第9章 救出

 2年が過ぎ去った。水本は、相変わらずミゲルの妻として、カルロスの母として暮らしていた。
 (父や母はどうしているだろうか?)
 時々そんなことを思うことがある。しかし、自分の姿を見たとき、日本へは帰れないものと諦めていた。

 最近、ミゲルの様子がおかしい。アメリカと手を組んだ政府軍に押され気味と言うこともあるが、人民のためと口では言いながら、麻薬売買を使った私利私欲に走っているような気がする。
 そのことを水本が指摘すると、ミゲルは激しく怒り、水本を撲った。
 「女は黙っていろ!」
 女として扱われるのは嬉しい。けれど、女が男より劣るような言い方は許せなかった。しかし、完全に女性化してしまった水本は力ではまったく敵わなかった。
 ミゲルは麻薬を使い始めていた。それだけではなく、水本にも麻薬の使用を強要するようになった。
 (もうミゲルと一緒にはいられない)
 そうは思ったけれど、監視が厳しく逃げるに逃げ出せなかった。

 チャンスは突然やってきた。ミゲルに連れられて、麻薬製造工場のある屋敷に行っているときだった。アメリカの麻薬撲滅チームが急襲してきたのだ。
 銃撃戦が行われる中、ミゲルは水本を置いてさっさと逃げ出してしまった。水本は、カルロスを抱いて、部屋の隅に小さくなって隠れていた。
 銃声がやんでしばらくたったとき、自動小銃を持った麻薬捜査官がやってきた。

 麻薬捜査官・ジョ−ジ・ヤングは、自動小銃を構えて、二階にある部屋をひとつずつ捜索していた。どの部屋も既にもぬけの殻になっていた。
 一番の奥の部屋のドアを蹴破ったとき、女の小さな声が耳に入った。銃を構えてそっと中を窺うと、子どもを抱いた東洋系と思われる女が部屋の隅に小さくなってうずくまっていた。武器は持っていないようだ。
 「英語はしゃべれるか?」
 「少しだけ」
 「他には? 他には誰もいないのか?」
 「誰もいないわ。みんな逃げてしまったわ」
 その時、ドカンと音がして建物に火の手が上がった。
 「ここにいると危険だ。一緒に逃げよう」
 手招きをすると、その女はホッとした表情を浮かべて立ち上がり、ジョージの元に走り寄ってきた。その女の胸元に覗く谷間を見て、ジョージはニヤリと笑った。
 「気をつけて」
 ジョージは銃を構えて、女と子どもを守るようにして階段を下っていった。階下では他の捜査官が建物の外を窺っていた。ジョージが降りていく気配に振り向いた。
 「ジョージ、その女は誰だ?」
 「さあ? 上にいたんだ」
 「武器は持っていないだろうな?」
 「持っていないよ」
 「そうか。どうやら、制圧したようだな」
 「この建物は危険だな」
 「ああ。他のメンバーと合流しよう」
 制圧したと言いながらも、用心しながら建物の外に出た。現地人の捕虜が数人広場に集められていた。
 「集合!」
 隊長が叫んだ。ジョージたちは広場に集合した。政府軍の兵士たちが、建物の中を捜索し、火の手の上がった建物の消火に当たっている。
 「ジョージ! その女性と子どもは何だ?」
 「あの建物の中にいました」
 「ゲリラの仲間か?」
 「わかりません」
 「早く確認しろ!」
 「了解です」
 ジョージは、女に向き直った。
 「名前は?」
 「助けて下さい。わたし、ゲリラに誘拐されていたんです」
 「ゲリラに?」
 「そうです」
 「いつ誘拐された?」
 「3年前です」
 「3年前? どこで?」
 「ブラジルです。ブラジルで旅行中に拉致されて」
 「子供を産まされたのか?」
 女は目を伏せて黙り込んだ。ジョージは、誘拐された上に無理矢理妊娠させられたのだろうなと、女のことを気の毒に思った。
 「名前は? 名前はなんと言うんだ?」
 「アキ・・・・ヒロ・・・・」
 「アキ・ヒロだな。わかった。国はどこだ?」
 この時、ジョージは女の名前を誤解してのだが、そのことがわかるのはずっと先の話だった。
 「日本です」
 「日本人か。・・・・どうするかな? ちょっと待て」
 ジョージは隊長に今女性から聞いた内容を報告した。
 「誘拐された日本人女性か。どうするかな? 政府軍に任せるか?」
 女性を振り返ると、祈るような目をしていた。
 「日本人なら、我々が連れて帰った方がいいのでは? ここに残すのも可哀相ですし・・・・」
 「そうだな。その方がいいだろう」
 ジョージは女性の方を振り返った。女性は泣き出していた。隊長と話したことがわかったようだ。
 「よかったな。これで君は故郷へ帰れる」
 笑顔を向けると、その女性は涙を拭いて笑顔を向けてきた。ジョージはその笑顔にゾクッとした。
 (なんて可愛い娘だ)

 アメリカへ連れて行ってくれると知って、水本はホッと安心した。政府軍に引き渡されたとき、水本がミゲルの妻として暮らしていることは、そのうちばれるだろう。そうなれば、過酷な尋問が待っているに違いない。拷問されるかもしれない。さらに男だと知られれば、どんなことになるか見当も付かなかった。
 アメリカに行っても、やはり尋問はあるだろうけれど、この国に残るよりはましだろうと思った。
 助けてくれたジョージという捜査官に連れられて、近くに飛来してきたヘリコプターに乗り込んだ。
 ヘリが飛び立つ。急に日本に戻りたくなった。
 (だけど・・・・)
 カルロスがまさぐる乳房を見て水本は絶望的な気持ちになった。
 (ミゲルにアナルファックされていたのことは黙っていればいい。だけど、こんな身体になってしまったのでは、帰るに帰られない・・・・)
 水本はヘリの飛行中ずっと涙を流していた。
 ヘリは飛行場へ着き、そこからジェット機に乗り換えてアメリカへと向かった。

 ジェット機がアメリカにある空軍基地に着陸したとき、ジョージの上官がジョージになにやら囁いていた。ジョージが驚いた顔をして水本の方を見た。水本は、恐らくミゲルの妻として暮らしていたことを知られたのだろうと思った。けれど、ここまで来れば何とかなると思った。
 (自由の国・アメリカで拷問なんてされることはないわ)
 ジェット機を降りると、ジョージが近寄ってきた。
 「・・・・きみは、・・・・ミゲルの妻として暮らしていたの言うのは、ホントか?」
 知られていることは間違いなかった。隠し立てしても仕方がない。
 「それはホントよ。でも、わたしの意志じゃなかったの。無理矢理なの。誘拐されて、無理矢理ファックされたの」
 ジョージが多少は誤解することはわかっていた。アナルファックでも言葉は同じだ。
 「その子はミゲルの子か?」
 「違うわ。捨てられてた子を拾ったの」
 「そうか。・・・・取り締まり当局がキミに話を聞きたいそうだ。知っていることを正直に話してくれるか?」
 「もちろん、いいわ」

 車に乗せられて、高速道路を走り、麻薬取締本部に連れて行かれた。エレベーターを上り、ジョージがひとつのドアをノックした。
 「どうぞ。開いているわ」
 女性の声だった。ジョージはドアを開いて、水本を中に導いた。
 「アキ・ヒロを連れて参りました」
 「お疲れ様、ジョージ。その椅子に座らせて。あなたはもう帰ってもいいわ」
 「は、はい」
 ちょっと不満そうな表情を見せたが、挨拶をして部屋を出て行った。
 「アキ・ヒロね?」
 水本の名前が間違って伝えられているのだが、今はそう答えておくことにした。
 「はい」
 「わたしはジェシカ。あなたの尋問を担当することになったの。よろしくね」
 「よろしく」
 水本は優しそうなジェシカに好感を持った。
 「ミゲルに誘拐されたと聞いたけど、いつの話なの?」
 「3年前の7月25日のことです」
 「3年前の7月25日ね。どこで誘拐されたの?」
 「ブラジルです。アマゾン川を見物に行ったときに」
 ジェシカは、コンピュータのキーボードを叩く。そうしてから、首を傾げた。該当者がいないからだろうと水本は思った。
 「あなたひとりで?」
 「3人です」
 「3人? 他のふたりは、どうなったの?」
 「死にました」
 「死んだ? どうして?」
 「ひとりは、米軍の救出部隊が来たときに、逃げようとしてゲリラに撃たれて死にました」
 「我が国の救出部隊?」
 「そうです」
 ジェシカの表情が少し曇った。
 「ゲリラの掃討作戦とか、今回のような麻薬撲滅に米軍が参加することはあるけど、あなたがたの救出には部隊は出していないわ」
 「でも、迷彩服を着た白人がわたしたちを救出に来たんですよ」
 「あなた方の身代金を要求されていた日本企業に雇われた傭兵じゃないかしら?」
 「傭兵?」
 白人だったから、米兵とばかり思っていたのだ。
 「身代金より安いお金で雇ったんでしょうね。で、もうひとりは?」
 「ミゲルに撃ち殺されました。わたしの目の前で」
 「あなたの目の前で?」
 ジェシカは首を傾げて何やら考え始めた。
 (アマゾン川で3人が拉致されて、ひとりが救出に向かったとき死亡。そして、ひとりがミゲルに撃ち殺された)
 そんな事件があったような気がすると、ジェシカは、水本にちょっと待ってねと言ったあと、キーボードを叩き始めた。
 モニターをジッと見つめたあと、水本の顔を見た。
 「あなた、女よね?」
 ジェシカが水本の胸元を見つめた。水本はその問いに答えず下を向いた。
 「違うの?」
 水本は小さく頷く。
 「その子は、あなたが産んだ子じゃないの?」
 「この子は拾ってきた子なんです」
 「そうなの・・・・」
 ジェシカはモニターに目を戻す。
 「アキ・ヒロ・・・・。アキヒロ! あなた、アキヒロ・ミズモトなの?」
 水本はもう一度頷いた。
 「死んだことになっているわ」
 「わたしは生きています。わたしが死んだというのは、憶測で何の証拠もないはずです」
 ジェシカはキーボードを再び叩いた。
 「確かにそうだけど・・・・。あなたはどう見ても女に見えるわ。どうしてなの? この写真では、あなたはちゃんとした男性なのに。女性ホルモンでも打たれたの?」
 水本は首を振った。
 「違うんです。ミゲルの村に、女性だけが食べてよくて男性は絶対に食べちゃいけないイモがあるんです。そのイモをずっと食べさせられていたら、こんな風になってしまったんです」
 ジェシカは驚いた表情を見せた。
 「そのイモに、女性ホルモンのような物質が含まれていたというの?」
 「たぶん・・・・」
 「信じられないわ」
 「でも、それが事実です」
 ジェシカは腕組みをして水本の顔を見つめている。
 「ミゲルの妻として暮らしていたと聞いてるけど・・・・」
 「・・・・はい」
 「下の方は男のままなんでしょう?」
 ジェシカの視線がスカートの裾あたりをうろうろした。
 「もちろんです」
 「後ろでミゲルの相手をしたのね?」
 「・・・・そうしないと、殺すって脅されて・・・・」
 ジェシカは溜息をついた。
 「どう見ても、あなたは女に見えるわ」
 嬉しいような悲しいような気分がした。
 「・・・・確かめてみますか?」
 「もし、それを許してくれるのなら」
 「じゃあ」
 水本は、カルロスをソファーの上に置いてから、スカートの裾をあげてショーツをジェシカの目に晒した。
 「・・・・信じられない。ホントにあるのね」
 水本は顔を真っ赤にして俯いた。
 「なるほど、わかったわ。・・・・それじゃあ、ミゲルについて、2、3聞きたいことがあるんだけど、答えてくれる?」
 「はい」
 水本はカルロスを再び抱いて、椅子に腰掛けた。
 「わたしにわかることなら何でもお答えします」
 「ミゲルが麻薬の密輸に関与していることは知っているわね?」
 「はい」
 「昨日、急襲した場所以外にあなたが知っている麻薬工場はある?」
 「ミゲルはわたしを同伴することは今度が初めてだったから、わたし、ぜんぜん知らないんです」
 「そう。ミゲルが行きそうな場所は?」
 「二カ所はわかります」
 「教えて」
 水本は、何度か連れて行かれた村の名前を教えた。
 「どれくらいの兵士がいるかわかる?」
 「まったくわかりません。ミゲルは、用心していたみたいなんです。わたし、ミゲルの妻のようにして暮らしていましたけど、完全に心を許すところまでは行ってなかったんです」
 「セックスの対象としてだけ、あなたを飼っていたというのね」
 「・・・・そうだと思います」
 「そうですか」
 ジェシカは、水本の顔をジッと見た。
 「どうします? 日本に帰りますか?」
 「こんな姿で?」
 「下まで切り取っていればダメでしょうけど、下が健在なら、その大きくなった乳房を切り取って、男性ホルモンを補充してやれば、元に戻るでしょう」
 「ホントですか?」
 「ええ」
 「よかった・・・・」
 水本の目から涙がこぼれた。
 「一度、きちんとドクターに診て貰いましょう。いいですね?」
 「はい」
 「ところで、その子はどうします?」
 そう言われて、水本はハタと困った。乳飲み子だったカルロスをここまで育ててきたのだ。このまま捨ててしまうわけにはいかなかった。
 「どうしたら・・・・」
 「わたしの方で養父母を捜してあげてもいいですが・・・・」
 別れるのが辛いような気がした。
 「考えさせて下さい」
 「わかったわ。とにかく、ドクターの診察を受けましょう」
 「はい。・・・・わたしのことはできるだけ他人に知られたくないんですけど」
 「それはわかっているわ。合衆国は、プライバシーを尊重する国なのよ」
 「よろしくお願いいたします」
 水本は、カルロスを預けてそのまま病院で診察を受けることになった。