第13章 男になってしまった

 「杉本さん。今日は元気ないって聞いたけど、どうしたの?」
 エレベーターの中で小泉さんと出くわした。社長には告白したけれど、誰にも言いたくなかった。しかし、小泉さんだけは別だ。ぼくと菜穂子の間を取り持ってくれたのだから、話さないわけには行かなかった。
 「小泉さん、用事がなかったら、うちに来てくれる?」
 「いいわよ。今日はデートの約束はないから」
 「今日はって、いつもはあるの?」
 「杉本さんの意地悪! そんなこと言うのなら、行って上げない」
 ぼくは肩を竦めた。意気消沈しているのに、小泉さんの前では軽口も出た。
 「ごめん。お願い。話しを聞いて」
 「・・・・分かったわ。かなり深刻な話しのようね。付き合うわ」

 アパートの鍵を開けて中に入る。菜穂子はもういないと分かっているのに、エプロンを掛けた菜穂子が出てくるような気がした。
 「あら? 菜穂子さんは?」
 「・・・・いない」
 「何処かへお出かけ?」
 「実家へ帰ったわ。もう二度とここへは帰ってこないの」
 「それって、・・・・別れたって事?」
 「うん」
 涙がまた湧いてきた。
 「どうして?」
 「菜穂子・・・・、赤ちゃんが、・・・・赤ちゃんが欲しいって。こうなってもう1年もたつのに、男に戻れないから、昨日の夜、出て行ったの」
 「・・・・そうだったの」
 「引き留められなくて・・・・」
 「杉本さん、可哀想。あんなに菜穂子さんのこと愛していたのに・・・・」
 小泉さんは、涙を流すぼくを抱きしめてくれた。社長とは違った暖かさを感じた。

 そのまま小泉さんに抱かれていた。小泉さんに異性を感じたことはなかったけれど、ぼくは、小泉さんのことを好きだったんだなと漠然と思っていた。しかし、今は女同士。今更、そんなことに気付いてもどうしようもないのだ。
 男に戻れたとしても、菜穂子はもうぼくの元へは帰ってこないだろうなとも思っていた。小泉さんとなら、上手くやれそうな気がするのだが・・・・。
 小泉さんとずっとおしゃべりした。菜穂子との出会い。新婚生活。女になってからの生活等々。話すことで、幾分心が落ち着いてきた。
 遅くまで話していたので、小泉さんはぼくのアパートに泊まっていくことになった。シャワーを浴びて、いつも菜穂子としていたように小泉さんと抱き合って寝た。

 目を覚ますと、ベッドの隣に誰かいる。菜穂子が戻ってきた? そうではなかった。小泉さんがぼくの横に寝息を立てて眠っていた。
 ぼくのために、昨日は泊まってくれたんだったっけ。男勝りだけど、優しい小泉さん。ぼくは、そっと小泉さんの頬に口づけした。
 「うーん」
 「ごめん。起こしちゃった?」
 「おはよう、杉本さん」
 そう言った小泉さんは、驚いたような顔をして両手で自分の口を塞いだ。
 「どうしたの? その声。風邪でも引いたのかしら?」
 そうではないことはぼくには分かっていた。目の前にいる小泉さんの顔は昨日とは違っていた。
 小泉さんは、口にあてていた両手を布団の中に滑らした。
 「ない」
 「なにが?」
 「ないのよ」
 掛け布団を剥いで、起き上がった小泉さんの胸には、膨らみがなかった。被うべき相手を失ったブラジャーのカップが、くしゃりと縮こまっていた。
 小泉さんは、手を股間に這わせている。
 「どう言うこと? わたし、男になっちゃった」
 ぼくは、小泉さんの眺めている股間に目を落とした。ライトグリーンのショーツの前が盛り上がっていた。
 「信じられない。何が起こったの?」
 ぼくは考えを巡らす。そして、はたと思い当たった。
 「今日、わたしが女になって、丁度1年目だわ。もしかすると、神様が元に戻そうとして、間違ったのかも・・・・」
 「わたしと杉本さんを?」
 「そうかも・・・・」
 「困るわ」
 「わたしも男に戻るチャンスだったのに・・・・」
 「もう元に戻れないかしら?」
 「わたしを元に戻したと神様が思いこんだら、もうだめかも・・・・」
 「そんなあ」
 今度は、小泉さんが泣き始めた。ぼくは、小泉さんを抱いて励ました。
 「小泉さんは男でも上手くやれるわ」
 「わたしが、男みたいって言いたいんでしょう?」
 「そんなことない。そんなことないけど」
 「けど、なによ?」
 「男の小泉さんて、結構いい男ね」
 「そんなこと聞いてない!」
 「ともかく、そんな格好じゃあおかしいわね」
 「おかしいけど・・・・」
 「わたしのがまだ置いてあると思うから探してみるわ」
 ぼくは、ベッドから起き出してワンピースを着た。小泉さんが男だと思うと、何だか恥ずかしい。

 クローゼットの奥に、以前ぼくが着ていた男物の服がしまわれていた。その中から、下着とTシャツ、ジーンズを取り出した。
 「これ、杉本さんの?」
 「そうよ」
 着るのをちょっと躊躇っている。
 「最近、トランクスを穿く女性もいるでしょう?」
 「それはそうだけど・・・・」
 「わたしのお古じゃ嫌だって言うのね」
 「そんなことない」
 「じゃあ、穿いてよ。それとも、男なのに、そんなショーツを穿いてるつもり?」
 「穿くわよ」
 ぼくはにっこり笑う。
 「あっち向いててよ。わたしは男なのよ。恥ずかしいじゃないの」
 「男なら、男らしい口をきいたら?」
 「杉本さんなんて嫌いよ」
 「わたし、小泉さんのこと、大好き」
 冗談じゃなくて本気で言った。
 「ば、馬鹿!」
 小泉さんは、顔を赤らめて、ぼくに背中を向けて服を着始めた。

 着替えをした小泉さんは、居心地悪そうにしていた。
 「朝食作るから、お茶でも飲んで待ってて」
 「新聞は?」
 「もう来てると思うけど」
 「読ませて貰ってもいい?」
 「勿論よ」
 ぼくが野菜サラダを作り、トーストにマーガリンを塗っている間、小泉さんは、新聞を隅から隅まで読んでいた。
 「随分熱心に読むのね」
 「テレビも見ないし、ラジオも聴かないから、世間の情報は全部新聞から得ているんだ」
 「そうなの。はい、できたわよ。食べて」
 「ありがとう」
 ふたりで向かい合って、食事した。まるで夫婦みたい。ぼくは心の中でそう思っていた。小泉さんはどう思っているのだろうか? ぼくは菜穂子と別れた悲しみなど忘れて、浮き浮きしていた。

 食事が済んで、後片づけをしている間、小泉さんはお茶を飲みながら、まだ新聞を読んでいた。ぼくは化粧をすませて、小泉さんの手を引いた。
 「さあ、出掛けましょう」
 「出掛けるって?」
 「仕事に決まってるでしょう?」
 「ぼくは、行かない。今日は休む」
 「どうせ行かなければならなくなるわ。それなら、休まない方がいいわよ」
 小泉さんは椅子にしがみついて、じっとぼくを見ていた。
 「わたしが一緒だからいいでしょう? わたしという前例があるから、会社のみんなもすぐに受け入れてくれるわよ。そうでしょう?」
 しばらく考えていたけれど、口を尖らせて、小泉さんは嫌々頷いた。
 「あああ、ここに来るんじゃなかった」
 そう呟くように小泉さんは言ったのだけど、ぼくには男になった嬉しさがこもっているような気がした。
 「後の祭りよ。さあ、行きましょう」
 ぼくは微笑んで、小泉さんの腕にしがみついた。

 「何!? 今度は小泉が男になった!?」
 部長は驚くと言うより呆れていた。
 「仕事に差し支えなければ、男であろうと女であろうとどうでもいいが・・・・」
 「仕事はこれまで通り頑張ります」
 「参ったな・・・・」
 「じゃあ、頑張って」
 ぼくはそう言い残して、社長室へ上がった。だから、その後情報管理部で、どの様なことが起こったかはよく知らない。

 社長が出勤しててきたので、事情を説明して置いた。
 「千春君が男に戻らなくてよかった」
 「人のことだと思って・・・・」
 「いや、ホントに今の千春君がいないと困るんだからね」
 「そう言っていただいて光栄です」
 「少し元気が出てよかった」
 「社長のお蔭です」
 それだけではない。小泉さんのことが気になって、自分のことどころではなくなっていたからだ。

 昼休み、小泉さんを誘って食事に出掛けた。
 「ほら、堂々としていれば、誰も変な目で見ないから」
 1年前、同じ様なことを小泉さんから言われたっけ。
 「そんなこと言ったって」
 小泉さんって、ホント可愛い。ぼく、このまま女でいるから、小泉さん、男のままでいてよ。そう言いたくなるのを、じっと我慢した。
 「小泉さん、男物の服、持ってないわよね」
 「当然だろう?」
 「わたしの服と取り替えっこしましょうか?」
 「取り替えっこ?」
 「女物はいらないでしょう?」
 「このままならね」
 「きっとこのままよ」
 「元に戻らないかなあ?」
 「元に戻るとしても、恐らく1年後でしょうね」
 「・・・・そうだろうね」
 「いいでしょう? 小泉さんの服なら、わたし、着られるから」
 「分かった。今日、持って行くよ」
 「わたしの持ってる男物も用意して置くから」
 「何時に行こうか?」
 「7時に。夕食作って上げるわ」
 「それは助かるな。じゃあ、7時に」

 午後7時、小泉さんがやってきた。
 「車、そこの来客用のスペースに置いてよかったよね」
 「いいけど、車なんて持ってたのね」
 「通勤は混むから、乗ってないけど、休みの日はドライブを楽しんでるんだよ」
 「へえ、長い付き合いなのに、初めて知ったわ」
 「聞かないから」
 「それもそうね。上がって」
 「お邪魔します」
 女の部屋に男が来ると言うことで、やましいことがないと言いたいのだろう。わざと大きな声を出して、小泉さんは部屋の中に入ってきた。
 「ずいぶんあるのね」
 「これでも半分以下。重いから、またにするわ」
 「これだけあれば充分よ。じゃあ、これがわたしの持ってる男物よ」
 「サンキュウ」
 手と手が触れた。どきどきした。小泉さんは平気な顔をしている。ぼくは心の中でちょっと膨れる。男になった小泉さん、女のぼくに興味はないのだろうかと。
 ぼく? 今まで、男には興味なかったのに、男になった小泉さんのことがもの凄く気になるのだ。小泉さんに見つめられると、どうしていいのか分からないくらいになる。髪は乱れていないか。化粧は崩れていないか。服装は乱れていないか。ぼくは恋する乙女だ。そう。ぼくは小泉さんのことが好きになっていた。イヤ、以前から好きだった。違った意味だけど。

 「料理、上手なんだね」
 「菜穂子に習ったの」
 菜穂子のことを思いだした。しかし、すぐに首を振って菜穂子への思いを頭の中から追い出した。もう考えても仕方がない。二度と戻ってこないのだから。
 「ご馳走様。帰るよ」
 「帰るの?」
 「ああ。男になってしまったから、女の杉本さんとはあまり長くはいられないよ。そうだろう?」
 「え、ええ。そうね」
 「じゃあ、明日、会社で」
 「さようなら」
 「おやすみ」
 それとなく誘ったのにい。小泉さんの、あほ!! 馬鹿!! まぬけ!! 鈍感!!