次は先輩の番だ。雲を掴むような話し。下田喜美子の手を借りるしかない。土曜の午後、ぼくは下田喜美子の家を訪ねた。
「キー子、お願いがあるんだけど・・・・」
「何なの? 改まって」
「わたし、ある人を捜しているの」
「ある人?」
「このスカートを買ったときに会った先輩」
夢の中であの日買ったスカートがクローゼットにあった。それを穿いてきていたのだ。
「このスカートを買ったときに会った人?」
「そうよ」
「ちょっと待って、そのスカートを買った日って・・・・。高松先輩、そう、高松先輩だったわ」
「高松先輩・・・・」
「あなたの憧れの人ですものね。中学時代の」
「今どこにいるか知らないでしょう?」
「わたしが知ってるわけがないでしょう? あなたの方こそ知ってるんじゃないの?」
「・・・・」
「何か変ね。どうかしたの?」
「何でもないわ」
下田喜美子は首を傾げている。名前が分かったら、今日は下田喜美子に用事はない。妊娠がばれないうちに退散だ。
立ち上がろうとするぼくを、下田喜美子が制した。
「茜! あんた、妊娠してるわね」
図星を突かれて、ぼくは動揺した。
「そ、そんなことないわよ」
「嘘でしょう。ダイエット命のあなたが、そんなに太るわけがないもの。それに、そのお腹の出方は、普通じゃないわ。胸だって大きくなってるし」
下田喜美子の観察は鋭い。もう言い訳はできない。
「親友のわたしを騙そうって言うの?」
「ごめん。隠すつもりじゃなかったんだけど、こんなこと、わたし・・・・、他人に言えないもの・・・・」
「わたしは他人なの? そう言う付き合いだったの? 茜!!」
下田喜美子は、怒っているというより、悲しげな目でぼくを見た。
「悪かったわ。あなたにだけは言うつもりだったんだけど・・・・」
「それで?」
「父親が分からないの」
「ええっ!! 何ですって?」
「高松先輩か? もうひとりの人だってことは分かってるんだけど、どちらなのか・・・・」
後藤純一と佐藤俊介の件は伏せた。どちらも関係なさそうだからだ。
「分からないなんてことがあるの?」
「分からないから、調べてるのよ」
下田喜美子は、訳が分からないと言うような顔をしてぼくを見ていた。
「高松先輩の居所が分からないのね」
「・・・・そう」
「何とかしてみるわ。ちょっと待ってて」
下田喜美子は、携帯電話をかけ始めた。
『野球部の高松先輩。そう、ピッチャーやってた、かっこいい人。今どこにいるか。知らない?』
『知らないわ』
そんな会話が、10人ほど続いた。
『知ってるわよ』
『知ってるの? 住所か、電話番号を教えて?』
『電話番号なら分かるわ。あのね。・・・・』
下田喜美子は、メモに電話番号を書き留めている。
「ハイ、茜。これが電話番号よ」
ごくりとつばを飲み込む。
「早く電話しなさいよ」
「分かった」
メモに記された番号を押した。どきどきして待ったのに、聞こえてきたのは、『ただいま、電波の届かないところへ行っています。しばらくしてお掛け直しください』のアナウンスだった。
「キー子。誰にも言っちゃ、だめよ」
「勿論だけど、・・・・そのお腹じゃ、すぐに知られちゃうわよ」
「そうだね。それまでに父親を捜さなくっちゃ」
「高松先輩だったらいいね」
「・・・・そうね」
「なんだ。高松先輩はいやなの?」
「そうじゃないわ。そうじゃないけど・・・・」
高松という先輩ではないような気がしていた。女の勘だ。
茜の母親は、諦めたのか、出産用品を買い込み始めた。まだ、かなり早いというのに・・・・。
買い物に出掛けて誰もいない家から、高松の携帯に電話した。
『はい。誰?』
『茜です。倉橋茜』
『ああ、茜か。久しぶりだな。どうかしたか?』
『会って、お話したいことがあるんですけど・・・・』
『ちょっと忙しいんだ。会えない』
夢の中と違って、ずいぶん突っ慳貪な返事の仕方だ。
『ちょっとだけでいいんです。30分でも、いえ、10分でも・・・・』
『・・・・仕方ないな。じゃあ、明日の午後2時。上野動物園の西郷さんの前で』
『午後2時。上野動物園の西郷さんの前ね』
『遅れたら、もう会わないからな』
『絶対来てね』
『行ってやるって、言ってるだろう!』
電話が切れた。茜のことは、眼中にないって感じだ。妊娠したと打ち明けても、すぐに逃げそうな様子だ。
例え、お腹の子供の父親が高松でも、佐藤俊介に父親になってもらおうかなと思うぼくは、ホントに悪い女だ。
翌日の日曜日。朝早くから目が醒めた。ぼくが倉橋茜というのは夢で、目が醒めたら、倉田崇に戻っていないかなといまだに思うのだけど、願いは叶わない。
「上野動物園に行って来るわ」
「ひとりで行くの?」
「キー子と」
「気をつけるのよ。あなたひとりの体じゃないんだから」
「分かってるわ」
下田喜美子も一緒にいてくれることになっていた。ただ、高松との交渉をするときは、離れて様子を窺ってもらい、こじれるようだったら、出てきてもらうことにしていた。
約束は午後2時だったが、遅れて会えないと困るので、1時半には、西郷さんの銅像前に着いた。
「茜、わたしはあそこで見てるから」
「ごめんね。変なことに巻き込んじゃって」
「親友だもの。これくらい平気よ。じゃあ、頑張って」
下田喜美子は、20メートルほど離れたベンチに腰掛けて、文庫本を片手にジュースを飲みながら、ぼくの方を監視している。
ぼくは、銅像の前に立って、きょろきょろと見回しながら、高松がやってくるのを待った。
午後2時を廻っても、高松はやってこない。30分も過ぎた頃、高松がようやく姿を現した。遅れて来たと言うのに、急ぐ様子は微塵もない。
「遅れて済まない。急用ができちゃって」
「もう来ないのかと思ったわ」
「式の準備で、忙しくてさあ」
「式って、まさか・・・・」
「3月、結婚するんだ。それで結構忙しくってさあ」
「結婚されるんですか?」
「で、用事は何だ?」
高松は、ポケットから煙草を取り出して、火をつけた。
「わたしとは、遊びだったんですね」
「何を今更。茜の方がそれでいいって言うから、寝てやったんじゃないか」
寝てやった・・・・。なんて言い方だ。
「・・・・妊娠したの」
高松は、驚きもせず、ふうと煙草の煙を吐き出してから言った。
「そう言うのは、なし。それがほんとでも、俺の知ったこっちゃない。避妊は完璧だったし、おまえが安全日だとの賜っても、コンドームをした。絶対俺の子じゃない」
「でも、コンドームだけだったら、失敗するかも」
「失敗しようとどうしようと、例え俺の子どもでも、俺は関係ない。そう言う約束だった。忘れたのか!?」
完全に遊びと割り切って、この男と寝たというのか? この倉橋茜という女は、なんて女だ。しかも、この男だけじゃないのだ。涙がこぼれた。
「涙なんか流しても、俺は動じないぜ。じゃあ、帰るからな」
ぼくは、もうどうでもいいという気持ちになっていた。
「彼女に飽きたら、電話するからさ。その時は付き合ってくれよ」
「ばか! おまえなんか、死んじまえ!」
「何だよ。この淫乱女!」
まわりにいる人たちがぼくらを一斉に見た。ぼくは、怒りよりも恥ずかしさで、その場にしゃがみ込んで泣いた。
ぱしっと頬を叩く音がした。目を上げると、ぼくより綺麗な女が、高松の前に立っていた。
「あなたが、そんな男だとは知らなかったわ」
高松は、おろおろしている。
「婚約は破棄よ。さよなら」
女は、高松を残して走り去っていった。女は、高松が結婚すると言っていた女のようだ。
「何で、ここにいるんだよ」
高松は、半べそをかきながら、女の後を追っていった。
「いい気味だわ」
下田喜美子が、ぼくに近づいてきて呟いた。
「憧れていたのに、ガッカリね」
「そうね・・・・」
「あいつが父親かしら?」
「違うと思うわ」
「どうして分かるの?」
「勘よ。わたしの勘があいつじゃないって」
「それがほんとなら、良かったじゃない。あんなやつが父親じゃなくて・・・・」
確かめたわけではないが、高松も違うと確信していた。残るは、茜が処女をささげた男、あの心が安まると思った男だ。最初から、あの男だと思っていた。
今思えば、快楽のために男と関係を持つ茜が、そうそう妊娠するわけがない。ぼくが知る限り、避妊を切り出していたのは、茜の方だ。
あの男の時は・・・・。避妊の話しは出てこなかった。安全日だという言葉も。となると・・・・。茜は、あの日初めからあの男の子どもを身ごもるつもりで、関係を持ったとしか考えられない。
誰だ! あの男は・・・・。
顔が分からない。部屋の中しか見ていない。何も手がかりがない。
茜は日記の類をまったく残していない。机の中を全部探してみたけれど、あの男につながる情報は得られなかった。
父親が見つからないまま、時は過ぎ去っていった。
茜の父親が、一ヶ月ぶりに福岡から帰ってきた。ぼくは、母のそばに座って、父親に妊娠したことを告げた。
「女の子だから、そのうち子どもを産むことになるとは思っていたが、こんなに早くそうなるとは思わなかったよ」
父親からも平手打ちが飛んでくると思って覚悟していたのに、茜の父親は、ソファーに腰掛け目を瞑ったままそう言った。
「怒らないの?」
「できてしまったものは、どうしようもない。堕ろせない時期になっていると言うしな。今は、元気な子どもを産むことに専念することだ。分かったね、茜」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
怒られた方が、ずっと楽だったに違いない。父親は、娘にはずっと処女でいて欲しいと願うものだと聞いていた。娘を嫁にくれと言ってくる男を殺してやりたいと思うとも聞いた。倉田崇の社長が、そう言っていたのだ。
茜の父親の心境を思うと、何度謝っても済まないと言う気持ちだった。
「学校の方はどうするんだ?」
「まだ誰にも知られてませんけど・・・・」
茜の母親が呟く。
「こちらから出向いて、妊娠の報告をしよう。黙っていると、後ろめたいと思われる。父親は、しばらく伏せておくと言うことにして」
「そうした方がいいのかしら・・・・」
「ベストとはいわんが、ベターだろう」
「どんな風に話せば・・・・」
「わたしに任せて置きなさい」
茜の父親は何と懐が深いんだろう。さすがに若くして大きな商社の部長をしているだけのことはある。
翌日、茜の父親は、学校へ出掛けていった。学校での話しが終わって、すぐに福岡へ帰ってしまたが、茜の母親から聞いたところによると、上手く話しをして、学校側を納得させたそうだ。
その話しというのは、こうだ。
この倉橋茜には、昔から決まった婚約者がいて、高校を卒業したら、結婚させるつもりだった。
避妊に失敗して妊娠してしまったが、最初の子どもだから産ませてやりたい。
高校2年がもうすぐ終わるから、それまでは学校へ通わせる。子どもは5月に産まれる予定だから、3年は休学とする。来年子どもが大きくなったら、復学して、卒業させ、その後に結婚させる。
と言うものだ。なかなか上手いストーリ−を思いついたものだ。
「茜。婚約者がいるんだって?」
下田喜美子が、にやりと笑ってぼくに尋ねた。
「あなたには隠さないわ。お父さんが思いついた嘘よ」
「なかなか上手いこと思いついたものね。で、父親は分かったの?」
ぼくは首を振った。
「そうなの。このまま子どもを産んで、卒業するのはいいけど、どうするつもり?」
「なるようになるでしょう」
「そうね。ケセラセラね」
「そう言うことよ。子持ちでも、結婚してくれって言ってくれる男がいるかもしれないから」
「茜くらいの美人だったら、大丈夫よ」
「ありがと」
「わたしも、子ども、産みたいな」
「もっと後にした方がいいわよ。人生をもっと楽しんでからに」
「・・・・そうね、そうするわ」