我が目を疑ったその人物とは、ぼくだった。いや、倉田崇だった。ぼくは、目を両手でこすり、頬を抓って、もう一度その人物を見たが、間違いなく、倉田崇だった。
「どうしてそんなにビックリしているだい?」
「あなたが、実在の人物だったなんて信じられないわ」
倉田崇は首を傾げた。
「ぼくも、倉橋茜が実在するなんて、思ってもみなかったよ」
今度はぼくの方が首を傾げた。
「どう言うことなんですか?」
「ぼくの身に起こっていることを話そう。腰掛けてもいいかな?」
「あ、どうぞ」
倉田崇は、ぼくのベッドサイドに椅子を持ってきて座ると、ぼくの顔をじっと見ながら話し始めた。
「ぼくの名前は、倉田崇」
「知ってるわ」
「どうして、ぼくの名前を知ってるんだい?」
「夢の中に出てきたの」
「そうか・・・・」
倉田崇は少し考え込んだ。それから、意を決したように話し始めた。
「半年前までは、ぼくは倉橋茜だった」
その言葉を聞いて、ぼくの頭は大混乱に陥った。
「・・・・と、思っていた」
ぼくは首を傾げた。
「思っていたって、どういう意味ですか?」
「去年の梅雨明け頃までは、ぼくは、高校2年生の女子高生、倉橋茜として暮らしていた。これは事実と違うかもしれない。だけど、ぼくの中の記憶には、その記憶しかないんだ」
去年の梅雨明けまでと言うと、ぼくの方も倉田崇としての記憶しかない。
「その頃から、ぼくは倉橋茜ではなく、倉田崇という男として暮らしていると言う夢を見るようになった」
ぼくとまったく逆の夢だ!!
「起きているときは、倉橋茜で、眠ってしまうと夢の中で、倉田崇という具合だ」
ぼくの目は爛々と輝いていたのに違いない。
「9月を過ぎた頃から、どちらが現実で、どちらが夢なのか分からなくなってきた。そして、11月に入ってからは、ぼくはずっと倉田崇のままだ。ただし、意識の上では、倉橋茜なんだけどね」
「わたしと同じだわ。わたしは、ずっと倉田崇だった。去年の夏頃から、倉橋茜として暮らしている夢を見るようになって、やっぱり11月からは、倉橋茜のままなの。わたしも姿は茜だけど、人格は倉田崇なの」
「互いに同じ様なことが起こっているようだね」
「わたしたち、入れ替わったってこと?」
倉田崇は、腕組みをして考え込んだ。
「そう考えるのが妥当だと思うけど、現実には、そんなことは起こらないだろう」
「だって、実際わたしたち、入れ替わっているじゃないの?」
「入れ替わりということじゃなくても、説明できるよ」
入れ替わったと考えるのが一番簡単だ。しかし、そうでない理屈があると言う。ぼくには、にわかに信じがたいことだった。入れ替わったと言う方がもっと信じられないと言えば、信じられないことではあるが・・・・。
「茜ちゃんは、ぼくが今日ここに来るまで、自分の置かれた状況をどう考えていた?」
「わたしは・・・・、わたしは二重人格で、倉田崇という人格が、倉橋茜の人格を押さえつけてるって、考えていたわ」
「うん。それは、ぼくも正しいと思う。ぼくもまったく同じことを考えていた。詳しく説明しよう。ぼく、倉田崇は、そろそろ40になろうとしているのに、結婚相手もいない。仕事も面白くない。夢を見て、夢の中で遊んでいた」
「それはわたしも同じだわ」
倉田崇は頷く。
「うんと若返りたいと思った。どれくらいと言う概念はなかったけど、恐らく、一番楽しかった高校生くらいに若返りたいと願ったんだ」
「それで?」
「夢の中に、高校生としての自分を作り上げた。その時、あくせく働かないで済む女がいいなと思った」
「そんなの、女に対する侮辱だわ」
「そう言わないで、黙って聞いてくれ」
「分かったわ」
「だから、高校2年生の女の子を夢の中に作り出した。そして、その女の子になったつもりになった。・・・・何も言うな。何も言わないで、聞いてくれ。夢の中に出てくる女の子の方が、40前の男より、数段楽しい。次第に自分は17歳の女の子だと思うようになる。そして、男の人格を押さえつけてしまったんだ。実際には、39歳の男なのに・・・・」
「わたしと同じことを考えていたのね」
「茜ちゃんもそう考えていたのなら、話しは早い」
「でも、夢の中で作り上げた人が実在するなんて・・・・。おかしいでしょう?」
「それは確かにそうだ。ぼくは、自分は倉橋茜だと思っている。だけど、実際の倉橋茜、きみとは違うと思う」
「どうして?」
「17歳の女の子として、思い浮かんだのが、高校時代の悪友の娘だった。それが、茜ちゃんだ」
「でも、わたしには会ったことがないでしょう? 顔を知らないはずなのに・・・・」
「茜ちゃんには、会ってない。だけど、むかし茜ちゃんのお母さんには会っている。あのお母さんの子どもで17歳なら、こんな容姿をしていると、容易に想像できるんだ」
「なるほど・・・・。あなたのことは分かったような気がしたわ。だけど、わたしはどうなの? わたしは、あなたとは何の縁もゆかりもないのよ」
「茜ちゃんは、心の底で、女であることを忌み嫌っていた。だから、男になりたいと思った」
「・・・・そうだと思うわ」
「茜ちゃんは、お父さんのことが大好きだ。だから、お父さんと同年齢の男になろうとした」
納得できるような気がする。
「ぼくとお父さんは、倉田と倉橋で出席番号が近いから、いつも一緒だった。高校時代の集合写真なんかは、ほとんど隣に写っているよ。だから、ぼくの名前を何処かでインプットしていたんだ」
「分からないけど、そう言うことにして置くわ。でも、顔の方は?」
「10年前の同窓会の写真じゃないかな? ぼくは、結婚してないから、結構若作りにしている。だから、その頃とあんまり変わっていないからね」
「じゃあ、わたしが倉田崇だと思っているのは、ただの偶然だと・・・・」
「そうだろうね。非常に稀なケースだろうけど、二重人格の人間がふたりいて、作り上げた自分とは異なる性の人格が、たまたま互いによく似ていたと言うだけだろう」
「なるほどねえ・・・・」
何となく理解できたような気がした。入れ替わりなど、あり得ないことだから、倉田崇の説明は正しいと思う。
ぼくは、初めから倉橋茜。二重人格で生まれた男の人格がこの体を支配している。以前考えたことが、やっぱり正解なのに違いない。ぼくという男の人格は、自分は倉田崇であると自覚しているようだが、実物とは関係ないと言うことだ。
だとすれば、ぼくが倉田崇の記憶だと思っているものは、倉田崇のものではないことになる。
「わたしね。男になったって夢の中で、芦屋雁之助が女になったような人とお見合いしたのよ。おかしいでしょう?」
「おかしいねえ。芦屋雁之助にそっくりな女なんて可愛そうだよ」
「でも、夢に出てきたその女の人、ほんとにそっくりだったのよ」
「へええ」
それから、ぼくの男性としての記憶と、倉田崇の女性としての記憶を互いに話した。共通するところはなかった。当然と言えば当然だった。互いにその頃の記憶がないのだから。
「どうしてここに来たんですか?」
話しが一段落して、ぼくは倉田崇に聞いた。
「いや、一昨日、同級生から、倉橋の娘が、つまり君のことだけど、子供を産んだって聞いたんだ。名前を聞いたら、茜って言うじゃないか。倉橋茜って言えば、ぼくが自覚している名前だ。だから、好奇心で、会いに来たって訳だよ」
「そうだったんですか」
「ぼくが思っていた女の子とそっくりだったから、ビックリしたけどね」
「でも、疑問が解けて良かったわね」
「お互いにね」
「そうね。なんだかすっきりしたわ」
「今は倉橋じゃないんだろう? 新しい名前は何と言うんだい?」
聞かれたくないことを聞かれてしまった。目の前にいる倉田崇は他人のような気がしなけれど、まだ未婚で、しかも、父親が分からないとは即答できなかった。
「どうしたの?」
「わたし・・・・、結婚してないんです」
「えっ!? なんだって?」
「父親の名前も分からないんです」
「・・・・どうして?」
「・・・・言いたくない」
ぼくは下を向いて、唇をかんだ。
「・・・・そうだね。そんなこと、赤の他人には言いたくないよね。ごめん」
「いいんです。わたしがしたことだから」
「じゃあ、帰るよ。お見舞いも何も持ってこなくて悪かったね。二、三日したら、お宅にお祝いを送っておくよ」
「そんなことされなくっても・・・・」
「いいんだよ。ぼくと茜ちゃんは他人じゃないような気がするから」
そう言い残して、倉田崇は病室を出ていった。
ぼくは、倉田崇と自覚する男の人格のままでいいのだろうか? 倉橋茜の人格が蘇れば、ぼくの人格はなくなってしまう。それは、ぼくの死を意味する。それは以前にも考えたことだ。しかし・・・・。
考えに考えた末、ぼくは、茜の人格に体を返すことにした。それが本来ある姿だからだ。
「お父さん、話しがあるの」
ぼくは、自分の今の状態を詳しく父に話した。
「してはいけないことをしてしまったことから逃げるために、二度と同じ過ちを犯さない男の人格を作り出したんだろうね」
さすがに父は鋭い。ぼくという男の人格を作り出した原因を一発で見抜いてしまったようだ。
ぼくは、『ぼくを殺した女』の中にも出てきた催眠療法を受けることにした。
父の高校時代の同級生で、医者になった人間も何人かいた。その中に、精神科の医者もいた。その同級生は、ぼくが二重人格らしいと聞いて、大乗り気で引き受けてくれた。
しかし・・・・。
「出てこないぞ」
「桜井。おまえのやり方が悪いんじゃないのか?」
「そんなことはない。茜ちゃんは二重人格なんかじゃない」
「もっといい医者に診てもらう」
「・・・・仕方ないなあ。教授に頼んでやるよ」
その何日か後、もう一度、催眠療法を受けた。しかし、結果は同じだった。
「二重人格じゃないですね。これは、誤認、自分は男だと思いこんでいるだけでしょうね。女であることを忌み嫌った末のことだと思いますよ」
「直るんでしょうか?」
「女である喜びを知れば、直るでしょう」
女である喜びを知るって、どうすればいいのだろうか? 男に愛されることだろうか? ぼくに本当に愛する人が出来て、女に戻りたいと願ったらいいのだろうか? 分からない。
ぼくの過去の記憶は、倉田崇として作られた記憶で埋められている。倉橋茜としての記憶がないから、いろいろと困ることが多い。
ぼくは、下田喜美子に頼んで、ぼくについて知っていることを教えてもらった。下田喜美子は、倉橋茜の小学校時代からの友人だから、いろいろと知っているのだ。
下田喜美子の話しを聞いているうちに、ぼくは愕然となった。その話しは、倉田崇から聞いたものとほとんど変わらないものだったのだ。倉田崇の中にある、倉橋茜の記憶は、本物なのだ!! しかもぼくは二重人格ではないと診断された。と言うことは・・・・。
ぼくは、書き留めて置いた倉田崇の電話番号をプッシュした。
「倉田さんですか? わたしです。倉橋茜です。お話ししたいことがあるんですけど、今、いいですか?」
「ああ、茜ちゃん。ぼくも電話しようと思っていたんだ。ぼくたち、やっぱり入れ替わっているんじゃないかな。そう言うことだろう?」
「そ、そうなの。この前倉田さんから聞いた、倉橋茜の記憶は、倉田さんの中にある女の人格が作ったものじゃなくて、ほんとに倉橋茜のものなの」
「こっちもそうだ。茜ちゃんから聞いた、倉田崇としての記憶は、間違いなく、倉田崇のものだ」
「先週、わたし、精神科の先生に掛かったの。そしたら、わたしは二重人格じゃないって。そしたら、考えられることは、入れ替わりしかないの。ほんとに、人格が入れ替わるなんてことがあるの?」
「分からない・・・・。そんなことは絶対あり得ないと思っていたから、この前、あんな推論を立てたけど、入れ替わったって言うのが、ホントは一番説明し安いんだよね」
「そうだとしたら、・・・・元に戻るかしら?」
「入れ替わったのが事実とすると、恐らく、ぼくたちは、夢で連動して、入れ替わったんだろう。茜ちゃんは、最近夢を見るかい?」
「まったく見ないの。いえ、見てるんだろうけど、覚えてないの。以前は、まるで起きているように感じていたのに・・・・」
「ぼくもなんだ。最近は記憶に残る夢はまったく見ないんだ」
「そうなると・・・・」
「以前のように夢を見ないと元に戻らないかもしれないな」
「じゃあ、どうしたら・・・・」
ぼくは途方に暮れる。
「このまま、君は倉橋茜として、ぼくは倉田崇として暮らして行くしかないだろうね」
元に戻らない以上、そうするしかないのだが・・・・。
「・・・・茜ちゃん」
「何ですか?」
「ぼくたち、結婚しないか?」
「ええっ!?」
「生まれた子供さんに父親がいないと困るだろう?」
「え、ええ」
「それに、この先、別々に結婚したとしよう。何年かたって、元に戻ったとき、お互いに困るだろう? すぐに元に戻るって言うのなら別だけど」
突然の提案にぼくは戸惑う。しかし、よくよく考えてみれば、確かにそうなのだ。
「それもそうよね・・・・」
「年が離れすぎているかなあ」
「22も違うんですものね」
「だけど、そするのがベターだと思うけどね。年が離れているから、すぐに名乗り出られなかったと言うことにすればいい」
「父や母が許してくれるかしら? 入れ替わったなんて話しは信じてもらえないでしょうし・・・・」
「分からないけど、何とかなるだろう。ぼくが説得してみるよ。今度お父さんが、帰ってくるのはいつ?」
「再来週の土曜日よ」
「じゃあ、午後、伺うから」
「分かったわ。待ってます」
入れ替わりは本当だろうか? 電話が切れたあとも、もう一度考え直してみた。しかし、そう思わざるを得ない。
倉田崇との結婚。それは正しい選択なのだろうか?