第14章 幸せ

 早樹姉さんが遥香を産んだあと死んだことを知らない人たちは、ぼくのことを早樹姉さんだと勘違いしていた。早樹姉さんのアルバムや結婚式の写真を見ても、絶対に気付かない。ぼくが遥香を産んで、母乳で育てている。そう思われている。
 そんな風にして暮らしているうちに、ぼく自身も生まれたときから女で、杉浦と結婚して遥香を産んだと思うようになった。
 遥香もぼくを母親だと思って疑う様子はない。

 ぼくは、妻として、母として、充実した日々を送っていた。結婚して10年目の秋、杉浦が死んだ。逸見さんで有名な、スキルス癌だった。見つかったときにはもう手遅れで、2ヶ月後にあの世に旅立ってしまった。そのすぐ直後、杉浦の母親もくも膜下出血で後を追った。
 残されたぼくと遥香は、井原家へ戻ることにした。
 「あなた達が戻ってきて嬉しいわ」
 お母さんはもろ手をあげて喜んでくれた。遥香は、ぼくがホントの母親だと思っているから、実家に戻ると言うことに何の疑問も抱かなかったようだ。
 ぼくが祐樹だと言うことは、ぼくの両親しか知らないから、親戚連中は、赤の他人であるとされているぼくが井原家に居座ることには、疑念を持っていたようだけど、
 「遥香のために、遥香のホントの母親だと言うことにしてくださいね」
 と言う、お母さんの願いを聞き入れてくれて、何も言わないでいてくれた。

 そして実家に帰って1年後、板井清彦と再会した。ぼくは、井原家とは何の関わり合いのない人間だと言うことになっていたのに、清彦は、ぼくが井原祐樹だと言うことを一目で見破った。
 「14年ぶりなのに、よく分かったわね」
 喫茶店でそう尋ねてみた。
 「おまえと俺の仲だ。一目で分かったさ」
 「あなたならばれると思ったわ」
 清彦はぼくを見て、にっこり笑った。

 清彦とは、物心付いたときから一緒に遊んでいた。どこに行くのもいつも一緒だった。サッカークラブに入ったのも、清彦に誘われたからだ。ぼくがサッカークラブを辞めたあとも、清彦はずっとサッカーをやっていた。
 ぼくが中学校時代、女装していたことも清彦は知っていた。知っていたけれど、そのことを人に話したり、ぼくを茶化したりしたことはなかった。
 高校は違ったけれど、親友であったことは間違いない。ぼくが、高校一年一学期の終業式があったあの日、裸に剥かれて、やむなくセーラー服を着ることになったことも話した。
 その話しを聞いた清彦が、ひとつのアイデアを出した。
 「おまえ、女装は得意だろう? それを利用して、そいつらに復讐したらどうだ?」
 その言葉が、ぼくにあんなアイデアを思いつかせたのだ。

 女性ホルモンを飲み始めたとき、誰にも言わなかったと言ったけど、ホントは清彦にだけは告げていた。
 「女になりたいってことじゃなくって、男でいたくないんだ」
 清彦は、そんなぼくの言葉を分かってくれる唯一の人物だった。ぼくにとって清彦は、この世で一番信頼できる人物なのだ。
 勿論この頃は、男同士のセックスなんて知りもしなかったから、そんなことが起ころうとは思ってもみなかった。
 そう。ぼくが最初に男の相手をしたのは、北崎じゃなくて、実は清彦なのだ。

 あれは、高校三年の夏のことだった。夏休みの宿題であるプリントをすませ、ファミコンをひとしきりやったあと、コーラを飲みながら雑談しているとき、清彦が言い出した。
 「祐樹。ホルモン飲むと、・・・・胸も大きくなるんだろう?」
 「あ、ああ」
 「おまえも、大きくなってるのか?」
 「なってるよ」
 「そ、そうか・・・・」
 清彦は、ちょっと言いにくそうに下を向いた。清彦の気持ちを察したぼくは言った。
 「見たいんだろう?」
 「い、いいのか?」
 「いいさ」
 女の格好をしていても、ぼくたちは男同士だし親友だ。何の躊躇いもなく、着ていたブラウスを脱いで、ブラジャーを取った。
 「へええ・・・・。女みたいだ」
 感心したように、ぼくの胸を見つめている。
 「女みたいって、見たことあるのか?」
 「母ちゃんのだけだけど・・・・」
 「そうか」
 「ちょっと、触らせて貰っていいか?」
 「勿論、いいよ」
 清彦は正座したぼくに近寄ってきて、手のひらをぼくに胸に当てた。
 「柔らかいんだな」
 そう言いながら、ぼくの胸を揉んだ。
 「感じるじゃない!」
 そんなことはなかったのだけど、ぼくは女のように悶えて見せた。勿論、清彦を誘うなんてつもりもなかったし、ただの冗談だった。ところが、清彦は本気にしたのだ。
 ぼくを床の上に押し倒して、乳首に吸い付いてきた。
 「お、おい! 清彦、冗談は止めろよ」
 「祐樹、好きだ」
 その言葉にぼくは驚いた。
 「何を言うんだよ。ぼくたちは男同士だよ」
 「好きだって気持ちに、男同士も何もないさ」
 「だってさあ」
 「祐樹は男でいたくないんだろう?」
 「そうだよ」
 「男でなかったら、女じゃないのか?」
 「・・・・そうかなあ」
 「そうさ。だから、祐樹は女。こんな立派なおっぱいが付いてるじゃないか。体つきも女みたいだし」
 「でも、ちゃんと男のシンボルはあるよ」
 「あったって、いいさ。セックスはできる」
 「セ、セックス!?」
 清彦は、ぼくのはいていたミニのフレアスカートをまくり上げて、ショーツをおろそうとしていた。
 「や、止めろよ!」
 「祐樹、好きなんだ。俺の思いを遂げさせてくれ」
 清彦の哀願するような目を見て、ぼくは抵抗するのを止めた。
 「ホントにぼくのことが好きなんだね」
 「ああ。祐樹が女なら、結婚したいと思っていた」
 「・・・・そう。結婚はできないけど、セックスはできるんだね」
 「いいのか?」
 「ぼくとしたいんだろう?」
 清彦は何も言わずに、ぼくに唇を重ねてきた。差し入れられた清彦の舌を吸った。それから、互いにフェラチオをし合った。
 「清彦、ちょっと待って」
 ぼくは机の奥から、隠していたコンドームを取りだした。
 「これしないと・・・・」
 ぼくは清彦のペニスにコンドームをかぶせると、自ら肛門へと導いた。
 痛かった。張り裂けるような痛みがした。だけど、嬉しそうに腰を動かす清彦の顔を見ていると、痛いとは言えなかった。
 清彦が、その思いのすべてをぼくの中にそそぎ込んできたときも、痛み以外のものは感じなかった。
 「すっげえ、よかった。祐樹は?」
 「・・・・」
 「何だよ。どうかしたか?」
 「痛い・・・・」
 「あ、血が出てる。ご、ごめん」
 それは破瓜の血のようなものだったのかもしれない。

 それから、何度か家族の目を盗んで清彦とセックスした。清彦は、ぼくにのめり込んできた。清彦は、ぼくにとって初めての男だったけど、清彦にとってもぼくは最初にセックスした相手だった。清彦は、女を知らないまま、ぼくとセックスしたのだ。
 清彦が、ぼくのことを本気で愛しているのが分かっていた。ぼくだって、清彦のことが好きだった。だけど、そのまま関係を続ければ、清彦はホントにホモになってしまう。例え、ぼくがホモになっても、清彦までを引き込むなんてことはできなかった。それが、ぼくが家出をしたもうひとつの理由だ。

 「しかし、いい女になったな」
 コーヒーを飲みながら、ぼくを見つめて清彦が言う。
 「ありがとう」
 「今までどうしてたんだ?」
 ぼくは、それまでの経緯を話して聞かせた。当然のことながら、ニューハーフヘルスの件は内緒だ。
 「なるほどね。遥香ちゃんの母親になるために女になったのか?」
 「ええ」
 「そうか・・・・」
 清彦は、複雑な表情を見せた。
 「清彦、結婚してるんでしょう?」
 「あ、ああ」
 「こどもさんは?」
 「男の子がいる」
 「あなたに似てハンサムなんでしょうね」
 「まあな」
 清彦はあんまり乗り気じゃないと言った答え方だ。ぼくはそれ以上、家庭のことを聞かないことにした。
 「今でも、お前のことが好きだ」
 その言葉を聞いて、思わずコーヒーカップを落としそうになった。
 「何馬鹿を言ってるのよ。冗談はよしてよ」
 「お前に冗談を言ったことがあるか?」
 あの時と同じ目をしてぼくを見た。
 「でも、あなた、結婚しているでしょう?」
 「あいつとの結婚は破綻している。破綻していると言うより、初めから上手く行くはずがなかったんだ」
 清彦は、ぼくがいなくなってから、自暴自棄になっていた。大学に進学してから、清彦に言い寄ってきた今の奥さんと関係を持ち、大学3年の時にこどもができて、やむなく結婚したという。
 「お前を忘れようとして、あいつを抱いた。だけど、忘れられなかった。結婚して、祐介と啓介ができてから、一度もあいつを抱いていないんだ」
 「そんな・・・・。可哀想じゃない」
 「お前がいけないんだ。お前がいたから・・・・」
 「わたし、帰ります」
 それ以上のことを聞くわけにはいかなかった。言わせるわけにも。ぼくは、清彦を置いて喫茶店をあとにした。

 清彦が、ずっとぼくのことを思っていてくれた。嬉しかった。あの時は、ぼくは男で、肛門でしか清彦を受け入れられなかった。けれど、今は作り物だけど膣に受け入れられる。そう思うと、清彦を置いて喫茶店を出たことが後悔された。
 ぼくは、目にした公衆電話から喫茶店に電話した。
 「すみません。板井清彦さんがおられましたら、お願いします」
 すぐに清彦が出た。
 「清彦。わたしもあなたのことを忘れたことはないわ。あなたは、わたしの一番大事な人なんだもの。あの時は、あなたをわたしの歩く道に引っ張り込みたくなかったの。分かって。ええ。わたしもあなたを愛しているわ。今日は時間がないの。また会ってくれる?」
 清彦に妻子がいることなど、眼中になかった。ぼくは、清彦に抱いて貰えばそれでよかった。
 初めて清彦を腟で受け入れたとき、ぼくはホントに女になってよかったと思った。



 清彦が奥さんと円満に離婚するまで3年かかったけれど、とうとうわたしの元へやってきたと思うと、ホントに嬉しかった。
 遥香もホントの娘のように可愛がってくれる。遥香が結婚していなくなって、清彦は寂しそうにビールを飲んでいる。
 「清彦。愛してるわ」
 隣にいる清彦に向かって、心の中で呟いた。
 「早樹。ハワイから電話よ。遥香から」
 「は、はい」
 わたしは、急いで電話口に行った。
 「もしもし、遥香? お母さんよ。どう? 新婚旅行は?」
 《最高よ。天気もいいし、弘さんは優しいし、言うことないわ》
 「それはご馳走様」
 《お土産、一杯買って帰るからね》
 「一杯なんていらないわよ」
 《買って帰る。お母さんに似合いそうなワンピースを見つけたんだ。超ミニのね》
 「お母さんは、もう年なのよ。あんまり派手なのは買ってこないで」
 《まだ30代に見えるから大丈夫だって》
 「30代になんて見えないわよ」
 そう答えながらも嬉しかった。ちょっと口元がほころぶ。
 「35だったよな」
 後ろから清彦が茶化す。
 「馬鹿!」
 《お母さんたち、若いわね。あ、それと、もうひとつ大事なお土産もあるからね》
 「何? 大事なお土産って」
 《赤ちゃん。ハネムーンベビー》
 「ハネムーンベビーって、まだ分からないでしょう?」
 《お母さんに教えられたでしょう? 高校生の時。今日が排卵日なの。昨日から、頑張ってるから、きっとできるわ。お母さんに孫を抱かせてあげるからね》
 「・・・・ありがとう、遥香」
 《じゃあね。おばあちゃん》
 「遥香の馬鹿」
 《すぐにそうなるわ。お休み》
 清彦が、わたしの肩を抱いた。
 「若いおばあちゃんになりそうだな」
 「そうね」
 「あれあれ、お熱いことですこと。はい、これ」
 「何? これ?」
 お母さんに手渡されたものは、沖縄旅行の切符だった。
 「こんなもの、どうしたの?」
 「あなたたち、新婚旅行へ行ってないでしょう? その代わりに」
 「そんなこと、いつ決めたの?」
 「遥香の結婚が決まった時よ。遥香が、両親へのプレゼントだっていってね」
 涙が出た。
 「行かせて貰っていいの?」
 「ええ。わたしたちも、久しぶりに水入らずで楽しめるわ」

 沖縄の海岸を、ちょっと派手目の水着で走り回る。
 「おい、おい。年を考えろよ」
 「35だって、言ったでしょう?」
 「分かった。分かった。お前は若い」
 追いついてきた清彦がわたしの肩を抱く。わたしは伸びをして、清彦にキスした。中年の夫婦のキスなんて、誰も見たくはないだろうけど、わたし、幸せなんだもん。
 わたしは、エメラルドグリーンの海に向かって呟く。
 「ちびに生まれてよかった。そうじゃなかったら、こんなに幸せになれなかったもの」