第7章 見つからない

 次は先輩の番だ。雲を掴むような話し。下田喜美子の手を借りるしかない。土曜の午後、ぼくは下田喜美子の家を訪ねた。
 「キー子、お願いがあるんだけど・・・・」
 「何なの? 改まって」
 「わたし、ある人を捜しているの」
 「ある人?」
 「このスカートを買ったときに会った先輩」
 夢の中であの日買ったスカートがクローゼットにあった。それを穿いてきていたのだ。
 「このスカートを買ったときに会った人?」
 「そうよ」
 「ちょっと待って、そのスカートを買った日って・・・・。高松先輩、そう、高松先輩だったわ」
 「高松先輩・・・・」
 「あなたの憧れの人ですものね。中学時代の」
 「今どこにいるか知らないでしょう?」
 「わたしが知ってるわけがないでしょう? あなたの方こそ知ってるんじゃないの?」
 「・・・・」
 「何か変ね。どうかしたの?」
 「何でもないわ」
 下田喜美子は首を傾げている。名前が分かったら、今日は下田喜美子に用事はない。妊娠がばれないうちに退散だ。
 立ち上がろうとするぼくを、下田喜美子が制した。
 「茜! あんた、妊娠してるわね」
 図星を突かれて、ぼくは動揺した。
 「そ、そんなことないわよ」
 「嘘でしょう。ダイエット命のあなたが、そんなに太るわけがないもの。それに、そのお腹の出方は、普通じゃないわ。胸だって大きくなってるし」
 下田喜美子の観察は鋭い。もう言い訳はできない。
 「親友のわたしを騙そうって言うの?」
 「ごめん。隠すつもりじゃなかったんだけど、こんなこと、わたし・・・・、他人に言えないもの・・・・」
 「わたしは他人なの? そう言う付き合いだったの? 茜!!」
 下田喜美子は、怒っているというより、悲しげな目でぼくを見た。
 「悪かったわ。あなたにだけは言うつもりだったんだけど・・・・」
 「それで?」
 「父親が分からないの」
 「ええっ!! 何ですって?」
 「高松先輩か? もうひとりの人だってことは分かってるんだけど、どちらなのか・・・・」
 後藤純一と佐藤俊介の件は伏せた。どちらも関係なさそうだからだ。
 「分からないなんてことがあるの?」
 「分からないから、調べてるのよ」
 下田喜美子は、訳が分からないと言うような顔をしてぼくを見ていた。
 「高松先輩の居所が分からないのね」
 「・・・・そう」
 「何とかしてみるわ。ちょっと待ってて」
 下田喜美子は、携帯電話をかけ始めた。
 『野球部の高松先輩。そう、ピッチャーやってた、かっこいい人。今どこにいるか。知らない?』
 『知らないわ』
 そんな会話が、10人ほど続いた。
 『知ってるわよ』
 『知ってるの? 住所か、電話番号を教えて?』
 『電話番号なら分かるわ。あのね。・・・・』
 下田喜美子は、メモに電話番号を書き留めている。
 「ハイ、茜。これが電話番号よ」
 ごくりとつばを飲み込む。
 「早く電話しなさいよ」
 「分かった」
 メモに記された番号を押した。どきどきして待ったのに、聞こえてきたのは、『ただいま、電波の届かないところへ行っています。しばらくしてお掛け直しください』のアナウンスだった。

 「キー子。誰にも言っちゃ、だめよ」
 「勿論だけど、・・・・そのお腹じゃ、すぐに知られちゃうわよ」
 「そうだね。それまでに父親を捜さなくっちゃ」
 「高松先輩だったらいいね」
 「・・・・そうね」
 「なんだ。高松先輩はいやなの?」
 「そうじゃないわ。そうじゃないけど・・・・」
 高松という先輩ではないような気がしていた。女の勘だ。

 茜の母親は、諦めたのか、出産用品を買い込み始めた。まだ、かなり早いというのに・・・・。
 買い物に出掛けて誰もいない家から、高松の携帯に電話した。
 『はい。誰?』
 『茜です。倉橋茜』
 『ああ、茜か。久しぶりだな。どうかしたか?』
 『会って、お話したいことがあるんですけど・・・・』
 『ちょっと忙しいんだ。会えない』
 夢の中と違って、ずいぶん突っ慳貪な返事の仕方だ。
 『ちょっとだけでいいんです。30分でも、いえ、10分でも・・・・』
 『・・・・仕方ないな。じゃあ、明日の午後2時。上野動物園の西郷さんの前で』
 『午後2時。上野動物園の西郷さんの前ね』
 『遅れたら、もう会わないからな』
 『絶対来てね』
 『行ってやるって、言ってるだろう!』
 電話が切れた。茜のことは、眼中にないって感じだ。妊娠したと打ち明けても、すぐに逃げそうな様子だ。
 例え、お腹の子供の父親が高松でも、佐藤俊介に父親になってもらおうかなと思うぼくは、ホントに悪い女だ。

 翌日の日曜日。朝早くから目が醒めた。ぼくが倉橋茜というのは夢で、目が醒めたら、倉田崇に戻っていないかなといまだに思うのだけど、願いは叶わない。
 「上野動物園に行って来るわ」
 「ひとりで行くの?」
 「キー子と」
 「気をつけるのよ。あなたひとりの体じゃないんだから」
 「分かってるわ」
 下田喜美子も一緒にいてくれることになっていた。ただ、高松との交渉をするときは、離れて様子を窺ってもらい、こじれるようだったら、出てきてもらうことにしていた。

 約束は午後2時だったが、遅れて会えないと困るので、1時半には、西郷さんの銅像前に着いた。
 「茜、わたしはあそこで見てるから」
 「ごめんね。変なことに巻き込んじゃって」
 「親友だもの。これくらい平気よ。じゃあ、頑張って」
 下田喜美子は、20メートルほど離れたベンチに腰掛けて、文庫本を片手にジュースを飲みながら、ぼくの方を監視している。
 ぼくは、銅像の前に立って、きょろきょろと見回しながら、高松がやってくるのを待った。

 午後2時を廻っても、高松はやってこない。30分も過ぎた頃、高松がようやく姿を現した。遅れて来たと言うのに、急ぐ様子は微塵もない。
 「遅れて済まない。急用ができちゃって」
 「もう来ないのかと思ったわ」
 「式の準備で、忙しくてさあ」
 「式って、まさか・・・・」
 「3月、結婚するんだ。それで結構忙しくってさあ」
 「結婚されるんですか?」
 「で、用事は何だ?」
 高松は、ポケットから煙草を取り出して、火をつけた。
 「わたしとは、遊びだったんですね」
 「何を今更。茜の方がそれでいいって言うから、寝てやったんじゃないか」
 寝てやった・・・・。なんて言い方だ。
 「・・・・妊娠したの」
 高松は、驚きもせず、ふうと煙草の煙を吐き出してから言った。
 「そう言うのは、なし。それがほんとでも、俺の知ったこっちゃない。避妊は完璧だったし、おまえが安全日だとの賜っても、コンドームをした。絶対俺の子じゃない」
 「でも、コンドームだけだったら、失敗するかも」
 「失敗しようとどうしようと、例え俺の子どもでも、俺は関係ない。そう言う約束だった。忘れたのか!?」
 完全に遊びと割り切って、この男と寝たというのか? この倉橋茜という女は、なんて女だ。しかも、この男だけじゃないのだ。涙がこぼれた。
 「涙なんか流しても、俺は動じないぜ。じゃあ、帰るからな」
 ぼくは、もうどうでもいいという気持ちになっていた。
 「彼女に飽きたら、電話するからさ。その時は付き合ってくれよ」
 「ばか! おまえなんか、死んじまえ!」
 「何だよ。この淫乱女!」
 まわりにいる人たちがぼくらを一斉に見た。ぼくは、怒りよりも恥ずかしさで、その場にしゃがみ込んで泣いた。

 ぱしっと頬を叩く音がした。目を上げると、ぼくより綺麗な女が、高松の前に立っていた。
 「あなたが、そんな男だとは知らなかったわ」
 高松は、おろおろしている。
 「婚約は破棄よ。さよなら」
 女は、高松を残して走り去っていった。女は、高松が結婚すると言っていた女のようだ。
 「何で、ここにいるんだよ」
 高松は、半べそをかきながら、女の後を追っていった。

 「いい気味だわ」
 下田喜美子が、ぼくに近づいてきて呟いた。
 「憧れていたのに、ガッカリね」
 「そうね・・・・」
 「あいつが父親かしら?」
 「違うと思うわ」
 「どうして分かるの?」
 「勘よ。わたしの勘があいつじゃないって」
 「それがほんとなら、良かったじゃない。あんなやつが父親じゃなくて・・・・」

 確かめたわけではないが、高松も違うと確信していた。残るは、茜が処女をささげた男、あの心が安まると思った男だ。最初から、あの男だと思っていた。
 今思えば、快楽のために男と関係を持つ茜が、そうそう妊娠するわけがない。ぼくが知る限り、避妊を切り出していたのは、茜の方だ。
 あの男の時は・・・・。避妊の話しは出てこなかった。安全日だという言葉も。となると・・・・。茜は、あの日初めからあの男の子どもを身ごもるつもりで、関係を持ったとしか考えられない。
 誰だ! あの男は・・・・。
 顔が分からない。部屋の中しか見ていない。何も手がかりがない。

 茜は日記の類をまったく残していない。机の中を全部探してみたけれど、あの男につながる情報は得られなかった。
 父親が見つからないまま、時は過ぎ去っていった。

 茜の父親が、一ヶ月ぶりに福岡から帰ってきた。ぼくは、母のそばに座って、父親に妊娠したことを告げた。
 「女の子だから、そのうち子どもを産むことになるとは思っていたが、こんなに早くそうなるとは思わなかったよ」
 父親からも平手打ちが飛んでくると思って覚悟していたのに、茜の父親は、ソファーに腰掛け目を瞑ったままそう言った。
 「怒らないの?」
 「できてしまったものは、どうしようもない。堕ろせない時期になっていると言うしな。今は、元気な子どもを産むことに専念することだ。分かったね、茜」
 「ごめんなさい。ごめんなさい」
 怒られた方が、ずっと楽だったに違いない。父親は、娘にはずっと処女でいて欲しいと願うものだと聞いていた。娘を嫁にくれと言ってくる男を殺してやりたいと思うとも聞いた。倉田崇の社長が、そう言っていたのだ。
 茜の父親の心境を思うと、何度謝っても済まないと言う気持ちだった。
 「学校の方はどうするんだ?」
 「まだ誰にも知られてませんけど・・・・」
 茜の母親が呟く。
 「こちらから出向いて、妊娠の報告をしよう。黙っていると、後ろめたいと思われる。父親は、しばらく伏せておくと言うことにして」
 「そうした方がいいのかしら・・・・」
 「ベストとはいわんが、ベターだろう」
 「どんな風に話せば・・・・」
 「わたしに任せて置きなさい」
 茜の父親は何と懐が深いんだろう。さすがに若くして大きな商社の部長をしているだけのことはある。

 翌日、茜の父親は、学校へ出掛けていった。学校での話しが終わって、すぐに福岡へ帰ってしまたが、茜の母親から聞いたところによると、上手く話しをして、学校側を納得させたそうだ。
 その話しというのは、こうだ。
 この倉橋茜には、昔から決まった婚約者がいて、高校を卒業したら、結婚させるつもりだった。
 避妊に失敗して妊娠してしまったが、最初の子どもだから産ませてやりたい。
 高校2年がもうすぐ終わるから、それまでは学校へ通わせる。子どもは5月に産まれる予定だから、3年は休学とする。来年子どもが大きくなったら、復学して、卒業させ、その後に結婚させる。
 と言うものだ。なかなか上手いストーリ−を思いついたものだ。

 「茜。婚約者がいるんだって?」
 下田喜美子が、にやりと笑ってぼくに尋ねた。
 「あなたには隠さないわ。お父さんが思いついた嘘よ」
 「なかなか上手いこと思いついたものね。で、父親は分かったの?」
 ぼくは首を振った。
 「そうなの。このまま子どもを産んで、卒業するのはいいけど、どうするつもり?」
 「なるようになるでしょう」
 「そうね。ケセラセラね」
 「そう言うことよ。子持ちでも、結婚してくれって言ってくれる男がいるかもしれないから」
 「茜くらいの美人だったら、大丈夫よ」
 「ありがと」
 「わたしも、子ども、産みたいな」
 「もっと後にした方がいいわよ。人生をもっと楽しんでからに」
 「・・・・そうね、そうするわ」