第7章 女装

 「参考書買いに行ってくるから」
 そう言い訳をして、ぼくはいつものように家を出た。参考書は勿論買う。買うけど、買ったあとすぐに坂口さんの家に向かった。
 誰にも見られないように、裏口から中に入った。
 「いらっしゃい。待ってたわ」
 いつものように、坂口さんがぼくにキスをする。
 「二階に行こう」
 初めての時はリビングだったけど、その後は坂口さんの部屋のベッドでしていた。今日も、ベッドを軋ませ、ぼくの熱い激情のすべてを坂口さんの中へそそぎ込んだ。
 「よかったわ」
 ぼくは、うっとりとしている坂口さんにキスをした。しばらくしてぼくはベッドから起きあがり、床の上に落ちているものを手に取った。
 「何してるの?」
 小首を傾げて、坂口さんがぼくに聞く。
 「これ、気持ちいいなって思って」
 ぼくは、坂口さんが脱ぎ捨てたスリップを手にしていた。
 「そう?」
 いつも身に着けている女の人は感じないかもしれないけど、こんな感触の衣服は男のものにはない。
 「つるつるしていて、気持ちいいよ」
 ぼくはスリップに頬を付ける。
 「着てみる?」
 「これを?」
 坂口さんは、こくりと頷いた。ぼくは、スリップの肩紐を両手でもって目の前にかざしてみた。
 「ねえ、着て見せて」
 ぼくは迷っていた。つるつるすべすべで、着たら気持ちが良さそうだった。だけど、女の子の下着を着るなんておかしいと思っていた。
 「ねえ、早く」
 「男の着るもんじゃないよ」
 「でも着てみたいんでしょう?」
 見透かされて、ぼくはやむなく頷いた。
 「早く着て見せてよ」
 「じゃあ、着るよ。笑うなよ」
 「笑わないわよ」
 裸のままスリップを頭からかぶった。さらりとしたいい感触がして、膝にレースの裾がかかった。
 「かっわいい!!」
 そう言われて、ぼくはどぎまぎした。
 「ちょっと、祐樹。鏡の前に行って見てご覧なさいよ」
 どんな風になっているんだろうか? ぼくは興味津々で鏡の前に立った。
 「ねえ、似合うでしょう?」
 「お、おかしいよ」
 「似合うったら。ほら、こうしたら、もっと女の子らしくなるわよ」
 坂口さんが、ブラシでぼくの前髪を下ろした。自分でもハッとするような女の子に変わっていた。
 「ほらね」
 「も、もういいよ!」
 ぼくは急いでスリップを脱いで、自分の服を着た。
 「帰るから」
 「また来週ね」
 「うん」
 「祐樹?」
 「なに?」
 「さっきのスリップ姿。可愛かったよ」
 ぼくは顔を赤らめて、坂口さんの家を飛び出した。

 少し遠回りしてぼくの家へと向かった。歩きながら、スリップを着たときの感触を思い出した。
 「気持ちよかったなあ」
 もう一度着てみたいという衝動がムクムクと沸いてきた。だけど、男の子なのに女の子の下着を着たいなんて、ぼくはちょっとおかしいと頭を振った。

 次の土曜日、理由を付けて外出したぼくは、坂口さんの家へ行った。いつものように坂口さんと寝た。
 床に落ちていたスリップを見て、もう一度着てみたいと思ったけれど言い出せず、ぼくは自分の服を手に取った。
 「祐樹、ちょっと待って。まだ時間はあるでしょう?」
 「あるけど。それがどうしたの?」
 「ちょっと待ってね」
 「何するんだよ」
 「いいから、いいから」
 坂口さんは、ベッドから抜け出すと、裸のままゴソゴソとタンスの中から何やら取りだしていた。
 「ハイ、これ着てみせて」
 「何だよ」
 坂口さんが手にしていたものは、ピンクの花柄の入ったお揃いのブラジャーとパンツで、さらに畳まれた黄色のワンピースがベッドの上に置かれていた。
 「い、いやだよ」
 「祐樹、お姉さんの言うことを聞けないっていうの?」
 「そんなこと言われたって・・・・」
 ぼくは口ごもる。さらさらしたスリップを着てみたいとは思っているけど、女装までしたいなんて思ってはいない。
 「お姉さんの言うことが聞けなって言うのなら、もう二度とわたしの家に来ないで」
 坂口さんとセックスするのは悪いことだ。それは分かっている。だけど、止めることなんてできない。ぼくは、坂口さんが手にしたブラジャーとパンツをじっと見つめた。そして、小さく頷いた。
 「分かったよ」
 受け取った女物のパンツをはいた。はき終わると坂口さんがブラジャーを着けてくれる。胸が圧迫されて苦しい。
 「苦しいよ」
 「こんなものなの。さて、これを入れてっと」
 「なにこれ?」
 「小さいバストを大きく見せるためのパッドなの」
 「へえ、こんなものがあるんだ。敦子も入れてるの?」
 「馬鹿! ・・・・入れてるわよ」
 「だから、服着たときと脱いだときが違うんだ」
 「うるさいわね。さっさと入れなさいよ」
 「分かったよ」
 パッドは二枚重ねにしてあって、内側に伝線して使えなくなったストッキングが丸められて縫いつけられていた。
 「これって、ぼくにブラジャーを着けさせるために用意したの?」
 「そうよ。先週、祐樹が帰ったあと、祐樹に女装させたくなって用意したの」
 ぼくはちょっとふてくされて、坂口さんを見た。
 「さあ、早く、そのワンピースを着て見せてよ」
 ワンピースのファスナーを下ろして足を通すと、坂口さんがファスナーをあげてくれた。足元の頼りなさはスリップと同じだけど、肌触りが違う。やっぱりスリップの方がいいなと思っていた。
 「ふんふん、いいわ」
 そう言いながら、ワンピースの上から膨らんだ胸を触った。
 「いい感触」
 ぼくも触ってみた。ぜんぜん違う。でも黙っていた。
 「何か不満そうね」
 「スリップの方が肌触りがいいなって思って」
 「あ、ああ。じゃあ、着たらいいわ」
 そう言うと、ワンピースのファスナーを下ろし、ぼくの目の前にスリップを差し出した。ブラジャーとパンツは脱いじゃいけないだろうなと思って、スリップを頭からかぶった。さらりとした肌触りのゾクッときた。
 「これも着るの?」
 「もちろんよ」
 簡単にそう言われて、ぼくはワンピースをもう一度着た。スリップを着ているから、さっきとは感触がずいぶん違っていた。この方が格段にいい。
 「ホントに似合うわね」
 先週と同じように前髪をブラシで下ろすと、溜息混じりに坂口さんが呟いた。ぼくは鏡を覗き込んだ。口笛を吹きたくなるような可愛い女の子が鏡の中で戸惑いの表情を浮かべていた。
 「少し横を向いてみてご覧なさいよ」
 言われたとおりに横を向くと、ぼくの膨らんだ胸が目に入った。完全に女の子に見えた。
 「可愛い・・・・」
 思わず呟いていた。
 「自分でもそう思うでしょう? 祐樹、ホント、女の子に生まれてりゃよかったのに」
 「ぼくが女の子だったら、敦子を抱けないよ」
 「それもそうね」
 ぼくは何気なく時計を見た。坂口さんも時計を見た。
 「あ、もうこんな時間か。じゃあ、早く脱いで」
 もう少しこのままでいたかった。だけど、恥ずかしくて言えなかった。ぼくは、着替えて家に戻った。

 翌週は、坂口さんは生理の筈だった。だけど、やっぱり来てくれと言うメモを手渡された。
 「今日は駄目なんじゃないの?」
 「うん」
 「じゃあ、どうして?」
 「祐樹に着せたいものがあるの」
 「また女装するの?」
 「うん」
 イヤな顔をして見せたけど、ホントはまた着てみたかった。
 「セーラー服・・・・」
 「わたしが中学生の時に着ていたやつよ。押し入れの奥から出したの」
 そう言えば、そのセーラー服には見覚えがあった。
 「これ着るの?」
 「そうよ。早く着て見せて」
 「スリップは?」
 「スリップがお気に入りなのね」
 「だって、あの肌触りのためにこんな服を着るんだから」
 「そうか。短いから、ミニ用のスリップを出してあげるわ」
 しばらくゴソゴソしていて、坂口さんはタンスの中なら丈の短いスリップを取りだしてきた。
 「これがあればいいんでしょう? さあ、着て」
 ぼくは肩をすくめて服を着替えた。

 ブラジャーとパンツは同じものだった。パッドをカップの中に入れて膨らみを作り、丈の短いスリップを着た。
 「この肌触りがたまんないな」
 心の中でそう思っていた。
 「ハイ、スカート」
 かなり短いスカートを手渡されてはいた。
 「次はセーラーね」
 頭からかぶると、坂口さんが腋のチャックをあげてネクタイを結んだ。
 「次は、これ」
 手渡されたのはルーズソックスだった。文句を言わないで履いた。
 「さて、今日はこれも付けて貰うわ」
 坂口さんがぼくの目の前に差し出したのは、焦げ茶の髪の毛の固まりだった。いや、ウイッグだった。
 「今日は本格的なんだね」
 「ええ」
 「これ、どうしたの? 買ったの」
 「そうよ。今日の日のために、ママに言って買って貰ったの」
 「まさかぼくが付けるなんて言ってないだろうね」
 「当たり前でしょう? わたしが付けるって言ったわよ。雰囲気を変えたいからって言ってね」
 「安心したよ」
 「さあ、付けて」
 そう言いながら、坂口さんはぼくの頭にウイッグを被せた。肩のあたりまでの長さのものだ。ブラッシングをすませて、鏡を覗いてみた。
 「へええ・・・・」
 先週より、さらに女の子らしいぼくが映っていた。
 「ちょっとじっとしていて」
 「何するんだよ」
 「お化粧するの」
 「馬鹿言わないでくれよ」
 「ちょっとだけよ」
 「イヤだよ」
 「お姉さんの言うことが聞けないって言うの?」
 セックスする時は、年下みたいな振りをして、こんな時は年上だって言うなんておかしいよと思っていた。
 「・・・・分かったよ」
 ぼくは椅子の上に座り直した。
 「目を瞑っていて」
 「ああ」
 ぼくはふてくされ気味に返事をした。坂口さんは、鼻歌を歌いながら、何やらぼくの顔に塗って、最後に口紅を引いた。
 「さあ、いいわよ」
 目を開いて、ビックリした。鏡の中のぼくは、もはやぼくではなかった。本物の女の子に見えた。
 「祐樹はホントに可愛いわね。こんな妹が欲しかったわ」
 坂口さんは一人っ子だ。気持ちは分かる。
 「写真を取ってあげるわ」
 「イヤだよ。人に見られたらどうするんだよ」
 「従妹だって言えばいいわ。祐樹だなんて誰も気がつかないわよ」
 「いいってば・・・・」
 「ポラロイドだから大丈夫だって。さあ、こっちを向いてにっこり笑って」
 ぼくは口を尖らせて、カメラの方を向いた。
 「そんな顔じゃ、おかしいわ。ハイ、チーズ」
 「チーズ」
 ぴかっとフラッシュが光った。しばらくして出てきた写真に写ったぼくは、ちょっとすねた女子中学生そのものだった。
 そのままの格好で、坂口さんと1時間ばかりおしゃべりをした。帰る時間になる頃には、ぼくは生まれたときから女の子のような気持ちになっていた。
 セーラー服を脱ぐのが何だか悲しいような気がしながら、着替えて家に戻った。

 坂口さんの家に行くたびに女装させられた。女装したままセックスすることもあったけど、しばらくするとほとんどおしゃべりをするだけになっていった。
 セックスするのは好きだけど、悪いことをしているんだという意識があるから、あえてしたいとは言えなかったし、言わなかった。

 「ねえ、外に行ってみようよ」
 春休みに入ったある日、坂口さんがぼくにセーラー服を着せたあと言い出した。
 「い、いやだよ」
 「絶対にばれないって」
 「イヤだってば」
 「祐樹が女装した写真をばらまくわよ」
 それはぼくを女装させたまま外出させる口実で、本気ではないことは分かっていた。だけど、ぼくは頷いた。
 男のぼくがセーラー服を着ているなんてことが、ばれるのは怖い。だけど、ばれずに上手くいきそうな気もしていた。
 「色が白くなったし、中学生だから、リップだけにしましょうね」
 そう言って、坂口さんは淡いピンク色のリップクリームを引いた。夏休み前からサッカーを止めて、ほとんど外で運動していないから、元々色白のぼくはかなり白くなっていた。だから、化粧なんてしなくても、リップクリームだけで立派に女の子に見えた。
 坂口さんが中学生の時に使っていた外出用の小さなバッグの中に、ティッシュやハンカチ、リップクリーム、財布などを入れ、やっぱり中学生の時に履いていたという靴を履いた。
 玄関を出るとき、みんなが指さして笑うんじゃないかと思って、思わず後ずさりした。
 「大丈夫だって。さあ、いくわよ」
 手を引っ張られて、外に出た。
 「こんにちは」
 坂口さんが、近所の小母さんに挨拶をする。
 「あっちゃん、こんにちは。お友達?」
 「ええ」
 「可愛いわね」
 「そうでしょう? じゃあ」
 坂口さんは、すたすたとバス停に向かって歩いていった。ぼくは、その後を追った。スカートには慣れているけど、春風でまくれ上がりそうだ。覗かれてもいいようにと、ガードルとか言うものをはかされたけど落ち着かない。
 「大丈夫。誰も気づいていないわ」
 バスに乗ってかしこまっていると、坂口さんが耳元で囁いた。
 「でも、あそこに立ってる男の人がぼくを見てるよ」
 「ああ、あの人。あの人は、おそらく美人が二人いるんで、見ているだけよ」
 「ホントに?」
 「嘘だと思うのなら、ウインクでもしてみたら? 純情な人だったら、顔を赤くして俯くわよ」
 「馬鹿言うなよ」
 「祐樹、言葉に気を付けて。聞かれたら、それこそばれるわよ」
 「分かったわ」
 「それでいいわ」

 女物の服売場へいくと、これが可愛い、あれがいいなどと言って、坂口さんは何度も着替えた。ワンピースとTシャツを一枚ずつ買ったあと、ぼくにも試着しろと言った。
 「イヤ」
 「いろんな服を着られるのよ。こんなチャンスはないわよ」
 そう言われて、次ぎ次と持ってくる服をぼくは着てみた。女物の服はいろいろとバラエティーがあって楽しい。ぼくは、夢中になって着替えていた。
 「1枚くらい買わないといけないかな?」
 店員がいぶかしげにし出したので、あんまり高くないワンピースを買った。ぼくはお小遣いをそんなに持っていない。お金を出したのは坂口さんだ。坂口さんは、一人娘だし、母親はなんだかんだと言っていつも家にいないから、小遣いをたんまり与えているのだ。

 信じられないと言うか、もっともだというか、この間誰も気がつかない。ぼくに注意を払う人間は一人もいない。ぼくたちを見る男は何人もいた。だけど、バスの中の男と一緒で、可愛い娘がいるという目で見ているのだ。
 「君たち、一緒にお茶でも飲まない?」
 デパートを出ると、二人連れの男がぼくたちに声をかけてきた。
 「お茶が不味くなるわ」
 坂口さんが、断りを言ったのでぼくはほっと安心した。
 「なんだよ。気取りやがって」
 ブツブツ言いながら、男たちは去っていった。安心もつかの間、またもや男に声をかけられた。
 「いいわよ」
 ギョッとして坂口さんの方を見た。坂口さんは、にっこり笑ってぼくを見た。止めようよと言うぼくの哀願の目が分かっているだろうに、ぼくの手を引いて男たちについていく。
 「君たち同級生?」
 男の一人が坂口さんに聞いた。
 「まさか。わたし、今度高校2年。この子は、中学3年になるのよ」
 「そうだと思った。で、名前は?」
 「この子は、有紀よ」
 坂口さんは、ゆうきじゃなくて、ゆきって答えた。
 「どう書くの?」
 男はぼくに聞かないで、坂口さんに聞いた。男は、こどもこどもしているぼくじゃなくて、坂口さんが目的のようだ。
 「有るって言う字に、20世紀の紀って書くのよ。そうだったわね、有紀」
 「え、ええ」
 ぼくはまだ声変わりしていない。それでも少し高めの声でそう答えた。
 「君の名前は?」
 「わたし?」
 「そう」
 「わたしは、早樹。早いって言う字に、樹木の樹って書いて早樹」
 ぼくの姉さんの名前を騙っている。男たちの素性がしれないから、偽名を使ったんだろうなと思った。
 男たちは、やっぱり坂口さんが目的のようで、ずっと坂口さんを相手にしゃべっていた。ぼくは、ストロベリーサンデーをぺろぺろとなめて、三人の様子を見ていた。
 1時間ほどおしゃべりをしたあと、坂口さんがそろそろ帰らなきゃと言い出した。
 「ケータイ、教えてくれよ」
 「持ってないの」
 ホントは持ってるのに、坂口さんは番号を教えたくないようだ。
 「じゃあ、自宅の電話番号を教えてくれよ」
 「自宅に掛けると父がうるさいのよね」
 坂口さんの父親は、単身赴任で家にはいない。やっぱり教えたくないんだ。
 「そっかあ。じゃあ、来週の日曜日、また会ってくれない?」
 「いいわよ」
 「ホント? じゃあ、10時にさっきのデパートの前で」
 「10時ね」
 「待ってるからな」
 にこにこしながら、男たちはぼくたちに手を振った。ぼくをデートの誘ってくれなかった。ちょっと悔しいような、ホッとしたような複雑な気分だ。
 「ホントにデートするの?」
 「行くわけないでしょう? あなたがいるのに」
 「安心したよ」
 「早く帰らないと、ママが帰ってくるわ」
 「そうだった。急ごう」
 坂口さんの家で着替え終わったとたん、坂口さんのママが帰ってきた。ぼくは見つからないように裏口から抜け出た。二階の窓からぼくに向かって手を振る坂口さんに投げキッスをした。

 翌週も、女装して坂口さんと一緒に街へ行った。初めは、あのスリップの肌触りが好きで着てみたのだけれど、今は肌触りだけじゃなくて、女装そのものが好きになっていた。
 何故かって言うと、男のぼくはちびで痩せぽっち。街を歩いていて、小学生と間違えられる。中学生だというと、あからさまに馬鹿にされた。
 だけど、女装していると、女子中学生程度には見られる。馬鹿にされることもないし、女装したぼくが結構可愛いせいもあって、ちやほやして貰える。
 ほんとは、男としてはちょっと悔しいんだけど、いつも馬鹿にされてきたぼくにとって、女装すると心が安まるのだ。
 ただ、坂口さんが一緒じゃないと、ひとりじゃとても街には行けない。

 ぼくは坂口さんが好きだ。将来は結婚したいなって思っている。だけど、坂口さんとの別れが突然やってきた。中3の夏休み直前のことだった。
 「金沢に行くの」
 「どうしてだよ」
 「パパとママが離婚することになったの」
 「離婚!?」
 「パパは、東京で他の女の人と同棲していたし、ママはママで不倫していたの」
 ぼくは、その言葉を聞いてハアと溜息を洩らした。
 「わたし、ママについて、ママの故郷の金沢に帰ることになったの」
 「そう・・・・」
 「電話するから」
 「うん」
 「それから、祐樹の女装用の服だけど、全部あげるから、持って帰って」
 「持って帰ってって・・・・」
 「女装すると、ストレス解消になるんでしょう?」
 「知ってたの?」
 「それくらい分かるわよ。引っ越し、来週の水曜日だから、毎日少しずつ持って帰って。いいわね」
 「分かったよ」
 ここ一ヶ月ほど、坂口さんとはセックスしていなかった。金沢なんて、遠くて会いに行けないから、最後にもう一度と思ったけれど、結局できなかった。

 金沢に引っ越していって3ヶ月ほどは、時々電話がかかってきたけれど、それも次第に遠のいて、半年も経つと電話はかかってこなくなった。遠く離れると、心まで離れて行ってしまうんだなと思った。
 ぼくの手元に、女装用の服だけが、坂口さんの思い出として残った。その女装用の服は、段ボールに詰め込んでベッドの下に隠していた。坂口さんがいなくなって、ぼくが女装することはなくなった。