第10章 絵理子が死んでしまって

 大体の状況がわかった壮一は、別荘へ戻ることにした。絵理子を説得して無実を証明して貰うためだ。絵理子自身が証言しなくても、壮一の指紋をどうやって殺人現場に残したかさえわかればいいのだ。
 別荘の駐車場にベンツを停めて別荘の玄関を開いて廊下を歩いていった。あの時、壮一は助けてくれと叫びながら、鋼鉄製の扉をたたき続けたのだったが、今は地下室からは物音ひとつしなかった。
 壮一は地下室へ続く階段を下って地下室の灯を付けた。灯が付けば壮一が戻ってきたことがわかるだろうに、中からは何の反応もない。
 おかしいなと思いながら扉の鍵を開けて、絵理子が飛びかかってこないかと用心しながら中を覗き込んだ。壮一はアッと叫び声をあげた。
 扉を開けた右正面に壮一が脱出した穴がある。その穴から二本の白い足が覗いていたのだ。上半身は土で覆われていた。
 壮一は駆け寄ってその足を引っ張った。しかしびくともしない。絵理子の身体が土の中に埋もれてしまっていたのだ。
 壮一は絵理子を引き出すのをすぐに止めた。手にした絵理子の足はすでに氷のように冷たくなっていたのだ。恐らく逃げ道を求めて土を掘り、あの大きな岩に押し潰されたのだ。
 壮一は尻餅をついてガックリと首を項垂れた。これで壮一の無実を証明できる人間がいなくなってしまった。
 壮一は絶望感に打ちひしがれた。

 壮一はふらふらと階段を上り、ソファーの上に力無く座った。殺人の汚名を着せられたまま一生を過ごさなければならないのかと思うと死にたい思いだった。
 腹が鳴った。あの時、地下室の中でも、あの状況で空腹を感じたなと思い出した。あの極限の状態でも壮一は決して諦めなかった。だからこそここにいる。何か打開策があるはずだ。壮一は考え続けた。
 考えながら、ある疑問が浮かんだ。叔父が社長になったのは、ただの漁夫の利だろうかと。他の専務や常務より特に秀でていたというわけではない。ただ、初代社長の弟と言うだけだ。
 (あのままだとすれば、次期社長は岡崎常務か、あるいはボクだ。叔父に社長の椅子が回ってくるのは、ずっとずっと先の話だ。いや、死ぬまで社長にはなれない可能性が高い。岡崎常務が殺され、ボクも死んだことになっている。殺人事件の犯人探しの定石、それは一番得をする人間は誰かと言うことだ)
 壮一は、たれ込めていた雲がパッとなくなって晴れた空が一気に広がるような感覚を覚えた。
 (この事件の黒幕は叔父だ。そうに違いない。叔父を問いつめてみよう)
 決心したが、どんな格好で行くのがいいだろうか? またもや悩むことになった。しかし、その悩みはすぐに解決した。男の格好で行くわけにはいかないのだ。いつ警察に通報されるかわかったものではない。それに、絵理子と叔父は結託している可能性が高い。絵理子として叔父に近づけば、壮一にとって有利なことを聞き出せるかもしれない。壮一はそう思った。
 絵理子に化けたまま行動する以上、絵理子の死体が発見されることがあってはならない。壮一は、地下室に戻り、露出した絵理子の足を土で覆った。
 「すまないな、絵理子。しかし、これもおまえの自業自得だ」
 鋼鉄の扉を閉めて鍵を掛けてキーをバッグの中にしまい込んだ。
 「さあ、叔父から真相を聞き出すぞ」

 同じ場所で今日もねずみ取りをやっていた。捕まらないようにスピードに気を付けて通過した。
 高速に入って、壮一はどうやって叔父に近づき、壮一の無実を証明する証拠を手に入れるか算段した。
 (そう言えば・・・・)
 絵理子を壮一に紹介したのは叔父だったなと思い出した。絵理子は、財産目当てだと言った。ふたつのことを思い合わせると、叔父は最初から社長の椅子と壮一の財産を狙って絵理子を壮一の元に送り込んでいたことになる。ふたりは結託しているということだ。ならば、あまり考えないで会いたいと直接電話してもいいように思えた。千代田のマンションに着くのは、前日と同じ午後8時頃になりそうだった。明日、電話を掛けようと壮一は決めた。

 今日のガードマンも違った顔の男だった。陰気な男で、壮一の方から挨拶などしたことはなかった。その今村とネームを付けたガードマンが、壮一の姿を見るとニコニコと笑顔を向けて会釈してきたのだ。男は無視するが、美人の女には愛想がいいのかと、壮一は妙な怒りを覚えた。
 エレベーターを上り、部屋のキーをバッグの中から出してドアを開いた。中に入り鍵を締めたところで、オヤッと首を傾げた。人の気配がするのだ。しかも、男物の靴が玄関にそろえられておいてあった。
 (男が来ている・・・・)
 不測の事態に壮一は混乱した。こんな時間にやってくる、マンションの鍵を渡している男とはいったい誰だろうか?
 (絵理子と性的関係のある男だったら、ボクが絵理子に化けていることがばれてしまう。マンションから出た方が無難だ)
 そう思って、壮一は鍵を開けようとした。
 「帰ったのか?」
 男の声に壮一は鍵から手を離した。その声には覚えがあった。男が姿を現した。やはり叔父の洋治だった。しかも、素っ裸で、タオル一枚を首に巻いて缶ビールを片手に持っていた。洋治と絵理子が結託していることが確実になった。
 「なんだ? どうした。そんなところに突っ立ったままで」
 チャンスが向こうから飛び込んできた。壮一は、少し強ばったような笑顔を洋治に向けて靴を脱いだ。
 「確かめてきたか?」
 壮一の死体のことだろうか?それとも別のことを言っているのだろうか? なんと答えていいのかわからない。
 「確かめてきたわ」
 高い声を出してはいるが、ばれないかと思いながら小さな声で返事をした。
 「そうか。干からびてミイラになっていただろう?」
 やはり壮一の死体のことを言っている。
 「ええ」
 「鍵だけじゃ、不安だな。いっそのこと、地下室を埋めてしまおうか?」
 壮一もそう思っていた。
 「どうした? いつもと違うな」
 なんと答えていいのかわからない。
 「絵理子? いったい、どうしたんだ?」
 迫ってくる洋治。壮一は、ビクビクしながら答えた。
 「あの人の、あの人の死体があんまりひどかったから」
 「そうか。だからそんなに震えているのか。可哀相に」
 壮一の座っているソファーの横に洋治は腰掛けて肩を抱いてきた。壮一は身を強ばらせた。洋治は素っ裸なのだ。ホテルの浴場以外では男のヌードなど見ることはない。
 このまま押し倒されたらどうしようかと壮一は思案を巡らせていた。洋治の目の前にいるこの絵理子が壮一であることを悟らせてないで、壮一の罪を晴らす方法を語ってくれれば一番なのだが。
 「さあ、風呂に入って、イヤなことは忘れてきなさい」
 想像していた言葉とは違ったそんな言葉にちょっと呆気にとられたが、壮一はホッとして立ち上がり、バスルームへ駆けるようにして入っていった。
 (どうしようか?)
 裸になれば早晩ばれてしまう。裸にならなくても、そのうちばれる。ともかく時間を稼ごうと壮一は入浴することにした。
 壮一は、バスルームを出て寝室に入り、下着とネグリジェを手に持ってバスルームに戻った。叔父はビール片手にテレビを見ていた。
 ウイッグを取り、着ていたものを脱いだ。途中で入ってきては困るものだから、壮一は入り口のドアに背を向けて体を洗い、バスタブに入るときも気を付けて入った。
 体を拭くときにもリビングに背を向けて拭いた。ショーツを手に取りはこうとしたが、ガードルがないからペニスが目立ってしまう。が、持って入ったネグリジェを見てあまり透けていないことに気づいて、そのままショーツをはいた。ブラジャーをして、ネグリジェを頭からかぶり胸元にあるリボンを結んだ。鏡に映してみると、ペニスの膨らみはわからないようだった。これなら大丈夫だろうと思い、ウイッグをかぶってリビングに戻った。
 「飲まないのか?」
 バスルームから出てきた壮一を振り返って洋治がきいてきた。
 「そうね。わたしも飲もう」
 壮一は冷蔵庫から缶ビールを二本取り出して、一本を洋治に手渡し、もう一本のリングを引いた。
 「あいつも、会社に戻らないで、大学の研究室にいればよかったものを」
 あいつとは壮一のことだ。壮一もその方がよかったと思った。そうしていれば、こんな跡目相続の争いに巻き込まれなくてもよかったのだ。
 「絵理子、痩せたか?」
 洋治が壮一をジッと見つめた。
 「そ、そんなことないわ」
 「・・・・そうか。痩せて見えるのに、胸はでかくなったような気がするが、わたしの思い違いか?」
 適当な大きさで作った乳房だ。絵理子のものより大きかったかもしれない。
 「ブラジャーのせいでしょう?」
 咄嗟にそう答えた。洋治は壮一をジッと見つめ続けていた。壮一は下を向いたまま洋治の顔を見ないようにしていた。
 「いつまでそんなカツラをしているんだ? 脱いだらどうだ?」
 二ヶ月間伸び放題の髪の毛だが、いくら伸びているからと言っても男の髪型だと言うことがすぐにわかってしまう。
 (どうすればいいんだろうか?)
 迷いながら、壮一は洋治が目の前にいる女が絵理子ではないことに気づいているのではないかと思った。
 洋治を見上げると、険しい顔をしていた。
 「おまえは誰だ? 絵理子じゃないな」
 やはり気づいていた。
 「そんな絵理子そっくりな顔をしているところを見ると、絵理子と同じ人工皮膚の仮面をかぶっているんだな。・・・・人工皮膚のことを知っているのは、そうか、おまえ、壮一だな!」
 洋治はがばと立ち上がった。壮一も立ち上がった。
 「そうだよ、叔父さん。壮一だよ」
 「あの地下室からよく逃げ出したものだな」
 「苦労したさ。壁を崩して穴を掘って逃げ出したんだ」
 「ほう。あの壁を崩したか。おまえにそんな根性があるとは思わなかったな」
 「ボクを殺して社長になろうなんて、なんて叔父だ!!」
 「おまえと岡崎が生きていたら、わたしは社長にはなれんからな」
 「岡崎さんを殺したのも叔父さんなんだな」
 「もちろんだよ。他に誰が殺すと言うんだ?」
 「ボクの指紋をどうやって現場に残したんだ?」
 「聞きたいか? おまえの人工皮膚を使ったのさ。指紋を採取して、おまえの指紋を付けた手袋を作ったんだ」
 なるほどと壮一は理解した。そう言う使い方もあるのだ。
 「その話を法廷で証言して貰うぞ」
 「ごめん被るよ。そんなことしたら、社長の椅子が吹っ飛んでしまう」
 「無理にでも言わせてみせる!」
 壮一は洋治に飛びかかった。しかし、洋治に簡単にねじ伏せられてしまった。
 「わたしに敵うつもりだったのか? 元気なときでもわたしに敵わないのに、今のおまえにそんな体力はなかろう」
 そうだったのだ。いくらあがいても洋治には敵わなかった。
 「絵理子はどこだ? 殺したのか?」
 「殺しはしない」
 壮一は殺してはいない。・・・・勝手に死んだのだ。
 「どこにいる?」
 「別荘だよ」
 「別荘? そうか、入れ替わりに地下室に閉じこめたんだな」
 壮一は黙っていた。
 「行って、助け出してくる。おまえはここで待っていろ」
 ガツンと顎を殴られ、壮一は気を失った。

 気がつくと、壮一は冷たいタイルの上に膝を折った状態でうつ伏せで寝かされていた。後ろ手に回された両手首に硬い金属のようなものが填められていた。背中側で見えないが、どうやら手錠をかけられているようだった。両足首にも同じような金属の感触がした。右手を動かすと左足が引っ張られ、左手を動かすと右足が引っ張られた。ふたつの手錠が交差するように手足にかけられているようだった。
 口の中に何か入れられていて、舌で押し出すことができないようにヒモのようなもので後ろ頭に固定されていた。
 いくら頑張っても口の中のものは押し出すことができず、藻掻くと手錠の金属が手首と足首に食い込んで痛みが走った。ウイッグはまだ着けられたままで、その髪の毛の間から汗がだらだらと流れ落ちた。
 (熱い。どうしてこんなに熱いんだ?)
 よくよく見ると、壮一が縛られているところはバスルームだった。お湯が張ったままになっていたから、熱いのが当たり前だった。
 (誰かが来てもボクがいることを知られないためにこんなところに閉じこめたんだな。くそ! 早くここを抜け出して、警察に駆け込まなきゃ)

 洋治は壮一をバスルームへ移して手錠をかけて逃げないようにしたあと、服を着て別荘へと向かった。往復してマンションに帰るのは、夜明けになるだろうと思ったが、あの格好で手錠をかけていれば逃げ出すことはおろか、身動きすらできないだろうと思った。。
 別荘に着いたのは、午前1時過ぎだった。洋治は、壮一の持っていた別荘の鍵で玄関のドアを開いた。懐中電灯を持って奥へ進んでいった。
 「絵理子! 絵理子!!」
 いくら呼んでも返事はなかった。まさか、まさかと洋治は思いながら地下室への階段を下っていった。
 鋼鉄の扉を開いた。中には誰もいない。壮一は地下室に閉じこめたと言っていたのにと洋治は首を傾げた。懐中電灯の光が穴の空いたブロックから流れ出た土を捕らえた。不自然に盛り上がった土を見て、洋治は跪いて土を払った。
 「絵理子・・・・」
 冷たくなった白い足が見えた。
 「殺してやる!」
 怒りに両手をふるわせながら、洋治はそう吐き出した。

 何とかならないかと足掻いてみたけれど、手錠が食い込むばかりだった。夜が明けてくる頃、壮一はバスルームの床の上で眠り込んでしまっていた。
 ウイッグごと髪の毛がグイと後ろにぴっぱられ、その痛みで壮一は目を覚ました。
 「アグアグ」
 口の中にある異物のために壮一は言葉を発せられなかった。
 「わたしの大切な絵理子を殺すなんて絶対許さん!!」
 ボクが殺したんじゃないと言おうとしたが、何も言えない。
 「ここに戻ってきたら、おまえを八つ裂きにして殺してやろうと思っていたんだが、おまえの顔を見て気が変わった」
 壮一は首を傾げた。殺さないとすればどうするつもりだろうかと。
 「わたしがおまえに何をするか知りたいか? せっかく絵理子になったんだから、絵理子の代わりをして貰うんだよ」
 絵理子の代わり? ボクは男だ。そんなことできるはずがないじゃないかと壮一は考えていた。
 「おまえと絵理子の性生活がどんなものだったかは知らないが、絵理子の本性はマゾでな。虐められて感じるんだよ。・・・・わたしがおまえに絵理子の代わりをして貰うと言った意味がわかったか?」
 壮一は目を見張った。だから手錠や猿轡のようなものがあるのかとと壮一は理解した。
 「絵理子があんなことにならなくても、一度、今のおまえのようなペニスのある女を虐めてみたかったんだ。覚悟しろ!」
 言いしれぬ恐怖が壮一を襲った。