吉岡との再婚話については、『俺』との結婚の時とは違って、弘子の両親は乗り気も乗り気、大乗り気だった。何しろ吉岡は、医者でしかも大病院の跡取りなのだ。しがないサラリーマンだった『俺』とは対照的だ。挨拶に来るという日を心待ちにしていた。
問題は、吉岡の両親や吉岡を跡取りにと考えている吉岡の伯父だった。
「おまえの初恋の人? 相思相愛だ? 他の男と結婚していたのに相思相愛もないだろう?」
「だから、弾みで結婚してしまっただけで、ホントはずっとぼくのことを思っていてくれたんだよ。今度うまく離婚できたから」
「旦那が横領事件を起こして逮捕されたと聞いたが、それでさっさと離婚か。罪を犯して気が弱くなっている今こそ、旦那を支えてやらなければならないのに離婚するとは、なんと冷たい女だとは思わないのか?」
「だからさあ。離婚は旦那の方から言い出したことで、奥さんに心労を掛けまいと言う旦那の思いやりだよ」
「いくら旦那が言ったとしても、逮捕された翌日に離婚届はないだろう?」
「ともかくぼくは弘子さんを愛しているんだ。結婚させてくれよ」
こんな会話が続き、俺たちの結婚にはなかなか許しを与えてくれなかった。まあ、女は離婚後6ヶ月は再婚できないわけだから、その間に解決してくれればいいと俺は呑気に構えていた。
罪を犯した夫を捨てて、さっさと離婚してしまった冷たい女か。世間の見る目は厳しいな。
吉岡の親族だけではなく、隣近所の連中もどうやらそんな目で俺を見ているようだ。表には出づらいが、家の中に籠もっているばかりにはいかないので、俺はそんな目を気にしないという顔をして外に出ていた。
2月最初の土曜日、『俺』との離婚後、初めて飯塚桃子と会った。1月を除いて、月初めの土曜日に会うのが恒例行事になっていた。
「これでしばらくは愚痴を聞かされないですむわね」
飯塚桃子は待ち合わせ場所のイタリアンレストランの椅子に腰掛けるなりそう言った。
「話していたのは愚痴だけじゃないでしょう?」
「愚痴以外は聞いたことがないわ」
「もう! ・・・・確かに愚痴はしばらくは言わないですむわね」
「吉岡君と付き合ってるんだって?」
「どこから聞いたの?」
「さる筋からね。わたしの情報網が広いのは知ってるでしょう?」
「はいはい、そうでしたね」
「どう? うまくいきそう?」
「あなたも知ってるでしょう? 彼、わたしのことが好きだったってこと」
「もちよ」
「だから、わたしと彼との間は問題ないんだけど、両親とか親戚が反対してるわけ」
「弘子がバツイチだから?」
「それもあるわ」
「他に何があるって言うの? 美人でスタイルもいいし、炊事洗濯掃除が趣味。これほどの女は他にはいないわよ」
「またあ、煽てたって何も出ないわよ」
「煽ててなんていないわよ。わたしが男だったら、弘子を嫁に貰いたいくらいよ」
俺はフフッと笑う。それが現実に出来ると知ったら、飯塚桃子はどうするだろうなんて俺は考えていた。
「で、他には何が問題なの?」
「罪を犯した夫を捨てて、さっさと離婚した冷たい女なんだって、わたし」
「なるほど、なるほど。でも、その通りじゃない?」
「桃子ぉ」
俺は口を尖らせて飯塚桃子を睨む。
「結婚する前、あいつが弘子に何をしたのか知らないわけでしょう? 吉岡のご両親は」
「知らないと思うわ」
「知ったら、冷たい女だなんて言わないわよ」
「でも、あんなこと言えないし・・・・」
「そうね。吉岡君が頑張ってくれることを祈るだけね」
「そうなるのかなあ」
「そうなるわよ。どんな障害があろうと、絶対にあなたと結婚する。たとえ、伯父さんの病院を継げなくなってもいいくらい言うと許してくれるかも」
「吉岡君だったら、絶対そうしてくれるわ」
俺はうっとりとして言う。
「はいはい。ご馳走様。愚痴じゃなくて、今度はおのろけを聞かされそうね」
「聞かしたげる」
「止めてよ! そんなの聞きたくない!」
嫌がる振りをしながら、飯塚桃子は俺と吉岡の間の出来事を事細かに聞いていった。
俺と吉岡は、週に二回の逢瀬を重ねていた。『デート』じゃなくて『逢瀬』。俺たちの関係はデートを言うより逢瀬と言った方が相応しい。俺はそう思う。
今日も俺たちはホテルのレストランで食事を取り、スカイバーでカクテルをいっぱいやったあと、ベッドの上で戯れていた。
「今日は危ないから、コンドームをして」
「いいじゃないか。どうせ結婚するんだから」
「だめよ。いろいろ言われてるんだから、できちゃった婚で押し切られたって言われたくないのよ」
「・・・・それもそうか」
「それに、今妊娠したら、あいつの子どもかもしれないって言われかねないでしょう?」
「そうだね」
吉岡と初めて寝た翌日、俺は生理になった。だから、『俺』の子どもを妊娠してはいないのだが、誰もそれを信じてはくれない。だからこそ、法律は離婚後6ヶ月の再婚を許していないのだ。
コンドームをするちょっとした時間に萎えちゃうんだよなと『俺』が言っていたことを思いだし、吉岡が取り出したコンドームを俺が装着してやった。吉岡は萎えることなく、俺の中に入ってきた。俺にとってセックスは、貫かれることが当然という気分になっていた。固く勃起した肉棒でかき回される快感は、女でなかったら経験できないものだ。
「ああ、修二、最高よ」
俺は既に吉岡のことを修二と呼んでいた。吉岡がそうしろと言うし、俺としても吉岡君では他人行儀のような気がしていたから、すぐに修二と呼ぶことに切り替えたのだ。
今日は、行けなかった。行けなかったけれど、吉岡のために行った振りをした。男は自分が行くだけではなく、女を行かせることが出来たことで満足感が増す。だから、愛している間は、決して行けなかったなどと言ってはいけない。それが弘子の記憶から引き継いだ俺の考え方だ。
吉岡の両親を説得する作業は難航していた。そこで俺は吉岡の両親に会いに行くことにした。俺についての下らない知識よりも、直接会って俺を見て貰うのがいいと判断したからだ。
約束の日、俺は吉岡の母親が好きだというロシアンケーキの詰め合わせを持って吉岡の迎えを待った。
吉岡はベンツで迎えに来た。車に興味のない俺にはそれがどれくらいの値段のする車なのかわからないけれど、ちまたではあまり見かけない高級車であることは間違いなかった。
「時間ピッタリね」
「いつも遅刻するから、今日くらいはね」
吉岡との待ち合わせで、吉岡が約束の時間にまともに来たことはなかった。医者だからいろいろと忙しいのがわかっているから、俺は少々の遅刻には小言を言わなかった。遅刻してきても、そのあとには喜びが待っているからだ。
「この服でよかったかしら?」
俺はフリルがたくさん付いた真っ白なワンピースを着ていた。
「似合うよ。似合うけど、ちょっと少女趣味かな?」
「でも、こんな服装、修二のお気に入りでしょう?」
そう言うと吉岡はにやっと笑った。
「さあ、行こうか?」
助手席に乗り込む。総革張りのシートが冷たく感じられた。静かで乗り心地がいい。こんな車に乗ったのは初めてだ。
吉岡の家は、弘子の実家とそう離れてはいない。5分ほどでベンツは吉岡家に滑り込んだ。吉岡の父親はどこかの高校の校長だと言うことだ。
でかい家だなあ。校長って、給料がいいんだろうか?
そう思うくらいでかい家だった。
「母さん、連れてきたよ。さあ、上がって」
奥から、吉岡によく似た痩せた女性が出てきた。
「初めまして、河島弘子です。お邪魔いたします」
俺は丁寧に頭を下げた。
「いらっしゃい、さあ、どうぞ」
「あのう。これ、つまらないものですけど」
ロシアンケーキの入った包みを差し出す。
「まあ、こんなことされなくてもよかったのに」
「母さんの大好きなロシアンケーキだよ」
吉岡が言うと、それまで無表情だった母親の顔にちょっとだけ笑みが浮かんだ。
食い物で釣れるなら容易いな。
心の中でそう思いながら、俺はヒールを脱いで上がった。応接間に通される。そこには仏頂面の中年男性、吉岡の父親が待っていた。
「父さん、弘子さんだよ」
「初めまして、河島です」
頭を下げ、そうして吉岡の父親の顔を見ると、ホウというような驚きの表情を浮かべていた。一瞬の時間をおいて、ハッと気がついたように口を開いた。
「よく来ましたな。修二の父だ。ま、座って」
ソファーに座ると、吉岡の父親は俺の顔をまじまじと見つめた。
「何だよ、父さん。そんなにじろじろ見て、失礼だろう?」
「あ、いや。母さんの若いときによく似ていると思ってな」
「母さんに? どこが?」
「今は痩せて貧相だが、俺と結婚したときは、・・・・弘子さんくらい、わかるだろう?」
「へえ。そんなにボインだったの?」
吉岡が俺の胸を見る。俺は恥ずかしそうに下を向いた。
「そう言えば顔も似ているかな?」
「うん。似ているよ」
「何が似ているの?」
コーヒーを入れたカップとショートケーキを載せたお盆を持って吉岡の母親がキッチンから戻ってきた。
「あ、イヤ、弘子さんがおまえに似ているなって話していたんだ」
「そうかしら?」
吉岡の母親は俺を値踏みするようにして見つめ、それ以上何も言わないでカップを並べた。
「さあ、召し上がって。この店のケーキは美味しいのよ」
吉岡にも促されて俺はケーキにフォークを刺した。甘ったるくなく、ホントに美味しいケーキだと思った。
「弘子さんは、修二の初恋の人だと聞いたが、弘子さんの方はどうなのかね?」
「わたしも中学生の時転校してきた修司さんを見て一目惚れでした」
「ほう、そうだったのか」
「じゃあ、どうして、他の人と結婚なんてしてたの?」
吉岡の父親の俺に対する話し方は少し親しみが出てきたようなのだが、母親の方は、堅く取っつきにくいままだった。
「わたし、修二さんにわたしの思いを打ち明けられなくて、片思いだと思っていたんです。就職して慰安旅行の時、あの人に結婚してくれって言われて、丁度結婚願望が一番強い時期でしたし、少し酔っていたから、ハイって返事をしてしまったんです」
レイプされたことは伏せた。そんなことは言う必要がないからだ。
「なるほどねえ」
父親は頷く。母親は不満そうだ。
「夫が逮捕されたらすぐに離婚なんて、冷たいと思いませんの?」
「去年の夏頃から離婚は考えていたんです。でも、離婚は避けるべきだと思っていましたから、修復に努力してきました。そうしたら、あんなことになって。あの人、わたしに迷惑を掛けまいと言う最後の思いやりで離婚届を書いていてくれたんです」
「なるほど、なるほど」
吉岡の父親は納得してくれたが、母親の方はまだ表情が硬かった。ロシアンケーキだけでは、懐柔は無理のようだ。
居心地の悪い時間が過ぎていった。吉岡の母親が席を外すとホッとする。吉岡も同じらしく、父親だけになると、俺の手を握ったり肩を抱いたりするのだった。
「毎度。大江戸寿司です」
チャイムが鳴ると同時にドアが開く音がして、大きな声が響いてきた。
「あら? 来たのね」
吉岡の母親が立ち上がった。
「大江戸寿司の寿司はうまいんだぞ」
吉岡が俺に向かって微笑んだ。それは知っている。知ってるけど高くて弘子の実家ではあまり注文したことがないのだ。
吉岡が手伝って、寿司桶を4個運び込んできた。
「お吸い物を作りますから、ちょっとお待ちになって」
「お手伝いします」
立ち上がろうとする俺を吉岡が制した。
「いいよ。お袋に任せておけば。今日はキミはお客さんなんだから」
「そうそう。弘子さんは、のんびりしていてくれたまえ」
父親もそう言うので、俺は再びソファーに座って母親が戻ってくるのを待った。吉岡の母親がお盆を持って戻ってきたのは、それから約10分後だった。
「母さん、ここじゃ食べにくくないか?」
俺もそう思っていた。男ならソファーに座って食べることも出来るだろうが、女には無理だ。
「そうね。ダイニングは散らかしているから、居間にしましょうか?」
母親はお盆を抱えたまま、応接間を出て行く。俺たち3人は、寿司桶を抱えて居間に移動した。
居間と言うよりも、和風の応接室と言った方がいいような部屋だった。吉岡の両親が並び、反対側に俺と吉岡が並んで、寿司の昼食となった。俺の一挙手一投足を見られているようで、うまい寿司も味わう余裕がなかった。
食後のお茶をいただき、さらに1時間ほど話をしてから吉岡の家を出た。
「ハア、疲れたわ」
「親父は何とかなりそうだけど、お袋が難関だな」
「そうみたいね」
「ま、親父さえ許してくれれば、とりあえずは問題ないだろう」
「それはいいけど、嫁姑問題に苦しむのはわたしなのよ。できたら、もっといい関係になって結婚したいわ」
「そうだな。出来るだけそうなるように説得しよう」