第6章 魔法は実行された

 呪文はすでに暗記していた。呪文と、裕子の魂と共鳴する男女の名前を書いた紙切れに火をつけて燃やしてから、俺は裕子と佐竹雄一の名前を念じながら、呪文を唱えた。
 いつものようにフワッと浮いた感じがして、俺は佐竹雄一になっていた。
 (雄一! 裕子として、うまくやってくれよ!!)
 俺に残されたのは、そう祈ることだけだった。

 ベッドの上に寝転がって、裕子のことを想像した。
 (昨日は、朝から明智美里の魂が3時間ばかり裕子に入り込んでいたから、それだけで病室は大騒ぎになっていただろう。今日は、朝からずっと佐竹雄一の魂が入っている。これはさらに大騒動になっているはずだ)
 俺はさらに想像を巡らせる。
 (裕子には人工呼吸器が装着されている。裕子になった雄一は、目を白黒させているに違いない。雄一の魂が入り込んだからには、もはや人工呼吸器はいらないだろう。いつ、喉に入れられた管が抜き去られるだろうか? 今日か? 明日か? そんなことはわかるわけがない。ただ、数日中には喉の管が抜かれるだろう。その時、裕子(雄一)はなんと言うだろうか? あいつのことだから、裕子が生き返ったと喜ぶ母親を目の前にして、何も言えないだろう。お願いだから、俺は佐竹雄一だなんて叫んでくれるなよ!)
 裕子(雄一)がどう反応するかまったく五里霧中だ。確かめに行くこともできずに、俺は悶々としていた。

 裕子(雄一)のことも気になるが、自分のことも大変だった。何しろ俺は雄一のことはまったく知らないのだ。学校の中ではもちろんのこと、家庭内に置いても、首は傾げられるし、あからさまに気が違ったんじゃないかとさえ言われる始末だ。
 それに引き替え、裕子(雄一)の方は、俺は男だなんて言い出さない限り、しばらくの間はベッドの上に寝ていればいいだろうし、わからないことがあれば、長く昏睡状態だったから、忘れてしまったとでも言えばいいのだ。
 (裕子をやる方が楽なもんだぜ)
 俺は開き直って、雄一を真似るのではなく、素直に俺を出すことにした。無理をするよりそうした方がいいと思ったからだ。

 何とか雄一としての生活に慣れ始めて5日目、部屋で課題のプリントをしていると、階下から母親が俺を呼んだ。
 「雄一! あなたに電話よ!」
 「誰から?」
 「さあ? 若い女の人」
 「若い女?」
 (まさか、裕子(雄一)じゃないだろうな。5日で電話を掛けられるほど回復するとも思えないが・・・・)
 そう思いながら受話器を母親から受け取った。
 「もしもし、代わりました。雄一ですけど」
 《佐竹雄一さんですか? わたし、芹沢裕子と言いますけど》
 (げっ!! やっぱり裕子(雄一)だ)
 裕子(雄一)は雄一の自宅の電話番号を知っている。電話をかけられるようになればかけてくるのが当然だ。俺は頭をフル回転させる。
 芹沢裕子など知らないと言って突き放すか? しかし、そうすれば、先々裕子(雄一)とつきあうのに支障が出る。
 ならばどうするか? 裕子の振りをして、入れ替わったことにするか? 俺にはずっとそれを維持する自信がない。
 俺たちの間に起こった状況をある程度話しておいた方がいいと俺は判断した。俺が老婆に教えてもらった妙な術を使ったことは伏せて。
 《もしもし? 雄一さん?》
 「裕子さん。近くに誰かいます?」
 《誰もいません。こっそり電話をしていますから》
 「ちょっと待って。子機を持って部屋に行くから」
 《いいわ。待ちます》
 「お母さん? 子機に切り替えて二階で話すから」
 「長電話するんじゃないわよ」
 キッチンから俺の方を睨みながら叫んだ。
 「わかってるって」
 俺は電話を子機に切り替えて、部屋に戻ってドアに鍵をかけた。
 「裕子! 目が覚めたんだね?」
 俺は雄一が裕子の身体の中に入っていることを知らない振りをすることにしたのだ。雄一は、恐らく裕子と心が入れ替わったと思っているだろう。俺の言葉にちょっと戸惑ったように質問してきた。
 《あなた、誰なの?》
 「俺だよ。俺! 達郎だよ」
 《達郎? 芹沢裕子さんじゃないの?》
 (やっぱり、裕子と入れ替わったと思っている。普通はそう思うだろうな)
 「何を言ってるんだよ。裕子はキミだろう?」
 《わたし、裕子じゃないの。わたしは佐竹雄一なのよ》
 「何だって?」
 俺は惚ける。
 「裕子が昏睡から目覚めたんじゃないのか?」
 《違うみたいよ。わたしが、佐竹雄一が裕子さんの中に入り込んで、わたしの中にあなたが入り込んでいるみたいなの》
 「確かに俺は佐竹雄一になっているけど、ホントにキミは佐竹雄一なのか?」
 《ええ》
 ずっと女言葉だ。雄一は裕子に適応している。
 「どうなってるんだろう・・・・」
 俺は考え込む振りをした。
 《誰かが魔法でもかけたのかしら?》
 その通りだ。俺が魔法をかけたのだ。今はそんなことは言えない。
 「裕子を生き返らしてくれとは祈ったけどなあ」
 《裕子さんは生き返っているけどね。こうして》
 「でも、何でキミが裕子の中に入ってしまったんだ? それに俺までもキミの中に?」
 《さあ・・・・。元に戻れるかしら?》
 「原因がわからないと、戻れないだろうな」
 《困るわ》
 「そうだろうね」
 (さてこれから何と話そうか?)
 俺は考えを巡らせる。裕子(雄一)も困っているようで電話の向こうで黙り込んでいた。
 「ひとつお願いがあるんだけど」
 《お願いって?》
 「元に戻る方法が見つかるまで、・・・・裕子として暮らしてくれるか?」
 《えっ?》
 「心が裕子じゃないとしても、俺にとっては裕子が昏睡から覚めてくれたことが嬉しくてたまらないんだ」
 《達郎さんって、西達郎さんなのね?》
 「そうだよ」
 《裕子さんの恋人の?》
 「そう。俺は裕子を死ぬほど愛しているんだ」
 《元に戻れなければ、裕子さんとして暮らすしかないわね》
 「ありがとう助かるよ。俺のためだけじゃなく、裕子のお母さんのためにもお願いするよ」
 《・・・・わかったわ。あなたは? あなたは大丈夫なの?》
 「俺? 俺は大丈夫だよ。一応大学生だからね。高校生をやるくらい平気さ」
 《あなたの身体、大丈夫かなあ》
 「えっ? 俺の身体?」
 《西達郎さんの身体のことよ。わたしが、裕子さんが目覚めたとたん、昏睡状態に陥ったんだって》
 「俺の魂がキミの身体の中にいるからなあ」
 《このままにしていたら、あなたの身体、死んでしまうんじゃないの?》
 「そ、そうかもしれない。急いで元に戻る方法を考えなくちゃ」
 《・・・・元に戻ったら、裕子さんが死んじゃうかも》
 (雄一って頭がいいんだ。よくわかっているじゃないか)
 俺は正直に言うことにした。
 「俺の正直な気持ちとしては、俺の身体は消えてしまってもいいんだ。裕子さえ、裕子さえ生きていてくれれば・・・・」
 《気持ちはわかるけど、それじゃあ、わたしが元に戻れないわ》
 「・・・・そうだよね」
 《元に戻ることにあまり積極的じゃないわね》
 「キミには悪いけど・・・・」
 《ま、いいわ。元に戻るまでは裕子さんとして暮らしてあげる。だけど、元に戻る方法が見つかったら、諦めてね》
 「・・・・わかってるよ」
 《じゃあ、また連絡するわ》
 電話が切れた。俺は万歳をした。雄一が裕子として暮らしてくれると約束したからだ。元に戻る方法? あの老婆に行き着かなければ、大丈夫だが・・・・。

 裕子(雄一)は、毎週1回俺に電話してきた。元に戻る方法が見つからないとぼやいている。時には俺が積極的にならないことを怒り、泣きわめくこともあった。
 (すまない。迷惑をかけているのは重々承知の上だ。我慢して裕子になってくれ)

 1年がたった。俺は高校2年生となった。成績は雄一が雄一だったときよりも好成績を上げていると自負していた。
 高校に復帰した裕子(雄一)も、かなりいい成績を上げてくれているようだ。
 《京都から出ちゃだめだって。わたし、東京に行きたいのにな》
 京都女子大学にいくことになりそうだと裕子(雄一)は連絡してきた。俺も京都に行くつもりだ。俺が西達郎だったときに、通った大学だ。問題の傾向がわかっているからもう一度通る自信があった。
 「雄一! 京都の彼女から電話だよ」
 雄一の母親は、裕子(雄一)から電話が頻繁にかかってくるものだから、俺の彼女と思いこんでいた。
 「もしもし、裕子? 元気か?」
 《あああん。もう元に戻れない・・・・》
 裕子(雄一)が電話の向こうで泣き出した。
 「いったいどうしたんだよ。どうして元に戻れないんだよ」
 《あなたが、あなたの身体が死んだのよ》
 (そうだ。1年も魂が抜けた状態だったら、身体は死んでしまうんだ)
 《あなたの身体が死んでしまったから、あなたは元に戻れない。あなたが元に戻れなければ、わたしも雄一の身体に戻れない・・・・》
 その通りだった。俺たちはもう元には戻れない。裕子(雄一)は泣き続ける。
 「裕子? キミはその身体がそんなにイヤか?」
 《・・・・イヤじゃないけど、元に戻りたい》
 「キミが言うように、俺たちはもう元には戻れない。戻れないんだったら、今の身体で全力で生きるしかないんじゃないか?」
 《だって・・・・》
 「俺は、キミが雄一だったときよりもずっと頑張って、悔いのない人生を送ろうと思っている。親孝行だって一生懸命するよ。キミは、裕子として悔いのない人生を送ってくれ。頼むよ」
 《・・・・仕方ないのね》
 「これがぼくたちの運命なんだ」
 運命なんかじゃない。俺が細工したんだ。雄一には悪いと思ったけれど、裕子をこの世にとどめるためだ。許してくれと、俺は心の中で頭を下げた。

 裕子(雄一)は、京都女子大学に合格した。東京に出てきてくれれば、いつでも会えるのにと思ったが、芹沢家のただひとりの女の子だ。そばに置いておきたかったのだろう。
 こうなったら、俺が京都に行くしかないのだ。
 「京都? どうして京都なんだ?」
 進学指導の教諭が不満そうに言う。
 「理由はないんですけど、京都がいいんです」
 「どうせ京都に行くんだったら、京大でも狙うか?」
 「京大なんて無理ですよ」
 「まあな」
 ともかく、裕子のそばに行きたい。その一心で俺は勉学に励んだ。雄一の頭脳の回路がいいのか、俺の成績は徐々に上がっていった。
 「佐竹! おまえ、東大を受けろ」
 「先生、京都に行くって言ってるでしょう?」
 「じゃあ、京大を受けろ」
 「無理ですって」
 「うまく行けば、C判定だって通る。ともかく、受けるだけ受けてみろ」
 ほとんど無理矢理京都大学も受けさせられたのだが、なんと合格してしまったのだ。しかも、俺の、西達郎の兄・西哲朗が助手として在籍している理学部に。
 「通ったからには、兄貴を追い抜いてやるぞ!」
 幼い日々、兄と比べられてきた屈辱を今晴らしてやろうと俺は意気込んだ。しかし、その前に、まず裕子(雄一)に連絡だ。
 「もしもし、佐竹でけど、裕子さんいますか?」
 《いますけど・・・・》
 裕子の母親の俺に対する反応はよくない。今の俺は裕子よりひとつ年下だからだ。だけど、京大に合格したと知れば態度も変わるだろう。
 《もしもし、雄一君?》
 「やあ、久しぶり」
 《大学、どうだった?》
 「通ちゃったよ」
 《通った? 京大に?》
 「はは、そうなんだ」
 《すごい!》
 「すごいことなんてないよ。キミの頭脳がよかったせいだよ」
 《あなたの努力のおかげよ。お母さん、雄一君、京大に通ったんだって》
 《まあ。それはすごいわね》
 やっぱり声が弾んでいる。俺はほくそ笑んだ。
 「来週、アパートを探しに行くんだ。会えないか?」
 《そんな暇があるの?》
 「暇なんて作ればいいさ」
 《それもそうね》
 「片が付いたら、電話するから」
 《待ってる》
 裕子(雄一)はもはや完全に裕子になりきっている。
 (裕子に会うのが楽しみだ。2年半ぶりに裕子に会える。イヤ、元気な裕子に会うのは3年ぶりだな)

 三日後の朝一番で新幹線を使って京都へ向かった。出かける前に電話したとき、裕子(雄一)も俺に会うのを心待ちにしているのがわかった。
 適当なところでアパートを決めると、母親を追い返して裕子(雄一)に電話した。
 「今、母を追い返したところだ。すぐに会えるかな?」
 《お母さん、会いたかったな》
 あ、そうだったと思ったが後の祭りだ。
 「入学式に来るらしいから、その時にでも会わせるよ」
 《いいわ。どこで待ち合わせる?》
 「二条城にしよう」
 《二条城?》
 「俺が初めて裕子とデートした場所なんだ」
 《思い出の場所って訳ね。いいわ。すぐに出る》
 来月で二十歳になる裕子。大人になっているだろうなと思うと胸がどきどきした。

 二条城前の石畳でタクシーを降りると、入場券売り場の前に人待ち顔で立っている裕子らしき女性を見つけた。
 俺はジッとその女性を見つめた。その女性も俺に気がついて見つめ返してきた。
 (裕子。俺の裕子)
 目の前が霞んできた。俺はスッと親指の腹で涙を拭うと裕子(雄一)に歩み寄っていった。
 「雄一さん・・・・」
 「裕子・・・・」
 周りに人がいなかったら、俺はきっと裕子(雄一)を抱きしめていただろう。俺たちは向き合ったままジッと見つめ合っていた。
 「綺麗になったね」
 「そう?」
 裕子(雄一)は片手で長い髪をスッと払った。そんな仕草は、覚えていた裕子そのものだった。
 「大きくなったわね」
 裕子(雄一)が少し俺を見上げて言う。
 「15センチ伸びたからね」
 「何センチあるの?」
 「175かな? 裕子は?」
 「159」
 「平均だな」
 「そうね。どうする? 中に入る?」
 俺はちょっと考えた。中は一度見れば充分だ。ただ、裕子(雄一)と一緒に、あの日歩いた道をもう一度歩いてみたかった。
 「入ろう」
 裕子(雄一)は頷いて俺についてきた。

 順路に沿って俺たちは肩を並べて歩いた。迷いに迷ったあげく、俺は裕子(雄一)の手を取った。裕子(雄一)は拒否しなかった。嬉しかった。心臓が張り裂けそうだった。
 「お父さんやお母さんのこと、聞かせてくれる?」
 「いつも電話で話しているじゃないか」
 「直接あなたの口から聞きたいの」
 「そうだね。父さんは、相変わらずだよ。毎日朝早く出勤して、8時過ぎにしか帰ってこない。日曜日はほとんどゴルフだから、俺と話をすることもないな」
 「お母さんは?」
 「変わらないね。あの人は化け物だよ。ぜんぜん老けないんだから」
 「病気とか、してない?」
 「ふたりとも健康そのもの。風邪も引かないよ」
 「よかった」
 周りに人がいないことを確かめて俺は尋ねてみた。俺もまったく何も知らない雄一になってかなり苦労したのだ。雄一の場合、さらに女になったわけだから、もっと苦労したに違いない。
 「裕子は? 急に女になったから、苦労しただろう?」
 「まあね」
 裕子(雄一)は俺に向かってちょっと微笑んだ。
 「女も結構いいわよ」
 「そうなのか?」
 意外な返事に俺は裕子(雄一)の顔を見た。
 「芹沢裕子って言う、アイデンティティーになれるまではちょっと苦労したわ。だけど、わたしって、すごく綺麗でしょう? みんなにちやほやされるの。特に男の人たちには。わからないって言えば教えてくれるし、できないって言うと代わりにやってくれるの。こんな経験したことなかったから、何だか嬉しくって。それに、こんな綺麗な服も着られるし。わたし、女の子の服を着るの、好きよ」
 裕子(雄一)は、ニッコリ笑ってくるりと回って見せた。
 「キミが男のままだったら、そんなこと考えないよな」
 「当たり前でしょう? 女になったからよ」
 「そうだろうな」
 (でも短期間に成り切れるってことは、その素質があったみたいだな)
 俺はそう思いながら、裕子(雄一)の顔を見ていた。
 「でもね、・・・・生理だけはちょっとイヤだな」
 俺は肩をすくめた。
 「こっちに来たら、俺とつき合ってくれるか?」
 「それはかまわないんだけど、・・・・あなた、わたしとエッチするつもりなの?」
 そんなことを言われて俺はドギマギした。
 「期待してるんでしょう?」
 「あ、まあな」
 「わたしの心が男だとわかっているのに?」
 「今のキミを見ていると、そんなふうには思えないから」
 「そう。・・・・あなたはいいかも知れないけど、わたし、ダメだわ」
 俺は裕子(雄一)の顔を見た。
 「女になったんだから、将来的には男の人とエッチして、子供を産まなきゃって思ってるんだけど、どうしてもダメなの」
 気持ちはわかる。俺だって、雄一の立場になればそうなるだろう。
 「あなただったら、元の自分だったらいいかなって思ったんだけど、・・・・やっぱりダメだわ。思っただけで身震いがするわ」
 「そうだよな」
 「でも、男の人とこうやって手を握り合ったのは今日が初めてなの」
 「期待できるってことかな?」
 「まだわからないけど、もう少し時間がたってみないと・・・・」
 「待つよ。3年待ったんだから。俺たち、まだ若いし」
 「そうね」
 一番最初は、裕子が生きていさえすればいいと思った。雄一の魂によって裕子が昏睡から覚めたあとには、何とかつき合いたいと思った。それが実現した今、裕子と結ばれたいと思うのは、自然な気持ちだろう。そのためには俺はいつまでも待つ。裕子(雄一)がその気になるまで。