俺の最愛の女性・裕子は原因不明の病気で昏睡状態にある。祈祷師に言わせれば、魂が抜けてしまっていると。死んだも同然だと。
藁をもすがる思いで、俺はある場所を訪れ、裕子を生き返らせる方法を教えて貰うことにした。
その方法は、俺自身ばかりでなく、他人をも犠牲にするらしいのだが・・・・。
老婆はゆっくりと話し始めた。
「その方法とは、先ほどお話ししたことと関係があります」
「さっき話したこと?」
俺は考えるが何のことだけ思いつかない。
「そうです。裕子さんの魂を探すことができれば、生き返らせることができると言いましたね?」
「はい。そういいました」
「裕子さんの身体を生き返らせるためには、別に裕子さんの魂でなくてもいいのです」
「はあ?」
「他の人間の魂を裕子さんの身体に移してやればいいのです」
なんだ。そんなに簡単なことだったのかと俺は力が抜ける思いがした。
「それなら、ボクの魂を移せばいい。ボクが犠牲になればいいんだ。他人の犠牲なんか必要ないじゃないですか?」
「裕子さんに移す魂は誰のものでもいいというわけではなりません」
「と言うと?」
「裕子さんの魂と共鳴する魂でなければならないのです」
「ボクじゃあ、ダメだと?」
「恐らく・・・・」
今度は別の意味で力が抜けた。
「だから他人に迷惑が掛かると・・・・」
「そうです。それにうまく行ったとして問題が残ります」
「それは何ですか?」
「裕子さんが裕子さんでなくなります」
(裕子が裕子でなくなる?)
俺は、ギョッとして、老婆に聞き返した。
「どういう意味ですか?」
「記憶です」
「記憶・・・・」
「そう。裕子さんは生き返っても、元の人間の記憶を持つことになります。記憶ばかりでなく、性格や行動パターンもです」
「・・・・つまり、裕子の顔をした他人になってしまうと?」
「その通りです」
「ボクのことはまったく覚えていないと?」
「当然です」
俺は考え込んだ。そんな方法を試みる意味があるのかと。
(俺のことをまったく知らない他人になってしまったら、裕子を生き返らせる意味はないかもしれない。しかし・・・・。生まれ変わった裕子ともう一度恋愛することは可能ではないか? 記憶や性格が他人でも、身体は裕子だ。いくら自分は裕子じゃない、他人だと叫んでも裕子として生きるしかない。やがては裕子として生きることになるだろう。裕子のそばにいつもいて励ましていれば、いつかは俺にいい感情を持つようになるかも知れない)
そんなふうに考えた俺は、老婆に続きを聞くことにした。
「それでもいいです。裕子が別人になったとしても、ボク、もう一度裕子と恋愛することにしますから」
「・・・・それがそうも行かないのです」
フードを被った老婆の表情は窺い知れないけれど、その声の響きは暗くなったと俺は感じた。
「どういう意味です?」
「あなたもあなたでなくなります」
「はあ?」
意味がわからなかった。俺は首を傾げた。
「誰かの他人の魂を裕子に移すだけだから、ボクは何の関係もないでしょう?」
「関係あるのです。その誰かの魂を裕子さんに移すためにあなたが必要なのです」
「どうして?」
「まず、あなたの魂が相手の身体に入って相手の魂を追い出します。追い出された魂は裕子さんの中に入り、裕子さんが蘇ります」
「なるほど。だからボクも犠牲になるって訳ですね」
「その通りです」
「でも、相手の魂を追い出したら、ボクだけ元に戻ればいいじゃないですか。そうでしょう?」
俺の言い分を予想していたように老婆はゆっくりと言葉を続けた。
「あなたの魂で、目的の人物の魂をその身体から押し出して裕子さんの身体に押し込むことによって裕子さんの身体は蘇ります。しかし、あなたの魂が自分の身体に戻ると、裕子さんの身体に入った魂も元の身体に戻ってしまいます」
「そんな・・・・」
「裕子さんを生き返らせるためには、あなたはずっとその人物でいる必要があるのです。あなたは、裕子さんに魂をやった人物にならなければならないのです」
「じゃあ、裕子ともう一度恋愛することができない・・・・」
「そう言うことです」
絶望的だ。俺はガックリと力を落とした。しかしもう一度考え直した。
(裕子は別人になるのだから、ボクも別人になってもいいんじゃないか? 別に今のボクに拘る必要はないのだ)
「別人になってもいい。裕子はボクのことを覚えていないのだから、新たに恋愛をし直せばいいんです」
この時、俺は重大なことを見逃していたのだが、裕子を復活させることばかりに意識が行っていて、そのことに気がつかなかった。
「なるほど。それもそうですね」
老婆は、少し考えていた。それから、意を決したように話し始めた。
「・・・・それでは方法を教えましょう。呪文を教えますから、書き留めて下さい」
呪文を書いてくれればいいのにと思ったが、教えて貰うのに、そんな要求は出来ないと思って黙って鉛筆を取った。
「はい」
俺は、老婆の唱える呪文を紙に書き留めた。勿論一回では正確に書き留められなかった。老婆がそれでいいと言ったのは、4回目の呪文を聞いて書き留めてからだ。
「次に裕子さんの魂と共鳴する人物を捜しましょう。少々お待ちなさい」
老婆は、テーブルの上に置かれた小さな紫色の座布団に載った水晶玉に向かって何やら呪文を唱え始めた。先ほど教えて貰った呪文とは違う呪文だ。
気が遠くなるほどの時間がたった。
「裕子さんの魂と共鳴する人物の名前を言います。書き留めて下さい」
「は、はい」
俺は鉛筆を握りしめた。
「マリア・テレンシコワ」
「はあ?」
「シンシア・グリーン」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
俺は鉛筆を置いて、老婆の言葉を遮った。
「何でしょう?」
「日本人じゃないんですか?」
「日本人もいますが・・・・」
「外人じゃ困ります」
「どうして?」
「日本語が話せなくなるんでしょう?」
「あ、そうですね。・・・・それでは日本人だけを・・・・。ちょっと、もう一度、呪文を唱えさせて下さい」
老婆は、再び水晶玉に向かって呪文を唱え始めた。今度も時間が掛かった。コンピューターなら再検索は一瞬なのにと俺は思っていた。
「それでは、名前を言いますよ。正確に書き留めてください」
「は、はい」
俺は鉛筆に力を込めた。
「麻生夏希。昭和54年10月15日生まれ。住所、栃木県小山市」
「ちょ、ちょっと待ってください。生年月日や住所までわかるんですか?」
「勿論です。データは細かい方がいいのです。細かければ細かいほど、魂を追い出すのが容易になるのです」
外人の名前を言ったときには、生年月日も住所も言わなかった。最初から、外国人なんて教えるつもりじゃなかったのではと思ったが、怒らせるといけないからと俺は黙っていた。
「なるほど」
答えながら俺は頭の中で計算した。
(22歳か。裕子より五つも年上だけどいいだろうか?)
「続けますよ」
「もっと詳しいデータをいただくわけにはいきませんか?」
「これ以上は無理です」
にべもなく言われた。名前と生年月日、住所までわかればいいかと俺は鉛筆を握り直した。
「じゃあ、お願いします」
「藤本絵里。昭和59年4月5日生まれ。住所、高知県須崎市」
(17歳だ。裕子よりちょっとだけ上だけど、この子ならいいかも)
「はい、書きました」
「松永紀世美。昭和50年11月2日生まれ。住所、兵庫県豊岡市」
(26歳か。10近く年上だ。ちょっと問題だな)
「はい、次どうぞ」
「木下美歌。昭和41年3月30日生まれ。住所、熊本県熊本市」
(35歳。裕子の倍も年上じゃないか。これはとても・・・・)
「かなり年ですね」
「魂の共鳴と年齢とは関係がありません。次、いきますよ」
「はい、どうぞ」
「北村まどか。平成12年10月8日生まれ。住所、北海道名寄町」
「まだ生まれたばかりですよね」
老婆は黙りこくって俺を睨んだ。
「すみません。余計なことを言って。次をお願いします」
「村田彰子。平成元年8月20日生まれ。住所、新潟県新潟市」
(14才。中学生だな。急に高校生になったら困るだろうな)
「はい、次をどうぞ」
「明智美里。昭和56年6月1日生まれ。住所、神奈川県横浜市」
(20歳。許容範囲だ)
「はい。書きました」
「佐藤美保。大正15年9月17日生まれ。住所、大阪府東大阪市」
(げっ!! 70歳以上だ。とんでもない!)
生年月日が大正だというので、俺は名前だけ書いてあとは書かなかった。それから、7人ほどの名前が老婆の口から出てきた。それらを一応全部書き留めた。
老婆は一息ついてテーブルの端に置いてあったコップの水を飲んだ。
「終わりですか?」
「まだです」
「じゃあ、お願いします」
俺は鉛筆を握り直した。
「大屋猛。昭和55年7月22日生まれ。住所・・・・」
(げげっ!! 男だだよ)
俺は老婆の言葉を遮った。
「ちょっと、すみません。大屋猛って、男性でしょう?」
「そのようですが、それが?」
顔を上げて俺の目を見つめる老婆の目は白内障らしく白く濁っていた。
「彼女に男性の記憶と性格を与えるわけにはいきませんよ」
「そうですか?」
さも不思議そうに俺の顔を見つめた。
「そうですよ」
俺は口をとがらせた。
「・・・・一応書き留めておきなさい。何かの役に立つかもしれませんから。男性は5人だけですから」
「しかしですね・・・・」
俺はちょっと渋っていた。聞いても仕方がないと思っていたからだ。
「あとで必要だからと聞きに来たら、もう一度料金をいただきますよ」
学生の俺にとって、2万円の見料は厳しい。
「そうまで言うのなら、一応聞いて帰りましょう」
「それがいいですよ。じゃあ、言いますよ。大屋猛の住所は、青森県青森市」
「はい、どうぞ」
「川北駿治。昭和5年4月18日生まれ。住所、静岡県沼津市」
(おじさんだよ。参ったな)
「次、いいですよ」
「佐竹雄一。昭和60年5月24日生まれ。住所、神奈川県川崎市」
(横浜市?)
俺は紙を上に辿った。
(明智美里の住所に近いな。近くに魂が共鳴する男女がいるんだ。この二人が出会ったら、恋に落ちるかも)
「準備はいいですか?」
「あ、ああ。どうぞ」
「森本大介。平成6年6月30日生まれ。鹿児島県川内市」
(ガキはだめだって)
恐らく俺の顔はしかめっ面をしていただろう。
「次は、最後ですね。どうぞ」
「川上匠。明治44年1月1日生まれ。東京都三宅島村」
(いくら何でも爺さんは・・・・)
「よろしいですか?」
「はい。書き留めました」
「佐藤美保の生年月日と住所が書いていませんね」
「あ、ほんとだ」
わざと書かなかったのに、書き落とした振りをした。
「大正15年9月17日生まれ。住所、大阪府東大阪市。よろしいですね」
俺は、抜けた箇所を埋めた。
「裕子さんの顔を思い浮かべながら、相手の名前に集中し、先ほど教えた呪文を唱えなさい。初めはうまくいかないかもしれません。けれど、あなたの思いが強ければ、必ず成功します」
「・・・・わかりました」
「この術を実行すれば、あなたと相手の運命が変わってしまいます。勿論裕子さんの運命もです。やるかやらないかは、あくまであなたの判断です。ただ・・・・」
「ただ?」
「あなたがわたしのことを知ってここまで来たのも何かの運命かもしれません。そこのところをようく考えた上で決めてください」
俺は頷いた。
「大変ありがとうございました」
俺は深々と頭を下げて部屋を出た。
部屋から出ると、階段の上から入ってくる光に目がくらんだ。俺は、呪文と15人の女性と5人の男性の名前を書いた紙切れを握りしめて階段を上っていった。
俺は電車に乗って京都へと戻った。真っ先に裕子の入院している病院へと向かった。俺ひとりでは判断が付かなかった。裕子に聞いてみたかったのだ。物言わぬ裕子に。
京都駅で電車を降りると、いつもは移動に使う路面電車には乗らずにタクシーを拾った。ともかく早くどうするか決めたかった。
病院の玄関でタクシーを降りると、俺の足は知らず知らずのうちに小走りになっていた。
「走らないでください!」
看護婦に注意されて俺は慌てて速度を落とした。エレベーターが下りてくるのがもどかしく、俺はエレベーターに乗ってからも走っているかのように足を踏んでいた。
裕子の部屋に入ると、裕子の母親がパイプ椅子に座って裕子の手を握っていた。痩せてしまった裕子の手。その手以上にやつれてしまった裕子の母親の手が俺の目に飛び込んできた。
裕子は、一日4回、鼻から胃の中に入れられた管から栄養剤を注入されている。一回に500カロリー、一日で2000カロリーになると言う。裕子の体格なら、それほどの栄養が与えられれば太ってもおかしくはないのだけれど、裕子はやせ細るばかりで、体重は恐らく35キロほどしかないはずだ。
それでも今の医学レベルでなかったら、裕子はとうの昔に墓の中に入っているだろうと言うことだ。
人工呼吸器がプシュンプシュンと音をたてていた。停電でも起これば、裕子は一瞬にして天国へと旅立ってしまう。
「ああ、達郎さん。見て。裕子、今日は顔色がいいのよ」
裕子の顔を見た。顔色なんてぜんぜんよくなかった。俺は思わず目を伏せた。あんなに愛した裕子の面影が日一日と消えていっていた。
「裕子、もっても、あと半年だって。半年だって・・・・」
裕子の母親が声は上げずに、ただ涙だけを流した。
「代われるものなら、わたしが代わったやりたい」
今度は声を上げて泣き出してしまった。
(このまま裕子が死んでしまうなんて、そんなこと許されるわけがない)
俺は決心した。裕子が裕子でなくなってもいい。あの笑顔が蘇れば。何が何でも裕子を生き返らせてやる。
「お母さん。裕子は蘇ります。必ず元気になります」
俺は、裕子の母親に向かってそう宣言して病室を足早に出て行った。