壮一は夜を恐れていた。絵理子が迫ってくることを。壮一は、三木との関係のカモフラージュとして絵理子と結婚した。しかし、夫婦である以上、その要求を断ることは困難だ。壮一としてはセックスレスを望んだのが、絵理子は毎日でもいい女だった。
「今日は相手をしてくれるでしょう?」
そう言ってベッドに滑り込んできた絵理子を壮一は拒否できなかった。しかなく絵理子の乳首を吸ってやり、乳房を揉み、クンニをやった。おざなりな前戯だったが、欲求不満だった絵理子はあっと言う間に準備を整え、壮一を受け入れた。
早く終わりたいと思う壮一の心とは裏腹に、壮一はなかなかいけなかった。壮一は次第に女を相手にできなっていく自分に気づきつつあった。
(この結婚は早く精算するべきだ)
そう思いながら壮一はようやく果てた。
「明日はマンションに戻れるわね」
窓から差し込む月明かりの中、絵理子が壮一に抱きついたまま言う。今日の絵理子は機嫌がいい。女というものはみんなそんなものだろうかと壮一は思った。
「そうしたいところだけど、マンションはちょっと掃除をしておかないと」
「あら? そんなのわたしがするわ」
「かなり散らかしているんだ。メインテナンスを入れるよ。それに、こっちも少し片づけておかないとな」
「次にしましょうよ」
「次って、次に来るのは夏の休暇だぞ。それまで放っておくのか?」
「あ、そうか。片づけしないといけないかあ」
「その人工皮膚にもなれておく必要があるだろうから、マンションに戻るのは週末にしよう。いいね」
「仕方ないなあ」
「ボクも手伝ってやりたいけど、明日から仕事だものな」
「いいわ。わたしがひとりでやるから」
「すまないね」
「あなたの妻ですもの」
壮一は絵理子に軽く口づけした。
一夜が明けた。壮一が目を覚ますと、絵理子はいつものようにキッチンで朝食を作っていた。
「お早う、絵理子」
「お早う、あなた。コーヒー、入れますから、顔を洗ってらして」
壮一は歯を磨き顔を洗ってダイニングへ戻った。テーブルの上にコーヒーカップが置かれ、トースト、卵料理、野菜サラダが並べられていた。いつもと違うのは、絵理子の分も並べられていることだ。
壮一が席に着くと絵理子も座った。壮一は真正面から絵理子の顔を見て微笑む。絵理子も微笑み返してきた。そこで、壮一は違和感を覚え小首を傾げた。
「どうかしました?」
「あ、いや。なんだか雰囲気が違うなと思って・・・・」
「そう?」
そう言いながら絵理子はトーストを口に運ぶ。妙な気分に包まれながら壮一はコーヒーを飲んだ。
「前髪を下ろしたせいかしら?」
「前髪を?」
言われて壮一は絵理子の髪型を観察する。
「眉もうまくできてるけど、なんだかおかしいから、前髪を下ろして隠したの」
「はあ、なるほど。その方が似合ってるよ」
「ありがとう」
そうか、そう言う手があったかと、壮一は心の中で思っていた。
壮一を送り出すと、絵理子は片づけを始めた。と言っても、キッチン周りの掃除をして、汚れ物を洗濯しただけだ。
それから絵理子は、壮一から掛かってくる以外には使っていなかった携帯電話を取り出した。
「もしもし、わたし、絵理子。あなた、わたしの声を忘れたんじゃないの? 忘れていないって? ホントかな? 他の女と浮気でもしてたんじゃないの? わかったわ。信じてあげる。ケロイド? 壮一が消してくれたわ。ホントよ。今晩にでも見せてあげるわ。ダメ、行けないわよ。そっちに戻って見つかったらまずいもの。こちらに来てくれる? 今日は壮一は絶対ここには来ないから。待ってるわ。じゃあ」
絵理子は笑みを浮かべた。壮一とのセックスでは満足できない絵理子に愛人ができたのは、結婚してすぐのことだった。顔に火傷を負って遠のいていたが、綺麗な顔に戻ったから、早速電話をかけたと言うところだった。
別荘から東京へ向かう途上、壮一は三木に電話をしていた。
「洋介? わたし。うん、今、東京へ向かってる。今晩行くけど、いい? 面白いものを見せてあげるわ。内緒、内緒。だめよ。今は言えない。楽しみにしてて。じゃあね」
壮一は鞄の上に手を置いて笑みを浮かべた。
いつもと違って浮き浮きした表情を浮かべている壮一を見て大塚恵は首を傾げた。
(こんな専務を見るのは、秘書になって初めてだわ)
「大塚君?」
「は、はい!」
「第一メインテナンスに電話してくれないか?」
「第一メインテナンスですね。畏まりました」
メインテナンス会社に何の用事だろうと思いながら、恵は電話をかけて壮一に回した。
「もしもし、第一さん? 田倉物産の田倉ですが。そう、去年まで千代田のマンションのメンテナンスをお願いしていた、田倉です。また、メンテナンスをお願いしたいんですが。できれば今日中に。やっていただける? 助かります。じゃ、お願いいたします」
電話を切るのを待って、恵はお茶を持って壮一の机に行った。
「あのう、専務。もしかして、奥様がお帰りになるのですか?」
「ああ、そうだよ」
にこにこ顔で壮一が答える。
「奥様、全快されたのですか?」
「ああ、完全に治った。完璧だ」
「よろしかったですね」
お茶を机の上に置いて自分の机に戻りながら、恵は壮一の妻・絵理子の顔を思い出す。
(あんな美人が、おかまみたいな専務とよくくっつたわね。やっぱり、お金かな)
やっかみ半分にそう思った。
電話が鳴った。鳴り方からすると内線だと恵は判断した。
「もしもし、田倉専務のお部屋です」
《岡崎だが、専務はいるかね?》
「は、はい。いらっしゃいますが」
《今からちょっと話に行くからと伝えてくれないか?》
「わかりました」
電話を置くと、壮一がどこからの電話だというような顔を恵に向けてきた。
「岡崎常務からお電話で、専務にお話があるとか言うことで、まもなくここへいらっしゃいます」
「岡崎常務が?」
「はい」
「いったい、何の用だろう?」
社内では対立していると思われている常務と専務。恵も何の用事だろうと興味津々で待った。
岡崎はノックもせずに部屋に入ってきた。
「ちょっと席を外していてくれ」
そう言われればそこに留まるわけにもいかない。恵は仕方なく専務室を出た。
秘書が部屋を出て行くのを確かめると、岡崎はソファーに座った。
「何の用でしょうか?」
岡崎の反対側に座りながら壮一が尋ねた。
「例のヨーロッパ製品の件だが」
「ああ。それがどうかしましたか?」
「確かにアイデアはいいと思うんだが、わたしが入手した情報では、ドラッグストア・MKが同じようなことを企画しているらしい」
「MKがですか?」
壮一は眉をひそめた。
「そうなんだ。どうやらうちの企画が盗み出されたらしい」
そんなことは言われなくてもわかっていた。壮一自身が漏らしたのだ。しかし、初めて聞いたというような顔をしてビックリして見せた。
「それでは急がなければなりませんね」
「そうなんだが、同じ企画で太刀打ちできるかと思ってね」
「どうしてですか?」
「向こうの支店と第二支店との距離が近すぎる。しかも、立地条件は向こうの方が上だ。投資した分が取り戻せないような気がするんだ」
「じゃあ、どうすればいいと? 田倉常務が言うように閉鎖するんですか?」
「閉鎖は最後の手段だ。もう少し別な形にした方がいいと思う」
「常務のアイデアは?」
「パチンコ関係の会社がわたしにコンタクトしてきている。あのあたりにはそう言った施設がないからいいのではないと思っているんだが」
いいアイデアだと思った。岡崎を始末したら、そのアイデアを実行してみようと壮一は考えた。しかし、そんなことはおくびにも出さずにこう答えた。
「パチンコ産業が入るなんて言ったら、住民が反対するでしょう」
「そこは何とかなるらしい」
「らしいでは方向転換できませんよ。こっちの方はもう動き出しているんですからね」
「今のうちに中止した方が、傷が大きくならないですむと思うんだが」
「もう決まったことです」
そう言うと、岡崎は諦めたように立ち上がった。
「もう少しできる男だと思ったが、君を買いかぶりすぎていたよ」
壮一は岡崎を睨み付けた。岡崎はそれ以上なにも言わないで壮一の部屋を出て行った。
恵はそんな様子を部屋の外から盗み聞きしていた。岡崎が憮然とした表情で部屋を出て行ったあと、恵が部屋の中に入ると壮一の機嫌は極めて悪かった。
「くそ! ボクの企画を漏らした上に、自分のアイデアを押し売りしようなんて!」
恵には、壮一が少し感情的になっていると思えた。もし壮一の言うとおりなら、壮一と社長が失敗するのを待って、それから自分のアイデアを出せばいいことだ。常務が今の段階で壮一に会いに来たと言うことは、会社のことを考えてのことではないかと思った。
しかし、恵のそんな思いとは裏腹に、壮一は岡崎を追い落としに掛かった。その日の会議の席で壮一は、壮一のアイデアがドラッグストア・MKに盗まれたのは、岡崎が漏らしたせいだと決めつけたのだった。壮一らしくないと恵は思ったのだけれど、すでに暴走は止められないところに達していた。
壮一と岡崎の対立は決定的となってしまったと周囲のものは思った。これこそ壮一の計画していたことだった。
(すべては計画通りに進んでいる)
壮一は、にんまりと笑った。