第12章 カルロスの死

 ジョージと暮らし始めて2ヶ月がたった。水本はジョージとの生活に満足しきっていた。そんなある日、ジェシカから電話が入った。
 《アキヒロ、手術の順番が近くなったわ。一度診察に行きなさい》
 「手術?」
 《女になる手術よ》
 そうだったと水本は思い出した。ジョージとの生活には何の支障もなかったから、すっかり忘れてしまっていた。
 「あ、ああ。その手術ね」
 《するんでしょう?》
 そう問われて一瞬迷ったけれど、考えてみれば、このままだったら、カルロスが大きくなったときに困るのだ。
 「もちろんです」
 《では、明日の午前9時にもう一度、ドクター・シュレーダーの病院へ行きなさい。彼が準備を整えてくれる手はずになっていますから》
 「わかりました」
 電話を切ったとき、ジョージが丁度帰ってきた。
 「ジョージ、手術の順番が近いって」
 「手術。性転換の?」
 「そうよ」
 「・・・・そうか。やはり手術するんだな」
 あまりいい表情はしなかった。
 「ジョージは今のままの方がいいの?」
 「・・・・実は、そうなんだ」
 この頃には、ジョージの性癖が何となくわかるようになっていた。ジョージはペニスがある女とのセックスが好きなのだ。前の奥さんと別れた原因もそのあたりにあると水本は思っていた。カルロスの父親になりたいと言ったのも、水元を抱く口実だったことも察していた。
 「でも、カルロスのためだから・・・・」
 カルロスがいなかったら、水本はこのままの状態でジョージと一緒に暮らしたいと思っていた。けれど、ジョージには悪いが、ジョージの代わりはいてもカルロスの代わりはいないとも思っていた。天秤に掛ければ、カルロスの方が水本にとって大事なのだ。
 「そうだな」
 「いいのね?」
 「いいも悪いもないさ。アキの問題だから」
 ジョージとはこれで終わりになりそうな気がした。
 「抱いて。今の姿では最後になるかもしれないから」
 「ああ。一晩中抱いていてやるよ」
 その夜、ジョージは水本をホントに一晩中抱いた。ジョージの放ったものを何度受け入れたかわからない。このまま死んでしまってもいいと思うくらい満足させてくれた。

 夜が明けて、水本は心を込めて朝食を作った。ジョージは美味い美味いと言って食べてくれた。
 「今日から南米へ出張なんだ」
 アパートメントを出るとき、振り返ってジョージが突然言った。今までそんなことを言って出かけたことがなかった。
 「気をつけてね」
 水本はジョージの首にすがってキスをした。
 「アキ。いい母親になるんだぞ」
 水本にとって、それは別れの言葉に聞こえた。涙がこぼれた。
 「じゃあ、行ってくる」
 水本は、ジョージの姿が見えなくなるまで手を振った。
 (ありがとう、ジョージ。あなたのことは一生忘れないわ)

 水本は、ジョージのアパートメントを水本がそれまで一緒に暮らした痕跡を完全に取り除くかのように隅から隅まで掃除した。
 自分の持ち物はすべてバッグに詰めると、カルロスを伴ってアパートメントを出た。鍵は郵便受けに入れておいた。
 (サヨナラ、ジョージ)
 水本は、ドクター・シュレーダーの待つ病院へと向かった。

 ドクター・シュレーダーは水本を笑顔で迎えてくれた。
 「遅くなってしまった。待っただろう?」
 「イエ、とんでもありません」
 待っている間にジョージとの素晴らしい日々があった。2ヶ月も待ったなどと言う感覚はなかった。
 「早速だが、明後日にでも手術ができそうだが、準備はいいかね?」
 「ええ。覚悟はできています」
 ニッコリ微笑んで水本は答えた。
 「それでは、術前の検査をしておこう」
 「よろしくお願いします」
 カルロスを預けて、術前検査を受けた。2ヶ月前とほとんど同じ検査だった。検査がすむと、同じようにドクター・シュレーダーが説明をしてくれた。
 「まったく問題はない。ただ・・・・」
 「ただ?」
 「不思議なことに、女性ホルモンがここ2ヵ月間ずっと同じレベルだ」
 「はっ?」
 「あのイモは食べていないんだろう?」
 「はい」
 「だったら、女性ホルモンのレベルが下がってきてもいいんだが・・・・。まさか女性ホルモンを飲んだりはしていないだろうね?」
 「とんでもないです」
 「そうか・・・・」
 ドクター・シュレーダーは首を傾げた。水本にも心当たりはなかった。
 「まあ、いいだろう。手術には問題ないからな。手術は明後日の午後になった。明日の午後入院してくれたまえ」
 予定表を見ながら、ドクター・シュレーダーが水本に言った。
 「お願いいたします」
 「まかせたまえ。他の部分に相応しい形にしてあげるから」
 その時初めてドクター・シュレーダーは水本に笑顔を見せた。

 その日は病院近くのホテルに泊まった。夕食は軽めにと言われ、カルロスと共にサンドイッチを食べることにしたのだが、カルロスの食が進まない。
 「どうしたの? カルロス?」
 額に手をやると、熱が出ているようだった。ホテルマンに頼んで体温計を取り寄せて計ってみると39度も出ていた。
 水本は慌てて病院へと駆け込んだ。単なる風邪くらいに考えていたのだけれど、医者の顔色が変わったのをみて、水本は不安を隠せなかった。
 「カルロス君のお母さんは?」
 「わたしです」
 医者の前に水本は進み出た。
 「歯茎から血が出ていたと言うことには気づきませんでしたか?」
 「気づきませんでしたが・・・・」
 「そうですか・・・・」
 「何か、悪い病気なのですか?」
 医者の態度に、水本はますます不安になった。
 「カルロス君は急性骨髄性白血病です」
 「白血病!」
 「そうです」
 「助かるんですか?」
 「わかりません。ですが、できる限りのことはやってみましょう」
 カルロスが重病になった以上、性転換手術などやっている場合ではない。水本はドクター・シュレーダーに断りの電話を掛けた。
 《子どもさんが病気なら仕方がないな。落ち着くまで延期しよう》
 快くそう言ってくれた。

 長い付き添いを覚悟していた。けれど、それはアッと言う間に終わってしまった。入院して5日目、カルロスはあの夜へ旅立ってしまったのだ。
 「カルロス! カルロス!!」
 水本は泣き叫んだ。せっかく母として生きようと決心したのにと悲しみで一杯だった。

 カルロスの葬式が終わって、水本はドクター・シュレーダーに電話した。
 「手術はもう止めます」
 《どうしてだ?》
 「カルロスが死んでしまったんです。女になる理由がなくなりました」
 《そうか。それなら仕方がないな。すると、男に戻る手術をしなければならないが?》
 「そうですね。でも、女性ホルモンのレベルが高いとおっしゃってましたね? 大丈夫なんでしょうか?」
 《できれば、低くなってからにした方がいいのだが》
 「じゃあ、少し待ちます」
 《そうしてくれるか? それはありがたい。もう少し経過を追いたかったんだ。助かるよ》
 「それでは、明日にでもホルモン検査に参ります」

 翌日受けたホルモン検査でも、水本の女性ホルモンレベルは正常女性と同じレベルに保たれていた。しかも、男性ホルモンレベルも女性並の低い値だった。ドクター・シュレーダーは、首を傾げるばかりだった。
 「男に戻る手術は無理ですか?」
 「いくら何でも今は無理だ」
 「下がってくるんでしょうか?」
 「いつまでも女性ホルモンが高いはずはないんだ。分泌する場所がないんだからね。だから、時間がたてば、レベルが下がってくると思うんだ。もう少し経過を追わせて貰えないか?」
 「そうですね。下がれば、男に戻れますよね」
 「ああ。保証するよ」
 ドクター・シュレーダーの笑顔に送られて病院を出た。