わたしが前夫・杉浦智文に出会ったのは、14年前の夏の終わり頃だった。わたしは当時、人に言えない職業に就いていた。いわゆる風俗産業のコンパニオンをしていたのだ。
月に二十日ほど仕事に出て、1日に5,6人の男を相手にしていた。そんな職業を選んだのは、簡単に高給が貰えるというただそれだけの理由からだった。実際わたしは、月に100万ほど稼いでいた。
そんなある日のこと、わたしは仕事を終えて帰宅するために電車のホームに立っていた。月に100万稼いでいて、電車で帰るなんてと思うかもしれないけれど、店が駅の真ん前にあったし、わたしの住んでいたマンションも駅のすぐ目の前にあった。それに、タクシーの運転手といえども、あんな職業に就いていることを知られたくなかったからだ。
通勤途中も普通のOL風の服装をしていた。確かあの時は、白いワンピースを着ていた記憶がある。まだ汗ばむ季節で、真夜中の終電近くというのにかなり蒸し暑かったことを覚えている。
階段からほど近い場所に立っていると、二人の酔っぱらいが、大声を上げながら階段を上ってきた。わたしは、関わり合いになりたくなかったので、見ない振りをして駅の向かいにあるビルのネオンを眺めていた。
「サキ! サキ!!」
サキって誰? そう思っていると、その酔っぱらいのひとりが、わたしに抱きついてきた。
「キャア、何するんですか!」
わたしは逃げ出して、男を睨んだ。
「サキい・・・・」
男はホームに倒れて、わたしに縋るような眼差しを向けた。酔っぱらって、何か勘違いしているようだ。
「おいおい。サキさんは死んだんだろう? しょうがないヤツだ。すみません。ご迷惑をかけました」
連れの男がわたしに頭を下げた。わたしは入ってきた電車に飛び乗った。
翌日、やはり仕事を終えてホームへの階段を上っていくと、酔っぱらってわたしに抱きついた男が人待ち顔で立っていた。わたしを見つけると、緊張した面もちで近づいてきた。
「昨日は失礼なことをして申し訳ありませんでした」
男は、最敬礼するようにして頭を下げた。
「あ、いえ」
「あなたにちょっとお願いがあるんですけれど」
「わたしにですか?」
「はい。しかし、時間が時間ですから、今からと言うわけにも行きませんので、明日の午後にでも時間をとっていただけないでしょうか?」
昨日の失礼はともかく、今日は礼儀正しい。酔っていたからあんなことをしたんだろうなと思った。
「どんな用事でしょうか?」
「あ、それは、ちょっと複雑で・・・・。できれば、ゆっくりお話ししたいのですが・・・・」
新手のキャッチセールスかなと言う思いが過ぎった。
「あ、わたし、こういうものです。決して怪しいものではありません」
わたしの心が分かったのか、男は名刺を取りだして、わたしに差し出した。名刺には、大日本ゼウス製薬株式会社と書かれてあった。
「製薬会社にお勤めですか・・・・」
「はい。プロパーと言って、ドクターへの宣伝運動をする仕事をやっています」
変な人ではないようだ。礼儀も正しいし、男にサキと呼ばれたことがちょっと気になって、わたしは男の誘いを受けることにした。
「分かりました。どこで何時に?」
「会っていただけますか。すみません、ご迷惑をおかけして」
「いえ。構いませんわ」
「じゃあ、向こうに見える駅前ビルの2階にある喫茶店で、午後1時ではいかがでしょうか?」
「あそこの喫茶店で午後1時ですね。承知しました」
「申し訳ない。よろしく。・・・・必ず来てください」
電車に乗り込むわたしを、男は最後まで見送っていた。
「杉浦智文か・・・・。いったい何の用時だろう?」
まるで杉浦とデートでもするかのように、わたしは朝早くから起きて、シャワーを浴びると、お気に入りのアンサンブルを着て、いつも通勤の時にしているOL風の薄化粧を施した。
「いったい、どう言う用事だろう?」
考えながら電車に乗り、いつもの駅で降りて、指定された喫茶店へ行った。
階段を上ってドアを開けると、昼食時でごった返している店内の一番奥にある席から、杉浦が立ち上がってわたしに手を振った。
「よく来ていただきました。ありがとうございます」
杉浦は、今日も礼儀正しく頭を下げた。
「いえ」
「昼食はお済みなんですか?」
「ええ、簡単にすませてきました」
「それでは、何か飲み物でも?」
「そうですね・・・・」
杉浦の前にコーヒーカップが置かれていた。
「わたしにもコーヒーを」
「コーヒーですね。すみません、コーヒーをもう一ついただけますか?」
ウエートレスの返事があった。
「それで、どんなご用件でしょうか?」
「わたし、昨年結婚しまして・・・・」
「はあ・・・・」
一昨日、杉浦の連れが、サキさんは死んだと言っていたが・・・・。
「サキさんっておっしゃるんですね」
「は、はあ。そのサキが、産後に肥立ちが悪くて、先々週こどもを残して死んでしまったのです」
杉浦の目から涙がこぼれ落ちた。男が泣くなんてと思ったが、杉浦はよほどサキという奥さんを愛していたんだろうなと思い返した。
「それで?」
「あなたは、死んだサキにそっくりなのです」
「はあ? わたしが?」
「そう。双子と言っていいくらいです」
「嘘でしょう?」
「いえ、本当です。これがサキの写真です」
差し出された写真を見てびっくりした。ヘアスタイルと化粧の仕方が違うけど、ホントにわたしそっくりなのだ。
「わたしにどうしろとおっしゃるのですか?」
「こんなことをお願いするのは、迷惑だろうとは思うのですが、産まれた子供の母親になっていただけないかと思いまして・・・・」
「はあ?」
「無理でしょうね・・・・」
「あのう。それって、わたしにあなたと結婚してくれと言うことですか?」
「あ、そうですね。そう言うことになりますかね」
「わたし、結婚なんてできません」
今のわたしに、結婚なんてできるわけがない。
「恋人がいるんですか?」
「そう言う訳じゃなくて・・・・」
周りに人が大勢いる。こんなところで、わたしは風俗に勤めていますなんて言い出せなかった。
「会ったばかりなのに、こんなことをお願いすることが無理な話しですよね」
「え、ええ」
そう答えるしかなかった。
「・・・・そうですね。どうか今日の話しは忘れてください。申し訳なかったです」
杉浦は立ち上がった。
「赤ちゃんに会わせて貰ってもいいですか?」
わたしにとって、結婚なんてとんでもないんだけど、杉浦の奥さんの残した赤ちゃんを見たくなった。
「ええっ! 会って貰えるんですか?」
「会ってみるだけです。それだけですよ」
「あ、ありがとうございます。い、今からでもよろしいですか?」
「今からですか?」
わたしは時計を見る。まだ午後1時半過ぎだ。仕事の時間まではまだある。
「赤ちゃんに会うだけですよ」
「結構です。すぐに行きましょう」
杉浦の笑顔が輝いて見えた。
総武線を下って本八幡で降り、タクシーで10分くらいの場所に連れて行かれた。
「会社の借り上げ宿舎でしてね」
杉浦はそう言い訳したけれど、小綺麗なマンションだった。
「ただ今」
「あら? どうしたの? 会社はお休みなの?」
少し年の女性の声がした。ものの言い方からすると、杉浦の母親だろうか?
「ああ、ちょっと用事があって、有休を取ったんだ」
「あら? どなた?」
杉浦の後ろに立っているわたしに気がついて、わたしの方を見た。
「さ、早樹さん!」
目を丸くして、口を開けた。
「そんなはずはないわよね」
「ああ、紹介するよ。・・・・あれ? 名前を聞いていなかったね」
「わたし、本林美智子と言います。赤ちゃんを見せていただこうと思いまして」
あんな職業をしていたわたしは、本名を知られたくなかったから、本林美智子という偽名を使っていた。
「ああ、よろしいですよ。でも、ホントにそっくりですこと」
母親までもがそう言うのだから、間違いないと思った。
「そのようですね」
「本林さん。さあ、入って」
「お邪魔します」
奥の部屋の日当たりのいいところに、赤ん坊が寝かされていた。顔を覗き込んでみた。わたしや、わたしの姉が赤ん坊の頃とそっくりだなと思った。
「どう言う関係の人?」
キッチンから、杉浦と母親の声が聞こえてきた。
「一昨日、電車のホームでたまたま出会ったんだ」
「見ず知らずの人かい?」
「そうなんだ」
「どうしてここへ連れてきたの?」
「遥香の母親になって貰えないかなと思って・・・・」
「まあ! そんなことを頼んだのかい?」
「あ、ああ」
「馬鹿だね。おまえは。そんな頼みを聞いて貰えるはずはないじゃないか!」
「それはそうだと思ったんだけど、あんまりサキにそっくりだったから、深く考えもしないで・・・・」
「で、どうなの?」
「遥香の母親になってくれっていうのは、ぼくと結婚してくれって言うことだろう? 断られたよ」
「そうでしょうね」
「行きがかり上、遥香の顔を見たいって言うもんだから、連れてきたんだよ」
「そうだったの。それにしてもサキさんによく似ているわね」
「お袋もそう思うだろう?」
「ええ。怖いくらい。さあ、お茶が入ったわ。こちらへ呼んできなさい」
「そうするよ」
杉浦が顔を見せた。
「あのう。こちらでお茶でも」
「いえ、結構です。赤ちゃんの顔を見ていたいから」
「そうですか。じゃあ、そちらに持っていきます」
杉浦の母親が、お茶の載った盆を抱えてやってきた。
「申し訳ありません。息子が変なことをお願いしたりして」
「いえ、構いません。可愛い赤ちゃんですね」
「ええ。死んだサキさんにそっくりなんですよ」
杉浦の母親は、赤ん坊の顔をじっと見つめた。
杉浦のマンションで見た赤ちゃんのことが気になって、仕事に身が入らなかった。数日たって、店を出ると、目の前に杉浦が立っていた。
「君は・・・・」
「あなたと結婚できないって言ったでしょう?」
「そうだったのか・・・・」
ガックリ肩を落として、杉浦は去っていった。まだ、わたしのことを諦めきれなかったのだろう。しかし、これでもう終わりだ。
それから三日後、いつものように仕事に出た。
「みっちゃん。ご指名だよ」
「はい」
入ってきたお客に深々と頭を下げて挨拶した。
「美智子です。よろしくお願いいたします」
頭を上げてビックリした。お客は杉浦だったのだ。
「杉浦さん・・・・。どうして・・・・」
「今日は、お客だ。他のお客と同じようにサービスしてくれ」
「は、はい」
どんな事情があったにせよ。お客はお客。お金を貰っている以上、それなりのことをしなければならない。
キスした。何年もあっていない恋人に出会ったときのように、激しいキスだった。キスしながら、乳房を揉む。そのやり方も優しく丁寧だった。わたしは、いつもより丁寧にフェラチオをしてやった。
「ああ、サキ・・・・」
杉浦が呟いた。杉浦はわたしを奥さんだと思ってやっているようだ。わたしの後ろに廻った杉浦は、わたしにバックから挑んできた。
両手でわたしの乳房を揉みながら、杉浦は激しく突いた。わたしは何故か凄く感じていた。お客は、いつも好きだの愛しているだの言うけれど、単なる性欲のはけ口にしか過ぎない。だけど、杉浦には、ホントに愛を感じた。わたしは今までにない快感を覚えていた。
「サキ、サキ、サキ・・・・・」
杉浦が弾けた瞬間、わたしの頭の中は真っ白になってしまった。
「ああっ・・・・」
ちょっとの間意識がなくなっていたようだ。目を開けて動こうとするのに、体が動かなかった。
「サキ・・・・・」
「何?」
サービスというわけじゃなかったけど、そう答えていた。
「愛しているよ」
杉浦は、ホントに奥さんを愛していたんだと感じた。なれるものなら、杉浦の奥さんの代わりをしたかった。だけど、それは叶わぬ夢だった。
「ごめん。美智子さんだったね」
「いいのよ。ここにいるときくらいは、わたしを死んだ奥さんだと思っていても」
「ありがとう」
杉浦は、わたしを引き寄せもう一度キスをした。体が痺れるようなキスだった。
「また来てもいいかな?」
「勿論よ」
それから三日目、杉浦がやってきて、やはり遥香の母親になって欲しいと言われたとき、わたしは杉浦の願いを聞き入れた。
翌日、杉浦と一緒に役場に婚姻届を出しに行き、その足で裁判所に改名の申請をした。改名は、遥香が大きくなったとき、継母だと知られないためだった。
「認められるかしら?」
「遥香の件があるから大丈夫だろう」
杉浦はそう答えた。裁判所の裁定が下りる間、わたしは店に辞める旨の通知を送り、マンションを引き払った。
それから、馴染みの産婦人科に入院した。ある処置をして貰うためだ。それは、わたしの体内の女性ホルモン濃度をできるだけあげたあと、急激に落とすというものだ。ちょうど妊娠して出産したようなホルモン状態にするのだ。こうすると、プロラクチンというホルモンが分泌されて、おっぱいが出るかもしれないと聞かされたからだ。
上手く行きそうだ。杉浦のマンションに向かう電車の中で、乳房が張って痛むのを覚えた。
「ごめんください」
「お帰り」
中から、杉浦がそう言ったので、わたしはちょっとどぎまぎした。
「今日から、君はぼくの妻で、ここは君の家だからね」
にっこり笑って、杉浦がわたしの肩を抱いた。
「遥香ちゃんは?」
「お袋が抱いてるよ」
「抱いてもいいかしら?」
「いいよ。今日から、君が母親なんだから」
わたしは、奥の部屋に入っていった。
「智文の願いを聞いてくれたんですね」
杉浦の母親は、涙を流していた。
「智文さんのためと言うより、遥香ちゃんのために」
そう言って、杉浦の方を振り返ると、ちょっと口を尖らせていた。
「智文さんのことも好きですよ」
「すみませんね」
「いいんです。さあ、わたしに抱かせてください」
杉浦の母親から遥香ちゃんを受け取ると、わたしはブラウスの前を開いて乳房を取りだした。
「どうするつもりなの?」
杉浦も母親も驚いた顔をしていた。おっぱいの件は杉浦にも黙っていたから、ビックリしたようだ。
柔らかく紅葉のように可愛い遥香の手がわたしの乳房をまさぐり、小さな口が乳首を探し当てた。
キュッと乳首を吸われ、胸の奥がスキンと痛んだ。遥香は吸い続ける。ちょっと不安だったけど、遥香の口から、乳汁が溢れ出ていた。
「おっぱいが出ている!!」
わたしは感激でいっぱいだった。この可愛い子の母親になれる。嬉しくて涙が出た。
「おっぱいが出るの?」
「ええ。遥香ちゃんのことを思っていたら、出るようになったみたい」
そんな嘘を母親は信じたようだ。
それから10日後、産まれた子供のためだという理由が認められて、わたしは杉浦智文の妻・早樹になった。