第17章 ついに帰国

 日本に帰国して荷物の整理が終わると、水本はいてもたってもいられなくなった。
 (母に、父に会いたい・・・・)
 女になってしまった自分。なんと説明しようかと考え込んだ。けれど、説明よりもともかく両親に会いたかった。水本は、息子を抱えて電車に飛び乗った。

 家の前で水本は、入ろうか帰ろうか迷っていた。考えあぐねていると、家の前にタクシーが止まった。出てきたのは、叔父夫婦だった。
 叔父が水本の顔をちらりと見て、にやけたような表情を見せた。女好きな叔父らしいなと思ったけれど、水本のことを水本と認識してくれなかったことが悲しかった。
 (あんなにボクを可愛がってくれていたのに。女になっているから仕方ないのか・・・・)
 さらにもう一台タクシーが停まって、叔母夫婦が降りてきた。このときになって、水本は叔父夫婦も叔母夫婦も喪服を着ていることに気がついた。
 (何かあったんだ! まさか、父が? それとも、母が?)
 心配になった水本は、叔母に声を掛けた。
 「すみません。どなたか、ご不幸でも?」
 叔母は水本をジッと見つめてから答えた。
 「甥の7回忌なんですよ」
 「7回忌・・・・」
 水本は、ゲリラに殺されたことになっていた。それから丸6年がたつのだ。父や母が死んだのではないと知って、水本はホッと胸をなで下ろした。
 「あなた、わたしの娘のよく似ているけれど、誰の娘さんかしら?」
 「あ、いえ。わたしは・・・・、わたしはただの通りがかりです」
 「そう?」
 叔母は、少し首を傾げ、水本の家へと入っていった。水本も親戚として中に入ろうかと思った。しかし、自分の格好を見て諦めた。水本は水色の少し派手なワンピースを着ていた。とても法事に出席できるものではない。
 水本は、法事が終わるのを家の外で待つことにした。しばらくして、僧侶らしい低い声が聞こえてきた。
 「それでは、○○院○○○○○居士の7回忌法要を始めます」
 読経が始まった。お経には意味があるのだろうが、水本にはさっぱりわからない。やがて、読経が終わり、水本の父親が立ち上がった。
 「本日は、ご多忙にもかかわらず、彰裕の7回忌法要に来て頂きありがとうございました。彰裕も草葉の陰で喜んでいることでしょう。粗宴ではありますが、料理を用意してありますので、ごゆっくりしていって下さい」
 宴会が始まった。誰も悲しむものなどいない。いや、母だけが水本の遺影に向かって涙を流していた。
 水本は考える。
 (自分は死んだことになっている。今更出て行ってどうなるだろう。しかも、女の姿で。父や母が元気でいることを確かめられただけで充分じゃないか)
 水本は、樋口のマンションに戻ることにした。
 (父さん、母さん、元気で長生きしてね。機会があったら、顔を見に来るよ)
 心の中で祈って、水本は駅へと向かった。

 歩いていると、ぺたぺたと足音が近づいてきた。
 「ちょっと、ちょっと、お嬢さん?」
 振り向いてみると、声を掛けてきたのは叔母だった。水本は顔を伏せた。
 「あなた、甥の水本彰裕と何か関係があるんじゃないの?」
 「あ、いえ」
 水本は首を横に振った。
 「ホントに?」
 「どうしてそんなことをおっしゃるんですか?」
 「あなたの抱いているお子さん、彰裕の小さい頃にそっくりだから」
 水本は、樋口に似ていると思っていたから、意外な言葉だった。
 「そのお子さん、彰裕の子どもではないの?」
 「今日は彰裕さんの7回忌なんでしょう? この子は、2歳になったばかりなんですよ。そんなはずはないでしょう?」
 「彰裕が死んでいればね」
 「えっ!」
 「彰裕たち3人とも死んだことになっているけれど、彰裕の遺骨だけが見つかっていないの。もしかしたら生きているんじゃないかって思っていたの。ねえ、そうなんでしょう? その子は彰裕との子どもで、彰裕はどこかで生きているんでしょう?」
 叔母は水本の手を握って、目を覗き込んできた。水本が抱いている子どもは確かに水本彰裕の子どもだ。水本自身が産んだからだ。水本彰裕も生きている。しかし、それを言うわけには・・・・。
 「違います。失礼します」
 叔母の手を振りほどこうとしたのだが、叔母は手を握ったまま離さない。その握った手が小刻みに震えているのを水本は感じ取った。
 「どうして? どうして、あなたの手に彰裕と同じホクロがあるの?」
 水本の左手の小指の付け根あたりに、菱形に並んだホクロがあるのだ。水本は慌てて手を引っ込めたが、今度は叔母は髪の毛で隠れていた耳の後ろに指を入れてきた。そこには子どもの頃に怪我をしてできたケロイドがあるのだ。
 「信じられない。あなた、彰裕なのね?」
 叔母は、水本を頭の先から足先までまじまじと見つめた。水本は違うと言えなかった。
 「彰裕なのね?」
 もう一度聞かれて、水本はうんと頷いた。
 「どうして女の格好を?」
 「これにはいろいろと事情があって・・・・」
 「そう。で、その子はあなたの子?」
 「はい」
 「誰に産ませたの? 相手は誰?」
 「わたしが産んだんです」
 「えっ!!」
 その時の叔母の顔と言ったらなかった。鳩が豆鉄砲を食ったようと言うが、それ以上の驚きだった。
 「どう言うこと?」
 「話せば長くなります。できれば、父や母にあって事情を話したいんですけど」
 「わかったわ。でも、まだみんながいるわね。みんながいる前では話したくないでしょう?」
 水本は頷く。
 「もう1時間もすれば、みんな帰るでしょう。それからにしましょう。あなた、そこの喫茶店で待っていて。家の中が片づいたら、連絡するから」
 「すみません。ご迷惑をお掛けして」
 「いいのよ。他ならぬ、甥っ子のためですもの」
 叔母はにっこりと微笑んで、水本の家へ戻っていった。水本は、叔母が指定した喫茶店に入ると、アイスクリームを注文して、我が子と一緒に食べながら叔母の連絡を待った。

 1時間と少したった頃、喫茶店の電話が鳴り、ウエイトレスが、水本様おられますかと尋ねた。
 「わたしです」
 水本は立ち上がって受話器を受け取った。
 《彰裕? みんな帰ったわ。すぐに家に戻って》
 「はい」
 受話器を置いて礼を言うと、水本は支払いを済ませて実家へと向かった。

 実家の前で入ろうかどうしようかと迷っていると、叔母が出てきて水本の手を引いた。
 「何をしているの? 早く入って」
 中に入ると懐かしい臭いがした。居間に連れて行かれると、まだ喪服姿の父が顔を真っ赤にして座っていた。
 「その娘は誰だ?」
 父はまだ事情を聞かされていないらしく、酔いでとろんとした目を水本に向けてきた。
 「あなた、この娘、彰裕だって言うのよ」
 母は叔母から聞いていたらしいが、訝しげに父に告げた。
 「何を馬鹿な! 彰裕は死んだんだ。それに女じゃない!」
 叔母は水本を畳の上に座らせて、水本を見ながら父に言った。
 「彰裕には、他人にはない特徴があるでしょう?」
 「特徴?」
 「そう。ホクロとか」
 父は天井を見ながら考える。
 「左手の甲に菱形に並んだホクロがあったな」
 「左手の甲のどのあたりに?」
 「小指の付け根あたりだ」
 父がそう答えると、叔母が水本の左手を取って父に見せた。父は水本の手を取って穴があくほど見つめた。
 「こ、こんなホクロくらい、彰裕でなくてもある」
 叔母は呆れ顔で、他に特徴はと尋ねた。
 「お父さん、彰裕は子どもの頃怪我をして、耳の後ろにケロイドがあったでしょう?」
 母がそう言うと、そうだったなと父が答える。それを聞いた叔母が、水本の髪の毛を掻き上げて、ケロイドを見せた。
 父は息を飲んだ。
 「彰裕は女じゃないぞ。男だ」
 「それについては、わたしも聞いていないの。アキちゃん。さあ、あなたがどうして女の子の格好をしているのか、お父さんやお母さんに説明して」
 水本は、まず両手をついて頭を下げた。
 「お父様、お母様、ご心配をかけて申し訳ございませんでした。どんな説明をしても信じてはいただけないと思いますが、わたしは間違いなく、彰裕です」
 水本の目から涙がぽろりと零れた。
 「信じるか信じないか、ともかくその説明とやらを聞こうじゃないか」
 「はい。その前に、ひとつだけ、わたしが彰裕だという証拠をお示しします」
 「どんな証拠だ?」
 「ちょっと耳を貸してください」
 水本は、父に小声で耳打ちした。すると、父は目を見張った。いったい、なんですの?と叔母が尋ねる。
 「わたしとお父様だけの秘密です。そうですね?」
 「あ、ああ。そのことを知っているのは彰裕だけだ。信じられん。ホントに彰裕なのか?」
 「はい」
 水本は、アマゾンで拉致されたことから話し始めた。母や叔母がいる手前、ミゲルにフェラチオやアナルファックを強要されたことは伏せて、食料として与えられていた特殊なイモの作用によって女性化してしまったとだけ伝えた。
 「そのイモだけでは、ペニスや睾丸はなくならないだろう? それとも、ペニスも睾丸もなくなって、子宮や卵巣ができて、その子を生んだなんてことを言い出すんじゃないだろうな?」
 「もちろん、そんなことは言いません。実は、ゲリラと一緒に行動しているときに、赤ん坊を拾ったんです。カルロスって名前を付けて、可愛がっていたんです。アメリカの麻薬取締本部に助けられてアメリカに渡ったんですけど、カルロスを手放したくなくて、カルロスの母親になるために、ペニスと睾丸を切り取りました」
 「ふうむ・・・・」
 「そのときに手術していただいた外科の先生が、特殊な技術を使ってわたしに子宮と卵巣を作ってくれたんです」
 「子宮と卵巣を作る! そんなことができるのか?」
 「事実は小説より奇なりと言いますけれど、本当なんです」
 父は信じられない表情を浮かべ手首を左右に振った。
 「その子がカルロスか?」
 「いえ。カルロスは白血病で死にました」
 可哀相にと叔母が呟いた。
 「3年前、ロサンゼルスの銀行に勤めていた樋口って言う人と知り合って、結婚したんです」
 樋口が殺した妻の身代わりをしているなどと言う都合の悪いことは言わなかった。
 「男と結婚!」
 「はい。今のわたしは完全な女ですから」
 「戸籍は? 男のおまえが男とは結婚できないはずだ」
 「麻薬取締本部の方が、わたしが女になることを決意したとき、ミゲルの情報を与えた見返りとして女の戸籍を作ってくれたんです」
 「そうか・・・・。ホントに彰裕なんだな?」
 「はい」
 「ずっとここにいてくれるの?」
 母が涙声で言う。
 「男だったわたしが、女になって子どもを産んだなんて知れると、大騒ぎになってしまいます。だから、ここにはいられないでしょう」
 「それもそうだな」
 父は頷き、母は駄目なのともう一度尋ねた。
 「わたしは主人の元に戻ります。ただ、時々お父様、お母様に会いに来ますから、それで許してください」
 「わかった。おまえが生きていてくれただけでも嬉しい。贅沢は言うまい。なあ、母さん?」
 「え、ええ」
 母は仕方がないと小さく頷いた。水本だってこのまま実家にいたいのはやまやまだが、事情が事情だけに、そうもいかないのだ。
 しばらくの間、4人で話をしてから、水本はまた来ることを約束し実家をあとにした。

 樋口と暮らすことになったマンションに戻り、夕食の準備をしながら、荷物の整理をしていて見つけ出した菜津枝の日記を開いてみた。日記の前半分には、上流家庭のお嬢様らしい事ばかりが書かれていた。
 樋口との見合いは気が進まなかったようで、不満がたらたらと書かれている。政略結婚しなければならない不遇を嘆く文章が何枚にも渡って書かれていたのだった。
 『結婚したって、絶対に身体を許さない。向こうから離婚を言い出すようにし向けてやるわ』と書かれていた下りを見て、樋口から聞かされていた菜津枝の行動が、望まない結婚にあったことが原因だったことを知った。
 (無理矢理樋口と結婚させなければ、菜津枝さん、殺されることもなかったのに・・・・)
 やがてマンションに戻ってきた樋口に、菜津枝の日記を見せてやった。
 「それならそうと言ってくれれば、もっとうまくやれたのに」
 「知っていたらどうするつもりだったの? 結婚しなかったの?」
 「結婚はしたさ。俺には、佐藤家の婿という肩書きが必要だったからな。菜津枝が今のおまえみたいに従順だったら、あんな事にはならなかったのに」
 樋口はそう言ったが、望まない結婚でも、樋口がもっといい人だったらあんな事にはならなかったんだろうと水本は思った。
 「飯がすんだら、ふたり目の子作りに挑戦するかな?」
 樋口はそう言って水本の顔を見ながらニヤリと笑った。ホントのところは樋口には抱かれたくはなかった。けれど、子宮を得てから初めて関係した男でもあり、樋口の子どもももうけいている。水本がおとなしく樋口の指示に従っている限り、樋口は意外に優しかった。そんなこともあって、何とか夫婦としての生活を続けていた。ただ、樋口の子供を二度と産みたくなかったから、樋口には内緒でピルを服用していたのだった。

 樋口が仕事にいている昼間の時間は自由なのだが、菜津枝の両親、特に母親がしばしばマンションにやってきていた。だから、水本はなかなか実家には戻れなかった。しかし、なんかと合間を縫って実家に戻っていた。
 そして、最初に実家に戻って2ヶ月目のある日、実家を訪れて数時間を過ごして駅に向かっていたとき、水本のそばにワゴン車が止まった。
 目出し帽を被った数人の男たちがワゴンから降りてきて、水本はワゴンの中に連れ込まれてしまった。
 「おとなしくしていないと、息子を殺すぞ」
 ドスのきいた口調で言われて水本は黙り込むしかなかった。
 (ああ、また拉致されちゃった。今度はどうなるの?)