ギャアギャアと近くで鳥の鳴く声が響いて、立花は目を覚ました。時計は現地時間の午前6時前だった。
「ぐっすり眠れたけど、身体が痛い」
ふかふかのベッドというわけにもいかず、ほとんど床に直接寝ているようなものだった。だから、身体のあちこちが痛んだ。
立花は、起きあがって大きく伸びをした。
「おはよう」
水本が起きあがって同じように伸びをする。河野は、まだイビキを掻いて眠っていた。
「顔でも洗いに行こうか?」
「そうだな」
ふたりはタオルを片手に川まで歩いていって川に水で顔を洗った。
「あのインコらしいな。うるさいのは」
ふたりの頭の上の木に大きなインコが留まっていて、ギャアギャアと鳴いていた。
「戻ろうか?」
宿となった家に向かって歩いていきながら、ふたりはあたりの様子が尋常でないことに気がついた。
「どうして誰もいないんだ?」
「さあ?」
「物音ひとつしないな」
「仕事に出たんじゃないか?」
「まだ6時過ぎだぜ」
「会社勤めじゃないだろうから、朝が早いんだろう?」
「・・・・そうかもな」
河野はまだイビキを掻いていた。
「河野! そろそろ起きろよ!」
「まだ、眠い・・・・」
河野はなかなか起き出さない。
「腹が減ったな」
立花が腹を押さえる。
「そうだな。飯は用意してくれるのかな?」
「ジョナサンに聞いてみよう」
「ジョナサンはどこに行ったんだろう?」
ジョナサンのベッドはもぬけの殻だった。水本はジョナサンのベッドに手を当ててみる。
「冷たい。早くに起きたみたいだな」
「どこへ行ったんだろう? 外にはいなかったよな」
「うん」
水先案内人がいないとなると、急に心細くなってきた。ふたりは河野をもう一度起こしに掛かった。
「河野! 河野!! 起きてくれ!!」
「うるさいなあ。もう少し寝かせてくれ」
「ジョナサンがいないんだよ」
「顔でも洗いに行ったんだろう?」
「外にもいなかったんだ」
「そのうち帰ってくるさ」
河野は、再び眠り込んでしまった。
「どうする?」
「ふたりで探してみようか?」
「そうだな」
家の中には誰もいなかった。もう一度外に出てみたけれど、村人らしい人影はまったく見あたらない。
「おかしいぞ。絶対おかしい。河野を叩き起こそう」
ふたりは家に戻って河野を蹴飛ばした。
「痛てっ! 何するんだよ!!」
「ジョナサンもいない。村人も人っ子ひとりいないんだよ」
「なんだって?」
起きあがって、河野は窓の外を覗いた。
「いるじゃないか」
「ええっ!」
ふたりが外を見ると、村人らしい男たちが数人荷物を抱えて歩いていた。
「朝から働いていたのか。びっくりした」
「でも、ジョナサンがいないよ」
「どこ、行ったのかな?」
3人連れだって探してみた。しかし、ジョナサンの姿はどこにもなかった。
「残りの給料が未払いなのに、どこに行ったんだ?」
案内料の半分を出発前に支払い、帰ってから残りの半分を支払う予定だったのだ。
「金がいるって言ってたから、そのうち戻ってくるだろう」
河野は呑気にもう一度毛布の中に潜り込んだ。
時計が8時を指した。しかし、ジョナサンは戻ってこない。30分ほど前から、少しざわめきが聞こえ始めていた。朝早くから仕事に出かけていた村人たちが戻ってきているようだった。
泊まらせて貰っている家の主人も戻ってきた。
「ジョナサンは?」
日本語はわからないようだが、ジョナサンを捜していることはわかったようだ。しかし、頭を横に振られてしまった。
「いったい、どこへ行ったんだ?」
呑気にしていた河野も心配そうな表情を見せ始めた。
「桟橋に行ってみようか?」
「そうだな」
桟橋まで行ってみると、3人が乗ってきたジョナサンの船がなかった。
「置いて行かれたみたいだぞ」
「どうするんだよ」
「どうするって、どうしよう・・・・」
困り果てていると、若い男が3人に近寄ってきた。
「Mr. Kawano? Mr. Mizumoto? Mr. Tatibana?」
男が3人の顔を見ながら尋ねてきた。
「yes!」
河野が答える。
「Look. This paper.」
手渡されて紙切れには、たどたどしい日本語書かれていた。
『急用できた 先 帰る あとは 手紙を持つ男 案内する ジョナサン』
「こんな手紙じゃなくて、ひと言言ってから帰ればいいのに」
「そうだよな」
3人でごちゃごちゃ言っていると、男が行くぞと手招きした。
「We did not have breakfast!」
男が時計を指さして手招きを続ける。河野の英語が下手で通じないのか、それとも英語がわからないのか、ともかく、朝食にはありつけそうもない。
「そんなに急がなくてもいいのに。とにかく荷物を取りに行こう」
「Wait! Wait!」
地団駄を踏む男を残して、3人は荷物を取りに戻った。
「腹、減るよな」
「誰もいないから、パンを持っていこう」
食卓の上に残されていたパンをポケットに詰め込むと、3人は男の待っている場所に戻った。
桟橋には舟はない。どうするのかと訝っていると、男は3人がそろったのを見極めてから手招きして歩き始めた。
100メートルほど上流に歩いていくと、草の陰に舟があった。ジョナサンの舟より一回り大きな舟だ。船外機もかなり大きなものが付いていた。
「こっちの方が上等じゃん」
河野がふたりに笑顔を向けた。男が乗れとジェスチャーをするので、3人は船に乗り込んだ。乗らなければ、どこへも行けないからだ。
船は上流へ向かった走り始めた。船の走りは爽快で、みるみるうちに村が小さくなっていった。
しばらく3人は周りの景色を眺めていたのだが、男が船をまったく止めようとしないので、互に顔を見合わせ始めた。
「これじゃあ、何にも見えないじゃないか」
「船を止めてゆっくり見学させてくれるように頼もうか?」
「そうしよう」
こう言うときは河野が先頭に立つ。
「Hey! Move slowly, we want to watch the beutiful sights.」
「おい、おい。それで通じるのか?」
「いいと思うんだけどな」
「通じてないみたいだぜ」
少なくとも『Move slowly』は通じると思っていたのに、通じないところを見ると、男は英語がよくわからないのかもしれないと思った。
「Can you speak English?」
河野の問いに、男はチラリと3人を振り返ったが、黙って船の運転を続けた。
「日本語がしゃべれたりして」
立花がそう言ったが、それならばジョナサンの書いたメモなど渡さなくてもいいとすぐに気がついた。
「日本語も英語も通じないんじゃ、どうしたらいいんだ?」
「ジェスチャーしかないな」
「こうして走るだけじゃ、意味がないよ。引き返すように頼もう」
「そうするか」
河野が男の肩を叩いて、船をぐるりと回転させるジェスチャーをしてみた。ところが男は頭を振るのだ。
「Why?」
大きな声でそう言って男に詰め寄ると、男は3人を睨みつけて言った。
「Be silent!! Sit down!」
男の気迫に気圧されて、3人は黙り込んで船の上に座り込んだ。
船は猛スピードで川上へと走り続けた。
「どうなるんだ?」
立花が呟く。
「わからないよ」
河野の答えにふたりに不安が湧いてくる。
「飛び込んで逃げるか?」
立花がふたりを交互に見た。
「どうやって戻るんだ? もうかなり上流に来たぞ。それに、ワニやピラニアがいるんだぞ。無事に戻れると思うか?」
そんな河野の答えに、ジョナサンの言葉を思い出して身震いした。
「成り行きに任せるしかないな」
あきらめ顔で河野が言う。
「そうだね」
「腹、減ったな」
「パンを持ってきたんだろう?」
「食おうか?」
「腹ごしらえだけはしておかないとな」
3人は、テーブルの上から盗んできたパンを三つに分けて噛った。
その頃、ジョナサン・イトウの船が、ノーバ・オリンダ・ド・ノルチ近くの岸辺に漂着した。その船を見つけた男は船の中を覗いて悲鳴を上げた。喉を切り裂かれたジョナサンの死体が乗っていたからだ。
日が落ちて、前方が見えなくなり始めたとき、遙か彼方に灯が見えてきた。集落らしい灯だった。
「あそこに行くつもりらしいな」
「そうみたいだな」
3人は、ジッと前方の灯を見つめた。
桟橋が見えてきた。人が立っていた。手を挙げて船を誘導している。ひとりじゃなかった。5人ほどいるようだ。姿がはっきりしてきて、3人は顔を見合わせた。
5人とも迷彩服を着ていて自動小銃らしいものを持っていたのだ。そのうちの4人が、船に向かって銃口を向けていた。
手を挙げて船を誘導していた男が、船を操縦してきた男になにやら早口でしゃべっている。英語ではないので、河野たちにはさっぱりわからなかった。
「Get out!!」
船を誘導していた男が、河野たちに向かって叫んだ。
「何だって?」
「船を降りろって言ってるんじゃないか?」
「どうする?」
「どうするって、降りる以外にはないんじゃないか?」
そんなことをこそこそ話していると、バリバリと大きな音が響き渡った。3人のすぐ水際で水飛沫が上がった。一番前にいた男が自動小銃を発射したのだ。
「Get out!!」
真っ青になって3人は慌てて船を降りた。
「Go! Go!! Go!」
銃口を向けられ急き立てられて、3人は奥の建物へと連れて行かれた。
建物は、茅葺きの粗末なものだが、ほかのものに比べれば、作りはしっかりしていた。部屋の真ん中に机と言うには粗末なものがあって、やはり迷彩服を着た目の鋭い男が椅子に腰掛け、そばに同じく迷彩服を着た背の高いちょっと年の男が立っていた。部屋の隅には、無線機などがずらりと並んでいた。
「そこに座れ!」
背の高い男が日本語をしゃべったので、河野たちは顔を見合わせた。
「耳がないのか?」
周りには椅子も何もなかった。それでも座れと言うことは床に座れと言うことだ。河野たちは慌てて床の上に座り込んだ。
椅子に腰掛けた男が、背の高い男に何やら話すと、背の高い男が喋り始めた。
「おまえたちは、我々の組織に誘拐された」
エッと3人は顔を見合わせた。
「身代金として、ひとり100万ドルを要求する予定だ」
「100万ドルって言ったら、1億2000万円以上じゃないか。そんなの無理だ。俺の家は、そんな資産家じゃない!」
河野が抗議した。抗議しながら、立花の家だったら払えるだろうなと考えていた。立花の父親は弁護士だった。
「おまえたちの両親に支払わせる予定はない」
「じゃあ、誰に身代金を要求するんだよ」
「我が国にある日本企業だ」
「無関係の人間の身代金なんて支払うもんか」
「支払わなければ、企業イメージが下がる。支払うさ」
ビル・ゲイツならともかく、個人に身代金を要求するには限界がある。企業を脅す。そんな方法もあるのかと、3人は顔を見合わせた。
「明日の朝、我が国へ移動する」
「我が国って、ブラジルじゃないのか?」
「違う。我が国はブラジルの隣の国だ」
隣の国? どこだと3人は頭をひねった。
「ひと言だけおまえたちに言っていく。逃げだそうとしたら、容赦なく殺す。人質はひとりいればいいんだからな」
男は冷たくニヤリと笑った。嘘や冗談ではないことがわかって、3人は体を震わせた。椅子に座った男が、背の高い男に何やら話しかけた。背の高い男は3人に向き直った。
「おい、おまえ」
立花は声をかけられて、何かされるのではないかと恐れて、ふたりの後ろに身体を隠そうとした。
「いい時計をしているな。よこせ」
椅子に座っている男が、立花のしている時計をめざとく見つけて奪い取ろうとしているようだ。立花は、腕時計をした左腕を背中に回した。
「大人しく渡さないと、どうなるか、わかっているのか?」
立花はやむなく腕時計を外して男に渡した。男が椅子に座っている男に時計を手渡すと、椅子に座っている男は満足そうに頷いて腕時計を左手に填めた。
「おまえ、おまえ。腕時計をよこせ」
河野と水本もやむなく腕時計を外して、背の高い男に手渡した。男は、水本の腕時計を腕に填めて、河野の時計はポケットの中に押し込んだ。
椅子に座っている男が再び何やら言った。
「よし。おまえたち、向こうの小屋へ行くぞ」
入り口付近にいた男たちが、銃を向けてくる。3人は立ち上がって荷物を持とうとした。
「それは置いていけ」
イヤだと言える状況ではなかった。3人は荷物を置いたまま建物を出た。
3人が連れて行かれたのは、犬小屋よりは少しましだと思うくらいの掘っ立て小屋だった。3人で力を合わせれば、壁をぶち破って逃げ出せそうだったけれど、外には自動小銃を持った見張りがいるし、逃げ出せたとしてもジャングルの中で迷うのは必至だった。
「身代金、払ってくれるかな?」
水本が不安げに呟く。
「日本は不況だから、すぐには無理じゃないか?」
河野が答える。
「払って貰えなければどうなるんだろう?」
「殺されるんじゃないか?」
立花がぼそりと言う。
「何で、俺たちなんだ?」
「たまたまだろうなあ。運が悪かったとしか思えないよ」
そんな河野の意見に他のふたりは黙り込んでしまった。
「畜生!!」
やり場のない怒りに河野は板壁を蹴った。すると、見張りをしていた男が、銃を向けて何やら大声で叫んできた。
「静かにしろって言ってるみたいだな」
「くそう・・・・」
どうしようもなかった。昨日はアマゾンに来てよかったと思った3人だったが、今日は一転してこんなところに来なければいよかったと後悔していた。