第5章 初恋

 今日はサッカーの練習がない。久しぶりにプレステを満喫できそうだ。ぼくは、幼なじみで親友の板井清彦と家路を急いでいた。
 「着替えたら、すぐに行くから」
 「待ってるよ」
 ぼくは、清彦に手を振って家へ向かって走っていった。
 「ただいま」
 「お帰り。こら! 祐樹!! 鞄をそんなところへ放り出して! 部屋に持って行きなさい!!」
 お母さんが洗濯物を畳みながら、ぼくに向かって怒鳴った。
 「すぐに持って行くから。おやつは?」
 「鞄を部屋に持っていってからあげるわ」
 「はあい
 ぼくは、ちょっとふてくされ気味に、鞄を抱えて部屋に上がっていった。
 「こんにちは、祐樹君」
 お姉ちゃんの部屋から、坂口敦子さんがぼくに声をかけてきた。坂口さんは、お姉ちゃんの同級生で親友だ。お姉ちゃんも結構綺麗だけど、坂口さんはお姉ちゃんよりずっと綺麗だ。ぼくはちょっと顔を赤らめ、頭をちょこんと下げた。
 「あ、こんにちは」
 「相変わらず元気がいいのね」
 にっこりとぼくに向かって微笑む。
 「ぼ、ぼくの取り柄ですから」
 ぼくは、そう言い残して部屋の中へ飛び込んだ。坂口さんのセーラー服の胸元から、真っ白な肌が覗いていた。胸がどきどきしていた。
 学生服を脱いで、普段着に着替えてトイレに行った。坂口さんのことを思うと、少し大きくなっておしっこがしにくい。小学校6年で、こんな風になるのは、ちょっとおかしいのかな?
 恥ずかしくて、こっそり部屋に戻った。

 「祐樹君って、可愛いわね」
 お姉ちゃんの部屋から、二人の会話が聞こえてきた。ぼくは、聞き耳を立てる。
 「どこが可愛いの? 真っ黒なのに」
 「サッカーで日焼けしているだけでしょう? そうじゃなかったら、早樹くらい白いんじゃないの?」
 坂口さんの言うとおりだ。日焼けしていないお尻は真っ白だ。
 「そうだけど・・・・。可愛いかなあ」
 「可愛いわよ。食べてしまいたいくらい」
 「そう? あんなちびのどこがいいの?」
 お姉ちゃんのちびって言葉にムッときた。お姉ちゃんだって、ちびの癖して。
 「ちびって、ま、たしかに背は小さいけど、そのうち大きくなるわよ。まだ小学校6年生だもの」
 「そうかなあ。うちはお父さんもお母さんも小さいから、あんまり大きくならないような気がするけど」
 「そうでもないわよ。わたしの従兄の啓治は、小学校までクラスで一番小さかったんだけど、中学校になったら急に背が伸びて、今は175もあるのよ」
 「へえ。でも、ご両親の背が高いんじゃないの?」
 「ところがどっちも背が低いの。だから、貰われっ子だなんて言われて、本人が気にするくらいよ」
 「そうなの」
 坂口さんの言葉にぼくは何だか安心した。ぼくは、クラスで一番小さい。女の子を入れても前から3番目だ。だけど、男の子は大きくなるかもしれないと言う坂口さんの言葉を聞いて、ぼくはかなり安心した。
 「男の子は、結構大きくなるみたいよ」
 「祐樹の場合は、なんとなく期待できないような気がするけど」
 お姉ちゃんは、自分の弟なのに悲観的なことを言う。
 「今よりは大きくなるわよ」
 「そうね。あいつも大きくなったら、もっともてるようになるでしょうね」
 「もてたら困るわ」
 「どうして?」
 「わたしのものにするんだから」
 ぼくはドキッとした。
 「嘘でしょう? 敦子、祐樹が好きなの?」
 「だから、言ってるでしょう? 可愛いって」
 「それって、好きだってことなの?」
 「そうよ。大、大、大好き」
 「本気なの? 年上なのよ」
 「愛があれば、歳の差なんて」
 「何馬鹿言ってんのよ。信じられないわ」
 「でも、祐樹君のこと、ホント、大好きよ」
 坂口さんがぼくのことを好きだなんて、息が詰まりそうだ。
 「祐樹! おやつ、いらないの?」
 下から、お母さんの声がした。
 「い、今行くよ!」
 ぼくは慌てて返事をした。
 「あれ? 祐樹君、まだ部屋にいたんだ。聞かれたかな? やだ、恥ずかしい」
 坂口さんが、お姉ちゃんと一緒に笑った。

 ダイニングでイチゴケーキを食べていると、清彦がゲームソフトを抱えてやってきた。
 「こんにちは。お邪魔します」
 「あら、清彦君。ケーキ食べる?」
 「え、ああ。いただきます」
 清彦はぼくの向かいに座って、お母さんが入れてくれた紅茶を飲みながら、ケーキにかみついた。
 「なあなあ、祐樹。美智子のこと、どう思う?」
 お母さんがキッチンへ引っ込むと、清彦が突然言い出した。
 「本林のことか?」
 「ああ」
 「可愛いんじゃないか?」
 ぼくは素っ気なく言う。
 「それだけか?」
 「え、なに?」
 「あいつ以上の美人はいないと思うけどなあ」
 「そうか?」
 清彦の言う本林美智子というのは、3年生の時に東京から越してきた女の子で、清彦が言うようにかなりの美人だと思う。美人だけど、ぼくの好みではない。
 「今村悦子の方がいいと思うけど」
 「今村か? あんなのが好みか?」
 「あんなのはないだろう?」
 「女の癖して、毛深いからなあ」
 「そうか?」
 「知らないのか?」
 「しらないよ」
 「毎日剃刀で剃ってるって噂だよ」
 「剃刀って、どこを?」
 「腕と脛をだよ」
 「うっそだろう?」
 「よく見てみろよ。剃った瘢があるから」
 「へえ。明日にでも見てみよう」
 「それでも今村がいいか?」
 「そうだな・・・・」
 ぼくは、二階にいる坂口さんのことを考えていた。ぼくのことが好きだって言ったけど、お姉ちゃんが言うように、ふたつも年上だもんな。
 「何考えてんだよ?」
 「あ、いや。なんでもない。プレステ、しようか?」
 「あ、うん」

 清彦と二階に上がっていくと、坂口さんがぼくの方を見てにっこり笑った。また顔が赤くなった。
 「祐樹。今の、姉ちゃんの友達?」
 「あ、ああ」
 「おまえの姉ちゃんも可愛いけど、今のひとも、すっげえ美人だな」
 「あ、そうだな」
 「もしかして、祐樹の好みじゃないのか?」
 「あ、うん」
 「あれ? 反応がおかしいな。匂うぞ。匂うぞ」
 「年上だぞ」
 「誤魔化すなよ。顔が赤くなってるぞ」
 「もう、いいよ。やるよ」
 ぼくはプレステのスイッチを入れた。清彦は、まだぼくの顔色を窺っていた。

 坂口さんは、ほとんど毎日ぼくの家に寄って帰る。勿論、お姉ちゃんと一緒に宿題をしたり、音楽を聴いたり、おしゃべりするためだけど、どうもそれだけじゃないようにも思える。つまり、ぼくに会いに来るためだ。
 「祐樹、おまえ、考えすぎだよ」
 清彦がぼくにそう言う。だけど、ぼくは絶対にそうだと思っている。日曜日などにぼくの家に遊びに来るとき、ブラジャーが見えるすけすけのブラウスを着て、その上ちょっと屈んだらパンツが見えるような短いスカートをはいてくるのだ。しかも、ぼくを捜しては、笑顔を向けてくる。
 ぼくの考えは間違っていないと思う。
 「年齢は、坂口さんを追い抜けないけど、早く大きくなって、強い男になろう」
 ぼくは、小学校3年生からやっているサッカーに打ち込んだ。

 だけど中学生になっても、ぼくの背は伸びなかった。145センチしかない。それでも毎日牛乳を飲んでサッカーに励んだ。
 それなのに・・・・。
 「それではレギュラーを発表する。青木、斉藤、木村・・・・」
 絶対にレギュラーになれると思っていたのに、控えだった。
 「井原!」
 「はい!」
 「今度はレギュラーに漏れたけど、おまえならすぐにレギュラーになれる。まだ、1年だからな。頑張れよ」
 ぼくが意気消沈しているのを察して、監督が声をかけてきた。
 「ハイ、頑張ります」
 そう答えたけれど、ぼくはやる気をなくしていた。もう少し背が伸びなきゃ、レギュラーは難しい。そりゃ、小さくてもJリーグで頑張っている人はいる。だけど、今の身長じゃあ・・・・。

 中学2年になったけど、伸び盛りというのに、ぼくの身長は146センチに留まった。ぼくより小さいのは、数人の女の子だけだ。背が小さいことを気にしていない振りをしているけど、やっぱり気になる。
 学生服を着て街を歩いていると、あからさまにちびと言われたり、小学生からも馬鹿にされた。
 「どうして、こんなに小さいんだよ!」
 ぼくは、お母さんにべそをかきながら聞いたことがある。
 「お父さんもお母さんも小さいんだから、仕方がないわよ」
 そう言うばかりだった。親を恨んでもしょうがないけど、やりきれないものを感じていた。
 「ぼくなんて、生まれなきゃよかったんだ」
 そんなことを思う日もあった。でも、死ぬ勇気もなかった。

 今度もレギュラーになれなかった。レギュラーになれなかっただけではそんなにショックはなかった。だけど、技術的にはぼくより劣るのに、ぼくより身長が大きな1年生がレギュラーになったことでぼくは切れた。ぼくは大好きだったサッカー部を辞めた。

 サッカー部を辞めた日、坂口さんがいつものようにぼくの家に寄っていた。たまたまお姉ちゃんがお使いに出かけていて、お姉ちゃんの部屋には坂口さんしかいなかった。
 ぼくが半べそをかいているのを見て、坂口さんが立ち上がってぼくに近寄ってきた。
 「祐樹君、どうしたの? そんな悲しい顔をして」
 「坂口さん・・・・」
 ぼくは、坂口さんの胸に顔を埋めておいおいと泣いた。
 「いったいどうしたのよ」
 坂口さんは優しくぼくの頭を撫でてくれた。
 「ちびのせいで、レギュラーになれなかったんだ」
 「・・・・そうなの。可哀想に」
 坂口さんはぼくをぎゅっと抱きしめてくれた。セーラー服の上から、坂口さんの柔らかい乳房がぼくの頬に触れた。ぼくは涙を流しながらも、ちょっとギョッとなった。
 「ご、ごめん。男の子が泣くなんて駄目だよね」
 「いいのよ。祐樹君は優しい子だもの。泣いてもおかしくないわ」
 そう言って、ぼくの頬にチュッとキスをした。唖然としていると、坂口さんは、さらにぼくの唇にキスをした。
 「元気が出た?」
 「う、うん」
 「祐樹君、好きよ」
 ぼくは何と答えていいのか分からず、部屋の中に駆け込んだ。坂口さんの唇の暖かさがまだ残っているような気がした。