性転換手術を止めたから、ジョージのアパートメントに行こうとも思った。けれど、いったん別れを告げたのに、今更行くわけにはいかなかった。それにジョージとの生活をもう一度始めてしまったら、男に戻る決心が揺らぐと思った。
水本は、ジェシカに頼んでアパートと仕事を斡旋して貰った。もちろん、女としてだ。水本の今の容姿では男として働くわけにはいかないからだ。
ハイウエーにあるドライブインのウエイトレスという職業はスリリングだ。なにしろ、ノーブラでお臍丸出しのタンクトップに超ミニスカートというのが制服だからだ。男たちのいやらしい視線に曝され、まるでストリッパーのような気分がすると水本は思っていた。
お尻を触られたり、胸をひょいと触られることなど日常茶飯事だ。デートに誘われることは朝から晩まで続き、あからさまにホテルに誘われることもあった。
(性転換していれば、誘いに乗ってもいいけど、ペニスがあると知ったら、大抵の男は逃げ出してしまうだろうし、この職場も馘首になるだろうからな)
仕事が終わってアパートメントに戻ると、水本は強力なサポート力を持つGストリングを引き下ろして、隠していたペニスと睾丸を解放する。水本はこんな物取ってしまって女になろうかしらと思った。
2週間に一度、ドクター・シュレーダーの病院へ行って検査を受けているけれど、女性ホルモンレベルはわずかに下がった程度で、なかなか手術を受けられそうもなかった。
そうこうしている間に、ウエイトレスとして働き始めて半年が経過していた。そんなある日、東洋系と思われる女性のふたり連れがやってきた。話している言葉を聞いて日本人だとわかった。
(懐かしいなあ。久しぶりに日本語を聞くよ)
そう思いながら、水本は注文を聞くためにふたりのテーブルに行った。メニューを見ながら料理を決めたふたりのうちのひとりが水本を見た。
「菜津枝! 菜津枝じゃないの?」
水本の顔を見て目を丸くしてそう言った。
「違いますけど」
「嘘! あなた、絶対に菜津枝よ。ねえ、頼子?」
もうひとりの女性が顔を上げて水本を見た。
「菜津枝じゃないの。いったい、どうしてこんなところにいるの?」
その女性も水本の顔を見てそう言うのだ。
「すみません。わたし、菜津枝さんなんて名前じゃありません。他人のそら似でしょう?」
そう答えたのだが、ふたりは信用しない。
「何馬鹿言ってんのよ。あなたが菜津枝でなかったら、誰だって言うのよ!」
「そうよ。ご主人が探しているのよ。早く連絡しないと」
菜津枝という女性は、夫を残して失踪でもしているらしい。
「すみませんけど、わたし、アキ・スティーブンスという日系3世です。あなた方の言っている女性とは違います」
そう説明するのに、イヤ違うと言って譲らなかった。
「どこへも逃げ出さないでね」
完全にその菜津枝という女性だと思いこんでいるふたりに念を押された。
「わたし、ここで働いていますから、どこへも行きませんので」
そう言って、ふたりを送り出した。
「誰だ? あのふたりは?」
ドライブインの主人であるトムが水本に尋ねた。
「さあ。わたしを別の女性と勘違いしているみたいだわ」
「ここを辞めるなんて言い出すなよ」
「大丈夫よ。ここから出ていきやしないわ」
そう答えるとトムは安心したような表情を見せた。トムは水本に気があった。1年前に奥さんに死なれてひとり暮らしをしていた。働き者で愛嬌のいい水本に心惹かれていたのだ。年令がもっと近ければ、とっくの昔に求婚していただろう。今は娘のように可愛がってくれていた。
それから3日ほどたって、あのふたりのうちの頼子と呼ばれていた女性が、背の高い男性と共にドライブインにやってきた。
「菜津枝!」
その男性は、水本を見るなり、そう叫んで水本に抱きついてきた。
「何をなさるんですか!」
水本は男をふりほどいた。
「菜津枝! どうしてそんなことを言うんだ! ぼくのことが嫌いになったのか?」
「嫌いになるも何も、わたしは菜津枝さんという女性ではありませんから」
「何を言ってるんだ。君は菜津枝だ」
よほど水本が菜津枝という女性に似ているようだ。どうしても譲らない。困り果てて、水本は身分証をその男性に見せた。
「この通り、わたしはアキ・スティーブンスです。菜津枝さんとか言う女性ではありません!」
その男性は、頼子という女性と共に水本の身分証明書を穴の開くほど見つめた。
「ほんとに、アキさんって言うんですか?」
「何度も言ってるでしょう?」
そう言うとその男性はガックリと肩を落とした。
「どういう事情か、わたしに聞かせて頂けませんか?」
「聞いて貰えますか? あ、ぼく、こういうものです」
男性が名刺を水本に差し出した。大手銀行のロサンゼルス支店に勤めているらしい。名前は、Ichiro Higuchiと書いてあった。
「トム! テーブル、借りるわね」
「いいよ」
水本は、奥のテーブルにふたりを導いて座った。
「菜津枝さんと言うのはあなたの奥さんなんですね?」
「はい。1年前結婚したばかりなんです」
「どうして失踪を?」
「わかりません。仕事を終えてアパートメントに戻ったら、いなくなっていたんです」
「誘拐されたとか?」
「初めはそう思って警察に連絡しました。だけど、いつまでたっても身代金を要求する連絡がなくて、結局単なる失踪と言うことになって・・・・」
「聞きにくいことをお聞きしますけど、別の男性ができたとか?」
「こちらに知り合いはないし、こちらに来て一週間目の出来事でしたから、他の男性と知り合う機会などなかったはずなんです」
きっぱりと言った。
「もちろん、何かの犯罪に巻き込まれたと言うことはないのでしょうね?」
「部屋の中に争った形跡がないんです。だから、その線も薄いだろうと言うことでした」
「ずっと探してられるんですね?」
「はい。仕事を終えた後とか、休みの日を利用して」
憔悴しきったその男性を見ていると可哀相になった。しかし、水本がどうこうすることはできないのだ。
「すみません。人違いでご迷惑をおかけして」
小さな溜息混じりにそう言うとhiguchiは立ち上がった。
「いえ、とんでもありません」
立ち上がったふたりを水本は出口まで見送っていった。
「何だって?」
トムが心配げな顔をして近寄ってきた。どこかにスカウトでもされないかと心配していたようだ。
「彼の失踪した奥さんが、わたしにそっくりなんだって」
「へえ。アキみたいな美人が他にもいるんだな」
「ありがと」
「ずっと、ここで働いてくれるよな」
「これで何度目かしら? 同じ質問をしたの」
「あ、そうだな」
サムは頭を掻いた。
「心配しないでもずっといるわよ」
そう答えると、サムは安心したようにカウンターの向こうへ戻っていった。
その日の夜、水本はおんぼろアパートに戻ってシャワーを浴びていた。水本は、Higuchiと言う男たちが店を出て行ってからのことを思い出していた。
帰り支度をしているとサムがやってきたのだ。
「アキ? ちょっといいかな?」
「どうしたの? 何か用?」
脱いだ制服をロッカーに入れながら、サムの方を振り返った。
「実はアキにお願いがあるんだ」
「何でしょう? わたしにできることなら何でもしますけど」
水本はニッコリと笑ってサムを見た。サムは少し躊躇っていたけれど言い出した。
「俺の子供を産んでくれないか?」
「えっ!」
「親子ほども年の離れた俺みたいな年寄りの子なんか産みたくはないだろうな?」
「あ、いえ・・・・」
「やっぱりダメだろうな。忘れてくれ」
一方的にそう言うと、水本の返事も聞かずに戻っていった。
(性転換したあとで、好きだから結婚してくれって言われたんだったら、オーケーを出してもよかったんだけど、俺の子供を産んでくれないかだものなあ。わたしに子供が産めたら問題はないんだけど・・・・)
水本は、股間にぶら下がっているものを恨めしく眺めた。
(日本のお風呂が懐かしいなあ)
シャワーの流れる音に何かの音が紛れ込んでいるような気がした。ふと部屋の方を見ると目出汁帽を被った男の姿が目に飛び込んできた。
(強盗!)
キャアと叫ぼうとするより早く、口を押さえられた。
「静かにしろ! おい! 急げ!!」
男の背後にもうひとりの男がいた。その男の手には注射器が握られていた。水本は藻掻く。けれど、男の強い力にはまったく敵わず、尻に痛みが走った。
目が回り始め、身体から力が抜けていった。
(この男たちはいったい誰だ? どうなるんだ?)
毛布らしいもので体を覆われているのを感じながら水本は意識を失った。