嬉しそうな不思議そうな顔をしました。ふと見ると、応接間の入り口で指をくわえている男の子がいます。初美のもう一人の子供、6歳になる長男の登でした。
 「登君も来なさい」
 そう言うと嬉しそうな顔をして、わたしの膝の上に乗ってきました。
 「これこれ、そんなにすると、お姉ちゃんが潰れてしまいますよ」
 登と香奈のおばあちゃんがたしなめました。
 「いいです。今日一日、この子たちのお母さんになってあげますから」
 「すみませんね」
 「お義兄さんは?」
 「仕事が忙しくて、どうしても休みが取れなくって」
 「そうですか」
 義兄の名前は、諸岡二郎。名前からわかるように、諸岡家の養子です。養子と言っても、名前を継ぐだけのことで、諸岡の両親とは結婚してからずっと別居していました。
 初美が嫁に出たのならば、法要は二郎の実家で行われるのですが、婿を取ったのですから、諸岡家で三回忌が行われていると言うことなのです。
 読経の間もその後の会食の間も、登と香奈はわたしのそばから離れようとはしません。なついてくれる子供というのは可愛いものです。こんな子供を産みたいなと、子供たちの顔を見ながら思いました。
 三回忌の行事がすべて終わって、三々五々帰る段になって、登と香奈はべそをかいていました。
 「瞳お姉ちゃん。また、お母さんしてね」
 そう言いながら車に乗り込んだ香奈の顔が、いつまでも心から離れませんでした。

 それから二週間ほどして暦の上では立秋となった日、諸岡瞳の母親から電話が入りました。
 「瞳。お盆には、帰られないかね?」
 「ごめん、無理だわ。たまたまひとみと加世子のうちが初盆で休みを取るのよ。ふたりも休みを取るから、とても休みは取れないわ」
 「そうなの・・・・」
 「お盆には帰られないけど、お盆明けには帰られるわ」
 「お盆明けなの・・・・」
 「どうしたの? 何か重要なこと?」
 「いえね。お盆に、登と香奈が遊びに来る予定なの」
 「登君と香奈ちゃんが?」
 「そうなのよ。瞳お姉ちゃんは、いるのって何回も聞かれるものだから、もし休みが取れるものなら取って欲しいと思ってね」
 「そうなの。わたしもそうしてあげたいけど、ちょっと無理だわ」
 「仕方ないわね」
 「お盆過ぎに来させるわけにはいかないの?」
 「二郎さんの休みが盆しか取れなくてね」
 「なら、どうしようもないわね。・・・・登君と香奈ちゃんだけ置いていくわけにはいかないの?」
 「そうねえ。そうしてもらおうか。そうすれば、登も香奈も喜ぶでしょうから」
 「そうしてください。できるだけ、早めに休みを取るようにしますから」
 「じゃあ、そのように手配しておくわ」
 そう言うことで、盆明けに休みを取って実家に戻ることになったのでした。

 登にはガンダムのプラモを、香奈には可愛らしい人形をお土産に買って帰りました。
 「わあい」
 包みを開けて喜んでいたのは、何分くらいだったでしょうか? 中身を確かめると、すぐにわたしにまとわりついてきました。
 「瞳お姉ちゃん、今日もお母さんになってくれるんでしょう?」
 ちょっと涙目でそう言います。
 「いいわよ」
 そう答えると、ふたりはこの上もなく嬉しそうな顔をしました。夕方まで近くの公園で鬼ごっこをして遊んでやりました。
 「こんな子どもが欲しいな」
 そう思いましたが、わたしの生殖能力はすでに失われているでしょう。わたしはもう子供をもうけることができない。そう思うとちょっと悲しくなったのでした。
 遊び疲れてしまって、ふたりは夕食を食べながらウトウトとし始めました。
 「あらあら、お風呂にも入らないで寝てしまうの?」
 諸岡瞳の母親が起こそうとしましたが、ふたりとも起きません。体を拭いて着替えさせて、寝かしつけました。この時になって、大変なことを見落としていたことに気がつきました。
 もし、ふたりが起きていたら、恐らく一緒にお風呂に入ろうと言ったはずです。一緒に入浴すれば、恐らくわたしの秘密に気がつくでしょう。寝てくれて助かりました。
 「明日はどうしよう?」
 布団の中に入っても、そのことが心配で寝付かれませんでした。

 翌日朝早くから起こされました。
 「早く準備して」
 「どこか出かけるの?」
 「ディズニーランドに行くのよ」
 「ええっ! ディズニーランド?」
 「そうよ。言ってなかったかしら?」
 「聞いてないわ」
 「ホテルも取ってあるのよ。さあ、準備して」
 一泊泊まりで出かけるというのです。慌ただしく準備をして、電車に乗りました。
 「お母さん、あれに乗ろう」
 「お母さん、こっちに乗ろうよ」
 ふたりがわたしの手を引っ張ります。
 「時間があるから、ひとつずつ順番よ」
 足が棒になるほど引っ張り回されました。夕食も中のレストランで取り、夜のパレードも登と香奈を両手に継いで見ました。
 「綺麗だね、お母さん」
 「そうね」
 「あの人、お母さんみたい」
 香奈が指さしたのは、白雪姫でした。
 「あんなに美人じゃないでしょう?」
 「ううん。お母さんは美人だよ」
 登が言います。子どもにとって、母親はみんな美人なのでしょう。

 今日も疲れていたので眠ってくれないかなと思ったのに、興奮しているのかホテルの部屋に入ってもふたりは元気に飛び回っています。だけど、心配することはないのでした。ホテルの浴室はそれほど広くありません。一緒には入れないと言えばいいのです。
 「さあ、お風呂に入って。明日は早いのよ」
 「一緒に入ろう?」
 「狭いから無理よ。ひとりで入りなさい」
 「入れるよ」
 「狭いからだめだってば。それに、登は一年生でしょう? もうひとりで入らなくちゃ」
 そう言うと諦めたようです。
 「体だけ洗ってあげるからね」
 そう言って、服を着たままバスルームへ入り、子どもたちの体を洗ってやりました。入浴がすむと、子どもたちはアッという間に眠ってしまいました。わたしはホッと胸を撫で下ろして、ゆっくり湯船に浸かりました。諸岡瞳の両親は隣の部屋ですから、浴室のドアが突然開く気遣いがないので、時間をかけて疲れを取りました。

 翌日も朝早くからディズニーランドの中を引っ張り回されました。夕方、諸岡瞳の実家に辿り着いたときには、みんなぐったりとしていました。この日も、子どもたちはふたりとも寝てしまったので、一緒に入浴しないですみました。
 翌日、わたしは東京へ、子どもたちは長野へと戻りました。
 「今回はうまく切り抜けたけど、次回は、恐らく正月には、子どもたちに一緒にお風呂に入ろうとせがまれるに決まってる。何とかしないと・・・・」