「杉本さん。今日は元気ないって聞いたけど、どうしたの?」
エレベーターの中で小泉さんと出くわした。社長には告白したけれど、誰にも言いたくなかった。しかし、小泉さんだけは別だ。ぼくと菜穂子の間を取り持ってくれたのだから、話さないわけには行かなかった。
「小泉さん、用事がなかったら、うちに来てくれる?」
「いいわよ。今日はデートの約束はないから」
「今日はって、いつもはあるの?」
「杉本さんの意地悪! そんなこと言うのなら、行って上げない」
ぼくは肩を竦めた。意気消沈しているのに、小泉さんの前では軽口も出た。
「ごめん。お願い。話しを聞いて」
「・・・・分かったわ。かなり深刻な話しのようね。付き合うわ」
アパートの鍵を開けて中に入る。菜穂子はもういないと分かっているのに、エプロンを掛けた菜穂子が出てくるような気がした。
「あら? 菜穂子さんは?」
「・・・・いない」
「何処かへお出かけ?」
「実家へ帰ったわ。もう二度とここへは帰ってこないの」
「それって、・・・・別れたって事?」
「うん」
涙がまた湧いてきた。
「どうして?」
「菜穂子・・・・、赤ちゃんが、・・・・赤ちゃんが欲しいって。こうなってもう1年もたつのに、男に戻れないから、昨日の夜、出て行ったの」
「・・・・そうだったの」
「引き留められなくて・・・・」
「杉本さん、可哀想。あんなに菜穂子さんのこと愛していたのに・・・・」
小泉さんは、涙を流すぼくを抱きしめてくれた。社長とは違った暖かさを感じた。
そのまま小泉さんに抱かれていた。小泉さんに異性を感じたことはなかったけれど、ぼくは、小泉さんのことを好きだったんだなと漠然と思っていた。しかし、今は女同士。今更、そんなことに気付いてもどうしようもないのだ。
男に戻れたとしても、菜穂子はもうぼくの元へは帰ってこないだろうなとも思っていた。小泉さんとなら、上手くやれそうな気がするのだが・・・・。
小泉さんとずっとおしゃべりした。菜穂子との出会い。新婚生活。女になってからの生活等々。話すことで、幾分心が落ち着いてきた。
遅くまで話していたので、小泉さんはぼくのアパートに泊まっていくことになった。シャワーを浴びて、いつも菜穂子としていたように小泉さんと抱き合って寝た。
目を覚ますと、ベッドの隣に誰かいる。菜穂子が戻ってきた? そうではなかった。小泉さんがぼくの横に寝息を立てて眠っていた。
ぼくのために、昨日は泊まってくれたんだったっけ。男勝りだけど、優しい小泉さん。ぼくは、そっと小泉さんの頬に口づけした。
「うーん」
「ごめん。起こしちゃった?」
「おはよう、杉本さん」
そう言った小泉さんは、驚いたような顔をして両手で自分の口を塞いだ。
「どうしたの? その声。風邪でも引いたのかしら?」
そうではないことはぼくには分かっていた。目の前にいる小泉さんの顔は昨日とは違っていた。
小泉さんは、口にあてていた両手を布団の中に滑らした。
「ない」
「なにが?」
「ないのよ」
掛け布団を剥いで、起き上がった小泉さんの胸には、膨らみがなかった。被うべき相手を失ったブラジャーのカップが、くしゃりと縮こまっていた。
小泉さんは、手を股間に這わせている。
「どう言うこと? わたし、男になっちゃった」
ぼくは、小泉さんの眺めている股間に目を落とした。ライトグリーンのショーツの前が盛り上がっていた。
「信じられない。何が起こったの?」
ぼくは考えを巡らす。そして、はたと思い当たった。
「今日、わたしが女になって、丁度1年目だわ。もしかすると、神様が元に戻そうとして、間違ったのかも・・・・」
「わたしと杉本さんを?」
「そうかも・・・・」
「困るわ」
「わたしも男に戻るチャンスだったのに・・・・」
「もう元に戻れないかしら?」
「わたしを元に戻したと神様が思いこんだら、もうだめかも・・・・」
「そんなあ」
今度は、小泉さんが泣き始めた。ぼくは、小泉さんを抱いて励ました。
「小泉さんは男でも上手くやれるわ」
「わたしが、男みたいって言いたいんでしょう?」
「そんなことない。そんなことないけど」
「けど、なによ?」
「男の小泉さんて、結構いい男ね」
「そんなこと聞いてない!」
「ともかく、そんな格好じゃあおかしいわね」
「おかしいけど・・・・」
「わたしのがまだ置いてあると思うから探してみるわ」
ぼくは、ベッドから起き出してワンピースを着た。小泉さんが男だと思うと、何だか恥ずかしい。
クローゼットの奥に、以前ぼくが着ていた男物の服がしまわれていた。その中から、下着とTシャツ、ジーンズを取り出した。
「これ、杉本さんの?」
「そうよ」
着るのをちょっと躊躇っている。
「最近、トランクスを穿く女性もいるでしょう?」
「それはそうだけど・・・・」
「わたしのお古じゃ嫌だって言うのね」
「そんなことない」
「じゃあ、穿いてよ。それとも、男なのに、そんなショーツを穿いてるつもり?」
「穿くわよ」
ぼくはにっこり笑う。
「あっち向いててよ。わたしは男なのよ。恥ずかしいじゃないの」
「男なら、男らしい口をきいたら?」
「杉本さんなんて嫌いよ」
「わたし、小泉さんのこと、大好き」
冗談じゃなくて本気で言った。
「ば、馬鹿!」
小泉さんは、顔を赤らめて、ぼくに背中を向けて服を着始めた。
着替えをした小泉さんは、居心地悪そうにしていた。
「朝食作るから、お茶でも飲んで待ってて」
「新聞は?」
「もう来てると思うけど」
「読ませて貰ってもいい?」
「勿論よ」
ぼくが野菜サラダを作り、トーストにマーガリンを塗っている間、小泉さんは、新聞を隅から隅まで読んでいた。
「随分熱心に読むのね」
「テレビも見ないし、ラジオも聴かないから、世間の情報は全部新聞から得ているんだ」
「そうなの。はい、できたわよ。食べて」
「ありがとう」
ふたりで向かい合って、食事した。まるで夫婦みたい。ぼくは心の中でそう思っていた。小泉さんはどう思っているのだろうか? ぼくは菜穂子と別れた悲しみなど忘れて、浮き浮きしていた。
食事が済んで、後片づけをしている間、小泉さんはお茶を飲みながら、まだ新聞を読んでいた。ぼくは化粧をすませて、小泉さんの手を引いた。
「さあ、出掛けましょう」
「出掛けるって?」
「仕事に決まってるでしょう?」
「ぼくは、行かない。今日は休む」
「どうせ行かなければならなくなるわ。それなら、休まない方がいいわよ」
小泉さんは椅子にしがみついて、じっとぼくを見ていた。
「わたしが一緒だからいいでしょう? わたしという前例があるから、会社のみんなもすぐに受け入れてくれるわよ。そうでしょう?」
しばらく考えていたけれど、口を尖らせて、小泉さんは嫌々頷いた。
「あああ、ここに来るんじゃなかった」
そう呟くように小泉さんは言ったのだけど、ぼくには男になった嬉しさがこもっているような気がした。
「後の祭りよ。さあ、行きましょう」
ぼくは微笑んで、小泉さんの腕にしがみついた。
「何!? 今度は小泉が男になった!?」
部長は驚くと言うより呆れていた。
「仕事に差し支えなければ、男であろうと女であろうとどうでもいいが・・・・」
「仕事はこれまで通り頑張ります」
「参ったな・・・・」
「じゃあ、頑張って」
ぼくはそう言い残して、社長室へ上がった。だから、その後情報管理部で、どの様なことが起こったかはよく知らない。
社長が出勤しててきたので、事情を説明して置いた。
「千春君が男に戻らなくてよかった」
「人のことだと思って・・・・」
「いや、ホントに今の千春君がいないと困るんだからね」
「そう言っていただいて光栄です」
「少し元気が出てよかった」
「社長のお蔭です」
それだけではない。小泉さんのことが気になって、自分のことどころではなくなっていたからだ。
昼休み、小泉さんを誘って食事に出掛けた。
「ほら、堂々としていれば、誰も変な目で見ないから」
1年前、同じ様なことを小泉さんから言われたっけ。
「そんなこと言ったって」
小泉さんって、ホント可愛い。ぼく、このまま女でいるから、小泉さん、男のままでいてよ。そう言いたくなるのを、じっと我慢した。
「小泉さん、男物の服、持ってないわよね」
「当然だろう?」
「わたしの服と取り替えっこしましょうか?」
「取り替えっこ?」
「女物はいらないでしょう?」
「このままならね」
「きっとこのままよ」
「元に戻らないかなあ?」
「元に戻るとしても、恐らく1年後でしょうね」
「・・・・そうだろうね」
「いいでしょう? 小泉さんの服なら、わたし、着られるから」
「分かった。今日、持って行くよ」
「わたしの持ってる男物も用意して置くから」
「何時に行こうか?」
「7時に。夕食作って上げるわ」
「それは助かるな。じゃあ、7時に」
午後7時、小泉さんがやってきた。
「車、そこの来客用のスペースに置いてよかったよね」
「いいけど、車なんて持ってたのね」
「通勤は混むから、乗ってないけど、休みの日はドライブを楽しんでるんだよ」
「へえ、長い付き合いなのに、初めて知ったわ」
「聞かないから」
「それもそうね。上がって」
「お邪魔します」
女の部屋に男が来ると言うことで、やましいことがないと言いたいのだろう。わざと大きな声を出して、小泉さんは部屋の中に入ってきた。
「ずいぶんあるのね」
「これでも半分以下。重いから、またにするわ」
「これだけあれば充分よ。じゃあ、これがわたしの持ってる男物よ」
「サンキュウ」
手と手が触れた。どきどきした。小泉さんは平気な顔をしている。ぼくは心の中でちょっと膨れる。男になった小泉さん、女のぼくに興味はないのだろうかと。
ぼく? 今まで、男には興味なかったのに、男になった小泉さんのことがもの凄く気になるのだ。小泉さんに見つめられると、どうしていいのか分からないくらいになる。髪は乱れていないか。化粧は崩れていないか。服装は乱れていないか。ぼくは恋する乙女だ。そう。ぼくは小泉さんのことが好きになっていた。イヤ、以前から好きだった。違った意味だけど。
「料理、上手なんだね」
「菜穂子に習ったの」
菜穂子のことを思いだした。しかし、すぐに首を振って菜穂子への思いを頭の中から追い出した。もう考えても仕方がない。二度と戻ってこないのだから。
「ご馳走様。帰るよ」
「帰るの?」
「ああ。男になってしまったから、女の杉本さんとはあまり長くはいられないよ。そうだろう?」
「え、ええ。そうね」
「じゃあ、明日、会社で」
「さようなら」
「おやすみ」
それとなく誘ったのにい。小泉さんの、あほ!! 馬鹿!! まぬけ!! 鈍感!!