第4章 夢か現実か

目を開けると、木目の天井が眼前に広がっていた。ぼくの部屋のものと違う。ぼくは、また夢の中にいる。それは間違いない。
 頭を上げて部屋の中をぐるりと見回した。ぼくは、ベージュ色の布団を着て、壁際に置かれたベッドの中に寝ていた。
 右の壁には、障子がはめ込まれた窓、足元にはデスクライトが取り付けられた机があった。机の左側の壁、ぼくが見ている正面の壁に滝沢秀明の大きなポスターが貼られている。その左側の壁には、花柄のカーテンが引かれていた。
 ベッドの斜向かいの壁には、作りつけのクローゼット。その前にハンガーがあって、セーラー服、白いふわふわの襟の付いた茶色のコートが掛かっていた。このコートは以前着た覚えがある。と言うことは、ぼくは例の女子高生になっている夢を見ている。
 クロゼットの左側、ぼくが左を向いた正面には、ドアがある。部屋の広さは6畳くらいだ。
 上半身を起こすと、ぼくの右側に、大きなピンクパンサーの縫いぐるみが寝ていた。ぼくはくすっと笑った。
 こんな場面から夢が始まるのは初めてだった。それに、こんなに細かなところまで、記憶に残るのは初めてだ。ぼくはずっと気になってきたことを実行に移した。

 気になっていたことは、夢の中のこの女子高生の顔と姿だ。今までの夢の中では、夢の中の自分の顔を見たことがなかった。
 四人の男を夢中にさせる女の顔を見てみたかった。夢の中だから、どんな美人にでもなれるのだが、ぼくはどんな顔をしているんだろう? やっぱり中山美穂だろうか?
 ベッドから出て、鏡を探す。机の上に、小さな鏡があった。その鏡を覗いてみた。ほうとぼくは感心したように溜息を洩らした。
 鏡に映った夢の中のぼくは、中山美穂ではなかった。初恋の女の子でもなかった。若いときの森高千里そっくりだった。森高千里もぼくが好きなタレントのひとりだ。フン、なるほどねえ。ひとりぼくは納得する。
 スタイルはどうだろうか? この鏡じゃ分からない。大きな鏡はないか? 部屋の中を探す。さっき見回したときにはなかった。あるとすれば、クローゼットの中だ。
 クローゼットの扉を開いてみた。思った通り、クローゼットの左隅に細長い姿見が置かれていた。
 その姿見に自分の姿を映してみる。パジャマ姿の可愛い女の子が映る。裸にならなくたって、スタイルが良さそうなことは分かる。夢だから、スタイルが悪いことはあり得ない。
 ぼくは、パジャマを脱ぎ捨て、パンティーひとつになる。乳房は、大きからず、小さからず。自分の手で触ってみた。今のぼくの手には少し余るくらい。ぼくがちょうどいい大きさだと思っているBカップのようだ。
 手も綺麗だ。特に爪の形がいい。ピンク色をした縦長の楕円形の爪だ。ぼくの爪なんて、横長の職人みたいな爪だ。
 目を姿見に戻す。締まったウエスト。子どもを産むには少し小さいかなと思う、形のいいヒップ。
 溜息が出るくらいスタイルがいい。細いが、バランスとしては最高だ。
 森高千里似のスタイルのいい女の子。ぼくだって、会ったとたんに好きになってしまうよ。
 夢だからねえ。夢だから、どんな理想的な女の子にでもなれるよ。何だか虚しいような気がするが・・・・。

 トントントンと階段を上がってくる足音がした。
 「茜! 茜! もう起きる時間よ」
 母親の声らしい。茜!? 夢の中のぼくの名前は、茜というのか。初めてはっきりと夢の中の自分の名前を自覚した。
 「茜! 起きてるの!」
 「は、はい。起きてるわ」
 「早くしないと遅刻するわよ」
 「分かってるわ」
 遅刻する? そうだ。ぼくは、女子高生なのだ。学校へ行かなければならないのだ。こんなシチュエーションは初めてなのだ。いつもは、服を着て学校にいた。セーラー服は目の前にある。下には何を着ればいいんだろうか?
 考えたって始まらない。クローゼットの中のタンスを調べる。一番上の引き出しは、ふたつに分割されている。左側は、ハンカチやスカーフの類が入っていた。右側には、ソックス類だ。ルーズソックスとパンストが入っている。学校に行くときはパンストじゃないなと判断し、ルーズソックスを一組取り出す。
 二番目には下着は入っていた。左から、パンティー、ブラジャー、キャミソールの順。キャミソールの奥に、スリップが入っている。奥に置かれていると言うことは、普段はあまり着ないと言うことだ。
 必要なものは、ブラジャーとキャミソールだろう。どれにするか迷っても仕方がない。ブラジャーは一番手前のもの、キャミソールはパンティーと同じ柄ものを取り出す。
 ブラジャーは黄色。カップを胸にあてて、ストラップを腕に通し、後ろ手にホックを留めた。茜は、体が柔らかいなと思う。夢の中でなかったら、とても手が届かないだろう。
 白地に小さな花柄のキャミソールを着込む。セーラー服のスカートを外して穿いてみる。うん、いい感じ。セーラー服の上着を着て、ネクタイをする。出来上がり。いや、まだルーズソックスが残っていた。
 姿が女だから良いものを、40を前にした男がこんな格好をしたら、完全に変態だなと思う。

 「茜! 何してるの? 早く降りてきなさい!」
 「ちょ、ちょっと待って!」
 今日の時間割は何だろう? 机の上を調べる。数学、英語、美術、世界史。午後は生物。教科書は? 部屋のどこにも置いてない。持って行こうにも鞄は薄っぺら。中を覗くと、ノートにペンシルケースだけ。教科書は学校に置いているらしい。思うに、進学校ではないと言うことだ。
 ぼくが通っていた高校は進学校で、教科書、参考書の類を山ほど持って行っていた。近くの女子校の生徒は、茜が持っているような薄っぺらな鞄だった。重くなくていいな。その時はそう思っていた。あの時の思いが、夢の中に現れているようだ。
 手にした薄っぺらな鞄に見覚えがあった。キティーちゃんのシールが貼られた赤みの強い茶色の鞄。セーラー服を着て英語の授業を受けた夢を見たときのものだ。
 と言うことは、夢の中の女子高生は、いつもこの女子高生だと言うことだろう。そうか、そうだったのか。
 そうは思うながら、何かがおかしいと思っていた。

 机の上に生徒手帳がある。開いてみた。倉橋茜、昭和58年7月12日生。と言うことは、17歳になったばかり。高校二年生と言うことだ。
 「茜!! 遅刻するったら!!!」
 「今行くってばあ」
 ぼくは鞄を抱えて下へ降りていった。

 「送ってあげるから、早く食べなさい」
 「はあい」
 助かった。学校がどこにあるのか分からないから、行けと言われても困るのだ。夢だから、通学シーンは省略されるだろうけれど。
 父親の姿が見えない。時間的には、もう出掛けている時間ではあるが・・・・。
 「お父さんは?」
 「お父さん? お父さんなら、予定を一週間繰り上げて、来週の土曜日に帰って来るって」
 来週帰ってくる!? 頭を働かせる。単身赴任ってことだな。
 「お土産買ってきてくれるかしら?」
 「さあ、どうかしら? 一人娘に久しぶりに会うんだから、何か買ってくるでしょうけどね」
 ぼくは嬉しそうな顔をして、紅茶を飲みながら、トーストを噛った。

 母親が玄関に鍵を架けるのを待って、車に乗り込む。車は、ぼくが乗っている車と同じマークUだ。
 表通りは渋滞していた。母親は、裏道をすいすいと進んでいく。20分ほど掛かって、学校のそばに着いた。
 「ありがと」
 「帰りは電車で帰るのよ」
 「はあい」
 校門に向かって走る。校門を通りすぎながら、はたと困った。ぼくが向かうクラスはどこだ? 二年生だと言うことは分かっている。しかし、クラスが分からない。これは夢だから、助け船が入るはずだ。そう思いながら、校舎へ向かう。
 「お早う、茜!」
 「お早う」
 思った通り、助け船が現れた。名前は分からないが、いつも夢に出てくる仲良しの同級生だ。彼女について下駄箱へ向かう。彼女は二年六組の下駄箱から、上履きを取り出していた。彼女の名前は、下田喜美子。ぼくの下駄箱はどこだ?
 下田喜美子の真横にあった。やったあ。やっぱり彼女は助け船。夢ってのは上手くできてるよ。

 今日の夢は長い夢だ。しかも、セックスシーンにならない。ぼくは、セックスシーンに嫌悪感を覚え、品行方正な女子高生を楽しもうとしているようだ。
 女子高生を楽しむ!? やっぱ、ぼくは歪んでいる。

 授業は簡単だ。特に数学は、昔覚えていたことをすぐに思い出した。ただ、歴史関係は、年号を完全に忘れてしまっている。
 授業を受けるなんて、省略するか、早回しにすればいいのにと思うのに、今日の夢は、言うことを聞いてくれない。50分授業を4回も受けてしまった。

 「茜。今日は学食まで付き合ってよ」
 午前の授業が終わると、下田喜美子が駆け寄ってきた。
 「今日はお弁当、ないの?」
 「お母さんが、風邪引いてダウンなんだ」
 「そうなの。じゃあ、付き合うわ」
 そう言いながら、ぼくの弁当を取り出した。出がけに、母親が持たせてくれたのだ。
 下田喜美子は、学食でカレーを注文して、スプーンを動かし始めていた。ぼくは、弁当の包みを開く。
 以前夢で見た形の小さな弁当箱が出てきた。あの時は、これで腹が満たされるのかと疑問に思ったが、全部食べないうちに腹一杯になって少し残した。

 午後の授業は、生物。ぼくは物理と化学を選択していたから、生物を学んだことがない。だから、夢の中で生物の授業なんてあり得ない。あったとしても、内容が無茶苦茶なはずだ。
 ところが、教師が、ぼく自身が知り得ないことを黒板に書き連ねていくのだ。
 おかしい。こんなはずはない。ぼくは、頬を抓ってみた。痛かった!! 痛いなんて!!!
 ぼくは生物の授業受けている。スカートも穿いている。胸には膨らみがある。そんな馬鹿な!!!
 ぼくは、もう一度頬を抓った。やっぱり痛い。ほっぺたを叩いてみた。
 「倉橋! 何やってるんだ!」
 教師がぼくを睨み付ける。
 「な、何でもありません」
 頬が痛いってことは、これは現実なのか? ぼくは女子高生、倉橋茜になってしまったのか?
 いや、そんなことが起こるわけがない。頬が痛いと思っているのも夢だ。これは絶対夢だ。
 夢よ醒めろ!!

 見慣れたぼくの部屋。やっぱり夢だった。ああ、ビックリした。時計は午前7時だ。急いで会社に行こう。
 そう思ったら、ぼくは会社のモニターに向かっていた。
 あれ!? どう言うことだ? ぼくは首を傾げた。
 「倉田君、ちょっと」
 社長が呼んでいる。
 「昨日の原稿は良かったぞ。この調子で頼む。こいつを水曜日までに頼む」
 「分かりました」
 そう答えて、デスクに戻ったが、疑問が沸いてきた。昨日の原稿? 昨日、社長に原稿なんて渡さなかったぞ。
 おかしいなと思いながら、モニターに向かった。モニターに向かってやる動作が、無茶苦茶速いのだ。ビデオを早送りしているように。
 昔悪友にそそのかされて、覚醒剤を飲んだことがある。その時、こんな感じだった。覚醒剤は飲んでない。・・・・そう思うのだが、知らない間に飲んだのだろうか? それともこれは夢なのか? ぼくは頬を抓った。痛くなかった。何だってんだ!!!

 がばっと起き上がってまわりを見た。ここは・・・・、この部屋は倉橋茜の部屋だ。
 「茜! 起きなさいって、何度言ったら分かるの!」
 茜の母親がドアを開けて入ってきた。
 「すぐ起きる」
 「夜更かししたんでしょう。今日はお父さんが帰ってくるのよ。きちんとしないと怒られても知らないわよ」
 茜の父親は、土曜日に帰ってくると言っていたが、もうその土曜日なのか?
 それにしても、これは夢なのか? それとも現実なのか? 現実ではないはずだが・・・・。
 歯を磨いて顔を洗い、パジャマをセーラー服に着替える。来年は、土曜日が休みになるから登校しないですむなと思う自分がおかしい。
 朝食を済ませ、薄っぺらな鞄を自転車の籠に入れて、学校へ向かう。
 セーラー服のスカートは膝上20センチ。自転車に乗ると、パンティーが見えそうだ。しかし、風でも吹かない限り、結構見えないものだ。

 前回の夢の中で、母親に送ってもらった道順で学校へ向かう。もう少し近道があるのかもしれないが、分からないから仕方がないのだ。
 校門前で、今日も下田喜美子に出会った。
 「お早う、喜美子」
 「お早う、茜」
 そう言いながら、下田喜美子は少し首を傾げた。
 「どしたの?」
 「何でもないわ」
 不審気にする下田喜美子。ぼくの何かがおかしいのだろうか?

 駐輪場へ自転車を停め、下駄箱で上履きに履き替えていると、同級生らしい女の子がやってきた。
 「お早う、茜、キー子」
 「お早う」
 「お早う、ミッチ」
 キー子!? そうか。喜美子って呼んだのがおかしかったんだ。下田喜美子のことを、普段はキー子って呼んでいるんだ。
 夢の中では、夢を見ている人間の思いどおりになる。登場人物が不平不満を言うことなどないのだ。
 と言うことは・・・・。

 一時間目はまたもや生物の時間。血液型と遺伝の法則についての講義だ。このことなら、生物を学んでいなくても知っている。やっぱりぼくの記憶が、この夢を思い出させている。そう思い直す。
 「血液型というのは、父親と母親からそれぞれひとつずつもらった遺伝子によって決定されるんだ。血液型の遺伝子は、AとBしかない」
 「ABとかOとかはないんですか?」
 「待て待て、今から説明する」
 「さっきも言ったが、父親と母親からひとつずつもらうから、ふたつあるってことだ。分かるかな?」
 「はあい」
 「両親からもらう遺伝子の組み合わせは、AA、AB、AO、BB、BO、OOの六種類だ。分かりやすくするために、絵の具で説明する。Aを赤、Bを青としよう。Oは無色透明だ。いいか?」
 「はあい」
 「AAは赤同士だから当然赤になる。つまりA型だ。じゃあ、AOはどうなる?」
 「赤と透明だから、赤」
 「そうだ。赤だから、A型だ。同じように、BBとBOも分かるな」
 「よく分かります」
 「赤と青を混ぜれば、紫で、AB型だ。どちらもなければ、無色透明のままだからO型になる。分かったな」
 「分かりました」
 「血液型で、ある程度、親子関係が推定できるんだ。例えば、両親が両方ともA型なら、B型の子どもは産まれない。こう言う風になる」
 そう言って、黒板に書きながら、説明する。
 「AOとBOの両親から産まれる子どもは、AB、AO、BO、OOだから、すべての血液型の子供が産まれる可能性があるんだ」
 「凄い!!」
 「親子関係が絶対ない組み合わせがひとつだけあるんだが、分かるものはいるか?」
 「AB型とO型です」
 ぼくが手を挙げて答える。
 「倉橋! よく分かったな。その通りだ。理由は?」
 「必ず赤か青をもらうから、透明はあり得ないです」
 「100点だ。みんな分かったか?」
 「はあい」
 「じゃあ。次行くぞ」
 まるで、中学の授業だ。程度が落ちると言ったらない。さすが、進学校でない

 今日は3時間目に体育の授業があった。男子生徒はサッカー。女子生徒はテニス。サッカーをしたかったけれど、ぼくは女の子。仕方なくテニスをした。テニスなどしたことがなかったので、空振りするは、とんでもない方向にボールを飛ばすはで、さっぱりだった。
 「どうしたの? 茜。あなた、テニスは得意でしょう?」
 「ちょっと体調不良」
 「生理なの?」
 「そんなことないわ」
 「ふうん」
 茜はテニスが得意だった? 困った状況を作らないのが夢の原則なのに、どうしてだよ!

 叫んだところで目が醒めた。やっぱり夢だったか。ぼくは安心した。安心したが、倉田崇の方が、何だか現実味がない。宙を飛んでいるような気分で、一日を過ごした。
 何かがおかしいと思いながらベッドに入った。
 目を瞑ったと思ったらすぐに倉橋茜になった夢を見た。夢はなかなか醒めず、二日間倉橋茜として過ごした。こちらの方が夢のはずなのに、時間にも場所にも連続性があった。夢の中の出来事とは思えないのだ。
 目が醒めると、倉田崇だ。しかし・・・・。何故か時間や場所がぽんぽん飛んでしまう。こちらの方が夢のように思えてしまう。

 夢ばかり見ようとしているぼくへの罰なのだろうか? それともあの頭痛が関係しているのか? 頭痛薬の副作用? 薬を飲まなければ、ひどい頭痛がするし・・・・。知らない間に覚醒剤を飲んで、中毒してしまっているのだろうか?

 今日もまた、倉吉茜になった夢を見た。最近ほとんど毎日、倉橋茜になる夢を見る。それも、すごく現実味があるのだ。それにひき替え、倉田崇としての生活の方が、だんだん現実味が薄れてきている。しかも、倉吉茜として暮らしている時間の方が、倉田崇として暮らしている時間よりも長くなっているような気がする。ぼくは、倉田崇じゃなくて、倉橋茜ではないかと錯覚してしまいそうになるくらいだ。
 ふと考えた。ぼくは、ほんとは倉吉茜で、倉田崇になった夢を見ているんじゃないかと。そんな風に考えた方が、今の状態を受け入れられるのだ。
 ・・・・いや、やっぱりそんなの変だ。ぼくには、倉橋茜としての記憶はほとんどと言ってない。しかしぼくには、幼い頃からの倉田崇としての記憶がある。母の記憶。その母に捨てられた悲しい記憶。それさえも茜の作りことだと言うのだろうか!?

 最初に女の子になった夢を見てから、3ヶ月が経過した。ぼくは今日も倉田茜として暮らしている。倉田崇として目覚めたのはいつのことだっただろうか? もう一週間も前の話だ。この頃ぼくは、自分が倉田崇なのか倉橋茜なのか分からなくなりつつある。
 ・・・・分からない。何がどうなってるんだ!!! どっちが夢なんだ! ぼくは、倉田崇なのか? それとも倉橋茜なのか?