第12章 身代わり

 ある日、仕事を終えて帰りの電車を待っていた。ふたりの酔っぱらいが大声で叫びながら階段を上がってきた。ぼくは、知らんぷりして立っていた。
 「サキ! サキ!!」
 サキって誰だ? そう思っていると、その酔っぱらいのひとりに抱きつかれた。
 「キャア、何するんですか!」
 ぼくは大声を出して逃げ出した。
 「サキい・・・・」
 男はホームに倒れて、ぼくに縋るような眼差しを向けた。酔っぱらって、何か勘違いしているようだ。サキ? 姉さんと同じ名前だ。
 「おいおい。サキさんは死んだんだろう? しょうがないヤツだ。すみません。ご迷惑をかけました」
 連れの男がぼくに頭を下げた。ぼくは、入ってきた電車に飛び乗った。

 翌日、やはり仕事を終えてホームへの階段を上っていくと、酔っぱらってぼくに抱きついた男が人待ち顔で立っていた。ぼくを見つけると、緊張した面もちで近づいてきた。
 「昨日は失礼なことをして申し訳ありませんでした」
 男は、最敬礼するようにして頭を下げた。
 「あ、いえ」
 「あなたにちょっとお願いがあるんですけれど」
 「わたしにですか?」
 「はい。しかし、時間が時間ですから、今からと言うわけにも行きませんので、明日の午後にでも時間をとっていただけないでしょうか?」
 昨日の失礼はともかく、今日は礼儀正しい。
 「どんな用事でしょうか?」
 「あ、それは、ちょっと複雑で・・・・。できれば、ゆっくりお話ししたいんですが」
 新手のキャッチセールスかなと言う思いが過ぎった。
 「あ、わたし、こういうものです。決して怪しいものではありません」
 ぼくの心が分かったのか、男は名刺を取りだして、ぼくに差し出した。
 「製薬会社にお勤めですか・・・・」
 「はい。プロパーと言って、ドクターへの宣伝運動をする仕事をやっています」
 変な人ではないようだ。礼儀も正しいし、男にサキと呼ばれたことが気になって、ぼくは男の誘いを受けることにした。
 「分かりました。どこで何時に?」
 「会っていただけますか。すみません、ご迷惑をおかけして。じゃあ、向こうに見える駅前ビルの2階にある喫茶店で、午後1時ではいかがでしょうか?」
 「あそこの喫茶店で午後1時ですね。承知しました」
 「申し訳ない。よろしく。・・・・必ず来てください」
 電車に乗り込むぼくを、男は最後まで見送っていた。
 「杉浦智文か・・・・。いったい何の用時だろう?」

 まるで杉浦とデートでもするかのように、ぼくは朝早くから起きて、シャワーを浴びると、お気に入りのアンサンブルを着て、OL風の薄化粧を施した。ぼくのことを、姉さんと同じ名前で呼んだから気になっていたのだ。
 「いったい、どう言う用事だろうな?」
 考えながら電車に乗り、いつもの駅で降りて、指定された喫茶店へ行った。

 階段を上ってドアを開けると、昼食時でごった返している店内の一番奥にある席から、杉浦が立ち上がってぼくに手を振った。
 「よく来ていただきました。ありがとうございます」
 ぼくの方が恥ずかしくなるくらい丁寧に頭を下げた。
 「いえ」
 「昼食はお済みなんですか?」
 「ええ、簡単にすませてきました」
 「それでは、何か飲み物でも?」
 「そうですね・・・・」
 杉浦の前にコーヒーカップが置かれていた。
 「わたしもコーヒーを」
 「コーヒーですね。すみません、コーヒーをもう一ついただけますか?」
 ウエートレスの返事があった。
 「それで、どんなご用件でしょうか?」
 「わたし、昨年結婚しまして・・・・」
 「はあ・・・・」
 一昨日、杉浦の連れが、サキさんは死んだと言っていたが・・・・。
 「サキさんっておっしゃるんですね」
 「は、はあ。そのサキが、産後に肥立ちが悪くて、先々週こどもを残して死んでしまったのです」
 杉浦の目から涙がこぼれ落ちた。男が泣くなんてと思ったが、杉浦はよほどサキという奥さんを愛していたんだろうなと思い返した。
 「それで?」
 「あなたは、死んだサキにそっくりなのです」
 「はあ? わたしが?」
 「そう。双子と言っていいくらいです」
 「嘘でしょう?」
 「いえ、本当です。これが家内の写真です」
 差し出された写真を見てびっくりした。ヘアスタイルと化粧の仕方が違うけど、ホントにぼくそっくりなのだ。
 「わたしのどうしろとおっしゃるのですか?」
 「こんなことをお願いするのは、迷惑だろうとは思うのですが、産まれた子供の母親になっていただけないかと思いまして・・・・」
 「はあ?」
 「無理でしょうね・・・・」
 「あのう。それって、わたしにあなたと結婚してくれと言うことですか?」
 杉浦は、そんな簡単なことに気付いていなかったようだ。ハッとした表情になった。
 「あ、そうですね。そう言うことになりますかね」
 「わたし、結婚なんてできません」
 ぼくは男だから、どんな事情があろうとも、結婚なんてできるわけがない。
 「恋人がいるんですか?」
 「そう言う訳じゃなくて・・・・」
 周りに人が大勢いる。こんなところで、わたしはニューハーフですなんて言い出せなかった。
 「会ったばかりなのに、こんなことをお願いすることが無理な話しですよね」
 「え、ええ」
 「・・・・そうですね。どうか今日の話しは忘れてください。申し訳なかったです」
 杉浦は立ち上がった。
 「あのう。ひとつお尋ねしてもいいですか?」
 「はあ? 何でしょう?」
 ぼくは心の片隅に引っかかっていたことを聞いた。
 「奥さんのお名前、サキさんっておっしゃいましたよね」
 「はい」
 「どう書くんですか?」
 「早いって言う字に、樹木の樹と書きます」
 早樹姉さんと同じだ。まさかという文字が頭の中を駆けめぐった。
 「実家はどちらで?」
 「早樹の実家ですか?」
 「ええ」
 「大分です」
 頭がクラクラとなった。大分出身のぼくそっくりな早樹。杉浦の奥さんは、早樹姉さんなのか?
 「お年は?」
 「23でした。まだ、まだ、生きていて欲しかったのに・・・・」
 年も同じだ。旧姓を聞こうと思ったけど、そんなことを何故聞くのか変に思われるといけないと思って口に出さなかった。
 「赤ちゃんに会わせて貰ってもいいですか?」
 ぼくにとって、結婚なんてとんでもないんだけど、杉浦の奥さんが早樹姉さんであるかどうかを確かめたかったことと、もしそうなら、早樹姉さんの残したこどもを抱いてみたかったのだ。
 「ええっ! 会って貰えるんですか?」
 「会ってみるだけです。それだけですよ」
 「あ、ありがとうございます。い、今からでもよろしいですか?」
 「今からですか?」
 ぼくは時計を見る。まだ午後1時半過ぎだ。仕事の時間まではまだある。
 「赤ちゃんに会うだけですよ」
 「結構です。すぐに行きましょう」
 杉浦の笑顔が輝いて見えた。

 総武線を下って本八幡で降り、タクシーで10分くらいの場所に連れて行かれた。
 「会社の借り上げ宿舎でしてね」
 杉浦はそう言い訳したけれど、小綺麗なマンションだった。
 「ただ今」
 「あら? どうしたの? 会社はお休みなの?」
 少し年の女性の声がした。ものの言い方からすると、杉浦の母親だろうか?
 「ああ、ちょっと用事があって、有休を取ったんだ」
 「あら? どなた?」
 杉浦の後ろに立っているぼくに気がついて、ぼくの方を見た。
 「さ、早樹さん!」
 目を丸くして、口を開けた。
 「そんなはずはないわよね」
 「ああ、紹介するよ。・・・・あれ? 名前を聞いていなかったね」
 「わたし、本林美智子と言います。赤ちゃんを見せていただこうと思いまして」
 「ああ、よろしいですよ。でも、ホントにそっくりですこと」
 「そのようですね」
 ぼくは母親に微笑んだ。
 「本林さん。さあ、入って」
 「お邪魔します」
 奥の部屋の日当たりのいいところに、赤ん坊が寝かされていた。顔を覗き込んでみた。これは、早樹姉さんのこどもに間違いないと確信した。
 「どう言う関係の人?」
 キッチンから、杉浦と母親の声が聞こえてきた。
 「一昨日、電車のホームでたまたま出会ったんだ」
 「見ず知らずの人かい?」
 「そうなんだ」
 「どうしてここへ連れてきたの?」
 「早樹にあんまりそっくりだったから、遥香の母親になって貰えないかなと思って・・・・」
 「そんなことを頼んだのかい?」
 「あ、ああ」
 「馬鹿だね。おまえは。そんな頼みを聞いて貰えるはずはないじゃないか!」
 「それはそうだと思ったんだけど、あの通り早樹にそっくりだろう? 深く考えもしないで・・・・」
 「で、どうなの?」
 「遥香の母親になってくれっていうのは、ぼくと結婚してくれって言うことだろう? 断られたよ」
 「そうでしょうね」
 「行きがかり上、遥香の顔を見たいって言うもんだから、連れてきたんだよ」
 「そうだったの。それにしても早樹さんによく似ているわね」
 「お袋もそう思うだろう?」
 「さあ、お茶が入ったわ。こちらへ呼んできなさい」
 「そうするよ」
 杉浦が顔を見せた。
 「あのう。こちらでお茶でも」
 「いえ、結構です。赤ちゃんの顔を見ていたいから」
 「そうですか。じゃあ、そちらに持っていきます」
 杉浦の母親が、お茶の載った盆を抱えてやってきた。
 「申し訳ありません。息子が変なことをお願いしたりして」
 「いえ、構いません。可愛い赤ちゃんですね」
 「ええ。死んだ早樹さんにそっくりなんですよ」
 杉浦の母親は、赤ん坊の顔をじっと見つめた。
 「早樹さんのお写真を見せていただくわけにはいきませんか?」
 「ああ、いいですよ」
 杉浦が立ち上がり、隣の部屋に行くと、しばらくしてアルバムを抱えて戻ってきた。一冊を開いてみると、こどもの頃からのアルバムだった。その一枚一枚に見覚えがあった。あるページに、幼い頃ぼくと早樹姉さんと一緒に写った写真があった。
 杉浦の奥さんは、早樹姉さんで、もう死んでしまっている。急に涙が溢れてきた。
 「どうされたんですか?」
 「いえ、こんな可愛い赤ちゃんを残して死ぬなんて、悔しかっただろうなって思って」
 「そうですよね」
 二人の結婚写真があった。父と母が写っていた。大声で泣き出しそうになった。
 「息子の頼みを聞いて貰うわけにはいきませんでしょうね」
 「ごめんなさい。それだけは・・・・」
 「そうでしょうね」
 杉浦の母親もガッカリしたような顔になった。ぼくが女なら、二人の願いを聞いてあげられる。だけど、それは叶わぬことだった。
 「それじゃあ、失礼します」
 逃げるようにして、杉浦のマンションを出た。

 「みっちゃん、あんたじゃないと、俺のチンポは立たないんだ」
 いつもの常連さんが、いつものように軽口を叩きながらぼくの胸を揉んだ。だけど、いつもぼくを見守っていてくれた早樹姉さんがこの世にいないと思うと、悲しくて仕事に身が入らなかった。
 「どうしたんだ? まだ、元気ないなあ」
 「大好きだった姉を失ったの」
 「失ったって、死んだのか?」
 「ええ」
 「そうか。可哀想に」
 優しくしてくれたけど、悲しみは去らない。誰か、この悲しみを忘れさせてくれる人はいないだろうか?
 その日は早退し、次の日も休んだ。

 翌々日、大好きな姉を失ったというショックからようやく立ち直って仕事に出た。今日は仕事を何とかこなした。
 店を出ると、目の前に杉浦が立っていた。
 「君は・・・・」
 「あなたと結婚できないって言ったでしょう?」
 「そうだったのか・・・・」
 ガックリ肩を落として、杉浦は去っていった。まだ、ぼくのことを諦めきれなかったのだろう。しかし、これでもう終わりだ。

 それから三日後、いつものように仕事に出た。
 「みっちゃん。ご指名だよ」
 「はい」
 入ってきたお客に深々と頭を下げて挨拶した。
 「美智子です。よろしくお願いいたします」
 頭を上げてビックリした。お客は杉浦だったのだ。
 「杉浦さん・・・・。どうして・・・・」
 「今日は、お客だ。他のお客と同じようにサービスしてくれ」
 「は、はい」
 どんな事情があったにせよ。お客はお客。お金を貰っている以上、それなりのことをしなければならない。
 キスした。何年もあっていない恋人に出会ったときのように、激しいキスだった。キスしながら、乳房を揉む。そのやり方も優しく丁寧だった。しばらくして、ぼくのショーツを下ろし、ぼくのペニスをじっと見ていた。
 「どうしたの?」
 「ホントにあるんだね」
 「分かってたんでしょう?」
 「それはそうだが・・・・」
 ぼくは起きあがってフェラチオをしてやった。
 「ああ、早樹・・・・」
 杉浦が呟いた。杉浦はぼくを早樹姉さんと思ってやっているようだ。ぼくの後ろに廻った杉浦は、ぼくにバックから挑んできた。
 「杉浦さん、コンドームしなきゃ」
 「いいんだ」
 ジェリーを付けた指でぼくの肛門を揉みほぐすと、コンドームを付けないでぼくの中に挿入した。
 両手でぼくの乳房を揉みながら、杉浦は激しく突いた。ぼくは何故か凄く感じていた。コンドームしないで生でするのは初めてだった。それだけじゃなかった。お客は、いつも好きだの愛しているだの言うけれど、単なる性欲のはけ口にしか過ぎない。だけど、杉浦には、ホントに愛を感じた。勿論それは早樹姉さんに向けられたもので、ぼくはその身代わりでしかない。だけど、ぼくは今までにない快感を覚えていた。
 「早樹、早樹、早樹・・・・・」
 杉浦が弾けた瞬間、ぼくの頭の中は真っ白になってしまった。
 「ああっ・・・・」
 ちょっとの間意識がなくなっていたようだ。目を開けて動こうとするのに、体が動かなかった。
 「早樹・・・・・」
 「何?」
 「愛しているよ」
 杉浦は、ホントに早樹姉さんを愛していたんだと感じた。なれるものなら、早樹姉さんの代わりをしたかった。だけど、それは叶わぬ夢だった。
 「ごめん。美智子さんだったね」
 「いいのよ。ここにいるときくらいは、わたしを死んだ奥さんだと思っていても」
 「ありがとう」
 杉浦は、ぼくを引き寄せもう一度キスをした。体が痺れるようなキスだった。
 「また来てもいいかな?」
 「勿論よ」

 それから三日目、杉浦がやってきた。やっぱり行ってしまった。
 「美智子さん、この前の件だけど・・・・」
 「この前の件って?」
 「遥香の母親になって欲しいって言う話しなんだけどね」
 「無理なのは分かっているでしょう? わたしはニューハーフ。女じゃないのよ」
 「それは分かっているんだが・・・・。やはり無理だろうか?」
 「もし、わたしが遥香ちゃんの母親代わりをしたとして、大きくなったとき、なんて言うの? 母親にペニスがあるなんて」
 「性転換すればいい」
 「性転換・・・・」
 ぼくはずっと女装している。男を相手にセックスもしている。だけど、性転換しようなんて思ったこともなかった。
 「駄目か?」
 「でも、あなたとわたしの関係はどうするの? わたしは男。結婚はできないわよ」
 「それなんだが、実は、女の戸籍が手に入りそうなんだ」
 「ええっ!?」
 「女の戸籍が手に入れば、わたしと結婚できるだろう?」
 「嘘・・・・」
 「そうしたら、遥香の母親にもなって貰える」
 「信じられない。その戸籍って、大丈夫なの? あとでばれるんじゃないの?」
 「他人から買うんじゃなくって、架空の戸籍を作るらしい。だから、本人が出てきてばれてしまうことなどないそうだ」
 ぼくは考える。女の戸籍が手に入って、性転換すれば、女として結婚できる。結婚はともかく、堂々と遥香の母親になって育ててあげられる。
 「ホントにばれないんでしょうね」
 「大丈夫だよ。決心してくれるんだね」
 「分かったわ。遥香ちゃんの母親になってあげる」
 「嬉しいよ」
 杉浦は、ぼくは力の限り抱きしめた。
 「ホントに、性転換してくれるんだね」
 「ええ。でも、戸籍が先よ。女の戸籍を見せてくれたら、性転換するわ」
 「分かった。すぐに手配する」
 「いつ頃手に入るの?」
 「一週間以内には手に入ると思う」
 「じゃあ、手に入ったら、連絡して」
 「分かった」
 喜色満面で、杉浦は店を出ていった。ホントに女の戸籍が手に入るのだろうか? ぼくはもう5年も女性ホルモンを飲んでいる。生殖能力はなくなっているけれど、男に戻ろうと思えば戻ることができる。女の戸籍が確実に手に入らなければ、性転換などできない。