第10章 人生の連帯保証人

 ニューハーフになって、初めて母の住む県営住宅に戻ったときと同じ気分だった。いや、あの時以上に緊張していた。なにしろ、あの時はぼくだけの問題だったけれど、今回は、男同士で結婚すると言うのだから、話しがスムーズに行くとは考えられなかったのだ。

 角谷の実家は、大分駅から見ると東の方にある高城という場所にある。ぼくの実家とはかなり離れた場所と言うことで、親たちの交流はまったくない。母が出てくると、話しがややこしくなると思って、母には連絡しないで、角谷と大分空港へ降り立った。
 「ホーバーは酔うから、バスにしようよ」
 「俺はバスの方がダメなんだ」
 「じゃんけん」
 「ホーバー」
 「じゃんけん、しようよ」
 「ホーバーで帰る」
 角谷は譲らない。
 「・・・・もう」
 ぼくは口を尖らせる。
 「いつもわたしが譲らなきゃいけないんだから・・・・」
 「おまえがそうしろって、いつも言ってるじゃないか」
 そうなのだ。ぼくは、角谷に亭主関白で行かせている。
 「あなたの稼ぎで、食べさせてもらってるんだから、あなたの従うのは当然だわ」
 そう言っている手前、それ以上は言えないのだ。

 ホーバーフェリーの大分基地から、タクシーで角谷の実家へと向かった。やっぱり、胸の高鳴りを押さえられない。
 「怖い・・・・」
 「大丈夫さ」
 角谷は、ぼくの手を握る。ちょっと安心した。

 角谷の実家は二階建ての家で、建坪は50坪弱らしい。
 「大した家じゃないよ」
 角谷はそう言ったけど、狭い県営住宅に住んでいたぼくから見れば、立派なお屋敷に見えた。
 角谷の両親は、ふたりとも教師で共働き。角谷には、兄と弟がいる。つまり男ばかりの3人兄弟の真中と言うことだ。
 「兄貴は、長男で大切にされてるし、弟は末っ子だから可愛がられている。俺は、いつも放りっぱなしさ」
 ぼくは長男だったから、角谷のそんな気持ちがよく分からない。
 「ただいま」
 (ああ、とうとう来てしまった・・・・)
 緊張で、ぼくの顔はきっと真っ青になっていたんじゃないかと思う。
 「お帰りなさい。待ってたわ」
 エプロン姿の角谷の母親が玄関へ出てきた。
 「あら? こちらが明子さん?」
 エプロンを外しながら、角谷に聞く。
 「そうだよ」
 「初めまして。明子です」
 「まあ。写真でみるより、ずっと美人だこと。さあ、どうぞ、おあがりになって」
 「お邪魔いたします」
 角谷の母親の顔は、写真で知っていた。写真で見たときは、神経質そうな人だなと思ったけれど、第一印象はまったく違った。
 (気さくでいい人みたい)
 応接間へと案内された。
 「あ、これ。お土産です」
 「すみませんね。あら? 『舟和』の芋羊羹ね。わたし、これ、大好物なんです」
 「聡さんから、そう聞きましたので」
 「そうですか」
 「父さんは?」
 荷物を置いてきた角谷が応接間にやって聞く。
 「着替えてるんじゃないの? あなたがお嫁さんを連れてくるって言うから」
 「そんなことしなくたっていいのに」
 「でも、さっきまでステテコ一丁だったんですもの。いくらなんでも」
 「そりゃいくらなんでも駄目だな」
 そんな話をしていると、こほんと咳払いが聞こえた。どうやら、角谷の父親がやっていて、話を聞いていたようだ。
 「聡。帰ったか?」
 (わあ、そっくりだ)
 角谷が年を取ったら、こうなると言う、まさにそっくりな父親が入ってきた。
 「ただいま。こちらが、俺の嫁さんの明子だよ」
 (嫁さんだなんて、恥ずかしいな)
 「初めまして。明子です」
 「ほおう。こりゃ、写真でみるより、ずっと美人だな。おまえには勿体ない」
 ぼくは下を向いて、ちらりと角谷を見た。
 「そうだろう? こんな美人は、大分にはいないだろう?」
 「ああ」
 「お茶、どうぞ」
 角谷の母親が、お茶をテーブルの上において、父親の横に座った。
 「こんなできそこないの、どこが気に入ったんだね?」
 「できそこないはひどいなあ」
 角谷が反論する。
 「全部です」
 ぼくは即座に答える。
 「ほう。・・・・ところで・・・・。聡! あのことは言っているのか?」
 「あのことって?」
 「あのことだよ」
 「ああ、ぼくが刑務所に入っていたってこと?」
 「あ、ああ。そうだ」
 「知っています」
 ぼくが答えた。
 「・・・・そうか。その理由も知ってるのか?」
 「はい。全部知っています」
 「・・・・全部と言うと、あの、その、聡が、・・・・女の格好を・・・・」
 「それも知っています」
 「そうですか。そのことを知った上で、聡と一緒になろうというんだね」
 「はい」
 「あのう・・・・」
 母親が、申し訳なさそうな声で言い出した。
 「聡は、そのときの影響で、子種がないってことは?」
 「ああ、そのことも知っています」
 「子どもができなくてもいいの?」
 「はい。聡さんさえ、いてくれれば」
 両親が顔を見合わせた。
 「でも、あなたのご両親は? ご両親はなんておっしゃってるの?」
 「わたしも子どもが産めない体ですから、別に何も・・・・」
 「えっ!? 子どもが産めない体? 何か病気でも?」
 ぼくは、角谷を見た。
 「父さん、母さん。病気のせいじゃないんだ。明子は、生まれたときから、子どもは産めない体なんだ」
 「生まれたときから子どもが産めないって、どう言うこと?」
 「明子は・・・・、明子は、男なんだ」
 その言葉を耳にしたときの角谷の両親の顔を今でも忘れない。口をぽかんと開けて、目を見開いていた。
 「う。嘘でしょう?」
 「ホントなんだ。明子の本名は、光野明。この名前に覚えがあるだろう?」
 「光野明・・・・。あの騒動におまえが巻き込んだ同級生の・・・・」
 「そう。俺の借金の連帯保証人を引き受けてくれたばっかりに、俺と同じようにニューハーフになることを強いられたんだ」
 角谷の両親は、言葉を失っていた。
 「俺は、こうして男に戻れたけれど、明子は、あの事件で女として目覚めてしまって、男に戻れなくなってしまったんだ」
 「そう・・・・」
 「こうなってしまったのは、俺のせいなんだ」
 「でも、もともとその素質があったんじゃあ」
 「それはそうかもしれないよ。だけど、俺が連帯保証人なんて頼まなければ、こうはなっていなかったんだ」
 (あの時、連帯保証人を頼まれなくても、もしかすると、こうなっていたかもしれないな)
 ぼくは心の中ではそう思っていた。
 「だから、俺には、明子を幸せにしてやらなければならない責任があるんだ」
 「それは分かるけど、結婚なんて・・・・」
 「男同士だから、おかしいと言うかもしれないけど、俺は明子を愛しているんだ。他の女なんて愛せないんだ」
 「でも、籍はどうするの? 男同士の結婚なんて、認めてもらえないでしょう?」
 「ああ。でも、先進国では、ちゃんと認める法律もできているし、日本もそのうち同性の結婚が認められると思うんだ。認められなくて、現実に同居している同性のカップルは多いんだ」
 「親戚の人たちになっていったら・・・・」
 「親戚のやつらなんかに認めてもらうつもりはないんだ。父さんや母さんにだって、ほんとは認めてもらう必要もない。俺は、明子と暮らす。それを言うために戻ってきたんだ」
 有無を言わせぬ角谷の態度に、角谷の両親は、それ以上反論しなかった。
 「お父さん、お母さん。わたし、聡さんを心の底から愛しています。普通の女以上に、女として聡さんにつくします。だから、わたしたちの結婚を許してください」
 ぼくが女として生きることになったのは、角谷に責任の一端があるし、男性不妊症である角谷が一緒になる相手は女性である必要はない。ぼくはどこから見ても女に見えるから、知らない人がとやかく言うこともない。そう言うわけで、角谷の両親は、ぼくたちの結婚と言うか、同居を認めざるを得なかった。
 とりあえず、ぼくたちはほっと胸を撫で下ろした。

 「あら? そろそろ夕食の準備をしなければ」
 話題を変えるためか、角谷の母親が言い出した。
 「お手伝いします」
 「明子さんは、今日はお客様だからいいわよ」
 「いえ、わたし、この家の嫁ですから、お手伝いしなければ」
 「・・・・そう? じゃあ、手伝ってもらいましょう」
 角谷の母親と並んで、夕食を作った。
 「明子さん、ほんとに男には見えないわ」
 「もう5年以上、女として暮らしていますから」
 「それにしても、包丁の使い方が上手いわね」
 「小さいときからやってましたから」
 「やっぱり、小さいときから女の子になりたかったんじゃあ?」
 「いえ、父が早くに死んで、母が朝から晩まで働きに出ていましたから、わたしが料理をせざるを得なかったんです」
 「はあ、なるほど」

 ぼくが男だと知って、特に父親は居心地が悪そうにしていた。夕食がすむと、そそくさと自分の書斎へ引っ込んでいった。
 「明子さん、一緒にお風呂に入りません?」
 「えっ!? でも・・・・」
 「あら? 女同士でしょう?」
 「え、まあ・・・・」
 「入りましょう? あなたの裸を見てみたいの」
 ぼくは、角谷を見た。角谷は頷く。
 「じゃあ・・・・」
 (ペニスを見せたくはないけど、仕方がないな)
 片づけが終わり、父親、角谷が入浴したあと、先に入った母親の待つ浴室へ入っていった。
 (恥ずかしい)
 ぼくはタオルで前を隠して入った。
 「あら? わたしの若いときみたいだわ」
 ぼくのスタイルのことを言っているようだ。しかし、そう言いながら笑い始めた。
 「嘘。嘘。わたし、あなたみたいにスタイルがよくなかったわ」
 角谷の母親は、背が低いからそう言ったのかもしれないけれど、若いときは結構スタイルがよかったのではないかと思った。
 「わたし、中に入りますから、明子さんは、体を洗って」
 「はい」
 湯を浴びて体を洗い始めると、角谷の母親は、湯船の中からぼくをじっと見ていた。
 「ほんとにあるのね」
 角谷の母親の視線がぼくの股間へ注がれる。ぼくはタオルで押さえた。
 「それを見るまで、あなたが男だなんて、ほんとに信じられなかったわ」
 「すみません」
 「謝ることはないわ。あの子のせいで、あなたはそうなったんでしょう?」
 「・・・・もしかすると、あんなことがなくても、こうなっていたかも・・・・」
 「あなた、正直ね。気に入ったわ」
 「ありがとうございます」
 「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
 「何でしょう?」
 「あの子をどうやって満足させているの?」
 まさかそんな質問をされるとは思わなかった。ぼくは息が止まるくらいびっくりした。
 「あ、それは・・・・」
 「男同士のときは、後ろの方を使うって聞いたことがあるけど、ほんとなの?」
 「は、はい」
 「・・・・そう。病気になったりしないの?」
 「その前には、浣腸して綺麗にしますし、聡さんには、コンドームを使ってもらってますから」
 「なるほどね」
 アナルファックなどと言う行為は、母親の年代では考えられないことだろう。
 「あなたの、その・・・・突起物は、まだ必要なの?」
 またまた、度肝を抜く質問に、ぼくはあたふたした。
 「えっ!? どう言うことですか?」
 「最近、性転換手術をしたってニュースがあったでしょう? もし要らないのなら、やってもらったらどう?」
 「あ、いえ・・・・」
 性転換なんて考えていなかったから、母親の提言にどぎまぎしたのだ。
 「今のあなたに、いえ、これから先のあなたに、それが必要なのかしら?」
 ぼくは考える。ペニスにも睾丸にも手をつけていないのは、男に戻る可能性を残しているからだ。角谷がぼくを捨てないと言う保証があれば、ぼくは一生女のままでもいい。なくたっていいのだ。
 「一生女として生きるなら、これは要りません」
 「明子さん、あなた、一生女として生きていくつもりじゃないの?」
 「え、ええ」
 「じゃあ、要らないでしょう?」
 「でも・・・・」
 「聡の愛を疑っているの?」
 「・・・・今は疑ってません。でも、先になったとき、聡さんの気持ちが変わらないという保証が・・・・」
 「あの子は、そんな子じゃないわ。それはわたしが保証します」
 角谷の母親は、毅然としてぼくに言った。
 「そうですね。疑っちゃいけないんですね」
 「そうすることが、悟の愛を信じることになるんじゃないの?」
 「おっしゃることはよく分かりました」
 「聡が今までの方がいいと言えば別ですけどね」
 「聡さんと相談してみます」
 「わたしとしては、できれば手術をして欲しいわ」
 「えっ!? どうしてですか?」
 「あたしね。温泉に行くのが趣味なの。今のあなたとじゃあ、一緒に温泉に行けないでしょう?」
 「分かりました。そのことも考えた上で決断します」

 浴室から出ると、聡が居間でビールを飲んでいた。父親は、やっぱり書斎に篭ったままのようだ。
 「明子、いっぱいやるか?」
 「いただくわ」
 ビールを注いでもらって、ぐっと飲み干す。
 「ああ、美味しい」
 角谷の母親が居間にやってきた。
 「わたしにもいっぱい頂戴」
 「母さんは、い・っぱ・い・だからな」
 そう言いながら、ビールを注いだ。
 「ああ、美味しい」
 「うちは女のほうが酒豪だな」
 そう言いながら、角谷はぼくと母親にビ−ルを注いだ。

 3人でビールの大瓶を1ケースも空けてしまった。それでも、角谷の母親は足りないと言う顔をしていた。角谷が、『うちは女のほうが酒豪だな』と言った意味がよく分かった。
 午後11時過ぎ、ぼくたちは二階へ上がった。以前角谷が使っていたと言う部屋に、布団が一組敷かれていた。
 「気が利くね」
 「わたしたち、夫婦でしょう? 当たり前じゃないの?」
 「そりゃ、そうか」
 布団の中に入って、浴室での母親との話しを角谷にした。
 「母さんがそんなこと言ったのか?」
 「ええ」
 「おまえはどうなんだ?」
 「あなた、わたしを捨てたりしないでしょう?」
 「捨てるもんか。一生面倒見てやるよ」
 「ほんと?」
 「ああ、今度は俺がおまえの連帯保証人になってやるよ。おまえの人生のね」
 「嬉しい!!」
 ぼくは、角谷に抱きつきキスをした。
 「おいおい。苦しいよ」
 「愛してるわ」
 「一発やるか?」
 「ご両親に聞こえるわ」
 「仲のいいところを見せ付けてやるんだ」
 「いやよ」
 「いいじゃないか」
 「もう、だめだったら・・・・」
 結局、やってしまった。ぼくたちの真下が角谷の両親の寝室らしい。聞かれていると思うと、かえって興奮して、何度も行ってしまった。

 そういう訳で、ぼくは性転換することにした。もちろん、手術は横溝医師に頼んだ。違法だけど、合法にやってもらおうと思えば、時間がかかるばかりだからだ。
 別に法律で認めてもらう必要はない。角谷が、愛する人が認めてくれればいいのだから。それに、合法にやってもらったとしても、角谷と法律的に結婚できるわけではないのだから。

 手術ははっきり言って痛かった。痛かったけれど、これで堂々と女として生きていけると思うと嬉しかった。
 腟を使って初めて角谷を受け入れたとき、こんなに幸せでいいのかなと思った。

 手術を受けたあとの最初の夏、ぼくは角谷と江ノ島へ泳ぎに行った。自分で選んだビキニの水着を着て、浜辺を走り回った。角谷は、そんなぼくを眩しそうに見ていた。
 その直後の盆休み。ぼくは、角谷と一緒に帰省して、角谷の母、ぼくの母と一緒に由布院に行った。3人一緒に露天風呂に入った。
 「いいお嫁さんが来てくれて、嬉しいですわ」
 角谷の母親が言う。
 「何にも教えてないのに」
 ぼくの母親が、戸惑ったように返事した。
 「お母さん、あなたの娘さんは、ホントに素晴らしいですわよ。我が家の自慢の嫁ですわ」
 母はにっこりと笑った。姑にも好かれて、ぼくは幸せだ。

 あの時、連帯保証人のサインをしたことを後悔したけれど、こんなに幸せになれたから、今は後悔なんてしていない。
 でも、これから先は、連帯保証人には、よく考えてサインするつもり。